第三章 覚醒6
「連結魔術・太陽の楯」
迫る炎と俺たちとの間に立ちはだかった長身の男が、低い声でそう呟いた。
男の目の前に巨大な円形の盾が出現し、グワイガンが吐き出した炎のブレスを受け止めた。
【太陽の楯。四賢君ケンシン・シバが開発したアルビオンで最も硬い連結防御魔術】
アルビオンの街に入った魔獣を駆逐するために、街中を駆けずり回っていた男がようやくやってきた。
「遅れて申し訳ありません。ソフィア様。お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。私の方こそ、混乱時にアルビオンに居られずに申し訳ありませんでした」
ソフィアがケンシンに頭を下げた。
ケンシンは精悍な顔を僅かに緩ませ、軽く頷くと、すぐにグワイガンへと視線を移した。
「どうにかあの黒竜をアルビオンから引き離さねばなりません。倒せれば文句はありませんが、さすがに厳しいでしょう」
「そうですね。矢や威力の弱い魔術では、あの鱗に弾かれてしまいます。連結魔術以外は決め手に欠けます」
ソフィアとケンシンがそう話をしながら、グワイガンを鋭い目つきで見据えた。
グワイガンは炎のブレスの連射の反動なのか、それともこちらの出方を窺っているのか、こちらを見たまま動かない。
時間をくれるというなら、好都合だ。
その分、こちらは戦力を整えられる。
「ユキトの兄ちゃん!」
アルビオンに潜入してきたノックスの本隊が、アルビオンの城壁近くまで寄ってきた。
その先頭にいたロイが、大声で手を振ってくる。
「ロイは相変わらずだね」
「はい。どこでもうるさくてたまりません」
ミカーナの辛辣な言葉に苦笑していると、アルビオンの魔術師たちが続々とやってきた。
そしてその中にはザックの姿もあった。
「ザック! 無事だったか!?」
「はい。おかげさまで、何とか五体満足です」
ザックは軽く笑みを浮かべてそういったが、体中、至る所に擦り傷がある。
五体満足であっても、無傷というほどではない。
まぁ、ドラゴンが巻き起こした突風に巻き込まれたんだから、当然といえば当然か。
「アルビオンの街に入り込んだ魔獣は殆ど倒しました。正門ももうじき閉まるでしょう」
「そうなると、あいつをどうにかすれば終了か」
グワイガンに視線を移し、俺は肩を竦めた。
黒い禍々しい鱗で覆われたグワイガンは、言い知れぬ威圧感を放っていた。
「聞くだけ無駄な気がしますけど……どうにかできますか?」
「今の戦力じゃ厳しいな。ノックスがそもそも、打撃力不足で決め手にならないからな。陽動や誘導には使えても、どうしても攻撃の要はアルビオンの魔術師たちになる」
「そのアルビオンの魔術師たちも、数こそそれなりにいるが、質という点では前線にいる者たちとではかなりの開きがある者が多数じゃ」
土の魔術で造り上げたゴーレムに乗って、ランドールが城壁に姿を現した。
片足を失ったというのに、随分と元気そうだ。
ザックがそんなランドールに恭しく頭を下げて、一歩退いた。
俺とランドールの話に入る気はないんだろう。
「策はありますか?」
「既に各方面軍には風の魔術師たちが総出で援軍要請を送っておる。数日もあれば、アルビオン軍の主力がここに到着するじゃろうから、それまで耐えるように死力を尽くすといったところかのぉ」
「数日もあればほぼ全滅ですね。賭けてもいいですよ」
「じゃろうな。しかし、死力を尽くしての篭城戦ならば、僅かでも生き残りが出る“可能性”がある。じゃが、打って出れば、その可能性すらなくなる。“儂”には他に選択肢がないように思えるがのぉ?」
儂にはという言葉を強調して、ランドールは俺を見た。
その目が問いかけてくる。
他に策があるならば、早く言え、と。
しかし、俺もランドールと同様に、守備に徹する以外に手はないと考えていた。
ただし、数日も待つつもりはなかったが。
「篭城戦にするかはわかりませんが、とりあえず、守勢に回るしかないというのは、今の状況です。選択の余地はありません」
「とりあえず、ということは、どこかで攻めに転ずるということかのぉ?」
「ええ。一応、援軍に来ると約束してくれた者がいます。いつ来るかは知りませんけど、頼りにしてもかまわないかと」
