第二章 茶番4
晩餐会当日。
豪奢な衣服に身を包んだアル様や、赤を基調としたドレスを着たアイリーン、そして。
「いつも通りの格好の俺という組み合わせか」
「鎧が許可されてるから、確かにダメではないでしょうが……」
ザックが微妙そうな表情で、俺とアル様やアイリーンを見比べる。
コートは上質な素材で作られているが、ずっと使い続けてきた物だ。大事に使ってきたつもりだが、戦場に出てたため、結構痛んでいる。
一応は招待されている以上、ちゃんとした格好をするべきなのは間違いない。
だからしっかりした服装でいくつもりだった。
けれど、非常に残念ながら、しっかりとした服装は俺には似合わなかった。
着せ替え人形の気分を味わい、更には居た堪れない表情をアイリーンに向けられたときに決めた。
普段の格好でいく、と。
「ヴェリスの軍師を殊更に強調するような服装で向かえば、いらない反感を買いますよ?」
「大して変わらないよ。着ていようがいまいが、恨まれてるんだから」
晩餐会自体が罠の可能性もある以上、普段とは違う動きにくい格好でいくほうがリスクは高い。
そこらへんはアル様やアイリーンも承知の上のようだけど、あんまり警戒するような格好でいくのは好ましくないと判断したらしく、二人は着替えている。
「自分も一応、護衛としていきますが、会場には入れません。何か起これば、すぐに会場から抜け出してください」
「アイリーンがいるし、他にも何人かが会場に入る。会場から脱出するだけならどうとでもなるさ」
俺の言葉を聞いて、ザックは少し神妙な顔つきになり、周りを窺う。
そして俺の近くに近寄り、俺にだけ聞こえる声で忠告してきた。
「あまり信用しないほうがいいかと。この派閥は何か不自然です」
それだけいうと、ザックはすぐに離れて頭を下げた。
確かにこの派閥は不自然だ。
ストラトスの情報をよく知っているからだ。なぜ、相対するだけで相手の思考を誘導できる力を持つストラトスの情報を、かなり詳細に持っているのか。
そもそも、城の外にいたアル様はどうやってストラトスのことを知ったのか。アル様の周りにはアル様を擁立したような人物は見られない。つまりは組織を作ったのはアル様だろう。
いくらストラトスでも、公王の息子に情報が渡るような危険なことはしないだろう。もしするなら、絶対に大丈夫という保証がある場合だ。
だから、俺は今日の晩餐会で最も警戒しているのは味方だ。いつ敵に変わるかわかりはしない。
だが、なぜそのことをザックが忠告するのか。
気付いていたことはそこまで意外じゃない。ザックは派閥内では新参者だ。そして仕える主と呼べる相手はアル様でもアイリーンでもない。だから、一歩引いて派閥をみていた可能性がある。違和感や不自然さに気付いたとしてもおかしくはない。
けれど、このタイミングで俺に忠告するような人間じゃないはずだ。これから敵地にいく人間に憶測で話をして、いらぬ不安を与えるのは好ましいことじゃない。
だから多分、憶測じゃないんだろう。何か考えがあるのか、それとも確信があるのか。
どうであれ、ザックのあの様子は周りを信用してない。それは俺に通じるところがある。
ザックを信じ、周りを疑うのがいいのか。それともザックを信じずに、周りを信じるべきか。
正直、どちらも疑わしい。
けれど、ここは敵地で、今から乗り込むの敵の本拠地だ。
一人では何もできはしない。頼りのクラルスはフィオに預けたし、ミカーナたち部隊長が傍にいるわけでもない。
間違いないのは一悶着はあるということくらいだろう。無事に晩餐会が終わるわけがない。
言葉の応酬なら問題はないが、力と力のぶつかり合いは専門外だ。そうなれば誰かに助けを求めるしかない。
「ザック。一つだけ言っておかなきゃいけない」
「なんでしょうか?」
「俺は君“も”信用してない。悪く思わないでね」
信用はできない。けれど、もしも味方だった場合は困る。
だからザックには、俺に信用されてないことを前提に動いてもらう必要がある。
もしも味方なら、信用されていなくてもどうにかしようとするだろう。
過信とか思いこみではなく、俺には利用価値があるからだ。
「……わかりました。ですが、警戒は怠らないでください。今日、何かが起こるのは間違いありません」
「用心はするよ」
それだけいうと、俺はザックに背中を向けた。
やはりザックは何か知っている。それが何かまではわからないし、本人もここじゃ喋れないようだけど、何かが起きることは確定だろう。まぁ九割の確率が十割になっただけだけど。
「そろそろ行くの?」
近づいてきたアイリーンにそう声を掛ける。
スリットの入った赤いドレスはとても大胆で、健康的な足に普段なら目が奪われそうだけど、今はそういう状況じゃないから、ちょっと視線をやっただけですぐにアイリーンの目を見た。
