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事務屋×戦闘訓練=

 兵站。

 英語だと〝Logistics〟。


 そして〝Logistics〟の語源は、ギリシャ語の〝λογιστικός〟に由来する(という説がある)。

 その意味は「商用算術」「合理性」だ。


 つまり兵站、ロジスティックスはその語源からして、物事を「数学的」かつ「合理的」に分析して発展させることを運命づけられているのだ。

 現代では、兵站の構築においてコンピュータの表計算ソフトやそれ専用のソフトを使用して、かなり綿密に計算して行う。戦争が起きる度何かしらの問題が噴出し、その問題を潰しては新しく出た問題に頭を悩ませる。


 戦闘部隊は戦闘力を求める。

 兵站部隊は合理性を求める。


 そしてその二つの歯車が上手くかみ合った時、「勝利」を手にすることができるのだ。


「――だから! これは! 全く! 合理的でないと思います!」

「アキラ様、口を動かす前に身体を動かしてください」

「これ以上は! 無理!」

 

 その言葉を最後に、俺の身体は言うことを聞かなくなった。地面に仰向けになりぐでーんと倒れる格好だ。


 さて、事務屋なのに戦闘訓練である。

 一応現代の軍隊は兵站部隊だろうと戦闘訓練はさせている。


 敵の兵站を遮断させ敵を弱体化させる。これは古代から現代まで通用する戦術である以上、兵站部隊もある程度自衛させた方がいい。

 専門部隊でない故に、自衛以上の事は望めないけれども、なにもできないよりはいいだろう。


 理屈はわかる。非常によくわかる。


「でもね、違うんですよ。後方部隊を守るための戦闘部隊なんですよ。事務屋はペンより重いもの持てないんですよ」

「下手すれば剣より重い書類の束抱えてるのに?」

「比喩です、比喩」


 だからと言って、これはきつい。


 体力に自信のあるユリエさんや、陛下の護衛として訓練を積んだソフィアさんを除いて、最初から軍人ではなかった多くの兵站局員は圧倒的に体力が足りない。俺を含めて。


 となるとやることはまず、体力作りである。


「ほら、アキラ様。腹筋あと五〇回です。あまり休んでるともう百回増やしますよ」

「お、鬼……」


 これも仕事、これも仕事。なに、会社の新人研修で人里離れた山奥の小屋でわけわからん宗教じみた研修を行ったときのことを思えばまだかわいいものだ。滝行がなんの役に立つのかよくわからない。

 しかも今回の場合、腹筋する俺の足を抑えて回数を数える役を担っているのはソフィアさんである。


 軍服ワンピを着ているソフィアさんである。


 あとは言わなくてもわかるよね?


