そういえば私たち、軍隊でしたね
兵站局だって軍隊である。
いや、なにを今更と思われるだろうが、働いている身としては忘れそうになる事実だ。
なにせ日々の仕事は事務、事務、事務。時々視察と交渉。
しかし我らは軍隊。
軍隊とは、一国家における最強の暴力装置であり――まぁ、要は戦うために存在する組織である。
トラックに撥ねられて異世界転移というネット小説全盛時代でも流行らないだろう超ドテンプレ展開で魔王軍の幹部になって数年。今更ながらに、兵站局も軍隊だったということを思い出した。
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憲兵隊に突然呼ばれたのは、タページ陣地の視察から戻って半月程経ってからである。
唐突過ぎる呼び出しには困惑するしかない。クビとか降級とか減俸とかされるようなヘマはしてない……してないよね? いざとなったら陛下に泣きつくけど、してないよね?
そんな不安の中、もしかしたらいい話かもしれないと言う期待を無理矢理想像して憲兵隊司令部へ出頭。
「……えっ、あの、もう一度お願いします」
しかしなぜだろうか。そういう、不安というのは七割方不安の方が的中し一生懸命考えた期待は見るも無残に砕け散るものなのだ。
目の前に座る、手を組み肘を机につけると言うとても偉そうな態度でかつ嫌味ったらしいメガネの女性憲兵隊員、クレア・クレーメンス殿は皮肉たっぷりの声でわかりやすく教えてくれた。
「何度言っても内容は変わりませんよ、兵站局局長アキツ・アキラ。貴方は魔王軍内規則に違反しています」
……。
「あの、もう一度――」
「四回言わせる気ですか?」
三度目の正直という諺は、案外あてにできない。
「す、すみません。混乱していたもので……」
というか、今も混乱しているのだけれども。
「まぁ仕方ありませんよね。我々憲兵隊も業務の遂行上必要な書類仕事をしていると、どうも突発的な事態には対応できませんから」
「仰る通りで」
「だからと言って規則違反は看過できませんがね」
「仰る通りで……」
書類仕事を増やす原因になったのも俺が「ちゃんと書類書いて」って言ったせいである。何も反論できない。
真面目に働く魔王軍もいるものだと安心すればいいのやら、こういう時はサボれよと思えばいいのやら。
さて、今回俺が呼ばれた理由はこの通り、俺に対する「警告」である。
まだ警告の段階、ということで「呼び出し」なのだろう。これが行き過ぎれば「出頭する」のではなく、「逮捕される」になる。
ではどういう理由なのか。
俺の脳内メモリに記録された情報を引き出して、彼女の言葉を思い出す。
『アキツ・アキラ殿。あなたは「魔王軍内規則第二九条の二第五項 教練に関する規定」と「第三二条二項 装備に関する規定」に違反している旨を通告いたします』
うん、なるほど。
さっぱりわからない。
「……えーっと、具体的に私はどんな違反をしているんでしょうか」
「…………わからないんですか? 局長なのに?」
「来てまだ数年ですので……」
何分、この世界での正式な教育を受けずに幹部になってしまったのである。魔王軍内規則なんて覚えているはずがない。
教練・装備に関する規定というから刑法上の問題ではないのはわかるのだけれど。
クレーメンスさんは、俺がそういう特殊な「人間」であることを思い出してくれたようで、ふっ、と小さく溜め息を吐いてから丁寧に、留年待ったなしの子供に教えるかの如く教えてくれた。
・魔王軍内規則 第二九条の二第五項 教練に関する規定
(前略)
魔王軍に所属する全ての軍人は、火急の事態に備えた訓練を部隊長もしくは教導責任者の指揮・監督の下に定期的に行い、その都度上長に報告せねばならない。
・魔王軍内規則 第三二条二項 装備に関する規定
(前略)
魔王軍に所属する全ての部隊は、火急の事態に備え、必要最低限の武器を部隊長もしくは部隊長の指名した管理責任者の責任で以って保管し、常に使用できる状態にしておかなければならない。
「ではアキツ・アキラ。やってますか?」
「…………」
やってない。全然やってない。なにそれ美味しいのってレベルでやってない。
当たり前だ。こんな規定知らなかったんだから。
「『こんな規定知らないからやってませんでした』って顔してますね」
「……」
その上心も読んでくる。何回も聞き返し、今はこうして黙ってる時点で何を言わんかやでもあるのだが。
「納得していただけて何よりです。では、アキツ・アキラ。すべきことはわかっていますね?」
「……」
「わかっていますよね?」
「……はい」
わかってる。うん、わかってるって。
やれってことでしょう。やればいいんでしょう。事務仕事しか出来ない、魔法は勿論剣を持つこともできない俺に!
