気になること
「そういうわけで、ジン。計画はさっさとやった方がいいかもね」
「ふーん。奴さん、もう俺たちの存在に気付いたのか」
ジン曰く、愛の巣。コレット曰く、単なる山小屋。
二人はそこを、魔王軍の情報収集拠点として使用している。
中にあるのは生きるのには苦労しない家財道具と、前の家主の持ち物、そして簡易的な通信機。
人類軍が有するたった二人のスパイは、アキツ・アキラの暗殺任務を本国から受領し、情報収集に努めている。
そして自らの存在が魔王軍に認知されていることを、この時二人は初めて知ったのである。
「どう考えてもジン、あなたのせいじゃない?」
「俺か? 俺が何したってんだ?」
「魔王軍の兵站輸送が脆弱なのをいいことに物資横領のし過ぎ、そしてあの老婆と仲良すぎ。余程の熟女好きなのねあなた。証拠隠滅のために殺すべきだったわ」
「殺したらアシがつくだろう。それに、まさかあんなんでバレるとは思わなくてな」
「スパイの才能ないんじゃないの?」
コレットの氷のような視線に、肩を竦めるジン。
しかしその一方で、ジンは深く思慮した。それは自分たちの存在がどの程度認識されているかという問題だ。
魔都に来ているというのは、コレットの証言からもわかる。ジンが人間であることもばれている。だがこの山小屋の存在は気付かれていない。
もし気付かれているのなら、彼が独自に山小屋周辺に張り巡らした警戒システムに引っ掛かるはずであるから。
もし引っ掛かったら、この山小屋は燃やして新しい拠点を手に入れるしかない。
だが今はその必要ないらしい。
であるのなら、コレットの言う通り、さっさと任務を終わらせて魔都から撤収するのが良いだろう。
だが……、
「ジン、聞いてるのかしら? それとも耳がいかれたの?」
「……聞こえてるよ。コレット、お前、アキツ殺したらどうするつもりだ?」
「刺し違えてでも、魔王を殺す。決まってるじゃない」
これだ。
コレットの、魔王に対する執着心が問題だ。
この心理状況で「対象を殺したから魔都から撤退しよう」などと言おうものなら、殺されるのはジンだろう。
こんな小娘如きに殺されるほどジンは軟な人間ではないが、使える駒が減るのは彼のスパイ活動に影響が出る。
まぁ、数年もの間ひとりでスパイ活動していた身にとっては、コレットがいてもいなくても活動にさしたる影響はない。
ただ暇になるだけだ。
「どうしてこんな面倒な女、本国は寄越したんだか……」
「何か言った?」
コレットの威圧的な質問に、ジンは葉巻の端を噛み千切ることでしか答えることはできない。その煙を味わいながら、ジンはふと考える。
無論、コレットのことだ。
コレットのことは、よく知らない。深く知ろうなんて思ったことはないし、知ったらいざという時に切り捨てできなくなる。
だが彼女の魔王に対する執着心は異常だ。いくら恨んでいると言っても限度がある。
そこに妙なしこりがあった。何か確証があるわけじゃないが、長年の経験と勘が、そうだと告げているのだ。
「ま、本国に聞いてみるさ。ぶっちゃけ成功するとは思えない魔王暗殺なんぞ、奴らが承認するとは思えんがな……」
「そ。まぁ『ありがとう』と言っておくから」
「へいへい。期待して待ってろ」
そう、嘘を言いつつ、彼は机の上に置いてあるモールス通信機に触れたのである。
本国に問い合わせるのはただひとつ。魔王暗殺任務実行の可否ではなく、コレットの事情についてである。
気になるのだ。コレットの過去が。
なぜなら、ジンが思うにコレットは余りにも――、
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「ポンコツです」
「ポンコツ?」
「えぇ。スパイ失格です」
リイナさん、ユリエさん、そしてクレーメンスさんと共に戻ってきた兵站局。そして戻ってきた途端に、クレーメンスさんからそんなひとこと。
「根拠は?」
「私を誰だと思っているのですか? 私は元憲兵クレア・クレーメンス上級大尉。嘘を吐いている、何かを隠している者など一目でわかります。まして会話もしたんですよ?」
おぉ、さすが。
……って、いや待てよ?
今クレーメンスさんが「ポンコツ」「スパイ失格」って言ったってことは……。
「やっぱり彼女、スパイだったんですか!?」
「今更気付いたんですか。十中八九、彼女はクロです」
なん、だと!?
ソフィアさんが危ない。
そんな危険人物と会ってあんな楽しそうなデートしているなんてけしからん話じゃないか!
いやしかし、こんなにスパイが簡単に見つかるなんてできすぎじゃないか?
「……そうかもしれない」
が、リイナさんが追い打ちをかけた。
「ふ、二人の会話を聞いて思ったんですけど……あのコルネリアって人、やたらソフィアさんのことを聞くんです。普通会話してたら、ちょっとくらい自分の話しますよね?」
「確かに」
つまり魔王軍所属のソフィアさんから情報を抜き取ろうとした?
なんて無謀な。ソフィアさんがホイホイ一般人に情報を流すとは思えない。
……ん? また疑問点が思い浮かんだ。
「どうしてすぐに拘束しなかったんだ?」
と、ユリエさん。
俺の思い浮かんだ疑問とは違うが、確かにそれも気になる。
「泳がせるため、もう一人の仲間がどこにいるかを探るため。コルネリアが素人でも相方がプロであるのなら、コルネリアが拘束されたとわかった途端に逃走して足取りがつかめなくなる。慎重になるべきかと思って。それに何をしたいのかも知りたいですから」
「何をするか? そりゃ、陛下の暗殺じゃ……」
「陛下がスパイごときで殺せないこと、人類軍も知っているはず。でもなぜ危険を冒してまで魔都に来たのか。それを知りたいの」
「なるほどねぇ……案外、局長さんの暗殺だったりしてな?」
「そ、そんな……で、でも、局長様も今や魔王軍の重鎮だもんね……」
「それに人類軍から見れば、人類を裏切った戦犯ですからね」
言って、三人は一斉に俺を見る。
が、俺といえば考え事だ。いつも通り、ソフィアさんのことで頭がいっぱいな煩悩である。
だが今回は、ちょっと重要度が高い。
「アキツ殿?」
「……すみませんクレーメンスさん。ちょっと、今日は早退しても構いませんか?」
「は? 早退? 早退と言っても、アキツ殿の家は隣の部屋――」
「ちょっと私的な用事が出来たんです。では失礼します」
「え、ちょ、ま、待ちなさい。事情を――」
クレーメンスさんの制止を振り切って、兵站局から慌ただしく出た。この埋め合わせはいつか絶対するからと心の中で謝りつつ。
気になることがある。
解決しないと夜も寝れないくらいに。
元憲兵のクレーメンスさんはコルネリア、もといコレットという名のスパイはポンコツだと言った。そのポンコツを見抜くのはたやすい事であったと。
ではなぜ、ソフィアさんは気付かないのだろう。
俺の心の中を読むことができるソフィアさんであれば、たとえ憲兵でなくとも、たとえ相手が俺じゃなくても、長く付き合っていたのならソフィアさんはとうに彼女が嘘を吐いていることくらい見抜いているはずだ。
それでもなぜ、俺たちに何も言わずに、今も友達として会っているのか。
気になるのだ。