「あと一五〇回にしましょう」

「なんで!?」

「いえ、ちょっとアキラ様が良からぬことを考えていたようなので」


 畜生め。

 まぁいい。あと一五〇回楽しむことができるとあっては頑張るしかない。


 ――が、無理。いくらご褒美と言えども体力のない事務屋に数百回の腹筋は無理。


 あと八四回というところで虚しく散った。


「……情けないですね」

「や、無理無理。普通に無理」


 これを定期的にやれというのだから、魔王軍内規則とやらは恐ろしい。それに例外を認めない憲兵隊も恐ろし言っちゃありゃしない。


「そうは言っても規則です。守らなければならないのは当然ですし、私たちがそれを云々する権利はありませんよ? いったい何人の士官を規則違反で通報した事やら」

「それはそうなんですけれども」


 しかしサボりたい。こんなことで体力消耗するくらいなら書類と向き合っている方が69.57倍マシである。


 どうにかできないものか。

 文句を言われず、合法的で、大した手間をかけない方法……。


「……ソフィアさん。魔王軍内規則って改訂できるんですか?」

「…………あの、アキラ様。嫌な予感がするのですが」

「いやそんなまさか。そんな大したことはしませんよ」

「そういうことを言うアキラ様は大抵よからぬことを考えているんですよ。で、なんでしたか?」


 頭を抱えて溜め息までついているのに、話の続きを聞いてくれるソフィアさんである。誰かの言葉ではないがマジ天使、女神。


「魔王軍内規則って改訂できるんです?」

「まさか『定期的に訓練せよ』という項目を削除する気ですか?」

「話が早ですね。もしくは例外規定を設けるとか、まぁとにかく兵站局が戦闘訓練を行わなくていいってことにしたいんです」


 規定に違反しているなら、規定を変えればいい。大変わかりやすいことだ。緊急事態なら超法規的措置というのもあるけれど、どう考えても今は緊急事態じゃないので除外する。


「無理だと思いますよ。少なくとも『すぐに』は無理です」

「無理ですか」

「はい。確か規則では――」


 宙を見上げて、ソフィアさんは思い出すように魔王軍内規則を諳んじてみせる。もしかして彼女、魔王軍内規則全条文を暗記しているなんて……言いそうだなぁ。



 魔王軍内規則 第一〇八条 魔王軍内規則改正に関する規定。


 魔王軍内規則の改正または条文追加または削除は、魔王と、魔王軍内規則第三二条で定められるところの上級将校から選抜した二〇名以上で構成される改正委員会を設立し、その改正委員会の審議と三分の二以上の賛成によって行うことができる。


「……無理ですね」

「無理です。ついでに言うと、仮に改正できたとしても全軍通達が成されるまで効力を発しないため、少なくとも一年はかかります」

「……うわぁ」


 うん、無理。普通に無理。その間に何回訓練すればいいんだ。


「兵站局が楽をするためだけの改正に賛成する将校が多くいるとも思えませんしね」

「そうですねぇ……」


 別の方法を考えるしかない。

 如何に合法的にサボれるか。どれだけ効率的にサボれるか。兵站局らしい解決法が求められている。


「まぁ、それはそれとして訓練の続きをしますよ。腹筋の後は行進訓練です。その後は槍術訓練もやりましょうか」

「…………」


 はやく、俺の体力が尽きる前に。なんとか、なんとかしないと。

 こういう時にこそ役立つ現代日本の知識。何のための異世界召喚だ。現代日本の知識を生かさなければ「これ日本人を異世界転移/転生させた必要あるんですか? 別に現地主人公でも問題ないですよね」と叩かれ――、


 ……って、うん? 現代日本?


「確か似たようなことが日本でもあったような……。っと、そうだ。その手があったな」

「……アキラ様?」


 うん。この手で行こう。

 問題はいくつかあるが、そこは手回しと準備をして、っと。


「ソフィアさん。ちょっと頼まれ事いいですか?」




---



 さらに一ヶ月後。


「――憲兵隊である! 全員、何も触るな!」

「全員だ! それと、アキツ・アキラはいるか!?」


 我が兵站局にマナーを弁えない無礼な憲兵隊が乗り込んできた。先頭を歩き部下に指示を出すのは憲兵のクレア・クレーメンスさん。メガネ。


「ここにいますよ。お久しぶりです、クレーメンスさん」

「ふん。何を呑気に挨拶しているのですか。『警告』をしたのに」

「『警告』?」

「お忘れですか?」


 忘れるはずもない。ここ数ヶ月、その問題に付きっ切りだったのだから。


「兵站局局長アキツ・アキラ。君を逮捕します」

「なんの罪で? まるで覚えがないですね」

「魔王軍内規則第二九条の二、及び三二条違反。『警告』したはずです」


 うんうん。大丈夫大丈夫。


「覚えてますよ。でも、だからこそ聴きます。『まるで覚えがないです』」

「なにをわけのわからないことを……。兵站局が第二九条の二に規定された訓練を行ってないことくらい調べはついている。第三二条で規定された武器に関する揃えもしてないないようですが?」

