家の近くに熊が出るんだって、こりゃあ熊った
「昨日、山之上小学校の近くで熊が出たらしいから、家が向こうの人は気を付けて帰れよ」
帰りのホームルームでの担任の言葉を聞いた私はピンと来たね。
これはフラグだと。
隣のクラスの男子が通り魔から女子を守って付き合い出したらしい。
一年生の男子がストーカーを撃退したら狙われていた子と付き合い出したらしい。
別の高校に通ってる中学の時の同級生が、万引きと間違えられたところを助けてくれた男子と良い感じらしい。
熊被害にあった人には申し訳ないけれど、これもまた新たな恋愛イベントの一つに違いない。
そして大事なのは、私の家が山之上小学校の近くにあるということ。
つまり主役はわ・た・し。
「この田子浦春奈に春が来るのよ!」
「田子浦さん?」
あ、しまった。
まだホームルーム中なのに立ち上がってテンション高く叫んじゃった。
前の席の御止さんが首をかしげてこちらを見ている。
くそぅ、かわいいなぁ。
流石クラスの男子付き合いたいランキング一位の美少女だ。
なんでそんな男子の秘密的なことを私が知ってるかというと、私がランキング作ったから。私に投票してくれた人が一人もいなかったのは今でも恨んでるからな。
「お前の頭ん中は年中春だろうが」
「先生ひどいっ!」
「そんな奇行ばかりするんだから当然だろ」
「うっ……」
「頼むから学外で恥を晒す時は制服を脱いでからやれよな」
「そこはやるなって言うところでしょ!?」
「ふん」
「鼻で笑った!ひどい!」
どうしてこのクソ担任野郎は私にばかり態度が悪いのさ。
私が何をしたって言うのさ。
ちょっとばかり変な行動して困らせてるだけなのに。
それならこっちにだって考えがあるぞ。
「ならお望み通りストリップして、先生にやれって言われたんですって宣言しますからね!」
「止めろおおおお! 俺が悪かった! 頼むから止めてくれ!」
「え? ちょっ! 土下座!? 先生としてのプライドは無いんですか!?」
「プライドより生活だ! お前ならマジでやりそうなんだよ! こんなことで人生を終わらせられてたまるか!」
「冗談に決まってるじゃないですか! 私をなんだと思ってるんですか!」
「田子浦」
「納得いかないー!」
ぷんすかぷんすか。
失礼しちゃうわね。
私を変質者扱いするなんて。
「あの、田子浦さん。脱いじゃダメですからね」
「御止さんまで!?」
クラスメイトも頷いてやがるチクショー!
よ~し良く分かった。
そんなにケンカを売りたいな全力で買って……いや、待てよ。
これから春が来るかもしれないのに、そのチャンスをこんなことで潰すだなんて大馬鹿のやることだ。
もしかしたらこの中に運命のお相手がいるかもしれないのに。
今がネガティブな印象でも、たった一つの出来事で恋に変化するなんてのは定番だもん。
ここはぐっと我慢よ我慢。
お淑やかに座るとしましょう。
「おほほほ、失礼しました」
「田子浦がキレない……だと……脳の病院紹介するぞ?」
折角大人しくしたのにその反応するとか、流石にマジで酷くないですか先生。
ーーーーーーーー
そんなこんなで放課後。
私は帰宅しながら内心で頭を抱えていた。
「熊だなんて怖いね、田子浦さん」
「ソ、ソウダネ」
隣を歩くのは前の席の美少女、御止さん。
クラスでは話をする機会が多いけれど、今まで一緒に帰ったことの無い彼女が何故隣にいるのかと言うと。
『もしかして田子浦さんの家って山之上小学校の方だったりする?』
『うん、そうだよ』
『お願い! 今日一緒に帰って! 熊が怖いの!』
『え? 御止さんの家ってあっちなの?』
『そうなの』
どうしてこうなったああああ!
熊出没は私の恋愛フラグかと思ったのに、美少女がいたらそっちが主役になっちゃうじゃん!