クラルスがない以上、操られているかどうかを見極めるのは難しい。ただ、操られる瞬間は目の焦点が少しずれる。それを見逃さないためにも、目を見ることは怠れない。
「ええ。別々の馬車でいく予定だけど、構わないかしら?」
「一網打尽は避けるってわけか」
「もっといえばあんたは囮よ。あんたに集中してる間に、私たちは逃げるつもりだから」
つもりだからといわれても、俺に出来ることなんて何もない。
強いてあるとすれば、襲撃が無いことを祈りことくらいだ。
ため息を吐き、視線を下に向けたとき、頭上から声が降ってきた。
『アイリーン。私はまた待機か?』
「そうね。城には連れてけないわ」
アイリーンが上を見ながら答える。
上をみれば、真っ白な巨鳥がいた。
アイリーンの相棒であるクロウだ。
アイリーンが小さい頃に拾った、高い知性を持つ魔獣の一種だそうだ。例え幼いころから育てたとしても、人に懐くことはないが、クロウは例外らしい。
『気をつけろ。嫌な風を感じる』
「問題ないわ。しっかり注意するもの。クロウも呼んだら来るのよ?」
『それこそ問題ない。いつでも呼べ』
両者の会話には強い信頼関係を感じる。
兄や弟みたいな存在だとアイリーンはいっていたけど、それ以上に信頼しているのかもしれない。
そう思ったとき、遠くからミリアの声が聞こえてきた。
「アイリーン姉さまぁー!!」
勢いよく駆け寄ってきたミリアが、アイリーンに抱きつく。
館でお留守番のはずだけど、なぜにドレスを着ているのだろうか。
「ミリア。今日はここにいなさい」
「えー、晩餐会なんでしょう? ミリアもいきます!」
連れていけるわけないだろう。
今から行くのは敵の本拠地で、俺たちは帰ってこれるかも怪しい。
そんな場所に子供のミリアを連れていくだなんて。
有り得ない。
そう思って、馬車に向かおうとして。
「仕方ないわね……アル様がいいっていったらいいわよ……」
俺は足を止めた。
声の調子がなんだかおかしい。そして内容も。
確かにアル様が許可するわけがない。けれど、そんな冗談をアイリーンはいったりしない。
振り向き、アイリーンの目を見る。
俺の目に飛び込んできた緑色の瞳は、焦点を微かに失っていた。
よく観察しなければ分からないほどの異常だ。けれど、俺はその異常を知っていた。
ストラトスに操られていたときのカグヤ様にそっくりだ。
「わかった! アル様に聞いてきます!」
そういってミリアはアル様に笑顔で近寄る。
俺はしっかりとアル様の目を見続けた。
そして、ミリアの言葉にアル様が頷いたとき、俺はエルフィンがなぜ、俺に“ユーリ・ストラトス”の居場所を伝えないのかを悟った。
意味がないからだ。
「アイリーン。私はミリアを連れていっても構わないと思うが?」
「……アル様がそういうのであれば」
アル様をしっかりと見ていた俺は、微かに目を細め、すぐに小さく頷く。
見たいものは見えた。そして知りたいことも知れた。
このヒントは奴が意図的に出したものなのか、それとも気付かずに出してしまったものなのか。
そこらへんはまぁいいだろう。
アルビオンに入った時点で、奴の手の平の上で踊ることは覚悟の上だ。
「俺もかまわないと思います。子供を連れていけば敵の油断も誘えますし、もしかしたら思わぬ情報が拾えるかもしれません」
俺のその言葉を聞いて、アル様は満足気に笑った。
■■■
公都アルビオンの中心にある公王の居城。
その中にある、通常は他国の使者や有力な貴族が招かれる晩餐会用の会場の前で俺は深呼吸した。
別の馬車で城に入ったアイリーンたちはあとから会場に登場する。
一応、ゲストである俺は名前と役職を会場に入るときに大きく読み上げられる。
つまりは、多くの視線にさらされる。絶対に好意的ではない視線だ。
けれど、行かねばならない。例え罠でも、俺を城に来させるのが奴のシナリオである以上、それに乗らなければ話は進まず、奴の懐にはもぐりこめない。
「自分は外で待機しています」
「頼むよ。もしも……俺に何かあったなら、俺にかかわるな。何も知らない顔で逃げろ」
「考えておきます」
ザックの言葉に苦笑しつつ、俺は思考を切り替える。
これからはミス一つ許されない。
もしも、俺の予想どおりなら、今、奴は“満足”しているはずだ。
すぐにでも殺してやりたいと思っている俺を、いいように動かすことができているのだから。
奴は俺が手の平で動いていると思っている。だけど、それを見るのにも退屈を感じてきたのだろう。だから、完全に飽きる前に自分から事態を動かした。
つまり先手を取り、主導権を握っている“つもり”になっているだろう。
けど、先に動いたことで、奴は自分の最大のアドバンテージを失った。
そして、先に動いたところで動きが予想できれば対処は簡単だ。
