第四章 竜殺し5
掲げていた手を振り下ろすと、アスカロンがゆっくりとグワイガンへと向かって動き始めた。
その動きは徐々にスピードを上げていく。
飛翔の準備に入っていたグワイガンは避けられないと悟ったのか、迎撃の構えを見せた。
『小癪な人間風情が! 小さき者どもが! どれだけ束になろうと我を退けることなどできはしない!』
「退けるつもりなんて毛頭ない……。これから先、お前が出すだろう犠牲を止めるために……ここで斃されろ!」
グワイガンはアスカロンを炎のブレスで受け止めるつもりのようだ。
魔法名がオブトゥートゥスからコンセンススに変わったせいか、過去視のときのような予測は表示されない。
けれど、一瞬だけ炎のブレスを吐くグワイガンのビジョンが見えた。
過去からの予測ビジョンといったところだろう。
「それじゃ防げはしない……!」
グワイガンの体内に今までとは比較にならないほどの魔力がたまり始めた。
それだけの魔力を未だに持っていたということは、俺たち人間に本気を出すまでもないと思っていたということだろう。
だが、アスカロンには流石に脅威を感じたんだろう。
「人間を舐めすぎたな。グワイガン」
『我は負けん! 必ず殺してやるぞ! 竜人族の魔法使い!』
「この状況を作ったのは“人間”の魔法使いであり、そのほか大勢の人間たちだ。恨むならそっちにしてもらうか」
レルファは薄ら笑いを浮かべて、アスカロンを迎え撃つ準備をしているグワイガンにそう言い放った。
グワイガンの目がレルファを睨むが、すぐにその目は金色の光を放って迫り来るアスカロンへと向けられた。
『人間が、古来種が、調子に乗るな!!』
グワイガンはそう叫びながら赤いブレスを吐き出した。
その大きさと威力は先ほどまでとは段違いだった。
しかし、そのブレスを持ってしてもアスカロンを押し返すことはできない。
ブレスとアスカロンは一瞬だけせめぎあったが、すぐにアスカロンがブレスを切り裂いて進み始めた。
それを見て、グワイガンが咆哮を上げた。
その咆哮の威力も今までとは段違いだった。
心臓が締め付けられる。心の弱い者、弱っている者には耐えられない咆哮だ。
現に城壁で幼量と戦っていた多くの兵たちが倒れていく。
これまでの戦いで大分、数を減らしたとはいえ、幼竜はまだ残っている。
それは致命的な隙だった。
俺の傍には魔力を使い果たして動けないソフィアたちしかいない。
俺が死んでもアスカロンはグワイガンを貫くだろう。
だけど、敵を倒したとしても死んでしまっては意味はない。
特にソフィアたちは立場的にも、感情的にも死なすわけにはいかない。
だから。
「ミカーナ、エリカ、ロイ……任せた」
傍まで着ていた黒いコートの部下たちに俺はそう頼んだ。
返事の代わりに俺に向かって来ていた幼竜が炎に包まれた。
「あなたに魔力を渡さなくて正解だったわね。やっぱり少しくらい動ける人間が残っていないと、こういう不測の事態には対応できないもの」
「とか言ってるけど、疲れるの嫌だ、とかさっき言ってたぜ」
「2人とも集中してください。また来ますよ!」
幼竜の数はまだ10体以上いる。
この3人だけで止めるのは難しいだろう。
けれど、3人はいつも通りの調子でいる。
それが今はとても頼もしく見えた。
「3人はユキトたちに近づく竜へ対処するんだ。あとは僕がやる」
「ディオ様……」
「城壁の上でまともに動けるのは僕たちくらいみたいだね。あとは皆、あの剣に魔力を渡して動けないか、今の咆哮で動けないか、または倒れた者の介護をしているかだね」
「残っているのはヴェリスの人間だけですか。ヴェリスの人間の人格が疑われそうですね」
「用心深いのさ。失敗したら、僕は無理やりでも姉上と君をヴェリスに連れて帰る気だったしね」
「それは無駄な用心でしたね」
「そうなってくれて本当に嬉しいよ。さて、ちょっと働いてくるよ」
ディオ様は笑みを浮かべると、歩いて幼竜たちが集まっている場所へと向かっていく。
これで幼竜への対処は完璧だ。
あとは本体を叩くだけ。
俺の視界の向こうで、グワイガンが2発目のブレスを放っていた。
けれどアスカロンは止まらない。
2発目のブレスは最初のブレスより溜めが短かったせいか、アスカロンの動きを止めることすら叶わない。
ついにアスカロンがブレスを完全に切り裂き、グワイガンの体の中心部、血のように赤い球体へと迫る。
『まだだ!! 終わりはせん! 我は竜だ! 人間などに!』
グワイガンは2本の腕でアスカロンを受け止めに掛かるが、その腕はアスカロンに触れた瞬間に傷だらけになる。
