それはとても嫌な予感
現代地球において最強の軍隊といえば間違いなくアメリカ軍である。
だがその現代アメリカ軍でさえ、兵站に苦労した話というのは多くある。
一例を挙げるのならば、アフガニスタンにおけるアメリカ軍の兵站事情がある。
色々あってアフガニスタンをボコボコにしようと思い立ったアメリカ軍であったが、アフガニスタンというのは厄介な土地だ。世界地図を見ればわかるが、内陸国なので海路による兵站輸送が出来なかった。
故に空路による輸送が主に行われたのだが、周囲にあるのはイランや旧ソ連構成国など厄介な国ばかり。
空路策定にあたってはそれらの国に最大限配慮しなければならず、さらには輸送機の航続距離や巡航速度、離着陸に必要な滑走路長などの様々な制約によって、結局は満足に鉄道が整備されていない事情の中陸路で兵站輸送する羽目になった。
この非効率な輸送に頼った結果、米軍は現地の作戦行動に大きな制限がかけられたのである。
上記のように、内陸国の兵站輸送というのは大変だ。
そしてそれをある程度解決できる鉄道ってスゲー、という話でもある。
この辺の事情は魔王軍でも似たような物だ。
大魔術師による空路の策定というのは出来なくもないが、絶対数が足りない。緊急輸送以外では使えない収納魔術を恒常的に使える訳もない。
制海権や地理的問題によって、海路も封じられたも同然。となると、どこぞのお米の国のように陸路で頑張るほかない。
問題はどうやって頑張るか、だ。
「……どうしましょうね」
「どうしましょう、と言われましても」
溜め息ついて愚痴っても、返ってくるのは虚しい困惑の声である。
悲しいことに、兵站というのは基本的に「事前準備が全て」だ。なにか天才的なひらめきによって問題が解決するということは余りない。
わかりやすく言えば「こんなこともあろうかと」が活躍する世界という事。
そして「こんなことがあるなんて」と言ってしまった段階で、普通は詰みだ。
とは言え、詰んでしまったからという理由で全てを投げ捨てる訳にもいかない。後悔先に立たずというか、現実にリセットボタンは存在しないのである。やれるだけのことはやるしかない。
「ソフィアさん。魔像の改修はどこまで終わったかわかりますか?」
「はい。改修が終了したのは必要最低限数の3割ほどです。開発局のカルツェット様や輸送総隊のウルコ司令官によると、年内の改修終了は難しいということです」
「そこをなんとかしてほしいですね。春になったら壊れる、というのでも構わないのでこの冬を乗り越えたいです」
「それはなんとも……ただでさえ現場に負担をかけていますので……」
そうだなぁ。あまり無茶ぶりもできないか。
72時間働けますか? 答えは無理、不可能。一昨日きやがれ。しかしもう少し作業効率を上げることはできないだろうか。
……いやいや、このままじゃ現場の努力に依存した挙句に大規模な不正が発覚するどこぞの日出ずる国になるではないか。こういうのはシステムから変えなきゃいけない。
「改修作業を行っている工場のタイムスケジュールとか工程内容とか、そういうのはありますか?」
「えっ? あ、ちょっとお待ちください」
少し慌て、ユリエさんを呼ぶソフィアさん。一言二言、言葉を交わした後、ユリエさんは土を掘るように資料を漁っている。もうちょっと丁寧に仕事ができないんだろうか、あの人。
数分してユリエさんは資料を発掘し、そのまま俺の下に運んできた。
「たぶんこれのことだろ? ざっと見てみたけど、特におかしい点はないぜ? 始業8時、終業は21時。各作業員には2時間の休憩を与えてあるから11時間労働だな。確かに兵站局と比べて労働時間が長いけど、まぁでも改修すべき魔像の量は膨大だから仕方ないだろう」
「…………え、ユリエさんそれ本気で言ってます?」
「えっ?」
ポカンとするユリエさん。
そして何かを察したソフィアさんの溜め息。
「緊急事態なんだから24時間操業にしないとダメじゃないですか!」
「や、さすがに24時間も働けな――」
「なんのためのシフト制だ!」
ええい、どいつもこいつも労働観念が日本すぎる! 魔王の軍隊だからと言ってブラックに染まるな! それに11時間労働とかやってられないだろ!