先手必勝という言葉があるが、後の先という言葉もある。
先に動き、相手の防御を粉砕したり、相手のミスを誘発させたりするのも手だ。それで主導権を取ることもできるだろう。
だが、その行動が実は受けての手の平の上、つまり予想通りだとすれば。
そのとき主導権を握っているのは受けて、つまり後手だ。
そして動きを予想し、隙を突く。それが後の先だ。
アルビオンに来てから、俺は常に後手だった。あえてそうしていたわけじゃない。
ただ、後手に回る以外の選択肢がなかっただけだ。だから狙えるのは相手が動いた瞬間。
そういう意味では、先に動いた奴は俺の予想通りということになる。奴が決めにきた瞬間。それが唯一無二のチャンスになる。
けれど、そこにしかチャンスがないということは、そこを狙うことは読まれるということだ。リスクは大きい。
そして、相手の動きを予想しているということは、思い込みで行動することに近い。
クラルスは俺が持っている、っていう思い込みを利用しているから、思い込みの恐ろしさは知っている。そして、先ほどまで、俺はずっと思い込みをしていたことにも気付いた。
それを敢えて行おうと、俺はしている。予想、予測は外れれば対処に非常に手こずり、立て直すことができなくなる。
けれど、今の俺にはそれしかできない。
「……本当に何でも知ってればよかったんだけどなぁ……」
小さくつぶやく。
それと同時に、俺は鎧を着た騎士に呼び出される。
俺の入場が始まるんだろう。
奴には処刑場に向かう罪人にみえることだろう。
「ヴェリス王国軍、独立機動部隊ノックス総隊長! ユキト・クレイ殿の御成り!!」
扉が開かれ、魔術で幻想的に照らされた会場が視界に広がった。
開かれた扉から一直線のところに公王がいる。
そこまで、まず挨拶にいかねばならない。
沢山の視線に竦みそうになるが、軽く息を吸って、早足にならないように気をつけながら、公王の下へと歩いていく。
「ヴェリスの軍師……秘密裏に処刑されたのではなかったのか……」
「なぜ晩餐会に招待されているのだ!?」
「陛下が招待されたとか」
「アルビオンにとって、最も憎き者の一人ではないか!」
「何かお考えがあるんだろう。まずは見守ろうではないか」
聞こえてくる声には困惑と怒りが混じっている。
流石に驚くか。
俺は敵だ。それはアルビオン全体の共通見解だろう。
罵詈雑言を浴びせられることを覚悟していたけれど、困惑が勝っているようで、そういう言葉は周りからは出てこなかった。
おかげで、というべきか、スムーズに公王の近くまでたどり着けた。
公王の横。そこに黒いローブに身を包んだ少女がいた。
ステータス画面に出てきた名前はユーリ・ストラトス。王城で出会ったストラトスだ。
「陛下にごあいさつを。ヴェリスの軍師殿」
ステータス画面の魔力に変動はない。つまり、ストラトスは俺に対して操作魔術を仕掛けていないということだ。
どんな誘導や操作を強いられるかわからないが、もしも掛けられても、魔力の数値さえ見ておけば、操られていることには気づける。
まぁ気付けないよりマシ程度だが、今の俺にとっては重要だ。
片膝をつき、椅子に座っている白髪の老人に頭を垂れる。
この老人がアルビオン公国の公王。レイル・ウォーデンだ。
ストラトスに操られ、今は操り人形になりつつある哀れな王。
「お初にお目にかかります。公王陛下。ユキト・クレイと申します」
しかし、声には思ったよりも王としての風格があった。
「そなたの噂は何度も聞いておる。我がアルビオンの精鋭も歯が立たず、ピクスが直接戦うことを避けた傑物……聞いていたよりもずっと若いな。年はいくつだ?」
「十九でございます」
「十九か。若いな。ワシがそなたくらいの年の頃は、本を読み耽っていた。知識が最大の武器と思い、本を読んでいたのだ。実戦では何の役にも立たなかったがな。単身、敵国に来るその度胸と潔さを買って、ここに招待した。存分に楽しむがよい」
「光栄にございます。お言葉に甘え、存分に楽しませていただきます」
そういって俺は顔を上げる。
そのときにストラトスと目があったが、俺はすぐにストラトスから視線を逸らし、公王の目を見た。
操られている人間特有の、焦点の合っていない目じゃない。だからといって、操られていないわけじゃないだろう。
そうでなければ、ストラトスを横に置くなんてことはしない。
けれど、そこまで深くも操られていない。ソフィアが魔術で抵抗できたように、公王も抵抗できているのかもしれない。
そうであるならば、ストラトスが先に動いたのは、今の状態を打開したいからなのかもしれない。
その切っ掛けに俺を利用しようとしているとするなら、流石に甘い。
それを身を持って教えてやる。
そう決心して、俺は公王の傍から離れた。




