元憲兵クレーメンス
さて、リイナさんは淫魔である。
淫魔らしくないだろうが、彼女は淫魔である。しかも年齢不詳。
そんな淫魔にはある能力がある。
それは男の精気だか精液だかを効率よく回収するため、自らの容貌を相手によって変化させることができる。
これによって、リイナさんは金髪ロリから黒髪清楚美人、果ては老婆までなんでも変身できるのである。
つまり何が言いたいかというと、潜入捜査にはピッタリ。
特に捜査対象が知り合いの場合は。
ソフィアさんと仲睦まじく会話しているコルネリアさんとやらを監視し、かつ会話を盗み聞きすることができる。
彼女たちのデートを変身したリイナさんに任せ、ユリエさんには通信魔道具を利用して元憲兵のクレーメンスさんに連絡を取らせる。
あとは尾行だ。
「なんだか、探偵小説みたいだな局長さん!」
「意外ですね。ユリエさん、探偵小説なんて読むんですか。ちなみに犯人の推理ってします?」
「んにゃ、最後らへんの解決編から読んで最初に戻って楽しむ」
「それって楽しめるんですか……?」
まぁ俺も探偵小説で真面目に推理したことはないからユリエさんを強く否定できない。ページ数とか伏線でメタ推理はよくするけど。
フィアさん、コルネリアさん、そしてリイナさんは今カフェにいる。
魔都五番街にあるその店の佇まいはゴッホの絵に出てきたカフェテラスに似ていた。
「さすが女子同士。いい店知ってるなぁ……」
「なんだ、局長さんもあそこに行こうってのか?」
「なんでばれたんですか」
「そりゃばれるよ。でもやめた方がいいぜ。二番煎じは薄味だろ?」
確かに。
最高のデート場所だと案内して「ここ行ったことあるよ」と言われたら恥ずかしいものな。やっぱりデートは初めての場所じゃないと。
まぁ、ソフィアさんの方が魔都に住んでいる時間が長いから、俺の浅い知識じゃどうにも――、
「お二方、何をしているのですか? 怪しさ満点ですが通報してもよろしいですか?」
「……やぁクレーメンスさん。早かったですね」
「スパイの情報が入ったので当然でございます」
さすがである。
これで一行はリイナさんを含めれば四人となった。
そして治安維持の専門家たるクレーメンスさんも登場。銀蠅問題では役に立たなかったポンコツだが我が愛しのソフィアさんの為に今回は頑張ってほしいと思う所存。
「殴りますよ?」
「なんで?」
「絶対失礼な事を考えていたと思うので」
ソフィアさんもそうだけど、どうしてこうも俺の周りにいる奴は揃いも揃って心の中を読むんだ。
とりあえずクレーメンスさんにコルネリアさんとやらが、先日出会った老婆の証言と酷似している鳥人族であることを伝えた。
「黒髪黒目黒翼の鳥人族は多くいる……とは言え、昨日の今日の話ですからね。念の為、クレーメンスさんを呼んで意見を聞こうかと」
「なるほど。それで、現況はどのような事に?」
「今リイナさんに変身させて尾行させてます。会話の内容とかを聞いて貰うために」
「変身……あぁ、そういえば彼女は淫魔でしたか。淫魔による変身と尾行……確かに有効……憲兵隊でも淫魔を採用して諜報活動を……」
あ、クレーメンスさんが別世界に行ってる。
憲兵隊の改革なんて今はどうでもいいのだが。あと淫魔を採用するなら娼館需要のない男の淫魔の方でお願いします。
「まぁ、アキツ殿の判断は間違ってないかと。とりあえず尾行はスオミさんに任せて我々は不振がられないように撤退すべきでしょう」
「えっ。いやでもソフィアさんの貞操が」
「なにが貞操ですか。スオミ殿もいるのですし、なんなら今私が発破をかけてきます」
そう言うと、クレーメンスさんは俺の制止も聞かずにズカズカとソフィアさんらに近づいたのである。
いったい何をしようと言うのかね……。
----
「それでどうなの? その愛しの『彼』とやらの関係は?」
「い、いえ、そんな……別に大したことは……」
ソフィアという狼人族を一言で表すなら「可愛い」だ。
普段は軍服しか着ないという彼女は意外にも私のターゲットである兵站局長の部下で後方部門担当であるらしい。
だから私の任務に協力してもらうために、こうして「仲良く」してもらっている。
私は田舎から来て魔都に詳しくない小娘。
ソフィアは魔都に住む親切なお嬢様。彼氏持ち。会話をすれば十分もしないうちに「彼氏」の話をする。
「しっぽりしてるんじゃないの?」
「し、してませんよ!」
まったくもって幸せそうだ。あんたが幸せな時間を過ごしている間、私はどれだけ苦労していたのかと罵りたくなる。
苦労なんてものじゃない。
家族と呼べる者は既にいない。友達と呼べる者などいるはずがない。
全てはあの魔王とかいう無能で惰弱で、ただ力だけが強いだけのあの魔王に奪われたのだから。
「コルネリア様?」
覗き込むような仕種で、ソフィアが此方を見ていた。
いけない。考え事をするとどうも黙ってしまう。悪い癖だ。
「ごめん。ちょっと考え事してた。どうしたの?」
「……怖い顔をしていたので、悩み事でもあるのかと」
悩み事、ね。
こちとら悩みだらけだ。
どうやってあの最強の魔王を倒すのか、どうやってソフィアを利用して近づくか、と悩んでいるのだから。
「ちょっと、昔の事を思い出してただけ」
「昔の事、ですか?」
「えぇ。今の私、幸せだけど、昔は辛かったなって」
「……そう、ですか。それは……私と同じですね」
同じ? 冗談じゃない。
温室栽培みたいなあんたと同じなわけない。そう思った時だった。
「私も戦災孤児ですから、よくわかります」
ソフィアから出た言葉は俄かには信じられなかった。
戦災孤児だって?
