トイレの誰かさん 4
翌日、兵站局。
目の前には、不満顔を隠そうともしない監査のクレーメンスさんが立っている。
「……クレーメンスさん、手伝ってくれませんか?」
「その前に何か言うべきことがあるのではないですかね?」
手伝ってほしい仕事というのは無論、例の設計局に出る幽霊の話である。設計局から除霊、というか幽霊の成仏を頼まれた俺は、その準備として情報を集めている。
そしてそれには、クレーメンスさんの協力が必要だ。
「兵站局がそんな除霊師まがいのことをする部署だとは知りませんでした。世の中には不思議がいっぱいですね」
「えぇ。私も知らなかったんです」
「ではこのこともご存知ないでしょう?」
クレーメンスさんはそう前置きして、音程を一段下げて言い放つ。
「私、あなたのことが嫌いです」
「…………好かれてはいないな、というのは知っていましたよ?」
まぁ、態度が悪い彼女だが許してほしい。それが仕事みたいなもんだ。
「コホン。まぁそんなことより」
「『そんなことより』?」
「……それはさておき、この幽霊問題はそう長く付き合う問題ではないので、仕事の合間に手を付けてくれればうれしいかなと」
「…………私である必要が、果たしてあるんですか?」
「うん。適任です」
設計局の女子トイレの守護霊は憲兵隊の服を着ていた。
そしてクレーメンスさんは憲兵隊だ。そんじょそこらの除霊師まがいの兵站局に任せるよりは、子細な情報を手に入れられるだろうということだ。
餅は餅屋。あるいは蛇の道は蛇。
「誰が蛇ですか、誰が」
「……蝙蝠の方が良かったですか?」
「殴っていいですよね?」
殴られたくないので話を進める。
要するに、あの幽霊の正体が知りたいのだ。それが除霊における前提条件。
「…………はぁ。ミサカ設計局の建築物に関する子細な情報は?」
「あ、やってくれるんですか?」
「こんなこと、朝飯前です。これ終わったら、真面目に仕事してくれるんでしょうね?」
「それはもう、真面目にやりますよ」
魔王領に蔓延るスパイを2、3人ひっ捕らえるくらいのことはしてあげよう。
ミサカ設計局の建物は、設計局のために新たに建設された建物というわけではない。
魔都にある適当な物件で、そこそこ魔都に近くて安い建物を探した結果、現在のミサカ設計局にたどり着いた。
元々はどっかの商会の支部らしく大規模なリフォームが行われたものの、ミサカ設計局設立の二年前に支部は別の建物に移動。噂によれば、その移動理由が幽霊がいたから――とかなんとか。
そして商会の前に何があったのかは、残念ながら不明。
「それを何なのか調べろ、そしてその幽霊が何者か調べろ、というわけですか?」
「そういうことです。幽霊の外見的特徴とかは、ソフィアさんが知っているので詳しくはそちらから聞いてください。なんなら、クレーメンスさんが現地に赴いて確認する、でもいいですよ。アポはこちらから取っておきま――」
「遠慮しておきます。その手間は必要ありません」
……なんだか妙に食い気味だったな。もしかして……?
