◆◆◆◆ 8-16 悪所 ◆◆◆◆
――そして、数日後。
遠征軍の陣地よりやや川下の地に、ちょっとした急ごしらえの集落があった。
将兵の閑を埋めるべく、旅の芸人一座や遊女のたぐいが各地から集まり、めいめい勝手に天幕を張って営業しているのだ。
【 男の声 】
「こっちはいつ死ぬんだかわかりゃしない――今を楽しまなきゃな!」
【 女の声 】
「うふふ、勇ましいこと……さぁ、もう一献――」
まだ日の高いうちから、そこかしこで酔った兵たちのがなり声や、楽師たちの奏でる調べ、脂粉をこらした女たちの笑声が響いている。
――もとより、軍もこうした悪所の存在を大っぴらに認めてはいない。
しかし、娯楽の少ない滞陣においては、こうした場所は不可欠ともいえるため、黙認されていた。
それどころか、軍のお偉い方々すら、ちょくちょくここで羽を伸ばしている……というもっぱらの噂である。
そうした場所であるからには、客同士が互いの身分を探る、などというのは野暮の極みである。
ゆえに、密談にはもってこい――という一面もあるのだ。
【 レツドウ 】
「……むぅ……」
【 ユイ 】
「どうされました?」
簡素な平服姿のレツドウが、ユイとともに天幕の中に座している。
【 レツドウ 】
「このむせ返るような匂い……耐えかねるな」
手巾を口元に当てて、顔をしかめている。
【 ユイ 】
「白粉の匂いというやつですな。こういう場所ではお馴染みですが」
いわゆる脂粉の匂いは、天幕の中……というより、このにわか作りの盛り場全体に立ち込めている。
【 レツドウ 】
「鼻につく……というより、刺さるようだ。どこも、こんなものなのか?」
【 ユイ 】
「もっとちゃんとした店ならまだしも、こんな場所ですからね」
鼻腔を刺激する妖しくも強い匂いは、雲上人たる高官のレツドウにとってはおよそ無縁なものであり、耐えがたいものであるらしい。
【 レツドウ 】
「……あの男、本当に来ると思うか?」
【 ユイ 】
「さて……つまらぬ虚言をかまえる御仁ではないと思いますが」
【 レツドウ 】
「ふむ。……そなた、あの男に会ったことは?」
【 ユイ 】
「いえ、遠目に姿を見たていどで……それだけでも、威圧感は伝わりましたが」
【 レツドウ 】
「そうか」
【 ユイ 】
「……妓女でも呼びますか?」
【 レツドウ 】
「いや、無用だ」
そんなやりとりを交わしつつも、
【 ユイ 】
(さて……いよいよだが)
別の面で、ユイは緊張を高めていた。
【 ユイ 】
(うまくやれよ、お嬢ちゃん――)
そうこうするうち……
【 妓女 】
「――お連れ様がおいでです」
【 ユイ 】
「おお、通してくれ」
ややあって案内されてきたのは、
【 屈強な老人 】
「――失礼する」
老人が、ひとりの女をともない、天幕へと入ってきた。
質素な装束だが、その屈強な肢体は隠しようもない。
【 ユイ 】
(この、老人が――)
間近で見て、ユイは思わず息を呑む。
他ならぬ、南寇王こと翠・ヤクモ、その人であった。
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