「その剣は竜殺しの願いを込めて生成された魔力の剣だ……。どれだけ強力な竜でも触れることすらできないドラゴンスレイヤーなんだよ」
俺がそう言った瞬間、アスカロンがグワイガンの赤い球体を貫いた。
同時にグワイガンが天に向かって吼えた。
それがグワイガンの断末魔だった。
微かに宙に浮いていたグワイガンの体は地面へと落下し、そのまま地響きを上げながら崩れ落ちていく。
その様子を見届けて、俺はようやく深く息を吐いた。
「終わった……」
「いや、まだだ」
俺が尻餅をついて、その場でしゃがみ込んでいると、レルファが厳しい顔でそう言った。
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「どういうことだ? レルファ」
俺がそう問いかける。
それに対してレルファはため息を吐く。
「グワイガンを巻き込むような大それたことを人間が思いつくと思うか?」
「……なるほど。黒幕がまだいるという話か」
「そういうことだ。グワイガンを含めた竜は、人にとって畏怖と恐怖の象徴だ。利用する対象とは普通は見れない。ただ、奴なら別だ」
レルファはそういいながらグワイガンの死体へと目を向けた。
見れば、グワイガンの死体の近くに黒い霧を身に纏ったような男が立っていた。
顔だちは霧に阻まれてわからないが、微かに見える口元は笑っていた。
「久しいな。“モルス”」
『そうだな。レルファ。いつぶりだ?』
頭に直接語りかけてくるような声が聞こえてきた。
その声を聞いて、エルフィンが怒りの表情を浮かべた。
「貴様が気安くレルファの名を呼ぶな」
『エルフィンか。そう怒るな。お前が育てた人と国は無事だったんだ。もっと喜んだらどうだ?』
「貴様が消え去れば、今すぐそうするつもりだ」
『では消えるとしよう。俺の目的はこいつの死体だからな』
モルスは足でグワイガンの死体を軽く蹴った。
「“やはり”竜の死体を得るために人間を利用したのか」
『そうだ。流石に竜を殺すのは難しいからな。ついでに人間の兵も欲しかったから、手頃な人間を使わせてもらった』
モルスは軽く笑うと宙に浮いて、城壁の上にいる俺たちと同じ高さまで浮かんでくる。
『お前がレルファの眷属だな。俺は精霊族のモルス。感謝するぞ。お前のおかげで色々と優秀な手駒が手に入った』
「何もかもお前が仕組んだのか……? ストラトスがヴェリスに入り込んだ時点から」
『まぁそうなるな。戦い疲れただろう? もう休んでくれて構わないぞ? なんなら俺が眠らせてやろうか?』
「ユキト! そいつから離れろ!」
モルスの手が俺へと伸びたのを見て、ディオ様がそう声をかけてきた。
俺の頭にこの先のビジョンが見えた。
それはディオ様がモルスが放つ何かに貫かれる光景だった。
咄嗟に俺は走ってモルスに向かおうとするディオ様にしがみ付いた。
「ユキト!?」
「駄目です!」
勢い余ってディオ様と俺は転ぶが、それが幸いした。
俺達の頭上を黒い球体が通り過ぎていく。
あのままだったら、2人ともあれに貫かれていただろう。
『勘がいいのか、それとも魔法の効力か? まぁいい。目的は済んだしな』
「モルス。貴様はいつも高慢だ。自分の成功を疑わない」
『絶対に成功するように行動しているからな。当然だろう?』
「そうか? グワイガンの死体を見てみろ」
レルファは怜悧な笑みを浮かべながらモルスにそう言った。
モルスはグワイガンの死体に視線を移し、舌打ちをした。
グワイガンの死体が地面に飲み込まれ始めていたからだ。
いや、地面ではない。
レルファが繋げた別の場所に移されようとしているのだろう。
「やはりと言っただろう? 貴様のやり様はよく理解しているからな。しっかりとこのために用意もしていた」
「魔力が無いっていうのは嘘だったわけか?」
「敵を騙すにはまずは味方から。お前もたまにやるだろう? ユキト・クレイ」
レルファにそういわれて、俺は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるしかなかった。
『やってくれる……! 流石は竜人族の王といったところか』
「さて、モルス。もうお前の望むモノは手に入らないぞ? どうする? グワイガンの代わりにグワイガンを倒した人間たちを手駒にするというのなら、私が相手になるぞ?」
『……お前とやるにはまだ早い。今回は諦めるとしようか。だが……次はお前をしっかりと計算に入れて動く。上手くいくのは今回だけだ』
そう言ってモルスは一瞬でその場から消え去った。
その様子を見て、エルフィンとレルファが深く息を吐いた。
それを見て、俺はようやく理解した。
やっと全てが終わったのだと。