「いやでも美少女の友人がヒロインの可能性もワンチャン……」
「田子浦さん?」
「ううん、なんでも。御止さんが山之上学区だったなんて知らなかったよ。同級生にいたら絶対に知ってたと思うんだけどなぁ」
「高校生になってから引っ越してきたから」
「そりゃ知らんわ」
転校生属性とか、完全にヒロインポジじゃないですかーやだー
「御止さんは彼氏……いたら一緒に帰ってるか。好きな男子とかいないの?」
「ええ!? い、いないよ」
「くぅ~! ぴゅあな反応がたまらん! 男子よ、何故この子を放っておいたのさ!」
「??」
すでにお手付きになっていればヒロインは確実に私だったのに。
でも男が出来たら彼女が私とお話ししてくれる機会が減っちゃうのかな。
彼女は私が変なことをしても気にせず話しかけてくれる貴重な人材。
そう考えると男なんかにはやれん。
「御止は私のだ!」
「え?」
「ううん、なんでも。熊怖いねー」
「うう、怖いよ~」
「何このかわいい生き物」
腕をぎゅっですよぎゅっ。
男子がやられたら最高に嬉しいやつ。
しかも御止さんったら着やせするタイプだな。この感触、随分立派なものをお持ちで、ぐへへ。
私が百合の花を愛でるキマシさんだったら鼻息荒くお持ち帰りして天を突き抜ける塔を建てるところだったよ。
なんて邪なことを考えていたら、まさかのまさかな事態が発生した。
「くまだ!」
「!?」
「!?」
正直な所、不謹慎なネタであって実際に遭遇するだなんて思ってもいなかった。
だからその言葉が物凄く怖くて、全身から一気に血の気が引いた。
今にも倒れそうな感覚だったけれど、隣の温もりがどうにかそれを防いでくれた。
御止さんマジ天使。
「ってあれ、あそこにいるのって……」
声がした方を見ると、そこには数人の小学生と一人の男子高校生がいた。
ここからだと男子高校生の横顔が見える。知っている人だった。
「なぁんだ。御止さん、大丈夫だよ。ほらあそこにいるの、クラスメイトの熊田君。熊だ!じゃなくて熊田君を呼んでたんだよ」
ベタな勘違い展開なんだと安心した。
でも御止さんはそうじゃなかったみたい。
というより私が馬鹿で状況を察せられなかっただけなんだけどね。
「で、でで、でも、皆山の方を見てるよ」
「え?」
確かに小学生が熊田君を見ているのではなくて、小学生も熊田君も山の方を見ていた。
しかもかなり怯えているし、視線の先に何かがいるのは明らかだった。
「熊田君か……あり……大ありね」
物静かだけれど、身体が大きくて顔が怖いことからクラスで敬遠されている男子が熊田君。
『見た目が怖い男子』というのはこれまた恋愛物のテンプレートだ。
私も嫌いじゃないし、ここでビビらず格好良く小学生を守って行動したらキュンとしちゃうかも。
「うううううううう」
でもその前に御止さんをどうにかしないと。
私達の位置は山から少し離れているから、今のうちに逃げて距離を稼がないと。
そう思って彼女の背中を支えながらゆっくりと後退していた時の事。
熊田君が小学生達に何かを言うと、小学生は慌てて学校に戻った。
良い判断だと思うし、とても冷静だ。
怖くて足が思うように動かず、よろめいている小学生に手を貸している姿もとても素敵だ。
ああ、なんて格好良いのだろうか。
「うううううううう」
隣の御止さんは目を瞑ってしまい、そんな彼の様子を見ていない。
つまりヒロインは私!
後は熊が去った後にハート目で熊田君に声をかけたら物語が始まるのよ!
そのためには熊田君が安全に避難しなければならない。ここで熊にやられて異世界転生なんかされたらたまったものじゃない。ジャンルはあくまで現代恋愛なんだから!
小学生は全員が遠くまで移動できたし、熊田君も急いで逃げ……
「ふぁっ!?」
なんでファイティングポーズとってるの!?
「手で来いよって誘ってる!?」
馬鹿じゃないの!?
人間が熊に勝てるわけないじゃない!
あ、熊田君が腰を落とした。
まさか本当に熊が来ちゃうの!?
そんなの熊る!
