桑の実
「良い報せ」というのは理想の女性である。
そんなものは存在しないし、仮に存在したとしてもトキの個体数より少ない。
一方で「悪い報せ」というのは地元の不良である。
大抵は集団行動してこちらにやってくる。悪いことの前触れであり、ついでに24時間営業のコンビニの明かりに釣られてたむろして特に売り上げに貢献したりはしないどころか邪魔でさえある蛾みたいな連中である。
いや本当に帰ってほしい。店に入ったと思ったら酒・煙草を求めてきて年齢確認したら逆ギレするだけなんだから。君達が未成年者ナントカ法で捕まるのは別にいいけれど、売った側も責任問われるからやめてほしい。
……コホン。
話を戻すと、そういう「悪い報せ」というものは厄介なくせして求めてないのにやってくる。
そんな存在である。
「局長さん。南岸地域のトゥルナイゼン市が人類海軍の砲撃を受けたみたいだぜ」
「…………」
ユリエさんはまるで「隣の家の奥さん妊娠したらしいわよ」という井戸端会議のような感じで特に重みもなく報告してきたが、こっちは頭を抱えたくなる事態である。
畜生め。真面目に戦争しやがって、人類め……。
俺の脇に立つソフィアさんも、やれやれと溜め息を吐く。
「戦闘艦の数はまだ足りませんから、制海権は人類側が保持したままですね……」
「つっても、この前は海軍の奴らが人類海軍を撃滅した! って叫んでたし、これからだぜ」
「それはどうかなぁ……。過大報告のような気がしますよ」
連戦連敗の魔王海軍が被害軽微で帰ってきたという報せを聞いた者達は「絶対逃げて帰って来ただろ」と口を揃えた、というのは魔王城では語り草である。
ただ戦果を「多少なりとも」挙げたのは「どうやら」本当らしいので、これからに期待することにしてあげよう。
相変わらず海上補給線は1940年の大西洋並にズタズタだけど。
人類軍の襲撃を受けたトゥルナイゼン市は、魔王領のある人界北大陸南岸に位置する港町。人類軍と魔王軍が対峙する前線に近く、それ故に海上補給網の拠点として機能していた。
冬将軍の到来によって益々海上輸送が重要になっていく中での、今回の襲撃。偶然じゃないだろう。
「人間ってなんでこんなに戦争が上手なんでしょうね……」
「それをアキラ様が言いますか?」
「局長さん見ると『人間が戦上手』って言葉に違和感を感じるぜ……」
うるせえ。
「それはさておくとして、トゥルナイゼン市の戦況はどうなったんですか」
「ん? あぁ、海軍によると氷製戦闘艦ハイドラ級2隻が反撃を果敢に行い人類軍の大型艦1隻、中型艦2隻を撃沈乃至撃破――」
「いや大本営発表はいいです」
空母19隻、戦艦4隻撃沈破とか言い出しそうだからいいです。
兵站局的には戦果よりも損害の方が重要であるし。
「……聞くのか?」
「それが仕事だし……心して聞くよ」
あまり聞きたくないけれど。
ユリエさんは変わらず、事の重大さを理解しているのかしていないのかわからない感じで、【トゥルナイゼン市艦砲射撃戦闘被害報告書】と題された海軍からの報告書を読み上げた。
人類軍はトゥルナイゼン市の市街地、港湾施設、停泊船舶、その他軍事施設、つまるところ市街全体を広範に砲撃した。参加した艦艇が少なかったせいか、それとも魔王軍の反撃を恐れたのか、攻撃時間は短く投射された砲弾の量は多くなかったため、攻撃の密度は薄い。
だが被害はやはり多い。
市街地の2割が焼失し、軍事施設も何らかの被害を受けている。
主な損害としては港湾倉庫11棟、魔石貯蔵庫2棟、兵舎5棟、海軍工廠機能の35%を喪失。
「ついでに海軍基地司令部に直撃弾があって『避難が終わるまで自分が逃げるわけにはいかない』とかなんとか言ってた当該基地の司令官が行方不明(MIA)らしいぜ」
「極めてどうでもいい」
「一将官の安否が『どうでもいい』ってどういうことですか……?」
いや、知らないやつだし。それに基地の最高責任者が変な軍事的ロマンチズムに目覚めて行方不明になるとか少しは戦闘後のことを見据えて欲しい。迷惑過ぎる。
……なんだかブーメランが胸に突き刺さった感覚があるような気がするが、まぁそれはさておき。
「その他、港湾の荷揚げ施設も攻撃を受けているし、海軍や民間の船舶が7隻損傷、内4隻が港内で大破着底……。兵站的にはこれが一番つらいかな。船と港をいっぺんに失ってしまった……」
「幸い、『沈没』ではなく『大破着底』ですので積載していた物資はある程度取り出すことができます。港湾施設に関しては全壊ではない分復旧も早いでしょうが……、トゥルナイゼン市の拠点機能は半分失われたと言っていいでしょう。代替の港を選定し、急ぎ補給網の再策定をしませんと」
「再策定と言ってもなぁ……」
