ミサカ・ヤヨイの野望 前篇
ミサカ・ヤヨイは狐人族である。
読んで字の如く、人型で狐尾と狐耳を持つ種族。数ある魔族・亜人の一種族である。
しかしミサカ・ヤヨイの場合、並の狐人族とは違う。彼女は純粋、あるいは生粋の狐人族であり、外見や魔力・魔法適性も異なる。
純粋な狐人族は、度重なる人類軍の攻撃によってその個体数を減らし、故郷を追われ散り散りとなった。その過程で他の種族と交わったために、純血を失った。
血が薄まりコミュニティーが雲散霧消するとともに、狐人族の持っていた特徴的な文化も消えつつある。
代表的な例は、言語、自然信仰、万物崇拝、擬人化の概念、他の種族とは異なる独特な民族服、家族様式、価値観、果てには魔術理論や発想にまで至る。
さて、そんな変わった文化を持つ狐人族の数少ない純粋種として生を受けたミサカ・ヤヨイには、ある野望がある。
その野望を達成させることこそが、彼女の生きる目標なのかもしれない。
そして幸運なことに、彼女がその野望を達成させるだけの材料が、今目の前にある。
「……大豆と、ねぎと、あと……えっと……あ、おしょうゆ……どこにしまったっけ」
文字通り、材料が揃っていた。
さて、ミサカ・ヤヨイには野望がある。
それは失われつつある狐人族文化の再興。その第一歩として、彼女は胃袋からそれを行おうとした。
その選択は間違っていない。
間違ってはいないのだが……。
「よしっ」
割烹着を着て気合を入れる幼女に「なんでそれなんだ」と突っ込む者はミサカ設計局にはいなかった。その姿があまりにも愛おしかったから、という理由で。
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ある日の事。
兵站局に珍し……くはないが、単独で来るのは珍しい人が来た。
「……試したいことがある?」
「うん。ちょっと作ってみたんだけど……効果がわからなくて」
ミサカ・ヤヨイ。
キツネロリ。以上。
いやもっと細かく言えば12歳にしてミサカ設計局主任技師を務め、パンジャンドラムことタチバナを開発した、開発局のレオナとはまた違った意味での天才である美幼女である。
そんなヤヨイさんが一人でここに来ると言うのは、わりと珍しいことだ。
いつもは俺の方から(主に飯が目当てで)設計局に赴くし、彼女が必要あって兵站局に来るときは誰かしらついてくるのだ。レオナとかがドア破壊しながら。
だからだろうか、彼女はちょっと余所余所しいというか後ろ手を組んでもじもじしていた。
ここはオトナな紳士として対応しなければならないだろう。
「コホン」
そしてソフィアさんから露骨な咳き込みが。
「……なにもしませんよ?」
「いえ、私は別に何も言ってませんが?」
何か言いたそうな態度ではありましたけどね?
ソフィアさんはヤヨイさんを毛嫌いしているわけでもない。単に俺が変な事をしないように監視しているだけだ。
別に何もしないよ、本当だよ。信じてくれ。トラストミー。
「…………とりあえずお二方、紅茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「あ、今回は緑茶で」
「あぁ、例の未完成の茶葉ですか。アレのどこがいいのか私には――」
と、ソフィアさんが言いかけたところでヤヨイさんの唇がへの字型に曲がった。感情の起伏が少ないヤヨイさんが、である。
好きなものをバカにされると、どんな聖人でもグーで殴りかかってくるものだ。
「ヤヨイさんはそれが好きなんですよ」
「……変わった嗜好ですね」
「世の中広いですから」
とにかくソフィアさんにはお茶を淹れさせよう。ヤヨイさんがキレる前に。怒った彼女がどんな態度を取るのかというのは見たい気もするけれど、手が付けられなかったら大変なので穏便に、穏便に。
ソフィアさん、いつもはこんなに悪い態度を取る人ではないのだけれど、何があったんだろうか。
が、あんだけ緑茶の味に疑義を呈していたソフィアさんだけれど、彼女の淹れた緑茶は俺やヤヨイさんが淹れるより美味しかった。
ヤヨイさんの方を見ると、彼女も同じの気持ちだったようでお茶とソフィアさんを交互に見ていた。
茶葉はヤヨイさんの伝手から貰ったものだから同じのはずなのだが……やっぱりソフィアさんは秘書というより……。
……うん、これ以上はよそう。顔に出てソフィアさんに考えを読まれる。
「で、今日はどうしたんですか?」
「あ、うん……。えっとね、これなんだけど……」
と、ヤヨイさんは巫女服の袖の中をごそごそとまさぐってソレを出す。
瞬間、ソフィアさんが顔を引き攣らせながら七歩くらい下がった。
あー、うん。まだ正体が見えてないけどそれが何かわかったわ。
「……納豆ですね」
「うん。納豆」
納豆である。
開封前と言うか封印解放前と言うか、納豆であることはわかった。臭いでわかる。
こいつはクセェ! 発酵食品の臭いがプンプンするぜ!
こんな食べ物には、出会ったことがねぇほどになァ!