「結構。今回は貴方と兵站局の抱えている――いえ、抱えていた『特別な事情』を鑑みて『警告』のみと致しましたけれど、次回はどうなることか――これも言わなくて大丈夫ですよね?」
「はい、大丈夫です」
そう答えると、クレーメンスさんはこの日初めてニッコリと笑って、
「大変結構。無駄な仕事というのは少ない方がいいですからね」
と言った。声は柔和だが、目が全然笑っていない。
憲兵隊、怖い。
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数日後。
「兵站局総員、戦闘準備! 野戦Ⅱ種装備で第一練兵場に集合――!」
ユリエさんの声が兵站局執務室内に響き渡った。
「どこだどこだ、俺の武器は!?」
「軍靴ってなんでこんなに穿きにくいの!?」
「ちょ、こんなキリ悪いところで訓練開始とかやめてよ――!」
そして混乱と悲鳴が室内に木霊した。
「……意外とユリエさん、サマになってますね」
「戦闘部隊配属希望だったワカイヤ様も、なんかノリノリですね」
俺とソフィアさんは傍目からそれを眺める。
例の呼び出しがあったので、兵站局でも定期的な戦闘訓練とやらをしなければならなくなった。しかし今まで何もやってなかった上に、局員の半数以上は城下の民間出身者である。
そのため、こんな混乱具合になった。
ちなみにこれ二回目だからね。一回目は「え、なんの冗談ですか?」ってみんなに言われたからね。仕方ないけれど、みんな自分たちが魔王「軍」にいることを忘れていたようである。
だから今回はいい機会――と言いたいんだが、
「ぶっちゃけ、事務屋が戦争する時点で負け確定なんですよね……」
俺たちは軍隊だけど後方部隊。
後方部隊が戦闘に参加してるってことは、戦闘部隊が壊滅的状態になって戦線が突破されると言う末期戦の様相を呈したときだけだ。
無理無理、無理だって。
「これを定期的にやらなくちゃいけないのか……。憂鬱だなぁ」
「気持ちはわかりますが、その程度で済んだことが幸運です。『アキラ様が人間で魔王軍の規則を知らず』『兵站局創設から暫くの間は多忙を極め』『民間出身者が多く』『戦闘を想定していない後方部隊』だから、数年も見逃してくれた上に、今回も『警告』という形で見逃してくれたのですから」
「そうなんですけれども」
そうは言っても、嫌なものは嫌だ。
でも俺は局長、魔王軍規則第――なんとかでは、部隊長である。俺には訓練を監督する責任が――いや、監督するフリしてサボれないかな。こういう時こそ職権を乱用して――、
「おい、局長さんとソフィアさん! なにやってるんだよ! 野戦Ⅱ種装備って言ってるだろ! いつも書類に書いてあるあの装備で早く準備しろ!」
できない。ユリエさんが張り切ってるからできない。
「はいはい。野戦Ⅱ種装備……野戦Ⅱ種装備ってなんだっけ?」
「いや局長さん、いつも自分であちこちの部隊に送ってるじゃねーか。あぁ、でも局長さんの場合は士官用になるからⅠ種になるな」
「そうなんですか……。いや、どっちにしろわからないんですけどね。文字で見てるだけなので実物がなんなのか思い出せなくて……」
ヤセンニシュソウビという単語を理解できても、それがなんなのかがわからない。深いな。哲学だね。目の前に立つユリエさんが凄いげんなりした顔でこっちを見てるのは気のせいだ。うん。
あ、でも待てよ。
ユリエさんが張り切って訓練を仕切ってると言うことは、今彼女が着ている軍服は――、
「……それが野戦Ⅱ種装備ですか?」
「やっと気づいたのか!?」
ごめん、ほんとごめん。これに関しては全面的に俺が悪い。
ユリエさんにこれ以上負担をかけないよう、早く着替えるとしようか。
