第四章 竜殺し3
漆黒の本の最後のページが終わった。
どれほど時間が経ったのかわからない。
俺自身の体感時間は一日以上だった。
いつになっても終わらない情報の波に飲み込まれて、思考が停止し掛けたときにようやく漆黒の本からもたらされる情報は終わりを迎えた。
「ユキト!? ユキト!?」
ソフィアに肩をゆすられて、ようやく本から目を離すことができた。
周りを見れば、本を受け取ったときと変わりはない。
「……どれくらい経った……?」
「時間ですか? 数分程度です。どうしたんですか? いきなり本から目を離さなくなるなんて……問いかけても答えてくれませんでしたし……」
不安げな表情をソフィアは浮かべていた。
そういった表情を浮かべているのはソフィアだけじゃない。
大なり小なり、俺の周りにいる人たちは皆、不安そうだった。
少しの申し訳なさを感じつつ、俺は小さく笑ったあとにレルファとエルフィンに視線を向けた。
「案外早かったな」
「レルファの魔法も便利だが、君の魔法も便利なものだな」
「簡単にいってくれる……馬鹿みたいに痛いんだぞ……?」
「お前の痛みなど私には関係ない。それで? 古来種の秘術を再現できそうか?」
レルファが俺の様子を気遣う素振りすらみせずに話を進めようとしてきた。
グワイガンは魔力を一気に放出したせいか、未だに動きを見せていない。といっても、いつ動くかわからないから、そこまでゆっくりしている時間がないというのもわかる。
けれど、ちょっとは気遣ってもらわないと困る。
俺は人間なんだから。
「正直……微妙だ。古来種と呼ばれる五つの種族と人間じゃ、体の丈夫さも魔力の保有量も違いすぎる。古来種の秘術を人間が使うのは不可能に近い」
「そんなことは百も承知だ。それをお前の魔法でどうにかできないか? と聞いているんだ」
「魔術は秘術の劣化。人に扱えるように私が調整したものだ。だが、それでは奴を倒すのには威力が足りない。なにか思いつかないかい?」
俺の魔法は情報を読み取るものだ。
過去の情報を読み取り、未来を予測することはできるが、それは今、役に立つものじゃない。
二人は俺に何を期待しているんだ?
「魔法に不可能はない。身体に限界はあるがな。少し考えろ。俺たちは奴をその間、足止めする。あまり時間は稼げないぞ?」
レルファはそういうと、エルフィンと共に城壁の端まで歩いていく。
そんな二人をグワイガンが両目でにらみつけた。
『竜人族に妖精族か……やけに手ごわいと思えば、貴様らが手を貸していたのか』
「移動の手助けを少々な。そこまで貴様を追い詰めたのはここにいる人間たちの力だ」
『追い詰めた? 笑わせるな。その気になればいつでも人間など殲滅できる』
「ならばやってみろ。黒竜グワイガン。それをすれば、貴様を利用しようとした者と戦うことは難しくなるがな」
『その口ぶり……なにか知っているな? 我を叩き起こし、利用しようとした者は誰だ!?』
今まで喋ることをしなかったグワイガンが口を開き、レルファと会話をしている。
人間は会話をするに足る相手とは認めていないけれど、古来種は会話するに足ると認めているらしい。
「もちろん知っているが、それを教えてどうする? 返り討ちに遭うだけだぞ?」
『我に砕けぬモノはない! 故に、我に勝てる者もいない! 小さき者の物差しで、我をはかるな!!』
グワイガンの威圧を受けて、城壁の上にいた者たちが続々と倒れ始めた。
心が折れたんだろう。
普通の状態ならいざ知らず、グワイガンの攻撃を防ぎ、幼竜と戦ったあとだ。疲労は限界に近かったはず。
それに今、城壁の端にいるレルファとエルフィンが古来種ということを知っているのはごく小数だ。
城壁にいる多くの者たちから見れば、こちらの一斉攻撃は防がれ、いよいよグワイガンが本気を出そうとしているように見えるだろう。
心を平静に保つほうが難しい。
倒れていく者たちの気持ちはよくわかる。
「そうか。それなら教えてやらんこともないが、この場を退くというのが条件だ。人間を見逃せ」
『断る! 虫けら同然の分際で、我に力を使わせたのだ! 食らわねば気が済まぬ!』
「わがままな奴だ」
「ドラゴンだからな。交渉などするだけ無駄さ」
「まぁ、わかってはいたがな。ユキト・クレイ。奴はやる気だ。お前がなんとかしなければ、ここにいる者たちは死ぬぞ」
レルファはそれだけいうと、城壁の外へ歩き出した。
城壁の外というのは、当然、道などない。
十メートル以上の高さがあるから、普通なら落ちて怪我、または死ぬ。
けれど、流石は古来種というべきか、レルファはその予想を容易く裏切った。
「空を……」
「歩いた!?」