「もしかして、クレーメンスさんは幽霊苦手だったりします?」
「は? 幽霊なんてこの世にいる訳ないじゃないですか」
あぁ、これは幽霊苦手な人の反応だわ。間違いない。吸血鬼が幽霊苦手ってよくわからないわ。
ともあれ、これ以上の詮索はクレーメンスさんのモチベと親密度を下がらせるだけなので遠慮しておこう。それよりも、彼女の成果に期待することだ。
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一週間後。
クレーメンスさんの調査の結果が出て、それを基に、俺は必要な準備を行った。
そして俺とソフィアさんと共に〝彼〟を連れて設計局へと赴いた。
「……まさか君からこんな形で呼び出されるとはなぁ」
「すみません。変な用事に付き合せてしまって」
彼、もとい、魔王親衛隊所属のエルフ、ガウル・ダウロッシュさんである。
「いいさ。兵站局にはいつも世話になっているし……久々に奴と出会えるとなればお安い御用さ」
「ありがとうございます」
積もる話は色々とあるだろう。
ダウロッシュさんにとって、そして彼にとって、重要な間柄だったのだから。
設計局の前に着くと、玄関前でヤヨイさんが出迎えてくれた。
「あっ……待ってた」
「遅れてすみません」
「ん。だいじょうぶ。……それで、この人が……?」
「そう、例の人」
見知った仲ではあるダウロッシュさんとヤヨイさんではあるが、本当に知っているだけだから自己紹介。ダウロッシュさんのヤヨイさんを見る目にはヤバいところはない。さすがの紳士である。
「アキラ様の着眼点がおかしいですね、相変わらず」
「ソフィアさん、なにか言いました?」
「なにも」
設計局の中に入ると、誰もいない。ヤヨイさんに事前に人払いをお願いした為である。留守を守っていたヤヨイさんと、幼女一人では色々問題があるのでレオナも一緒にいさせた。
「やっ、アキラちゃん。それが除霊師さんってわけ?」
「そういうことになるかな。ま、詳しい経緯は終わってからにしようか。上には、彼まだいるかな?」
「いるよ~。椅子もお菓子もお茶も用意したのに、手つけないあたりに生真面目さを感じるわね!」
そりゃ幽霊だからな……。
合流し、階段を上る。
俺を含めて5人だからやや狭い廊下を少し進めば、目的地の女子トイレ前についた。
トイレの前には、不自然に用意された丸机と椅子。机の上には湯気の漂う緑茶と、ヤヨイさんが用意した芋羊羹がある。レオナの言う通り、手は付けられていない。
そして気になるダウロッシュさんの反応は――、
「……見えないか。まぁ、私に霊感はないから当然か」
俺と同様、見えないらしい。しかし、単に見えないだけではなかった。
「でも、あいつがいるということが感覚でわかった。ここも、内装は変わっているが懐かしいものを感じる」
「……曰くつきの物件と言うことですか」
「まぁ、曰くつきと言ってしまっていいのかはわからんがね。で、向こうは何か反応を見せたかな?」
ダウロッシュさんが女子勢に聞こうと振り返る。俺もそれに従い振り返ると、ソフィアさんたちは各々ビックリした顔をしていた。
「……どうかしました?」
「え、あの……何かあった、というか……その……」
ソフィアさんはしどろもどろで、ヤヨイさんも目をパチクリさせている。唯一状況を話せそうなのが、空気の読めないレオナだった。
「あー……。うん、ちょっと言いにくいんだけどねガウルちゃん」
言うと、彼女は指差して続けた。
「今ガウルちゃんの目の前に、その人立ってるんだよね。私たちがここに来た時に、駆け寄ってきたの」
「「え゛」」
慌てて前を見る。
しかしそこには、当然誰もいない。何も見えない。しかしレオナ曰く、目の前に彼が立っている。背筋が少し寒くなり、俺は半歩引いた。
だが、ダウロッシュさんは引き下がらない。
「……なるほど。なら、丁度いいか」
そう言って、彼は懐からあらかじめ準備していた、一通の文書を取り出す。そしてダウロッシュさんは、親衛隊らしい、軍人の声で叫ぶ。
ピリピリとした空気が流れた。
「ラカンサ・ブルドレッド憲兵少尉へ以下の命令を伝達する。
一 憲兵本部よりブルドレッド憲兵少尉に与えられた全ての任を解く。
二 ブルドレッド憲兵少尉、並びに全ての関係者にも、同様の処置を施すものである。
三 ブルドレッド憲兵少尉は直ちに、貴官がいるべき最善と信じる場所へと向かうべし。
――魔都憲兵隊本部内偵部部長代理 ガウル・ダウロッシュ
以上、伝達終了。」
正式な命令書だった。
親衛隊であるはずのダウロッシュさんに、憲兵隊本部内偵部部長代理という名の職務を与えたのも、ブルドレッド憲兵少尉の為である。