「そっくり返します。なにをわけのわからないことを言っているんですか? 報告書、出しましたよ?」


 訓練に関しても、装備に関しても、報告書を纏めて然るべき部局に提出している。内容はだいたい以下の通り。


『魔王軍兵站局局長 アキツ・アキラ 魔王暦一〇六九年十一月二十日作成


 魔王軍兵站局、規則に定めるところの「火急の事態に備えた訓練」を終了したことを報告します。

 今回の訓練では――(以下、訓練で浮上した問題点を報告)』


 うん。何も問題はない。

 書式が定まっているというわけではなかったし、何分初めて書いたからところどころ怪しいかもしれない。でも、


「そうですね。報告書は出していますが、実態がなければ意味がありません。それとも報告書があれば問題ないとでも?」

「まさか。ちゃんと実態はありますよ。でないと公文書偽造で罪が増えます」

「しかし、君達が戦闘訓練をしたという事実はありません」

「あ、はい。それは本当ですよ。私たちは戦闘訓練・・・・はしていません。で、それがなんですか?」

「……は?」

「いや、『は?』と言われても事実です」


 戦闘訓練はしてないよ。最初の数回はしたけれど、あとはしてない。


 クレーメンスさんは「お前はもしかしてバカなのか?」という顔をこちらに向けてくる。ふむ、どうやら情報というか前程が共有できてないようだ。


 さて、ここでもう一度思い出してみよう。



 魔王軍内規則 第二九条の二 第五項 教練に関する規則


 魔王軍に所属する全ての軍人は、火急の事態に備えた訓練を部隊長もしくは教導責任者の指揮・監督の下に定期的に行い、その都度上長に報告せねばならない。



「私たちは魔王軍内規則第二九条の二 第五項に定めるところの『火急の事態』に備え、定期的な訓練をし、それを然るべきところに報告しました」

「しかし戦闘訓練はしてないのでしょう?」

「えぇ。だって第二九条の二 第五項には『火急の事態に備えた訓練』をしろとは書いてありますが『戦闘訓練をしろ』とは書いてませんから」


 言って、ニッコリ笑って見せる。

 対する憲兵隊の皆さんはあんぐりと口を開いた。


「い、いやしかしですね。この『火急の事態』というのは、急な戦闘に備えた訓練、即ち戦闘訓練という――」

「『火急の事態に備えた訓練』がそれ即ち『敵襲に備えた戦闘訓練』とはなりませんよ」


 我ら兵站部隊が襲われる「火急の事態」と言えば、前線で急な動きがあって物資が大量に、かつ速やかに必要になった時に効率よく迅速に物資を送る、という事態である。


「そのために、十一月二十日に『即応能力向上を目的とした突発的事態に対処する兵站事務訓練』を実施しました。

 具体的には、物資を求める戦闘部隊役として私が物資を要請し、それに対してどのように対応してどれほど送るか、どうやって送るかを如何に迅速に作成できるかの訓練です」


「……で、ですがそのような訓練は前例がありません。それに他の部隊はキチンと戦闘訓練をしています。人事局も、戦時医療局も、輸送隊もです。兵站局だけが戦闘訓練をしないというのは――」


「部隊によって求められる能力は違います。他の部局のことはよくわかりませんが、兵站ならそれは事務です。私たちは規則に従い、訓練を実施しました」


 規則に「戦闘実技訓練」と明記されていたらこんなことは言えなかっただろう。だが第二九条の二第五項にはそんなこと書いてない。

 書いてないなら、やらなくていい。


 だが憲兵隊はそれを勝手に「解釈」して、「火急の事態に対処する訓練」を「戦闘訓練」としてしまったのである。


 そう、まるで日本国憲法が禁止している「戦力の不保持」を解釈して必要最低限の実力を持った「自衛隊」を創設するかのように。

 いやぁ、あの法解釈は見習いたいものがある。なにせ人によっては大陸間核弾道ミサイルですら必要最低限の実力であると言い張ることができるらしいからね!


 まぁ今回の俺の屁理屈はそれとは逆で、字面通りの解釈を行っただけだ。


 それに、この屁理屈が通るよう然るべき筋も通してある。


「あぁ、そうそう。この件に関しては教導隊の隊長には通達済みです。それでサインを貰ってますので」

「……えっ?」


 憲兵隊員の目が再び点になった。わかりやすくてよろしい。

 魔王軍の教練を統括する教導隊の隊長のサインは「兵站部隊は事務の訓練をするけど問題ないよね!」と言った上で貰っているのだ。


 なんで教練とは関係ない憲兵がそれについて文句言えるの?


 そうそう、サインもらったついでに教導隊隊長の娘さんが結婚式挙げるらしいから、盛大なものにしたほうが喜ばれるでしょうねとも言っておいた。


 まぁ、ついでの話だから関係ないけれど。


「私たちは条文に従いました。上長のサインも貰いました。何か文句でも?」


 ないよね。あるわけないよね。言わせないよ。


「…………きゅっ、きゅん練の方に関してはわかりました」

(噛んだ……)

「し、しかしです。第三二条二項 装備に関する規則では『必要最低限の武器を』『保管し、常に使用できる状態にしておかなければならない』とあります。あなた、それはしてませんよね!?」


