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魔王軍の幹部になったけど事務仕事しかできません  作者: 悪一
3-3.貴様は祖国を裏切った?
155/216

氷解

 コレット・アイスバーグ。


 年齢不詳

 出生地不詳

 経歴不詳

 職業は元スパイ。

 好きなもの、不明。

 嫌いなもの、魔王。


 現住所、軍刑務所。


 わからないわからない、何をしているのかわからない。


 それが彼女、コレット・アイスバーグである。


 魔族を裏切り、人類軍に加担し、魔王軍相手にスパイ行為をした彼女。

 その過去を知る者は、本人を除いて誰もいない。


 そう、あの魔王陛下も。


「憲兵隊から聴取の結果は聞いてはいたがね。どうにも身に覚えがないんだよ」


 俺とソフィアさん、そしてヘル・アーチェ陛下は薄暗い軍刑務所の廊下を歩く。


 魔術妨害干渉術式が床や壁に張り巡らされ、ここにいるものは権限を持った看守と術式を打ち破る強大な魔力を持つ陛下以外、魔法を使うことはできない。


「陛下の人となりは私がよく知っています。だからこそ、彼女の過去に、彼女の話す過去に違和感があったんです」

「ソフィアさんは読心術が得意ですからね」


 俺らは、これからコレットという名のスパイに面会する。

 いるはずのない弟の幻影に悩まされ続けている彼女の下へ。


 厳重に監視され隔離された軍刑務所のさらに最奥。

 レオナの作った渾身の魔像と屈強な肉体を持つロイヤルオークが見張るその鉄格子の奥に、コレット・アイスバーグはいた。


 あの時、貧民街で出会った彼女とは思えない程荒んでいた。


「……友達のことを笑いにきたの。ならいいタイミングで来た。見ての通り、ズタボロだから」

「…………そうみたいですね」


 開幕劈頭、俺ら三人を見て皮肉を発する彼女を見て、やっと彼女があの時俺やソフィアさんを射殺しようとしたコレットだと理解できた。


 そして同時に、その皮肉な台詞に、コレット以外が違和感を持ち、そして同時に納得もした。


 あぁ、やっぱり。と。


「今日は、あなたと――コレット様と久しぶりにお話がしたくて来たんです」

「ふん。そんなにお友達ごっこがしたい? あなた友達がいないの? 後ろにいる二人は保護者か何か?」

「……まぁ、似たような物です」


 二度目のコレットの台詞。やはり、である。

 ここまで来れば確定だ。下手な小細工なしで、ストレート勝負と行こう。


「コレット様。今から重要なことを話します」

「何? 死刑執行日が決まったの。ならこんな生活とオサラバ――」


 ソフィアさんが本題に入る前に、結論を先急いだコレットが適当にあしらう。


 だがソフィアさんが次に放つ言葉には、流石に黙り込むしかなかった。


「あなたは魔王陛下のことを恨んでいません」


 数秒間の静寂があった。


 目を見開き、何を言っているんだと表情で訴え問い詰めるコレットがいた。

 そのコレットにさらに追い打ちをかけた。


「コレット様は魔王陛下のことを恨んでいません。それどころか、魔王陛下の事を知らないのです」

「なにをバカなことを言ってるの? 私は知ってる。あの魔王がどれだけ残虐な事をしたのか。私の大切な――」

「大切な家族を殺された。弟さんも」

「えぇ。あの魔王に。どんな奴より残虐な、あの魔王に! 私の目の前で、弟は殺された! 私は何もできなかった。助けることができなかったの……」


 コレットの平坦だった感情が、途端に起伏を増したものになる。


 彼女は堰を切ったように魔王に対する恨み辛みを吐き続ける。

 目の前で殺された弟の仇を返すために人類軍に協力したとも言った。


 あいつが悪いと。ここにはいない魔王に向って罵倒を浴びせかけた。


「……なるほど」

「わかったでしょ。私は魔王が嫌い。恨んでる。憎んでいる。それだけ」

「えぇ、十分にわかりました。あなたが無知なポンコツスパイだってことも」

「喧嘩売っているの?」

「そのままお返しします。だって魔王は、ここにいるんですよ?」


 ぽかんと、口を開けるコレット。


