彼らが誰であっても、私はそれをする
それほど長い人生を歩んできたわけではない。
議会の御老人どもに言わせれば、まだまだ半人前な私である。
けれども、これほどまでに奇妙な体験と言うのは、私の人生の中で最も記憶に残る日々になるはずだ。
八月十三日。
地震が起き、津波が襲い、多くの人々がその命を奪われた。
戦争によって人命が失われる光景は何度も見てきたが、自然災害でそうなる瞬間を見るのはこれが初めてと言っても良い。
唯一、汎人類連合軍基地と繋がっていた街道は塞がれ、町にあった物資は多くが流されて、生き残った人も生命の危機に立たされた。
そんな時、彼らが来た。
蛮族。
あるいは、滅ぼすべき神の敵。
魔王を僭称するバケモノを崇拝する、魔族や亜人と呼ばれる異形の者共。
彼らが来た時、震災に乗じてこの町を攻略せんと侵略しに来た、と誰もが思った。
だから必死に反撃したし、どうすれば命乞いが成功するかとも考えた。
しかし、攻撃の第一波は、パン籠によるものだった。
あまりにも奇妙だったために、それを誰もが警戒して手を付けなかった。
攻撃の第二波、地上軍の投入。しかし彼らは攻撃する私たちに対して反撃を一切せず、あろうことかこう言ったのだ。
「代表者と話がしたい」
と。
侵略しに来たとしては、妙な発言である。
もしかしたら、侵略ではないのかもしれない。
そう思った私は、錯乱する兵達を諌めて、代表者として話した。
そして彼らと話した。
かつて戦場で見た恐るべき存在。地上で最も忌むべき存在である魔王と。
しかしそんな魔王は、優しげな声と表情で提案したのだ。
「私たちは、君達を助ける用意がある」
侵略しに来たわけではないことは、よくわかった。
本当に、支援の手を差し伸べに来た。しかも大真面目に、本気で、である。
このことに関しては、選択の余地はなかったと思う。
多くの者は餓死寸前であり、一週間経っても味方であるはずの汎人類連合軍の支援が来ないことに関して「見捨てられたのではないか」という考えが町の住民の心の中で浮かび上がっていた。誰も言わないだけで。
自分たちを見捨てた人類軍と、敵ながらにして手を差し伸べてきた彼ら魔王軍、どちらを信じるかと言う問題は、もはや論ずるに値しないだろう。
だから私は、町の住民が感じるだろう不安や懸念に関して質問をした後、腹の虫に負けて魔王の――いや、魔王陛下の提案を呑んだ。
その後早速、物資の供給が開始された。
けが人や病人に対しては、本人や家族の同意の後、魔王軍独自の治療が行われた。
魔術というものを初めて間近で見て、その効果に驚いた。
効果があることがわかれば、あとはドミノ倒しだ。
人類の敵だということを考える精神的余裕なんてもう残されていない。溺れる者は藁をも掴むと言う言葉の通りの状況だから。
無論、何も問題がないわけじゃない。
体力のある者、敬虔な十字教徒などは率先して彼らを挑発して時に喧嘩を売った。
その都度、魔王軍の誰かが止めに入って、その場を纏める。
俺も唯一の命綱である魔王軍に対して無駄な喧嘩を売らないよう、町の皆に理解を求めた。喧嘩売る体力があるのなら被災者の為に何かをしろ、と。
その効果があったのか、もしくは魔王軍の努力のせいなのか、魔王軍に警戒はしても、喧嘩を売る奴はいなくなった。
それどころか彼らに協力的な態度を取る奴も出てきた。
あるところでは、子供たちが犬耳の亜人と楽しそうに遊んでいる。
別の場所では、人類と魔族と共同で遺体捜索活動をしている、
この光景を見ると、なぜ自分たちが戦争をしているのかがわからない。
彼らは外見も、生態も、文化も言語も、何もかも違う。
にも拘らず、私たちは魔王軍の運んできた食糧を手につけ、体力と思考力が戻した。
そしてその状況で浮かび上がってくる感情は、嫌悪や憎悪と言ったものであるはずがなかった。
彼ら魔族を見ていたときに思ったのは、もっと別のものだ。
そんな時、報告が上がった。
汎人類連合軍が山越えをしている。明日の夕刻になれば、ここに到着すると言う。
それを聞いた私は、どうしてか、こんなことを言った。
「……どうしてだろうな。会ってまだ一週間程なのに、古くからの親友と別れる気分だ」
どうしてかは、自明の理だろう。
魔王軍に、私たちは救われた。
そんな彼らに対する憎悪を持っている人間は、もうこの町にいないのかもしれない。
その好感情をばら撒くことが、たとえ魔王軍の戦略だとしても、今は彼らに感謝しよう。
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八月二一日。
