閑話 帰還
公都アルビオンからヴェリスまで、普通に馬車に乗っていると1ヶ月は掛かる。
しかし、俺はアルビオンを出てから3日でヴェリスの王都に到着していた。
のんびり道中を楽しんでいた俺の前に、レルファが現れたからだ。
当面の脅威は回避したものの、いまだにモルスは健在であり、俺はレルファの貴重な戦力だ。
そんな俺は狙われる可能性が高いのに、のうのうと馬車に揺られているとは何事か、と俺は説教を食らい、護衛をしていたミカーナやノックスの兵たちと共に、有無を言わさずヴェリスに飛ばされた。
そして、既に同じ手段でヴェリスに帰ってきていたカグヤ様やディオ様に挨拶をしたわけだが、ここでも説教を受けてしまった。
帰ってくるなら連絡をしろ、と。
こちらにも準備があるのだ、と。
連絡はしたくてもできない状況だったし、そもそも俺としても予想外な帰還だったから責任はないはずなのだけど、相手はヴェリスの国王と王弟だ。
とりあえず謝罪して、俺は王への私的な挨拶を終えた。
そして、今、王や大臣たちに公的な挨拶をするために、俺は修繕された王の間の前に立っていた。
目の前には重厚な扉。横には槍を構えた衛兵が2人。
かつて内乱の最終局面のとき、この扉は開いており、中でカグヤ様とディオ様が先王と戦っていた。
もう1年も前のこと。
それはつまり、俺がこの世界に来て1年が経ったということだ。
長いようで、短かったかもしれない。
苦しいときはあった。けれど、とても充実していた。
だから、1日1日がとても早く過ぎ去っていった。
その充実感は目的のために必死だったから生まれたものだ。
必死に願ったのは平和。
だれも戦わずに済むなら、それに越したことはないと思いながら戦ってきた。
まだ戦いは無くなってはいないけれど、少なくとも、当面の敵は撃破できた。
アルフレッドは捕らえられ、リリィ・ストラトスは死んだ。
リリィはアルフレッドに利用され、そのアルフレッドもモルスに利用されていた。
奴らがしたことを思えば、同情する気にはなれないが、哀れだとは思う。
これからの敵はモルスであり、そのために各国が協力して事に当たるだろう。
すでにヴェリスに侵攻してきていた帝国軍は退き、ヴェリスとの和平交渉も進んでいる。
アルビオンとの交渉も順調で、大陸はまた平穏を取り戻すだろう。
それが一時のものであれ、勝ち取った平和であることには変わらない。
次はこの平和を崩させないための戦いが始まる。
そのために、俺も色々と動かなければいけないだろう。
けど。
「正直、疲れたからなぁ……」
衛兵に聞こえない程度の声で呟く。
ぶっちゃけ休みが欲しい。
できるなら1ヶ月くらい。
体は治ってないし、精神的にも疲れた。
休暇は必要不可欠だといってもいい。
ただ、それをカグヤ様やディオ様が許してくれるかどうか。
「準備が整いました。どうぞお入りください」
そう言って、衛兵が扉を開ける。
俺から見て左側には大臣やカグヤを補佐する評議会の議員などの文官。
右側には軍の主要な将軍やノックスの部隊長たちといった軍人たちがいる。
ざっと見て100名くらいだろうか。
全員の視線が俺に集まった。
「ノックス総隊長、ユキト・クレイ。帰還の挨拶に参りました」
カグヤの前まで進み出て、片膝をついて挨拶する。
そんな俺に対して、玉座に座るカグヤが頷く。
「よく戻った。皇国での戦いから始まり、アルビオンでのストラトスとの戦い。そして黒竜グワイガンの討伐。真にご苦労だった。そなたはまさしく大陸を救った英雄だ。そなたのような臣下を持てたことは、私にとって最大の幸運だろう」
「恐悦至極に存じます」
カグヤの言葉にそう返す。
どの戦いも俺だけの戦果というわけではないし、そもそも皇国で俺は負けている。
けれど、そこらへんの突っ込みは、今はなしだ。
せっかくカグヤ様がこの場を用意してくれたのに、自分から台無しにするわけにはいかない。
「功にはそれに見合った褒美を取らせねばなるまい。ユキト。そなたが望むものを与えよう。なんでも好きなものを言うがよい」
これはまた大きく出たものだ。
ここで俺が無理難題を口にするとは思わないんだろうか。
チラリと視線だけ上げて、カグヤを見る。
微塵も思ってなさそうな顔が俺の目に映った。
信用されてると思っていいんだろうけど、そうなると何でも好きな望みという問いには答えづらい。
どれくらいが妥当だろうか。
そう思ったとき、俺は自分に望みがあることを思い出した。
この場で言うのは酷く馬鹿馬鹿しいが、この場で言わなければ叶えられない望み。
「では……一月ほど休みを頂けないでしょうか? 少々、疲れてしまいまして」
俺の言葉を聞いて、カグヤ様は呆れたように小さくため息を吐き、カグヤ様の横にいたディオ様とベイドが頭痛を堪えるような表情を浮かべた。
