マオ・ウとミチタカ
俺はオレンジ色の猫の隣に腰を下ろした。
猫は怖いが、不思議とコイツは怖くない。
コミカルな見た目が安心させるのだろうか。
「釣れる?」
俺はちょっとドキドキしながらも、話しかけた。
「ちっとも釣れないだにゃん」
そう言うと同時に、猫が魚を釣り上げた。そこそこの大きさのタナゴだった。
「おっ」と猫が言い、すぐにリリースする。何か特定のターゲットを釣ろうとしているようだった。
「何を狙ってるの?」
俺が聞くと、猫はすごい笑顔でこちらを向き、即答した。
「ヌシ様だにゃん!」
「ヌシ様?」
「そうにゃ! この湖にね、猫1万匹でも食べきれないという、でっかい魚がいるらしいのにゃん!
そのお方を釣り上げるために、ボクは一昨日からずっとここにいるんだにゃん!」
やっぱりそうか……。ずーっとここにいたのか。
そう思うと、なんだかクスッと笑ってしまった。
「1万匹でも食べきれない魚って、すごいね」
「すごいのにゃん! お会いできる喜びを早く味わいたいのにゃ!」
「あたいはもう喜びを知ったので」
向こう隣で三色猫が、嬉しそうに言った。
「あとはマオちゃまの喜びを早く叶えてあげたいにゃのにゃ」
「マオ様……?」
その名前に俺は反応した。
「君……、マオ様っていうの?」
「そうにゃ!」
オレンジ色の猫は楽しそうに、その名を名乗った。
バーン!という効果音つきで。
「ボクが猫の王にして地球の支配者、噂の猫、マオ・ウ様にゃ!」
いやいや──
そんなわけないだろう。
こんなほのぼのしたやつが、地球の支配者のあのマオ・ウなわけがない。
なんかそういうなりきり遊びをしてるんだな。
俺はずっとマオの釣りを見ていた。猫はものすごい集中力で湖面を見つめている。
たまに小さな魚が釣り上がり、そのたびにマオはため息もつかずにリリースする。
三色猫は気持ちよさそうに眠りはじめた。
お腹を地面にぴったりつけて、目を機嫌よさそうに細め、鼻をひくひくさせながら眠っている。
なんで俺、ここにいるんだっけ?
そんな気持ちも次第に薄れて来た。
「あっ、そうだにゃん」
マオが急に声を上げた。
「あなたの名前をまだ聞いてなかったにゃ! 友達になったのに」
友達になった覚えはなかったけど、なんだかクスッと笑ってしまい、俺は名乗った。
「冴木ミチタカだ」
「は!?」
マオがびっくりした顔をこっちに向ける。
「な、何? その名前? 猫の名前とは思えぬ複雑怪奇……。
でも覚えるからもう一度お願いします」
猫には難しかったかな、そう思い、下の名前だけをもう一回、教えた。
「ミチタカ」
「ミ……にゃにゃにゃ」
「ミ、チ、タ、カ、だよ」
「ミ、にゃ、にゃ、にゃ」
気持ち悪さに思わず大笑いしてしまい、気安くマオの頭をぽんぽんと叩いてしまった。
柔らかくて、あったかくて、心がふんわりしてしまうほどに気持ち悪かった。
「わかんないにゃん! も、【ミっちゃん】て、呼ぶにゃ!」
「それでいいよ」
クスッと笑って、俺はうなずいた。
「ミっちゃんはここに何をしに来たにゃん?」
「あっ、そうだ。花を摘みに来たんだった」
「あー、花かにゃん。あれは鼻でツンツンしてもてあそぶと大変面白きものにゃん」
「女性に花をあげると喜ぶらしいんだ」
「それは意味がわかんにゃい」
聞いていたのか、三色猫が目を開け、言った。
「あたいは花よりマオちゃまが好きやの」
「ミっちゃんは、そのメスに花をあげて、交尾したいのかにゃん?」
「いっ……いや! そんなんじゃないよ!」
俺は慌てて手を振った。
「た、ただ……バカにされないぐらいには仲良くなりたいだけっ!」
「バカにされてるのかにゃん?」
「ああ……。バカにされてるんだ」
「それは悲しいだにゃん」
「だろ……?」
マオと会話していると、なんだかとても慰められている気持ちになる。
人間相手よりも、マオに聞いてもらい、マオと並んで座っているだけで、俺はとても癒やされた。
「ヌシさま……」
マオが独り言のように、呟いた。
「ごゆっくりとで構いません。どうか、釣り針の先のダンゴムシをお召し上がりください」
「そんなでっかい魚……。釣り上げても持って帰れるのか? それより何より、釣り上げられるの?」
「それはやってみないとわからないにゃ!」
いや、わかりきってるだろ。
まぁ、大袈裟に言ってるだけで、本当はそこまで大きくないような気はするけど、それでも……。
マオの小さい体では、さっき見たタナゴ程度の魚一匹ぐらいしか持って帰れないように思えた。
そう思っていると、たった今ひとつ思いついたらしいことをマオが口にした。
「そうにゃ。釣り上げて、あんまりに巨大だったら、みんなを呼んで来るにゃ!」
頭の中に、ここに猫の大群がやって来るイメージが湧いた。
途端に恐ろしくなったけど、それなのになぜだか笑えた。
「血抜きをして置いとけば、なんとか持つかもしれないな」
俺もアイデアを出す。
「ただ、虫にたかられないうちに、早くする必要があるぞ?」
「大丈夫にゃ! 猫は素早いにゃ!
それに猫の王のボクが声をかけたらみんなキビキビ動いてくれるにゃ!」
「じゃあ、あとはどうやって釣り上げるか、だな……」
俺の頭に、マコトさんが開発したばかりの、魚獲り網の姿が浮かんだ。
「待ってろ。いいものを持って来てやる」
そう言い残すと、俺は走って基地に戻った。