「……で、どこにあるんですか」
うん、見たことのないやつを俺が事前に準備しているわけなかったね。むしろできてたら怖いね。
しかしそこは優秀な秘書兼副官(兼交際相手)のソフィアさんである。
「アキラ様の軍服なら、部屋の中にありますよ。取ってきますね」
言って、ソフィアさんは執務室の隣にある俺の部屋に入る。十秒程で戻ってきた彼女の手には、真新しくも埃が少しかぶっていた。確かにそんなものが部屋のクローゼットの中にあったような……なかったような。
でもなんでそんな服の在り処を知っているのだろう。という疑問については問いかける前に答えてくれた。
「アキラ様が召喚され、ここで働くことが決まった時からここに準備されていたものです。でもアキラ様がそれを着ている場面を見たことがなかったので、あそこに入ったままかと思い――」
「案の定あったってわけか。ありがとうございます」
確かにこっちに来てからは殆どスーツを着ていたからな。たまにある前線視察でもスーツで行っていたし、洗濯とか色々な理由で着れない日は略服着てたし。
まぁ、今袖を通しているこの軍服はこれからも訓練くらいしか着ないだろう。
魔王軍の軍服は何故か妙にデザインが凝っていているせいだ。特に士官用は何に使うのかよくわからない紐やら章やらがくっついているから余計に、である。
「――っと。あれ、この紐ってどうするんですか?」
「あぁ、それは飾緒ですね。私がつけますので動かないでください」
「いや、いいですよ。悪いですし」
「そうは言っても、訓練が遅れてしまいますから。今回は私が」
「すみません」
「大丈夫です。ふふっ、今度からアキラ様は服を着る練習が必要ですね」
「そんな、子供じゃあるまいし……」
「こんな風にしている時点で、同じことですよ――っと、できました」
「なにもかもありがとうございます。……ソフィアさんは着替えなくてもいいんですか?」
「あぁ。今着ているのがそうですよ。指揮官附き副官用の常装です」
「その軍服ワンピ、副官用のだったんですね。道理であまり見ないと思ったら」
「わんぴ……というのがよくわかりませんが、そうですね。もっと動きやすい服がありますから、他の方もあまり着ません」
「じゃあなんでソフィアさんそれ着てるんですか?」
「単純にデザインが好きだからですね。アキラ様の士官服ほどではありませんが、ちょっと凝ってますから」
「確かに。でもそれだと、私がソフィアさんに服を着させてあげるということはできそうにもないですね」
「慣れれば簡単ですよ。なんなら今度――」
と、彼女がそう言いかけたところで、ソフィアさんと俺が同時にある視線に気づいた。
ふと横を見ると、そこにはジト目でこちらを見つめるユリエさんとその他大勢の局員の皆様。
ユリエさんはジト目のまま、低い声で言った。
「……準備できたか?」
「「あ、はい」」
こうして、兵站局のメンバー全員が第一練兵場に到着したのはそれから13分後の事である。
なお練兵場に集合するまでの目標タイムが5分以内ということについては、適当にお茶を濁して報告書を作成しておくとしよう。
実はまだ訓練は続くんじゃ
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本編中では恐らく語られることはないだろう「軍服(および戦闘服)」についての設定。
魔王軍の場合。
勇ましい服をまとい敵に突撃する、というスタイルなのでデザインに拘っている。。
騎士のような服や、戦列歩兵のような服なんかに近い。ただし種族によって美的センスがバラバラなので、軍服(戦闘服)の種類も多様である。兵站は死ぬ。
人類軍の場合。
概ね第一次大戦後期風味。理由は地球と一緒。