近くにいたミカーナとロイが驚きの声をあげた。
そんな芸当ができるのは、風の最高位の魔術師であるソフィアぐらいしか、俺は知らないんだが、古来種にとっては朝飯前なのかもしれない。
「人間の常識は通じないな……」
「ユキト。その本には古来種の術が書かれていたんですか?」
レルファの行動に目もくれず、ソフィアがそう聞いてきた。
いけない、いけない。今やるべきことはレルファやエルフィンを見ていることじゃない。
俺はこの本の中にあった秘術を、なんとか再現しなければいけないんだ。
「うん。ただ、俺の魔力が足りなすぎる。いや、人が持てる魔力じゃ無理だ」
「魔力が足りたとしても……そんな術を使えば、ユキトの体が持ちません……!」
「だろうね。そこらへんも考えないとだけど……」
「私たちに手伝えることはある? あんまり魔力は残ってないけど」
フィオの言葉はありがたい。けど、誰かが役に立つような状況でもない。
魔力が足りないならば、なにか魔術具を使って補充するということもできるが、そんなチンケな方法で補充できる魔力量じゃない。
ここにいる、ソフィアやカグヤ様、フィオのような最高レベルの魔術師たちの魔力を全てかき集めても足りるかどうか怪しい。
「ユキト! 考えてるところ悪いけど、なんだか嫌な予感しかしない! できれば急いでくれ!」
「そんなに都合よく策なんて思いつきませんよ!」
「駄目でもいいから何かしてくれ! なんでもいい! なにかあるだろう!? ほら、合体攻撃とか!」
「あるわけない……いや、あるな……」
グワイガンが氷を破り、ゴーレムを破壊したとき、俺はあることを思いついた。
ディオ様は合体攻撃といった。
それに似たモノが確かにある。
「連結魔術……あれなら足りない魔力も補えるし、負担も分散できる!」
「無理よ。連結魔術はそんな簡単じゃないわ。まず、知らない魔術は使えないし、個人個人で魔術には相性があるの。私なら炎、カグヤ様なら雷、ソフィア様なら風。ほかも使えないことはないけれど、基本的に魔術師は相性のいい魔術しか使わないの。難しいから」
エリカが眉間に皺を寄せて、俺の言葉を否定した。
確かにそれは本で読んだことがあるし、ソフィアやカグヤ様からも聞いたことがある。
そもそも連結魔術は、数人で一つの魔術を行使するものだ。
知らない魔術をみんなで成功させるのではなく、既存の魔術の威力や精度を高めるためのもの。
用途が違いすぎる。
そもそも、この漆黒の本に書かれていた古来種の秘術は俺しか知らない。
ほかの者が覚えようにも、本に書かれている言葉を読み解くことはできないだろう。
もしも読み解くことができたとしても、時間が掛かりすぎる。
エリカが難しいというんだ。魔術の習得は相当困難なものだろう。
俺のように頭の中に直接情報を流し込まれたならまだしも、本を読んで理解し、実践するとなれば、どれほどの時間がかかるかわかったもんじゃない。
「駄目か……!」
「駄目とは限らないぞ? 魔法は何でもできる。なぁ? エルフィン」
「私に聞くな。私は秘術使いであって、魔法使いではない」
グワイガンが新たに生み出した幼竜たちを、生まれた傍からどこかへと飛ばしていたレルファが、城壁付近へと戻ってきて、そういった。
そんなレルファを狙って、グワイガンが放ったブレスを、いとも容易く不可視の壁で受け止めながら、エルフィンはそうレルファに返した。
どちらとも随分と余裕がある。倒すのではなく、足止めに徹すれば、二人なら相当持ちこたえられそうだな。
といっても、二人にだって限界がある。グワイガンもその気になれば、いつでも殲滅できると言い切っていたし、まだまだ本気ではない可能性もある。
「どうすればいい!?」
「自分で考えろ。ただ、助言するなら……ユキト・クレイ。お前の魔法はどんな魔法だ?」
「どんな魔法? 情報を読み取る魔法だ」
「少し違うな。魔法の本質は望み。お前の望みを叶える手段の一つが、情報を読み取るというものなだけだ。まずは望み、そして行動しろ。あとは世界が叶えてくれる」
最後のほうは大分いい加減だな。
しかし、俺の魔法の本質か。
俺の魔法は、他者の心がわかるようになりたいという願いが元となっている。
そのため、他者のステータスや過去がみえる目として発現している。
レルファの言葉を察するに、これ以外の能力や応用法もあるということか。
今必要なのは、俺が他人を理解するのではなく、他人に俺を理解してもらうことだ。
もっといえば、俺がみた本の内容を理解してもらえさえできれば、連結魔術の応用で、古来種の秘術は再現できる。
問題はそれをどうやるか、ということだ。