 ソフィアさんが魔王じゃないことは当然わかるし、人間であることが明瞭な俺も魔王じゃない。

 そして消去法として、俺とソフィアさんの近くにいるある人物に焦点が合う。


 魔王ヘル・アーチェ陛下へと。


「まさか……」

「まさかだよ、御嬢さん。なんなら証拠を見せてやろう」


 そう言って陛下は、最高レベルの魔術妨害干渉術式が張り巡らされた刑務所の中で魔術を使い、彼女の入っていた牢獄の鉄格子の一部を溶かしたのである。


 ……やべぇ。

 鉄の融解温度って何度だっけ? 魔王やべぇ。


 術式を破り、そんな高レベルな魔術が使えるものなど、この世でただ一人。魔王ヘル・アーチェ陛下のみである。


「嘘……だって……」


 違和感の正体は答えになり、さらなる疑問となった。


 魔王を憎んでいるコレット・アイスバーグは、魔王を知らないのである。

 自分の目の前で弟を惨殺されたと言っておきながら、魔王の顔も知らない。


 どう考えてもおかしい。


 だからこそ、ソフィアさんのあの台詞である。


「あなたは魔王陛下のことを知らない。つまりあなたは、魔王陛下を憎んでいないんです。その根拠となる『目の前で弟を惨殺された』という事実に反するのです。あなたの記憶は」

「嘘……だって……でも……」


 コレットは頭を抱えて、必死に記憶をまさぐる。


 やれやれ。とんでもないことだ。


 魔王陛下もソフィアさんも、自分で立証しておきながら目の前で困惑するコレットを見て、混乱していることがわかった。


 一方で、俺は彼女の症状に見当をつけていた。


 具体的にどうやったかは知らないが、記憶や人格が改竄されているのだろう。

 薬品なのか、拷問なのか、それ以外なのか。


 しかしその結果によって、生まれたのが彼女なのかもしれない。

 全部月島さんのおかげなのである。「レズノフ、数字の意味はなんなんだ」と、悩み続けるのだ。


「違う……私……むかし……どうして……わたし……だめ……来ないでッ!」


 急に、コレットが叫びだした。


 何かに怯えるかのように、何かを怖がるかのように。牢獄の隅に赴き、何かから必死に逃れようとしている。


「違う! 私がコロシタんじゃない! 私じゃない!」


 クレーメンスさんが言っていた「錯乱」とはこのことだと、理解した。

 確かにショッキングだ。本当は冷静に、冷徹に物を見る彼女がここまで錯乱しているなんて。


 友人の突然の狂乱に、いてもたってもいられなくなったソフィアさんは、事前に看守から渡されていた鍵を使って中に入っていった。


 そんなソフィアさんを幻影だと勘違いしたコレットは更に怯えた。

 子供のように震えるコレットに、ソフィアさんは妹を慰める姉のように抱き締めた。


「大丈夫ですよ。お姉ちゃんがいますから」

「……おねえ、ちゃん?」

「えぇ。怖い夢を見たんでしょう?」

「…………うん」

「大丈夫。私がついていますから」


 姉と言うより、子供をあやす母親のように、ソフィアさんはそのままコレットを抱き締めた。

 ここからでは会話の全ての内容は聞こえないが、錯乱はもうしていない。


 ……でもまだ二〇代のソフィアさんに対して相手は年齢不詳の人物。もしかしたら一〇〇歳を超えているかもしれないと考えるとなかなかちぐはぐな百合――、


「いてっ」


 思考の途中で陛下からげんこつが飛んできた。陛下の方を見ると、珍しくジト目でこちらを見ていた。

 空気読め、ということだ。


「コホン。これからどうします?」

「まぁ、アキラくんの予定通り刑務所から解放する。彼女はココにいるべきではない。彼女の罪が消えるわけではないが……同情の余地はあるし、だからこその君の案だろう」

「仰る通りです」

「なら、落ち着いたら行こうか。ただし行先は兵站局じゃなく、医療隊のところだがね」


 陛下はそう言って、視線を戻した。


 牢獄の隅で泣くコレットさん。そしてたった一人の親友を抱き締めるソフィアさん。


 彼女たちはそのまま数十分動かず、コレットさんが泣き寝入りするまでソフィアさんは抱き締めていた。


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