◆◆◆◆ 9-35 汚れた手 ◆◆◆◆
【 シュレイ 】
「…………」
己の幕舎の中で、楽・シュレイは書物に目を通していた。
しかし、嫌な予感が湧き上がり、いまひとつ集中できない。
【 シュレイ 】
(なんだ、この胸騒ぎは……?)
つい、酒の入った瓶に手を伸ばしかけて、やめておく。
【 シュレイ 】
(……心身を休める、か)
例の医師からの忠告を思い出したから……ということもあるが、
【 シュレイ 】
(……いつまでも、感傷に浸ってはおれぬ)
シュレイの目的のひとつに、
――十二佳仙を、自らの手で討つ。
と、いうものがあった。
だがそれは、今や天子ヨスガの手で果たされてしまったという。
【 シュレイ 】
(この手でケリをつけ、亡き人々にかの賊たちの首を捧げたかったが……)
それがならぬと知って失望を覚え、つい酒に逃げてしまったのだった。
復讐の念は、己を動かす一つの要素にすぎない……と思っていたが、実のところ、かなり大きなものだったらしい。
【 シュレイ 】
(……もう、吹っ切る必要があるな)
そして一方、この胸がざわつく理由は……
【 シュレイ 】
(銀司馬はともかく、彼女がしくじるとは思えぬが……)
タシギだけでは心もとなく思い、シンセにも追撃を命じた。
彼女の技量は、誰よりも彼自身が知っている。
【 シュレイ 】
(しかし……万一、ということもあるか?)
どうしても気にかかり、みずから様子を見に行くべきか、と思い始めた矢先――
【 シュレイ 】
「むっ……?」
――ドサッ!
突然、血まみれの人物が目の前に出現した。
【 ???? 】
「……っ、う……ぅ……」
【 シュレイ 】
「……っ! こ、これはっ……」
虫の息となって突っ伏しているのは、他ならぬシンセであった。
【 シンセ 】
「……ぁ、あぁ……」
【 シュレイ 】
「しっかりしろっ! 傷は、浅いっ!」
【 シンセ 】
「も……申し訳……ありま、せんっ……」
【 シュレイ 】
「喋ってはならぬっ……誰かあるッ! 碧師弟を呼べっ! 早くっ!」
シュレイの悲愴な叫び声が、真夜中の陣に響き渡った……
【 ホノカナ 】
「……き、消えたっ……?」
ホノカナは、目を白黒させていた。
今まさに剣を振り下ろそうとしたとき、目の前の方士が煙のように消え失せたのである。
【 ホノカナ 】
(……っ、どういうこと……?)
しばらく困惑させられたが、はたと気づいた。
【 ホノカナ 】
(あっ、そういえば……)
〈千里行〉と呼ばれる、一瞬で遠くへ飛ぶ方術がある……と聞いたことがある。
先の極龍殿の攻防において、十二佳仙がヨスガたちの元へ刺客を送り込む際にも用いられていた。
かの方士はもはや息も絶え絶えだったが、最後の力を振り絞った、というところだろうか。
【 ホノカナ 】
「……っ、はぁっ……ふぅ……」
どこかホッとしている自分に、ホノカナは気づいていた。
【 ホノカナ 】
(わたし……人を殺めずにすんで、よかったって思ってる……?)
それはただ、自分の手を汚すことを嫌がっているだけではないだろうか。
【 ホノカナ 】
(その程度の覚悟で、わたし……これから、やっていけるんだろうか?)
と、ホノカナが自問自答していると……
ドドド……
【 ホノカナ 】
「…………っ」
馬蹄の音が迫ってくる。
身構えるホノカナだったが、
【 セイレン 】
「ホノカナ殿っ! ご無事ですか~~っ!」
【 ホノカナ 】
「セイレンさんっ……!」
【 ゼンキョク 】
「いやはや……どうにかなったようですね」
【 ホノカナ 】
「晏老師も……!」
二人の姿に、ホッと安堵の息をこぼす。
【 セイレン 】
「なぜか、例の車輪が突然消え失せて、黒ずくめの連中は身動きができなくなりましてね……いやあ、これも私の隠された実力でしょうか!」
【 ホノカナ 】
「あ、あはは……」
たぶん、例の方士を無力化したことで、兵たちの術も解けたのだろうが、ホノカナは指摘しなかった。
【 ホノカナ 】
「晏老師、お怪我をっ……!」
【 ゼンキョク 】
「ああ……なに、かすり傷です。副頭目こそ、よくぞご無事で」
【 ホノカナ 】
「はい、なんとか……運が良かったです」
そう、生き延びられたのは、まったくの幸運だった。
【 ゼンキョク 】
「それだけではないでしょうが……ともあれ、長居は無用です。急ぐとしましょう」
【 ホノカナ 】
「は、はいっ……!」
【 セイレン 】
「いざ、みやこへ凱旋ですな! わははははは!」
【 ホノカナ 】
「なんでセイレンさんはそんなに元気なんですか……!?」
かくして一同は森を抜け、一路、帝都へと急いだのだった――
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