「あぁ、いきなりこんなこと言ったら引いちゃいますよね?」
「いや、そんなことはない、けど……」
まさか。そんな魔都に住んでいる奴が戦災孤児で、今はこうして魔王軍の士官やってて彼氏がいて人生を満喫している?
嘘を吐くならもっとましな嘘があるだろうに。
でも、ソフィアは言葉を続ける。妙にリアルな、体験談。
彼女の母、父、妹の話。
人類軍の手によって蹂躙された故郷と、無様に殺された家族の話を聞いてしまった。
そして最も恐ろしかったのが、この言葉だ。
「その後、陛下に助けられて、陛下の養子となったんです」
「……そんな、まさか」
「普通は信じませんよね。でも、本当なんです」
私とソフィアとの間で「まさか」の認識のずれがあった。
彼女は「そんな安い小説じゃあるまいし」という意味で捉えたたようだが、私は違う。
そんな、まさか、あの鬼畜な魔王が人助けだって?
「嘘よ……」
「本当です。信じてくれなくとも、これが真実です」
嘘だ。
絶対嘘だ。だって、私の弟はアイツに――、
「こんなところで会うとは、奇遇ですね。ソフィアさん」
聞きなれない声と共に、我に返った。
知らない奴。
たぶん吸血鬼だと思う彼女は、ソフィアがいつも着ている軍服とはまた別の意匠の物を着ている。
「……おや、クレーメンスさん。本当に奇遇ですね。どうしてここに?」
「渉外中のアキツ局長殿の手伝いを頼まれまして、今から行くところです」
「……あぁ、そう言えば今日は大きな仕事があると言ってましたね」
一般人ということになってる私を目の前にして、情報が漏れないように気を使っているだろう事が言葉の節々から感じた。
流石に、おいそれと機密情報は喋ってくれないか。
「あぁ、コルネリアさん。ごめんなさい。この方は、私と同じ部署、つまり兵站局所属のクレア・クレーメンス上級大尉です」
「よろしく。歓談中に失礼しました」
「大丈夫よ。よろしく。私はコルネリア・コーレインって言います。……ソフィアとは別の軍服を着ているけれど、同じ所属なの?」
「あぁ、それは私が憲兵隊からの出向組だからです」
憲兵隊!
まずい。非常にまずい。
憲兵隊は治安維持の専門家だ。将来的にはともかく、今はまだ彼らとはあまり関わり合いを持つのは危険だ。
なんとかしてこの場を収めないと……。
いや、でも情報は少しでも欲しい。そんなスパイとしての誘惑に、私は襲われた。
「憲兵さんだったんですか。お仕事大変では?」
「今は兵站局にいるのでそれほどでも」
「苦労してそうですね。あの噂の兵站局……」
「噂?」
「えぇ。主にソフィアから……変な事いっぱいやってるって」
「わ、私は何も言ってませんよ!?」
ソフィアは慌てて両手を振る。
確かに言ってない。これは私が独自に得た情報だから。特にアキツ・アキラとかいう変態の所業はね。
「ふふっ。確かに変な事はしていますね。本来の業務じゃない『治安対策』とやらもやっていますから。つい先日なぞ、魔都に入り込んだ賊の捜索を――」
「クレーメンス様?」
そこで、話が止まった。喋り過ぎだと言わんばかりに、ソフィアが待ったをかけた。
「おっと。口が過ぎました」
「えぇ。ちょっと気になるんですけど……」
「失礼。これ以上は軍機で」
「むー」
まぁ、十分な収穫と言えるだろう。
その後彼女たちが話していたのは事務的な連絡。大した情報はないだろうが、一応頭の中でメモする。
そしてそれが終わると、
「休暇中に申し訳ありませんでした。ゆっくりしていってください、ソフィアさん」
「そちらもあまり意気込み過ぎないでくださいね」
「承知しています」
やれやれ、やっと終わりか。
危なかった。そして危ない橋を渡った価値があった。
クレーメンスが言っていた「治安対策」「賊」とは、状況から察するにまず間違いなく私たちのことだ。
ちんたら情報収集なんてやってる暇、もしかしたらないかもしれない。
「大変そうね、兵站局って」
「えぇ。大変です。でも楽しいですよ? コルネリア様も来ます?」
「遠慮しとくわ」
ジンに連絡して、早い所アキツ・アキラをぶっ殺して、さっさと魔王もなぶり殺しにしないといけないからね。