「嘆かわしいのぉ。アルビオンの命運は、名前も知らない援軍次第というわけか」
言葉とは裏腹に、ランドールは嘆く素振りは一切、見せなかった。
希望があるだけマシだというのを、しっかり理解しているんだろう。
そもそも黒竜グワイガンは、アルビオンが全軍を挙げても勝てるかわからない相手だ。
各方面軍が到着しても、先ほどのブレスを防ぐ手段を持っていなければ、半数は削られてしまうだろう。
今、求められているのは量より質。
竜にダメージを与えられるほど、強力な魔術を使うことができる魔術師が必要になってくる。
大軍による連結魔術は強力であり、竜にダメージを与えることができるだろうが、その隙を与えてくれるほど、グワイガンは愚かではないだろう。
「ミカーナ。ロイたちに正門からアルビオン内に入るように伝えて。ランドール卿。防備を固めましょう。今できることは、それくらいしかありません」
「了解した。まぁ、そういうのはケンシンの仕事じゃがな」
「了解しました」
ミカーナの了解の声に頷きつつ、俺は城壁の上にいる魔術師たちを見渡した。
守勢以外に選択肢はないが、そもそも竜と人では地力が違いすぎる。
竜の他愛無い小手調べを防ぐのに、ここにいる何人が魔力を使い果たすだろうか。
長期戦は明らかに不利。というよりは戦うこと自体、やめたほうがいいだろうことは、子供でもわかる。
だが、相手は交渉など通じない竜だ。しかも馬鹿な人間のせいで、プライドを傷つけられて、怒り気味のはず。
向こうは退かず、こちらも無抵抗にやられるわけにはいかない。
そうなると、戦う以外に道はない。
一応の頼みの綱はエルフィンとレルファという古来種たち。
レルファは言質を取ってあるし、エルフィンもレルファが参入するならば、静観を決め込むわけにはいかないだろう。
それにアルビオンはエルフィンの弟子たちが作った都市だ。
エルフィンはそんなアルビオンを何百年も見守り続けてきた。この危機を見過ごすとは思えない。
「ま、やれるだけやるか」
そう呟き、肩を軽く回しながら、俺は黒竜をにらみつけた。
■■■
竜の咆哮。竜の羽ばたき。
竜は動くだけで人に損害を与えることのできる理不尽な存在だ。
咆哮は、覚悟を決めた戦士の心すら容易に打ち砕き、羽ばたきは鎧をつけた人間を紙のように吹き飛ばす。
炎のブレスが防がれるとわかったせいか、グワイガンは炎のブレスに頼らない攻撃をこちらに仕掛けてきた。
「向こうもできれば無駄撃ちは避けたいってことか……」
羽ばたきによって生じた突風をザックの防御魔術で乗り切ったあとに、俺はそう呟いた。
「最大級の連結魔術並の威力を連発されたら、こちらは堪ったもんじゃありませんよ」
「そうだね。防げるのは二人しかいないって時点で、詰みのようなものだよ」
城壁の中央。
多くの魔術師たちによって、守られているソフィアの姿を俺は窺った。
今はグワイガンの飛翔を止めるために、風の魔術に集中している。
城壁とグワイガンとの距離は相当開いている。
グワイガンにはさして問題にはならない距離なのだろうが、こちらはそうもいかない。
動きを阻害するにも、攻撃するにも、ソフィア頼りになってしまっているのが現状だ。
まぁ、攻勢に出たのは最初の一度だけで、それからはずっと防御に専念しているが。
「師匠や兄弟子たちも流石に疲労が溜まり始めているでしょう」
ザックの視線の先にいるケンシンは、表情こそ表に出さないが、少なくない汗を流している。
突風、衝撃波、咆哮。
グワイガンが巻き起こす被害を最小限に抑えるために、先ほどからケンシンとその弟子たちは防御魔術を何度も使っている。
要であるソフィアとケンシンに疲労がたまり始めていた。
このままじゃ、あの炎のブレスを防ぐ前に二人が力尽きてしまう。
「まいったなぁ……」
呟き、グワイガンを集中してみる。
俺の目はかすかに黄金色に変わっただろう。
魔法に目覚めたばかりだったせいか、全開で発動しっ放しだったが、ようやく適度にオンオフを切り替えられるようになってきた。
しかし、それは朗報には一切ならない。
「何も見えないか……」