 うん。こっちも予想通りの反応。そしてどうやら第二九条の二に関してはお咎めなしのようだ。

 自信満々の笑顔でクレーメンスさんが問い詰めてくるけれども、そっちもばっちり対策済みだ。


「してますよ。ほら『ここ』に」

「……なにがです?」

「だからこの『ペン』です」

「…………は? まさか……アキツ・アキラ。ペンが武器などとは言いませんよね?」


 ハッハッハッハ。そんなそんな、


「そんなわけあるじゃないですか」

「そこは『あるわけない』って言うところですよ!? なんでペンが武器になるんですか!?」


 いや、ペンと言っても先がとがっているから当たれば結構痛いよ? 目潰しくらいならできる、立派な武器じゃないか!


 というのは流石に屁理屈であるが、実際はもっとちゃんとした屁理屈がある。


「ところでクレーメンスさん。ひとつ聞きたいんですが」

「……なんです?」

「『武器』の定義ってなんです?」

「…………は?」


 うん。今日は「は?」ばかりだねこの人。最初会ったときはもっと理知的だと思ったのだけれど意外とバ……いや、残念なのかもしれない。


「残念ながら魔王軍内規則には『武器』に関する規定がないんですよね……」

「………………」


 クレーメンスさんが黙った。実際、その通りだからである。何が「武器」を規定していないのだ。


 例えば日本の刑法、「銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)」では、取り締まり対象となる銃砲・刀剣がどのようなものかが規定されているし、どういう時に「所持」となるかも明記されている。


 が、そこはつい最近まで中世的な軍隊だった魔王軍である。

 そんな魔王軍内規則には「武器」の定義がなかった。


「魔王軍内規則にない以上、『武器』を定義するために他の機関で定義されてないかと思い調べてみたところ、一件だけありました」


 そう言って俺は引き出しからある資料を出して彼女らに見せた。


 タイトルは「魔王軍内で使用される『武器』一覧」である。その中にキッチリ「ペン」の項目がある。ちなみに作成者は――、


「作成者『魔王軍兵站局』!?」

「なんの問題ですか?」


 だって武器に関する規定がないんだもの。自分で作るしかない――じゃなくて、自分たちのしかないんだもの。


「しかし、これは大問題ですよ!? こんなの赦されるはずありません!」

「ではちゃんと魔王軍内規則で定義してくださいよ」


 解釈される余地があると、こうなるのだ。もっとも先述の通り、勝手な解釈をしているのは憲兵隊の方だが。


 なお魔王軍内規則の改正は、改正委員会を設立して上級将校集めて審議して決議しなければならない。そしてそれが効力を発揮するまで最低でも一年かかる。


「……えー、でも、そのー…………」


 反論する材料がなくなったのか、クレーメンスさんが困り果てている。

 このままでは彼女、「何の罪もない兵站局を犯罪者に仕立て上げた」ということになるだろう。それはちょっと可哀そうだ。


「まぁ、今回は憲兵隊にその旨を通知せず情報共有を怠ったことに関しては私たちに非があります。この度は、申し訳ありませんでした」

「――いえ、こちらこそ。早とちりをして申し訳ありません」


 言って、俺とクレーメンスさんがほぼ同時に頭を下げた。

 しかし俺が勝利宣言的な謝罪だったのに対して、クレーメンスさんのそれは屈辱にまみれているのだ。


「この手が何度も通じると思わないことですね……!」


 彼女はそう呟いて、誰も逮捕せずに兵站局から去った。


 …………。


 はぁああああ、死ぬかと思った……。


 憲兵隊とやり合うのは体力的にも精神的にも疲れる。二度とやりたくはないが……クレーメンスさんのあの様子じゃ、たぶん二度目がありそうだ。


「疲れた、もう無理だ」

「体力がないからですよ、アキラ様。やはり訓練で鍛えた方がいいのではないですか?」


 それは勘弁してほしい。





 後日の事であるが、憲兵隊が魔王軍規則改正に関する意見書を魔王ヘル・アーチェ陛下に上奏したらしい。どうやらあの人、やり合う気満々なようだ。


 こっちも本気で取り組まないと、今度こそ牢屋にぶち込まれる。


「……努力の方向性が違うような気がするんですが」


 ソフィアさんがそんなこと言ってたけれど、たぶん気のせいです。

訓練の話と思ったら法務の話になった。

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