「ユリエさん。各工廠、工場に労働改善命令ですよ。命令できる立場じゃないですけど、これからは24時間操業です」
4交替24時間制にすれば労働者の疲弊を抑えつつ工場の稼働率も挙げられるだろう。
前にも言ったが、労働時間を延ばせばいいという問題ではない。過労は泥酔と同じくらい思考力が下がっているのだから。
無論、今からというのは流石に無理だろう。だが来週から実行、というくらいなら特に問題なくできると思う。それに必要な人員が足りないというのであれば、兵站局から何人か人員を貸そう。
新規魔像生産ラインでも同様の問題があるかもしれないし、こっちも要注意。生産ラインを止めて余った人員を――とも思ったが、生産と改修では必要ノウハウや機材が違うし意味がない。今後のためにもラインは止めずに稼働させ続けた方がいいだろう。
しかし海軍工廠に続きこっちでも同じことをしている。労務管理をおろそかにして結局は非効率的な生産活動を行っている。これはなんというか、根深い問題だ。
「とまれ、とにかく早急にお願いしますね、ユリエさん」
「お、おう。それだけでいいのか?」
「まぁ、とりあえずは。あと何か思いついたらまた連絡しますので」
「わかった。絶対また何か連絡あるってことだな」
察しがよくて助かる。改善の余地はまだまだいっぱいありそうだということがわかった。
「これで少しは改修期間が短くなればいいんですが……これでもやっぱり今現在起きている問題は解決できていませんよね?」
ソフィアさんの率直な意見はいつ聞いても耳が痛い。
そうなんだよね、今現在の問題は解決されてないんだよね。
「こうなったら、陛下に進言して戦線の縮小も視野に入れないとだめかもしれません」
「え、そこまでですか!?」
ソフィアさんは驚いてはいるが、別にそんな珍しいことではない。
餓島然り、モスクワ然り。兵站の届かない場所にいつまでも居座られても飢えて死ぬだけだ。いい機会だと思って、戦線の整理を行うべきではないだろうか。
「しかしそうなると、陸軍からの反発が大きいのではないでしょうか? ただでさえ、魔王軍内部では今回の補給の滞りを兵站局の失態と見ていますし……」
「天候の問題です、と説得しても無意味かな。何故か知らないけれど、私いつの間にか敵を多く作っているんですよね」
「それを本気で仰っているのであれば、アキラ様は相当な大物か愚者か、どっちかですね」
「大物かなんて、そんな褒めないでくださいよ」
「…………」
「その可哀そうな目で私のこと見るのやめましょう?」
ちょっとドキッとしちゃうじゃあないか。
そのタイミングで、各部と交渉を行っていたエリさんが兵站局に戻ってきた。いくつかの報告を終えた後、自分あてに連絡事項があると伝えられた。
「誰からです?」
「元をたどれば陸軍のお偉方から、ですわね。明後日に開催することが決まった『停滞する魔王軍の補給活動の対策会議』に出席しろという命令ですわ」
……うわあ。
「それってつまり、対策会議という名の糾弾大会とかじゃあないですよね?」
「十中八九そうだと思いますけどね」
エリさんから無情の言葉が放たれる。項垂れるしかない。
嫌だ、出席したくない。
「……アキラ様、心配しないでください」
「そ、ソフィアさん……!」
やっぱりソフィアさんは天使だった。彼女はニコリと笑い、俺に優しい言葉をかけてくれ――
「骨は拾ってあげますから」
やっぱりソフィアさんは悪魔だった。