暫しの静寂の後、最初の反応を見せたのはソフィアさんだった。
「――報告します」
唐突に、そう切り出したから驚いた。彼の魂が乗り移ったのかと思った。だがレオナとヤヨイさんの目線は、相変わらずダウロッシュさんの目の前の空間にある。
「十日前、対象は5号棟第5201号室内にて違法取引を行っていたことが確認されました。つきましては、さらなる調査を実施し証拠を押さえ、取り押さえることを進言します。――と、彼は言っています」
ソフィアさんの通訳に、ダウロッシュさんは満足したかのように微笑み、目の前にいるであろうブルドレッドさんに話しかける。
「……そうか。長期間の任務。ご苦労だった。あとはゆっくり羽を伸ばすと良い」
また暫しの静寂。何も見えないからわからない。
でもそのすぐ後、ヤヨイさんが声を挙げた。少し涙を含ませた声で。
事情を尋ねると、涙を我慢しながら答えてくれた。
「…………迷惑かけてごめんって。頭撫でて……そのまま……」
そして結局、ヤヨイさんは涙を止めることができなかった。
こうして、ヤヨイさんとブルドレッド憲兵少尉の奇妙な同居生活が終わったのである。
それからさらに数日後。
全ての事態が解決したことで、ダウロッシュさんが顛末を報告しに来てくれた。
ダウロッシュさん曰く、ブルドレッド憲兵少尉は彼のかつての部下だった。
「俺は元々憲兵隊出身でな。ブルドレッドの上司だったんだが、あいつが死んで数年後に陛下に引き抜かれて親衛隊に入ったのさ」
「……そうだったんですか。それで、ブルドレッド少尉は何をしていたんですか? 内偵部というからには、やっぱりそれ関係?」
「あぁ。憲兵隊の内部の人間が物資の横領をしていることがわかってな。憲兵隊の面子が関わるってんで、俺とブルドレッドを含め、何人かで調査していたんだ。んで、その違法取引の現場が、ミサカ設計局の近くにある建物だったというわけさ。当時はレストランだったがな」
「なるほどね……」
しかしブルドレッド憲兵少尉は、憲兵隊の調査が入っていることに気付いた犯人一味の手によって殺害されてしまった。
その後まもなくして憲兵隊の上層部から調査の中止命令が下り、事件は闇の中に消え――、
「ると思ったが、まさかその上層部が不正に一枚噛んでて、そしてポッと出の人間にその不正を告発されて陛下の手によって首と胴体が永遠の別れを告げるとは思わなかったよ」
「あんの憲兵隊のクソ吸血鬼が黒幕だったんかい!!」
畜生、確かナハトだったか? とんでもない奴だ。そんなこともしてたなんて思いもしなかったぞ。
「だがまぁ、ブルドレッドがそれを知るはずもないし、ナハトがそれに噛んでいたとしても同僚の不正は暴けなかった。容疑者とされた対象も、十年前に病死してるからな」
本当に病死なのかどうかも、今となってはわからないが、とダウロッシュさんは続ける。
「ん? じゃあ、あの報告はなんです? ソフィアさんが通訳した『十日前に不正取引があった』っていうの」
「あぁ、それか。簡単な話さ」
言って、ダウロッシュさんが資料を取り出した。
憲兵隊の捜査資料で、端にはクレーメンスさんの名前も書かれていた。
「俺たちが調べていた対象には子供がいてな、んでまぁ子は親に似るというかなんというか、顔もそっくりな子供は、行動もそっくりになるらしい。ブルドレッドが見た『十日前の不正取引』というのはそれのことだ」
「……え、もしかして数日もこの報告がなかったのって」
「対象の息子をとっ捕まえるために情報統制してたってことだな。やっと話せるようになって安心したよ」
やれやれ。
死後も命令に忠実で、レストランの窓から年中見張っていたブルドレッド憲兵少尉。それが商会の建物になっても、設計局の建物になっても監視を続け、そして何の偶然か因果か、その息子とやらはブルドレッド憲兵少尉の監視があることも知らずに不正な取引をしてしまったということである。
死してなお、魔王軍に貢献したブルドレッド憲兵少尉は、正に憲兵の鑑なのであろう。
一週間後。
ブルドレッドさんの墓の前で、魔王陛下も出席したある儀式が行われた。
暗殺された時点で彼は「憲兵中尉」に昇進していたが、対象の息子が起こした不正取引事件に関して重大なる功績を挙げたことから、「憲兵少佐」へ昇進。さらに魔王陛下から直接、第Ⅰ等クロスソード勲章を授与された。
そして死しても任務を継続し、憲兵隊の名誉を守ったラカンサ・ブルドレッド憲兵少佐の名は、永遠に語り継がれることになるだろう。
次回予告
1. 頭文字G
2. 人類軍の兵站事情
3. アキラくんとソフィアさんのデート
のどれかを予定しております。読者様の反応が多い方から書くかも……?