という、ソフィアさんの心の声が聞こえる気がする。いや彼女、納豆とは初対面じゃないけどさ。
でもいつも設計局で食べている納豆より、その臭いがきついような気がするのは確かだ。
そんなものを巫女服の中に忍び込ませてたというのは、いくら納豆が好きでも限度があるのではなかろうか。
「納豆がどうしましたか」
「……えっとね。納豆って、美味しいでしょ?」
でしょ? と言った後ソフィアさんが頭をぶんぶんと横に振っていた。ついでに壁際まで追い詰められている。狼並の嗅覚を持つ狼人族故の悲劇と言う奴だな。
「まぁ、賛否両論ありますが私は美味しいと思います」
ちなみに私は納豆に醤油とからしを入れて他に何も入れない派です。ネギはぎりぎり許せるけれど卵黄を入れるのはダメです。
「うん。それでいて、からだにいい……」
「ですね」
この世界の栄養学がどの程度まで進んでいるかわからないが、納豆が健康食品として(そして強烈な臭いを放つ食品として)海外に知れ渡っているのは確かだ。
……なんだか嫌な予感がしてきた。
「……だからね、納豆をね、……魔王軍の糧食にしようかと思って」
「…………」
さて、こんな話がある。
昔々、アドルフおじさんが日本と仲良くなった時、日本人が屈強な戦士でいられるのは納豆を始めとした発酵食品にある、と信じたそうな。
アドルフおじさんはすぐさま自国民に同じものを食わせ――そして当然のように、不評だったようです。
眉唾ものの都市伝説じみた話であるが、俺の脳内ではそんな話がぽんと浮かんできた。
同じ日本人ですら食べる人間を選ぶ納豆を、魔王軍の糧食にするというのは……うん、その、なんだ。
「やめましょう?」
「えっ……」
いや、そんな悲しそうな目をしないでほしい。
軍隊とメシというのは極めて敏感で配慮の必要な問題である。なにせメシがまずくて反乱が起きた軍隊もあるのだから。
そんな軍隊に納豆という爆弾を投下すればどうなるだろう。
ソフィアさんのように嫌がる、というのはまだ可愛いほうだ。最悪の場合、俺が殺される。
「納豆が良い食品なのは重々承知してますし私も納豆好きですけど、さすがに軍の糧食には適してないと思います」
「なんで……頑張って作ったのに」
そう言って、ヤヨイさんが袋を開封する。
中から出てきたのは皆さんご存知糸引き納豆――ではなかった。
「乾燥納豆ですね」
「うん。長期保存させるには、乾燥させるのがいちばんだから……」
まぁ確かに。柿も芋も干すと長持ちする。乾燥納豆も現代日本では非常食として売られてはいた。
栄養価が高く軽くて輸送に不便しない。魔王軍の糧食とするのには最高である。
匂いが相変わらず強烈だと言うことを除けば。
いやこれ、匂いが他の物資に移るのでは。
「……だめ?」
「ダメです」
「どうしても……?」
いやそこで上目遣いで目をうるうるさせるのは反則です。
「あ、あの、ミサカ様? 聞いてよろしいですか?」
「……?」
彼女にとって悪臭が立ち込める中、鼻を手で押さえながらソフィアさんが質問してきた。
「どうして、そんなに食い下がるのですか? 食品としてはともかく、兵站的には不適なナットーとやらに固執する必要はないと思いますが……」
と、当然のことを彼女は言った。
確かに「ダメ」と言われたらそこで終わる話でもある。たとえヤヨイさんが納豆が大好きっ子であろうと、納豆を魔王軍の糧食に採用させて各地で飯テロを起こすなんてことに拘るなんて。
そんな疑問に対して、ヤヨイさんからの返答は暫くなかった。辛抱強く待っていたら、ようやく口を開いてくれた。
「……誰かが伝えないと、いけないから」
と。
絶滅しかけた狐人族文化を、何らかの形で継承したい……ということらしい。
なるほど。まぁ、理屈はわからなくもない。
軍隊の中で納豆が生き残れば、再興も可能ということか。なにかとてつもなく間違っている気もするが……。
あぁ、でもこの話聞いたらもっと断りにくくなってきた……。
しかしヤヨイさんの目的には同意できる。言うなれば少数民族の文化保護だから。
まぁ、それとこれとは話は別だ。
「ヤヨイさん。納豆は魔王軍では扱えません。色々問題があるので」
「……はい」
気力の無い返事と共に、彼女の耳と尻尾と眉が下がった。心が痛い。
仕方ない。
ここまで悩んでいるロリを突き放すだけではオトナな対応とは言えんだろう。
要は、納豆文化を広めればいいのだろう?
「だからヤヨイさん、店作りましょう!」
俺がそんなことを提案した瞬間、ヤヨイさんが首を傾げ、背後のソフィアさんからは盛大な溜め息を吐いた。
新章がいい感じになるまで短編を挟んで場を繋ごう編です。
現在のところ番外編ですが、積もりに積もってこれが新章を形成するかもしれません。短編連載ということで、ここはひとつ。
とりあえず割烹着姿のロリっていいと思いません? 思いませんか、そうですか。




