ボス部屋一歩手前
変なことします。
「……犯罪ですか?」
「ソフィアさん、それは違います。法的に認められた中で変なことします」
さてみなさん。魔王軍がつい最近まで組織としてガバガバだったことを覚えているだろうか。
最近では兵站局中心の改革が功を制したことによって、組織としての魔王軍は人類軍と比べて見劣りするとは言え、組織の体を成してきた。
それを俺が望んでいたということで、内心喜んでいる。
これがもっと進んで、強力で粘り強い近代的軍隊の完成まで見届けるのが夢だ。
「――だが、今日の俺はあえてその夢を突き放す!」
逆コースだ。
戦後日本の公安に特高警察の人間を入れるかの如く、自ら時代を逆行させる。
「格好よく言ってるようで悪いですが、やってることはギ――」
「やりますよソフィアさん! ソフィアさんのために!」
「あの、それ言ったら許されるみたいな感じで言ってませんか?」
溜め息を吐いてそんなこと言っちゃう彼女だが、別に俺を咎めているというわけではない。
この方法が最良であるかはともかく、自分の我が儘による結果だと受け止めている。
まぁ、今はいい。交渉を開始しよう。
決意を胸に、俺はラスボスクレーメンスさんのいる部屋、憲兵隊本部の戸を叩いた。
「……数ヶ月ですが、兵站局でアキツ殿と仕事をしていて気付いたことがあります」
狭い会議室で俺の対面に座り、開幕劈頭そんなことを、クレーメンスさんが話した。
「なんです?」
「あなた、変な事をしようと画策しているとき、右の耳の裏を掻く癖がありますよね?」
「えっ!? そうなんですか!?」
初耳だ。そんなことを指摘されたのは初めてだった。
驚きのあまり、思わず右の耳を掻いて――そして気づいた。自ら失策を犯したことに気付いた。
「嘘です」
しれっと、クレーメンスさんは真顔で言った。この憲兵やりおる。
どうやら間抜けは見つかってしまったようだ。
「変な事をしに来た。そのことは知っています。具体的な内容を知らないだけ……。ですので腹を割って、正直に、そして短時間で終わらせましょう。腹の探り合いは嫌いではありませんが、アキツ殿相手にやっても面白くないので」
「……ご期待に副えず申し訳ありませんね」
クレーメンスさん相手にストレート勝負か。
まぁ犯罪者を尋問することが仕事の憲兵隊相手に変化球で勝負しても一方的に打たれるだけ。
ここはクレーメンスさんに甘えて、腹を割って話そうか。
「では単刀直入に。まずはこの書類を確認ください」
「……? なんです、これ?」
クレーメンスさんに渡したのは一枚の書類。
中身はそれほど難しくなく、単純かつ明瞭な一文が真ん中にずどんと掲載されているだけのシンプルイズベストな紙である。
ただし、読み手にそれが理解できるかは不明。特に憲兵隊のクレーメンスさん。
タイトルは以下の通り。
『魔王軍刑務所管理責任委譲書』
「…………アキツ殿」
「はい」
「なんです、これ?」
先ほどと同じ質問だが、答えはやはり簡単。
「今後の魔王軍の円滑な運営の為に、現在憲兵隊が管理している全ての軍刑務所を兵站局の管理下に置こうという提案を陛下にしたところ了承を得られたので、そのご報告に」
「……そういうのを勝手になさらないようにということで、私が兵站局に派遣されたのは覚えていますか?」
「覚えていますけど最近クレーメンスさん兵站局に居なかったので」
クレーメンスさんが兵站局に来た理由は俺の監査、もとい監視である。
好き勝手やる俺の行動を諌めようと陛下が俺の下に送ってきたのが彼女。以降、陛下への提案はクレーメンスさんを通さなければならなくなった。
だが誠に、非常に、残念ながら、クレーメンスさんはここ最近、スパイ問題で憲兵隊に居残ることが多くなったため、やむを得ず、そうやむを得ず陛下に直訴したのだ。
「…………鬼の居ぬ間に……いえ、吸血鬼の居ぬ間に、ですか」
「なんのことやらさっぱり」
まぁチャンスだとは思いました。はい。
無論、陛下に無茶なことを直訴するという行為自体に、陛下から多大なる抵抗を頂戴したのは事実である。
今でもその時の会話はハッキリと記憶に残っている。
『そういうことをするから敵が増える、と以前にも忠告したはずだな』
『はい。ですが、魔王軍の組織改革のために、必要なことかと』
『理由は?』
『現在、軍刑務所は憲兵隊の管轄下ですが、憲兵の仕事は治安維持であって事務仕事ではありません。
憲兵隊としても、事務に人手が割かれるのは嫌でしょうし、刑務所の運営には多くの物資と手間、事務手続が必要です。そしてそれらの本業は、我ら兵站局と言うわけです』
『なるほど。それを憲兵隊に通さず、頭越しに決めようとする理由は? 反発を招くと思うが?』
『反感を買うことは間違いなく、だからこそ既得権益にしがみつかれては面倒ということがまず一点。
権限が奪われるのは愉快な事ではありませんからね。いくら効率化のためとはいえ』
『兵站局の権限が増すことに不快感を示す者も多いがね。まぁ、それは今更か。で、一点ということはまだ何点かあるんだろう?』
『左様です。その他の理由は――』
