◆◆◆◆ 8-21 大願 ◆◆◆◆
【 ユイ 】
(……こいつは、とんだことになったもんだな)
ヤクモとゾダイは天幕を出ていった後……
ユイは、ことの重大さに内心で唸っていた。
【 ユイ 】
(和睦くらいは、ありうる話だと思ってたが……)
そこから、よもや天子の廃立計画にまで話が広がるとは、予想だにしていなかった。
【 ユイ 】
(――だが、それはそれとして、だ)
ひとまず、タイシンへの義理は果たした。
ここからは、ユイ自身の問題である。
ユイはレツドウに向き直ると、
【 ユイ 】
「――閣下、しばしここでお待ち願えませんか」
【 レツドウ 】
「……なんだと?」
怪訝そうな顔を向けるレツドウ。
【 ユイ 】
「翠将軍が無事に自陣へと戻れるかどうか、確かめておこうと思いまして」
【 レツドウ 】
「…………」
【 レツドウ 】
「……まあ、よかろう。だが、あまり待たせるでないぞ」
【 ユイ 】
「は――」
音もなく、ユイは隠形の術で姿を消した。
【 ゾダイ 】
「ふぅ……緊張いたしました」
【 ヤクモ 】
「なにも、御坊が緊張することはあるまい」
*御坊……僧侶への敬称。
天幕を出てほどなく、胸を撫でおろすゾダイに、ヤクモが苦笑する。
【 ゾダイ 】
「いえ……見えざる刃で斬り結んでいるような、張り詰めた気配に、圧倒されました」
【 ヤクモ 】
「ふむ……」
ヤクモ自身、和睦の申し出については想定内ではあった。
だが、皇太后の密旨、などというものが出てくるとまでは考えておらず、まして……
【 ヤクモ 】
(皇帝廃立、とはな)
大きく出たものだ、とヤクモは思う。
三千年に渡る宙の歴史においては、そうした例も決してないわけではないが……
【 ヤクモ 】
(あの令旨、十中八九、偽物であろうな)
挙兵を正当化するための小道具、というのが常識的な見方というものであろう。
あれこれ理屈はつけていたが、
【 ヤクモ 】
(そもそも、かの女傑が、他人任せにするはずもない)
というのが、ヤクモの見立てであった。
もしこの計画が成就したならば、最大の功績を挙げたのはレツドウということになり、その威勢は絶大なものとなろう。
かの煌・ランハが、そのような事態を招くような悪手を打つであろうか?
【 ヤクモ 】
(とはいえ……)
朝廷での権力争いは、いわばヤクモにとっては対岸の火事にすぎない。
さしあたり、南方を戦禍から免れさせることができるのならば、検討の余地は十分にある。
【 ヤクモ 】
(だが、おいそれと飛びつくわけにもいかぬ)
やはり、自陣に戻って考える必要があるだろう。
【 ヤクモ 】
「御坊は、今回の件、知っていたのであろう?」
【 ゾダイ 】
「うっすらとは……しかし、ここまで大規模なものとは、存じていませんでした」
【 ヤクモ 】
「そうか。……御坊は、和睦を願っているのであろうな?」
【 ゾダイ 】
「もちろんです。これも、我らの大願成就に至る一歩なれば……」
【 ヤクモ 】
「大願……つまり、三貴の教えを宙全土に広める、ということかな」
【 ゾダイ 】
「いえいえ、そのような小さきことではありません」
【 ゾダイ 】
「衆生を救済し、この世に浄土を顕現させる……それこそが、我らの大願なれば!」
*顕現……顕かに現れる。はっきりと姿を見せるの意。
【 ヤクモ 】
「浄土……か」
三貴の教えによれば、それはあらゆる穢れから解放された、清浄なる世界であるという。
だが、この世をそんなふうに変えることが果たして可能なのだろうか?
【 ゾダイ 】
「――もとより、一朝一夕には参りません。何度生まれ変わっても、我らはこの大望に身を尽くす所存にて!」
生まれ変わり――という概念は、宙にはあまり馴染みのないものである。
死者は冥府に行き、そこで生活している……という考え方が主流だからだ。
【 ヤクモ 】
(我が人生は、およそ血みどろの修羅の世界そのものだったが……)
生まれ変わって、安らぎのある新たな人生を送れるというなら、それも悪くないかもしれない。
もっとも、教えに帰依して信仰生活を送るには、まだまだやるべきことが多過ぎるのだったが。
【 ゾダイ 】
「もっとも、我らの大願はそれ以外にも――おや?」
ふいに、二人の行く手に人影が立ちはだかった。
【 若い女 】
「今こそ――」
頭巾をかぶったその女は、白刃を抜き放つ。
【 ゾダイ 】
「…………!」
【 若い女 】
「――我が父の仇、討たせてもらウッ!」
女――すなわちカイリンが、ヤクモ目がけてまっしぐらに突進してくる。
【 ヤクモ 】
「――――っ」
やはり、己の人生は安らぎなどとは無縁のようだ――と、痛感させられる翠・ヤクモであった。
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