「ひっ!」
「ひっ!」
御止さんと声が被った。
どうやらいつの間にか彼女は目を開けていたらしい。
そんな私達の目に飛び込んできたのは、熊田君に近づく熊の姿。
熊は勢いをつけて熊田君の顔を狙って飛び掛かったのだけれど。
「殴ったああああああああ!」
なんと熊田君が迫る熊の右手を避けながら熊のアゴに向けて右手を振り抜いた。
熊にそんなの効くのかと思ったら、なんと熊は痛そうによろめいた。
「今のうちに逃げ……なんでまだ戦おうとするの!?」
チャンスと思ったのか、熊田君は熊を殴ったり蹴ったりやりたい放題。
熊も反撃してくるのに、まったく当たらない。
熊田君……あなた一体何者なの……?
正直怖くて恋心なんて吹っ飛んじゃったんだけど。
やがて熊は熊田君に背を見せて山の方へと逃げ去った。
「何やってるのよ!」
危機が去ったと感じた私の最初の言葉は熊田君を責めるものだった。
「あれ、田子浦さんと御止さん居たんだ」
「居たんだ、じゃないよ。熊相手に何危ないことやってるの!」
「危ない? 何が?」
「熊にケンカ売って殴ってたじゃない! ありえないでしょ!」
「はは、田子浦さんにありえないなんて言われるのは甚だ遺憾だな」
「どういう意味よ!」
いくら私でもこんな無茶はしないわよ!
というか私って熊にケンカを吹っ掛けるのと同じくらいヤバイ女だと思われてるの!?
「でも心配してくれてありがとうな。俺はあの程度の熊なら万が一にでも負けないから大丈夫だ」
「ねぇ知ってる?普通の高校生は熊に素手で勝てないのよ?」
「そうか? 練習すれば誰でもいけるだろ」
「無理に決まって……」
「本当!?」
御止さん!?
何でそこで食いつくの!?
「私も熊田君みたいに強くなりたい!」
「何言ってるの!?」
「分かった、俺に任せろ」
「何言ってるの!?」
「熊田君……」
「御止さん……」
「二人の世界に入るなああああ!」
どうしてこうなっちゃうの!?
いやまぁ、熊を素手で撃退しちゃう好戦的な男子なんて怖くて嫌だけどさ。
「御止さん、冷静になりなって。熊からは逃げないと」
「いや違うな。戦えるなら戦い、人間の恐ろしさを思い知らせるべきなんだ。そうすることで里に降りて来なくなり、結果として被害が減るわけだからな」
「その理屈は正しいけど正しくないのに本当に無傷で追い返しちゃったから何も言えない……というかなんで勝てるの。熊って拳銃でも倒せないらしいのに」
「どれだけ優れた武器があろうとも、持ち主の技量が伴わなければ拳にも劣るという良い例だな」
「あ、なんかイラっとしてきた」
キメ顔やめなさい。
どうしてこの人に一瞬だけでも惚れそうになったのか不思議でならない。
「そもそも野生の熊なんて単純な動きしかしてこないから、動きを良く見れば素人でも倒せる」
「それを信じるのは御止さんだけだよ?」
「私にも出来るの!?」
「ほらぁ、本気にしちゃったぁ」
見るからに非力そうな御止さんが熊を倒せるわけないでしょ。
「もちろんだ。試しに田子浦さんを倒してみようか」
「なんでやねん」
どこの世界に熊を倒す練習だからっていきなりクラスメイトの女子を殴らせる男がいるのよ。
いや待てよ。
どうせ御止さんの攻撃なんて全く痛くないだろうし、熊田君の言葉が間違ってるって体を張って教えてあげれば夢から醒めるのでは。
「ふふ、分かった。御止さん、遠慮なくかかってきて」
「ええ!? 良いの!?」
あれ、なんで嬉しそうなの。
キャラ的にそこは躊躇しそうな気がするんだけど。
まさか御止さんって割とバイオレンスな方でしたか?
「よし、いいか御止さん……」
何かをヒソヒソとアドバイスしてるけれど、何をされたって平気だもん。
あ、でもまさか目つぶしとかしてこないよね。
それだけは警戒しておこうっと。
「い、いきます!」
可愛らしく拳を握りポーズを決めた御止さん。
やっぱり彼女には殴る蹴るは似合わない。
これを人生で最初で最後の一撃にしてあげるべく、私は胸を張って迎え撃……
なんかアゴに強烈な一撃喰らって失神しちゃったんだけど!
起きたら二人とも甘い空気で正拳突きの練習してるし、私を練習相手にしたがってくるし、私の恋は何処に行っちゃったの~!?
なんだこれ