魔王軍はその日の夜明け前、未だ暗闇を支配する町から静かに去って行った。
いくらかの物資を残していって。
「あの篝火を見ての通り、人類軍は間もなくこの町に来ます。たぶん大丈夫でしょうが、一応余震や更なる津波に注意してください」
魔王軍との別れの際、彼らから出てきた言葉は儀礼的なものではなかった。
彼は、アキツ・アキラと名乗る魔王軍の幹部にして兵站の責任者だという。例の、ジョシュアの推測に出てきた人物の名前である。
なるほど。
彼が、魔王軍をここまで近代化させた張本人と言うわけか。
であればここで捕らえて、洗いざらい調べたい。
だがそんなことをすれば魔王に反撃されるし、それに第一、恩を仇で返すような行為だ。出来るはずもない。
だから私は、別の言葉を彼に捧げた。儀礼的な言葉ではない、もっと彼に役立つ言葉を。
「アキツくん……だったかな?」
「は、はい。なんでしょう、議員」
呼び止められることを予想していなかったのか、彼は慌てて返事をした。
年齢は私より十程下に見える外見であるが、中身はそれ以上に若く感じる男だ。
もしこのような場ではなく普通に出会っていたら、世話の焼ける弟分として妙な仲になっていただろう。
「これから先、こう言うことはやめた方がいい」
「……バーク議員?」
彼の首が横に倒れた。何を言っているのかわからない顔だ。
「いや、怒らないで聞いてくれ。
君が魔王軍の中でどういう立場にあるのかは知らないし、魔王陛下とやらがどういう御方なのかはわからない。でも、こういう行為はどんな戦略目的があるにしても避けた方が無難だよ」
仇敵を助ける行為というのは、ある意味では美談だ。
だがその行為は、多くの場面において「偽善であるだけでなく利敵行為に値する」と断罪されるものである。
人類軍で同じことをすれば、最悪銃殺刑、良くて絞首刑だろう。
彼に関しては、そうはならなかったようだが、かと言って何度もやっていいとは限らない。
「君の周りにいる者達を悲しませたいと言うわけではないのなら、このような事はやらない方がいいと思うよ」
私はそのことを、この若く、御人好しの甘っちょろい人間に言った。
対するアキツ・アキラは、頭を数度掻いて「肝に銘じておきますが……」と前置きした後、
「敵の言うことを『はいそうですか』と頷け、というのもおかしな話ですよね?」
「……ハハッ。もっともだ」
彼の言葉に、つい笑ってしまった。
なるほど確かに。そう言われてしまえばこちらも頷くほかない。
……本当に、このような場所で出会わなかったら、と思う奴だ。きっと良い友人になれたかもしれない。
だが彼は魔王軍の幹部である。
これほど無茶な作戦を遂行させるほどの身分にまで出世したということは、彼は魔王軍にとって重要な人物なのだろう。
――だから、私は彼に、アキツ・アキラに別れの言葉を述べた。
「では、頑張ってくれ――というのもおかしな話か――どうか死ぬまでは元気でいてくれ」
そう言うと、アキツくんが表情を少し奇妙な形にした後、
「では私も、バーク議員が今後の選挙で当選されるよう祈っておきます」
と返した。
私たちはそこで固い握手を交わし、別れた。
恐らく今後二度と会うことのないだろう命の恩人、親友と。
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その日の午後、人類軍の救援がやっと到着した。
「バーク中佐、ご無事ですか!?」
「待ちわびてたぞ、ジョシュア。相変わらずお前は足が遅いな」
「申し訳ありません! しかし、一週間も支援なしによくも耐えてくれました!」
「ま、悪運が強いからな」
一応魔王軍の事に関しては「敵に通じた裏切り者だ」と罰せられるかもしれないと町の生存者全員に箝口令を敷いたが、たぶん近いうちに無意味になるだろう。
その時は、私がどうやって来年の議会選挙で再選しようかに頭を悩ませるとしようか。
「それと中佐。つい先ほど偵察飛行船から連絡があり、街道に魔王軍らしき影があったとのこと。ここに攻めてくる様子はないらしいですが、一応爆撃要請を――」
そうジョシュア・ジョンストン少佐が提言しようとしたので、私はその言葉を遮った。
「そんなことより、被災者の支援が最優先だ。爆弾落としてる暇があるのなら、一人でも多くの者達を助けたまえ」
「は、はい! 申し訳ありません!」
彼は慌てて、被災者の方へ向かう。
救援より追撃を試みるのは悲しい軍人の性と言う奴なのだろうか。でもこれで、魔王軍に対する追撃はされないだろう。
――これで貸し借りゼロ、と言うことにしておこうか。
人間のアキツくんとやら。
次話でやや長くなった2章のエピローグです。