執務机にある邪魔なものを適当にどかして、南岸地域の地図を広げる。
トゥルナイゼン市に大きく×を付けて、地形や街道、周辺に存在する軍事施設や情勢などを加味して新しい拠点を見つけたい……が。
「一番近いのは南西にあるヴァーンシャッフェっという町ですね」
「あ、そこはダメだぜ局長さん。そこの港湾は規模が小さい……っつうかここ漁村だから」
「それに平地部分が少なく、荷揚げ物資を貯蔵する場所を確保できませんね。いっそ、ここの海岸に港を新設するのはどうでしょうか?」
「んー。いや、ダメみたいですね。ここは遠浅みたいですから、作ったとしても船が入港できません」
トゥルナイゼン市の復旧復興に必要な物資、そして前線を支えるための物資を集積し各地へと配送できる地域なんて、そんな都合のいい立地はそうそうない。
地図を睨めっこして見つかるのは「ここにあったらなぁ」という無人地帯と「なんでここにあるんだよ!」と文句を言いたくなるような港町ばかりだ。
海岸伝いに一通り眺めたが、やはりトゥルナイゼン市以上の適切な地はない。だからこそ補給拠点にしたし、人類軍はそこを攻撃した。
こうなったらヴァーンシャッフェを改造して一大軍事基地にするかくらいしか案が思いつかない。どこぞの神戸みたいに、辺境の漁村が世界に羽ばたく港湾都市へと変貌したように……ってやっぱりこれもスペースの問題があるか。
ヴァーンシャッフェはせいぜい、半壊したトゥルナイゼン港の復旧に必要な資材を運ぶ拠点としてしか使えないだろう。
「いっそ陸に拠点作っちまえば?」
「冬じゃなかったそれでも良かったんですけどね……」
「あぁ、凍って使えないんだっけ」
凍ってはないが、それが正しい。
ついでに陸路は、使用できる魔像、人馬族、馬車の稼働率が100%に近く、これ以上の負担は無理だ。
陸路も水路も否定されるとなると、残るは空路か、もしくは未来技術の転移装置か……。転移装置は冗談にしても、空路も無理だ。輸送機なんてないし、収納魔術を使える魔族は数えるほどしかいない。
オイオイオイ。死んだわこれ。
「諦めないでください。こんなことで戦線後退などしたら兵站局の名折れです」
「まず名を折ってほしいのは制海権を獲れない海軍……あぁ責任の追及をしている場合じゃないですね。はい。まずは対策……」
阪神淡路大震災で壊滅状態になった神戸港の応急的な復旧を成し遂げたのは、震災から2ヶ月経ってから。ノルマンディー上陸作戦において連合軍は確保予定だった大規模港湾をドイツ軍に破壊され、その復旧に同じく2ヶ月経った。
技術の発達した地球でも2ヶ月かかったのだ。魔王軍だともっとかかるだろう。冬が終わるのが早いか港が復旧するのが早いかの勝負にもなり得る。
ノルマンディーで補給に苦慮した連合軍の気持ちがよくわかる……って、うん? ノルマンディー?
「…………なるほど。ノルマンディーか」
「は?」
先ほどのソフィアさんの提案、一蹴してしまったのは間違いだった。なるほど、これはノルマンディ―なのだ。
さっきも言った通り、ノルマンディー上陸作戦において連合軍は港湾の確保に苦慮した。確保予定だった港湾はドイツ軍の抵抗で破壊され、数ヶ月使えなかったのだ。しかし兵を養うための物資や装備の揚陸は不可欠。
だから連合軍は、大規模な仮設の人工港湾を作った。
マルベリー人工港湾である。
「さっきソフィアさんが言ったこの海岸。ここに仮設港湾を建造するのが一番です。必要な物資はヴァーンシャッフェ漁港から運びます」
「……自分で言っておいてなんですが、時間がかかるのでは? 遠浅という事は浚渫工事が必要ですし」
「いやぁ、水深が深くなるところまで桟橋を伸ばせばいいんですよ」
「えっ」
仮設港湾だから施設は最低限あればいい。
桟橋や埠頭は浮体構造で建設する。構造体の建造は「氷」という手もある。先ほどの戦果報告では、トゥルナイゼン市に配備され人類軍に反撃を行ったのは例の氷製戦闘艦だ。エネルギーはそいつから搾り取って、工期を短縮する。
工兵も動員してトゥルナイゼン市復興と併せて建造する。
「というわけで、関係各所に具体的な計画作成を着手させるよう連絡を」
「そんな無茶なってレベルの話ではないような」
「無茶でもやるんです!」
やらなきゃいかんのだ。それが仕事なのだし。
マルベリー人工港湾
ノルマンディー上陸作戦において物資の揚陸に必要な港湾を確保できるまでに作られた人工港湾。なけば作ればいいという安直な考えだが本当に実行されたのが凄い。浮桟橋の長さが1キロもあったとか何とか。
実際には長い計画と事前準備の果てに作られたものなので「作ろう」と思ってるくれシロモノじゃない。でも魔王軍にはハボクックを実現できる力があるから可能なのである。