願い、行動すれば世界が叶えてくれると、レルファはいうが、そんなに簡単なことじゃないはずだ。
「ちくしょう……なんかないのか……?」
「ユキト? どうしたんですか……?」
一人で考え込む俺を心配してか、ソフィアが俺の顔を覗き込んできた。
いつもなら大丈夫と笑うところだけど、今はそれどころじゃない。
ここで俺がなにもできなければ多くの命が失われる。
その中にはソフィアも入ってしまうだろう。
今、城壁にはカグヤ様やフィオ、リアーシア、アーノルドといったヴェリスや皇国の有力者がいる。
この人たちは最悪、アルビオンを見捨てても構わない。守るべきはアルビオンではなく、自国だからだ。
他国の防衛で指導者が死ぬなど、あってはならないのだ。
けれど、ソフィアは違う。ソフィアはアルビオンの人間であり、性格的にアルビオンに住む人々を見捨てることはできないだろう。
たとえ、周りが逃げろといおうと、アルビオンがグワイガンのブレスの火に包まれようと、この場に居続けるのは容易に想像できる。
内乱のときとは違うのだ。
ソフィアは絶対に逃げることに頷かない。
だから、ソフィアを守るためにはグワイガンを倒すか、退けるかするしかない。
そのために必要なことはわかってる。
他者を理解するという能力をもう一つ前進させることだ。
片方が理解しただけでは、理解し合う共感とはいえない。
双方が互いを理解し合い、はじめて共感といえる。
俺の魔法は、俺自身が他者を覗き見て、理解しているだけだ。
けれど、俺が望んでいるのはそんな孤独な能力じゃない。
あの死の瞬間。
どうして、俺は他者を理解できるようになりたいと願ったのか。
それは親友を凶行に走らせてしまった自分が嫌だったというのもあるが、悲しかったからだ。
理解したつもりになっていた。分かり合えたつもりになっていた。
その“つもり”が悲しかった。
誰よりも仲が良いと思っていた友とですら、真に理解し合うことができない自分が嫌だった。
だから願った。
次は他者を理解できるようになりたいと。
その最終形は、やっぱり他者と理解し合うことだ。
「共感……ソフィア。人に共感するときってどんなとき?」
「共感……ですか? その……私に聞くのは……」
間違っている気がします。
そうソフィアがいった。
それに対して、俺は納得してしまった。
失礼だけど、ソフィアは他者と共感した経験はおそらくほとんどない。
立場的な問題で、幼い頃から他者と関わることも少なかったのだから、仕方ないことだけれど。
「ごめん。じゃあ、カグヤ様」
「じゃあとはなんだ、じゃあとは。私はソフィアの代わりではないのだぞ?」
不機嫌そうな様子を隠そうともせずに、カウヤ様がそういった。
ああ、もう、この忙しいときに。
緊張感のない人だな。
「わかりました。すみません。フィオ。人と共感するときってどんなとき?」
「共感か……うーん」
「待て! どうしてフィオナに振るのだ!?」
顎に人差し指を当てて考えるフィオを指差しながら、カグヤが怒鳴った。
どうしてっていわれても、ソフィアもカグヤ様も無理なら、自然とフィオしかいなくなるからなんだけど。
「私が答えるから、フィオナ。そなたは黙っていていいぞ?」
「ソフィア様の代わりは嫌なんじゃなかったですか? 私は全然構わないですけど」
「気が変わったのだ! 気が!」
「わがままだなぁ。まぁいいけど。私はもうある程度答えを考えつきましたから。カグヤ様も早く考えてください」
「なに!? ちょ、ちょっと待て!」
「時間がありませんよ。あと十秒……七、六……三、二、一。はい、ゼロです」
「は、早すぎるぞ! 少し考えさせろ!」
「時間がないですから。で、ユキちゃん。私の答えだけど、共通の経験だと思うよ。同じ経験が、他者と自分を繋げるの。ま、同じ感想を抱いてないと意味ないけどね」
同じ経験。
それがあれば他者と自分が共感できる。
同じ感想を抱いていないと意味はない。
フィオの言葉を聞いて、俺はある試みを思いついた。
とても簡単なようで、とても難しいこと。
あれこれと悩んだが、今、思いついたことを実行できれば全てが上手くいく。
それは共有。
俺自身、なぜ理解できたのかわかっていない古来種の秘術は、たぶん三人に伝えることはできない。
ならば、俺の情報を読み解く力を共有すればいい。
それえさえできれば、行いたい秘術の知識をそれぞれ理解してもらうことで事足りる。
多少回りくどいが、感覚でしか理解できない情報である以上、これが一番ベターな気がする。
まずは望んでみろ、とレルファはいった。
願望は行動への第一歩だ。
。
「ふぅ、三人に少し相談があるんですけど」
とりあえず、三人への説明からやってみよう。