俺の魔法の目でもグワイガンの過去を覗けない。
竜が持つ特有の性質なのか、それともグワイガンだけのものなのか。
強力な魔力が体に纏わりついているせいで、過去視が正常に作動しないのだ。
「魔力を発しているのは腹部の水晶みたいな場所ってのはわかるけど、それだけじゃどうにもならないな……」
「あそこは見るからに弱点のような気がするんですが、どうでしょうか?」
「まぁ、硬い鱗に覆われた場所よりは間違いなく攻撃しやすいだろうね。それに、あの巨体を動かすのなら、大量の魔力が必要なはず。
あの水晶のような場所には膨大な魔力が溜め込んである。貯水庫兼制御器官といったところじゃないかな」
「ソフィア様の風の魔術でも傷ひとつつけられませんでしたけどね」
ザックが肩を落として呟いた。
最初の攻撃のとき、俺はソフィアにあの水晶を狙うように指示した。
ソフィアが作った巨大なカマイタチは、水晶に近づくと一瞬で霧散してしまった。
「強力な防御魔術といったところですかね」
「いや、そうじゃない。カマイタチは霧散したけれど、風の流れは止まらなかった」
「どういう意味ですか?」
「カマイタチを形作る魔力を吸収でもしたんじゃないかと思ってる。それなら、既に勢いづいていた風の流れが止まらなかったのにも、一応は説明がつく。
根拠はないけれどね」
「魔術師には聞き捨てならない言葉ですね。つまり、遠距離からの魔術による攻撃は意味がないということじゃないですか」
「とりあえず、水晶部分への攻撃は無効化されるのはほぼ間違いないな。ただ、ソフィアが作り出した強風で動きを制限されているのを見れば、効果は水晶近辺だけだろうな。
魔力さえ打ち消せば、ただの突風だ。竜にとっては障害にはならない。さっきからそれをしないのは、できないからだろう」
さきほどからグワイガンは再三にわたって、上空へと向かおうとしていた。
おそらく上空からの降下か、炎のブレスによる一網打尽を狙っているんだろう。
消耗するとわかっていて、ソフィアに動きを阻害させ続けているのは、それをされると非常に拙いからだ。
水平方向からの炎のブレスなら、防ぎやすいが、目視の利かない上空からの炎のブレスは防ぎ難い。
少なくない犠牲を出してしまうだろう。
それに上空への進出を許してしまえば、攻撃の自由を向こうに与えてしまう。
向こうは好きなときに空から強襲でき、こちらはずっと警戒しなければならない。
しかも、グワイガンがこの城壁に攻撃を仕掛けるとは限らない。
ここに戦力を集中している分、ほかの場所には最低限の人員しかいないのだ。
「このままじゃ数日どころか、一日で全滅させられるな」
「不吉なことをいわないでくださいよ……。大陸に名を馳せる軍師なら、一発逆転の妙案を考えてください」
「今の戦力じゃ戦う前から負けは決まってる。勝敗が決しているなら、どんな軍師、将軍だろうと何もできないよ」
「情けないこといわないでください……」
「まぁ、焦っても仕方ないさ。今できるのは現状維持さ。今より悪くしない程度なら、みんなで頑張ればどうにかできる」
そう俺が呟いたとき、グワイガンの腹部にある水晶が明滅し始めた。
悪い兆候だろうな、と、魔法の目で見るまでもなくわかった。
そして、明滅が終わったときには、グワイガンの周りには百を超える小さな生物がいた。
フィオが行う召喚と似たようなものだろう。
小さな生物は人の子供くらいの大きさだが、その形は正しく竜だった。
「小さなグワイガンってところか……。流石にあれは拙いな。ザック! 城壁の下にいるノックスの隊員たちを呼んで来い!
ようやく魔術師以外にも出番が回ってきたぞってな!」
グワイガンは眷属ともいうべき、あの小さな竜を使って、邪魔なソフィアやケンシンを排除しようと目論んでいるんだろう。
だけど、そうはいかない。
「ミカーナ! ソフィアを守れ!」
「ですが、そうするとユキト様の護衛がいなくなってしまいます」
「すぐにロイたちが来るさ。頼む」
「了解しました。自分に過信せず、前には絶対に出ないでください」
「そうするよ」
一斉に翼を広げて、こちらに向かってきた幼竜たちから視線を外さずに、俺は肩を竦めてミカーナに答えた。




