冬との終戦、人類との開戦
戦線を下げて兵站の過負荷を減らし、随時魔像の改良を行い、ついでに不正士官の更迭が行われた結果、12月末にはかなり仕事が減ったように思える。
兵站局でほぼ不眠不休で事務に関わっていた人たちに有休をとらせてあげるくらいには、余裕が出来た。
年明けが迫るころには、いつもの冬と同じくらいの兵站を維持できている。
……つまり何が言いたいかと言えば、いつものように忙しい。
「こんな状態でも新年祝いの物資を運ばなければならないとか意味が分からんぞ……」
「前線の人たちにとってはそんなこと関係ありませんし……それに、士気にも影響がありますから」
そしていつも通り、ソフィアさんの正論は胸に突き刺さる。本当のことを言っているもんだから、反論のしようがないのである。
とは言え、そんなことを言っていられる余裕が出来たこと自体は喜ばしい事なのだが。
去年と同じ通り、年末年始の人員管理を怠ることなく、去年とは少し違う新年祝いの物資を各方面に送る。そんでもって忘年会やら新年会やらを行ってあけましておめでとうございます……とは、ならない。さすがに今年はそんなことできる余裕はなかった。
その代わりと言ってはなんだが、二月あたりに俺が何か開こうか。でも二月のイベントと言えばセッツブーンと製菓企業の陰謀くらいしかない。魔王軍にはその両方の文化がない(狐人族にはありそうだけれど)。
ま、そのあたりは適当でいいか。単に労うだけの会があってもいい。
当然、上司権限で無理に呼んだりしない。そんなことしたら業務扱いになって残業代を払わないといけないじゃないか。それを日本で言ったら最悪クビが消し飛ぶが。
目指せ魔王軍ホワイト企業化。軍隊も公務員で役所なのだから労働法は守らないとね。そんな法律、旧態依然とした魔王軍にあるわけないけど。でも労働条件がいいところには優秀な頭脳が集まりやすいわけだし。
実際、エリさんやリイナさん、ユリエさんはその労働条件の良さで集まったわけだ。まぁこれに関しては俺の人徳のなすところも大き――、
「おい局長さん! なに目瞑ってんだよ! 決裁すべき書類溜まってんだから休まずに手を動かしてくれ!」
「あのー、局長。今年度の決算書に関してなんですけど、計算が間違っているところとか、領収書に不備があったり色々とミスが……」
「きょ、局長様! ああ、あの、あの、お姉様に、わたしがサツキ亭でお手伝いしたことなんで喋っちゃったんですか! おかげでお姉様が『もう1回着て』ってうるさくて――」
「アキラ様、涙目になってないで次の仕事ですよ。まずはユリエ様が言っている決裁。会計書類の見直しに関しては、致し方なく私の方からやっておくので、アキラ様はその確認だけ願います。あと、やたらめたら情報を外部に漏らさないでくださいね。ただでさえクレーメンス様を始めとした外部の方々に睨まれてるのですから」
……わぁ、ぼくってしんようされてるんだなー。
悲しくなってきた。心を無にして仕事をしよう。暖炉の火が俺の身体を温めてくれているのに、なぜかどんどん寒くなってくるような気がする兵站局でございます。
そんな冬が一段落し、新年を無事迎えた後のある日。
久しぶりに、俺はヘル・アーチェ陛下から呼び出しを受けたのである。
なにか、またまずいことをしたのに証拠隠滅が不十分で陛下にばれてしまったのではないだろうか、と戦々恐々としながら陛下の執務室に赴いたわけだが……、
「随分と地味に派手なことをしてくれたもんだよ、君は」
「……言葉が矛盾してませんか」
言葉の意味はともかく、いったい何を差して「地味に派手」と言ったのかはすぐにピンときたが。
「まぁ、今回は大目に見てやろう。巨悪を討つために必要だった、と解釈する」
「ありがとうござい――」
「だが君が巨悪となったのなら、その首をへし折る程度じゃ済まないことは覚悟しておくことだ」
なにがあってもチビらないように事前にトイレを済ませたことが俺にとっての幸いだったと思う。
「ソフィアくんを悲しませないように、と少しでも思っているのなら、君は闇に落ちないように細心の注意を払うべきだよ。特に『巨悪を討つために自らも悪となる』ような輩というのは、そうなることが多いからね」
「……ご忠告、肝に銘じます」
今度からは賄賂――じゃない、贈り物は入念に準備しろということだろう。そしてこれを使うのも最後の手段。劇的な効果がある分、反動も凄いし。
「……君は本当にわかっているのか?」
「わかってますわかってます」
「そうか。アキラくんは、私が心の中を読み取ることができることを忘れてるのかと思ってな」
「…………いやいや、まさかそんなことは」
「私と話すときは目をあわせたまえ」
今自分の背中を見ることが出来たのなら、恐らく汗でびっしょりでYシャツは濡れスケサービスシーンを拝むことができるだろう。男の濡れスケに一体需要があるかは知らないが。
「……して、ご用件というのはいったい」
「相変わらず話題の変え方が雑だな、君は。……まぁいい。今日は君に少し聞いて貰いたい頼みがあってね」
頼み? 陛下自らが俺に頼みごととは珍しい。
何事かと訝しんでいる俺を余所目に、陛下は執務机の引き出しから分厚い書類を出し、俺に渡してきた。十分な厚みと重みがあり、何も知らなければ百科事典の原稿だと思ってしまうくらいには量がある。
そんな紙の束の一番上、そこには陛下の達筆でこのようなことが書かれている。
『魔王軍春季攻勢作戦 常夜の宴作戦要領』
この分厚い紙の束、そして陛下自らが名付けただろう「常夜の宴」という作戦名からして、考えられるのは……、
「この冬の厳しさと戦線後退の影響もあって多少の修正が必要だろうが……我ら魔王軍は、人類軍に対して大規模な攻勢作戦を開始することとなった」
「……なるほど」
少し前の話だが、地震が起きたときに計画されていたのは小規模な攻勢作戦だった。あれがこの作戦の為の前段階だったとすれば納得がいく話だ。そして具体的な作戦要領が出来てはじめて俺に作戦決行を伝えたことは、俺がスパイであることを警戒したのか、それとも例のスパイ事件のことを気にしていたのか……。
既に作戦は出来上がり、俺に見せた。この時点で「考え直してください」と言っても無意味だろう。陛下の望むことは、兵站的な観点から見たこの作戦の欠点を見つけて欲しいということ。
「……要領を見てからではないと判断はできませんが……、前準備に相当な時間がかかります。兵站線を確保することは勿論、進出先での兵站網の構築を策定しなければなりませんし、それに際しての輸送用魔像の増備を進めませんと」
「その点に関しては問題ない。既に民政に携わる閣僚共との協議を行い、どれほどの魔石や魔像が確保できるかの予測値が出来ている。それも作戦要領にあるから、局内でじっくりと検討して意見を聞かせて欲しい。ただし――」
「ただし、これは重要機密だから幹部以外には見せるな、と?」
「話が早いね。そういうことだ。先日の君の所業を見逃した理由の半分はこれだから、しっかりと職務に励みたまえ」
つまり、兵站が理由で作戦が失敗しようものなら俺の命は保障されないという事だ。なんというブラック企業――! そんなことをするのは悪魔か魔王陛下くらいなものだろう。
……はぁ。
「畏まりました。微力を尽くします」
「頼んだよ」