王の間全体にも、なに言ってんだこいつって感じの空気が流れている。
だけど、これは正真正銘、俺の望みだ。
それに一月の休みというのは普通なら通らない。
俺にはノックスの再建やらディオ様の補佐など色々とやるべきことがある。
それらをほったらかして一ヶ月休むとなると、カグヤ様たちも困ってしまうはずだ。
受け入れられない可能性も考慮していた俺の耳に、カグヤ様の声が届く。
「そなたの無欲さは重々承知していたのだが……まさか休暇を要求してくるとはな。恐れ入ったと言っておこう」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
「褒めてなどいない……。一ヶ月の休暇は許可しよう。戦いばかりで疲れたというのも理解できる。しかし、功ある臣下に休暇しか与えなかったとあれば、私は大陸の笑い者になり、ヴェリスには人がやってこなくなってしまう」
カグヤ様の言葉に俺はムッと眉をひそめた。
それは確かにそうだ。
信賞必罰は国を維持し、栄えさせるためには必要なことだ。
功に相応しい褒美があるからこそ、皆もやる気を出す。
それに俺がここで休暇だけを望みとして叶えられてしまえば、これから先、他の者が望みを言い難くなる。
さて、どうしたものか。
欲しくはないけれど、お金でも要求するべきだろうか。
「無理をして考える必要はない。そなたがどうでもよい望みを口にするのはわかっていた」
「私としては大事な望みだったのですが……」
「わかっている。安らかな一月を過ごすがよい。そして、それとは別に私からそなたに褒美を取らせる。正直、この程度の褒美ではそなたの功に相応しい褒美とは言えないが……私からそなたに送れる最大の褒美だ」
そうカグヤ様が言うと、カグヤ様の後ろからアンナが現れて、一枚の紙を手渡した。
アンナがその場に留まっているから、紙は1枚だけじゃないのかもしれない。
この光景には見覚えがある。
確か、王が直々に何かしらの役職に任命するときだ。
大抵の場合は高位の役職だが。
「ヴェリス王国国王カグヤ・ハルベルトの名において、ユキト・クレイ。そなたに伯爵の爵位を授けると共に、ヴェリス西方にある王室直轄領の一部を領土として与え、クレイ伯爵領とすることを許す」
「……有り難く拝命いたします」
カグヤ様の言葉にどよめきはない。
俺以外の者たちは知らされていたか、知らされていなくとも当然だと思っているかのどちらかだろう。
前者は大臣や評議員で、後者はノックスの部隊長たち。
しかし、これは非常に重大な決定だったろう。
俺は身元不確かな平民だ。正確に言えば、この世界の人間ですらない。
その俺を貴族に、しかも伯爵に任ずるということは、前例が出来てしまうということだ。
カグヤ様は平民贔屓というわけではないが、平民を積極的に登用するため、そう思われている。
そのカグヤ様が平民を貴族にしたとあれば、既存の貴族たちは気が気でないだろう
そう思っていると、カグヤ様がアンナから二枚目の紙を受け取った。
どうやら、褒美はまだあるらしい。
「ヴェリス王国国王カグヤ・ハルベルトの名において、ユキト・クレイ伯爵に将軍の位を与える。一月の休暇の後、ノックスにいる5000の兵に加えて、新たに5000の兵を与えて、1万の軍を指揮せよ」
「有り難く拝命いたします」
「そなたの功績を考えれば、もっと早くに将軍の地位は与えるべきだったのだが、ゴタゴタのせいで伸びてしまったな。そなたはヴェリス、いや、大陸でも屈指の将だ。ヴェリス王国の武威の象徴として、期待している」
「陛下のご期待に添えるよう、全力を尽くします」
「家臣団の編成やそなたの城の選定などは王室の者にやらせよう。ノックスも一時解散として、5つの部隊はそれぞれが独立部隊として、私の直轄として動いてもらう。もちろん、そなたの部下たちにもそれなりの休暇を与えるゆえ、安心しろ」
表情に出したつもりはなかったけれど、カグヤには見抜かれたらしい。
疲れているのは俺だけではない。
ノックスもずっと皇国の地で戦い続け、ヴェリスに戻っても俺の救出任務に当たってくれた。
部隊長たちはもちろん、他の兵士たちも疲労は溜まっている。
十分な休息が彼らに与えられるなら、他に言うべきことはない。
「他に望みがあるならば聞くが?」
「いえ……欲しかったものは既に手に入れています」
「? そなたはなにを手に入れたのだ?」
「……友人や部下、大切な人たちの命を守ることができました。そして居場所であるこの国も……陛下」
「なんだ?」
「今更ではありますが、ご無事でなによりでした。非才の身ではありますが、これからも全身全霊を賭けて仕えさせていただきます」
「……そうか……私もそなたが戻ってきてくれて嬉しい。頼りにしている。これからもよろしく頼む」
そう言うと、カグヤ様は立ち上がり解散を宣言した。