そこまで思い出して、ふと隣を見る。
隣にいるのは、初めて俺に個人的な我が儘を言ってくれた彼女の困り果てた顔だ。
本当にこんなことをして良いのだろうか、という顔。その困り顔が可愛いのなんのって今はその話は置いておこう。
ソフィアさんの個人的な我が儘を叶えるため、というのが最大の理由だ。
それを素直に、彼女の養母たる魔王ヘル・アーチェ陛下に言ったところ、とても愉快に大笑いしてくれ、そしてある条件を付けて、今クレーメンスさんが眺めている書類を書いてくれたわけだ。
「こんなこと……認められません」
「認められないと言われても……陛下の決めたことですから。それを覆すことの是非は憲兵のあなたならおわかりでしょう?」
「では陛下に直訴します。兵站局の横暴をいつまで許すのかと」
「兵站局の暴走を止めるためにあなた派遣されたんですよね? 自分の無能ぶりを陛下に直訴するようなもの。陛下はともかくとして、周りがどう思うことやら」
「どの口がッ――!!」
ギロリ、という擬音では物足りないほどの目力にチビりそうになった。が、ここで慌ててしまうと意味がないのでここは我慢。
男を見せろアキツ・アキラ。
今の所、クレーメンスさんに与えられた選択肢はそう多くない。
俺の案を呑んで屈辱にまみれるか、彼女が陛下に直訴し兵站局に一矢報いるか。
前者の場合何事もなく軍刑務所の管理権限はこちらにうつる。
ちょっと違うが、現代日本で警察庁が国家公安委員会の下に、刑務所が法務省の下に分けられるように。
当然、収容されている例の人物の管理権限もこちらに移る。あとはどうしようが、憲兵の介入は不可能。
後者の場合、たぶん止められるだろう。兵站局の横暴は、俺でもどうかと思うくらい酷い。
だがその横暴を事前に止める役割が彼女自身にもあったはず。周りから見れば、それが出来ませんでしたごめんなさい、と見える……かもしれない。
ぶっちゃけ見えないだろうが、憲兵隊はそもそも嫌われ者組織だ。その前提が、クレーメンスさんの判断を迷わせる。
なんてたって、彼女は自分の職務に忠実で真面目だから。数ヶ月一緒に働いていればわかる。
「……くっ」
書類を握り潰す彼女の目は鋭く、しかし結論は見いだせていない。
本当に真面目なんだなと思う。見習うべきだろう。これが終わったらもうちょっとマシに兵站の仕事しよう。
「いったい何の目的で――嫌がらせですか。私が兵站局に来たことへの復讐?」
「まさか。そんなちんけなことしませんよ。クレーメンスさんのことは苦手ですけど、そこまで嫌ってはいません」
むしろ好意のほうが上回っているよ? 勿論男女的な意味じゃない。
「では、なぜ?」
彼女の質問に、俺は視線で答えた。
向けられた視線は、傍らに立つソフィアさんだ。憲兵のクレーメンスさんにはこれで十分。
スパイであるコレット・アイスバーグと友人関係を築き上げて「しまった」ソフィアさんのためにやっていることを、暗に示した。
「アキツ殿」
「はい」
「バカですか?」
「そうだと思います」
真面目に答えると、クレーメンスさんは大きな大きな溜め息を吐いた。
そして俺の脇でも同じような溜め息が漏れていた。
「対外的な理由は?」
言葉が行単位で消えていることを見るに、クレーメンスさんは俺が意図することをわかってくれたようだ。
相手に自分の示した道を進んでもらうためには、やはり追い込んでから逃がす方が確実だ。
「兵站の強化。特に銀蠅問題に関する対策意見の参考人として、兵站局に招きます」
「……銀蠅問題を解決するために、憲兵隊から捕虜を銀蠅ですか。笑えない冗談ですね」
う、痛いところを突かれてしまった。
ねちねちとした言葉攻めは、クレーメンスさんん最期の反抗だ。甘んじて受け入れるしかない。
「恩赦の許可は陛下が出すものですが、それの対処は?」
「憲兵隊の許可――というより判決だけでいいと思いますよ。そうですね……『魔王軍に対する無期限奉仕活動』とかで如何です?」
「無茶を言いますね」
「えぇ。まぁ。あぁ――いや、言い忘れてましたが、もうひとつつけましょう」
「なんです?」
「今度から、兵站局は例の『訓練』は魔王軍の規定に従い真面目にやります。これにて借金完済、ゼロからリスタート。で、どうでしょうか?」
「……そこまで言われると個人的には何も言えませんよ。卑怯ですね、人間と言うのは」
クレーメンスさんのゴミを見るような目を向けられながら、俺はニッコリ微笑んで答えた。
「よく言われます」
「……はぁ。これだから人間は嫌いなんです。……報告して、今から書類を揃えますので」
「わかりました」
こうして、憲兵隊、というかクレーメンスさんは折れた。
憲兵隊本部を出て、廊下歩きながら今後の方針を話す。このあと憲兵隊の中で根回しと交渉があるのだろうが、それに関しても俺は予め布石を打っている。
必要な手続きを終えれば、とりあえずは目的達成。
「あとは、仕上げをするだけですね、ソフィアさん」
「……はい」
ソフィアさんは俯きつつ、だがハッキリとした声で答えた。
友人と思っていた彼女との交渉が、今回の問題最後の難関だ。




