第二章 姉弟2
ハルパー城。ヴェリスでは三本の指に入る巨城で、ヴェリスのほぼ中央にあるため、全方位からの攻撃に備えられている堅城でもある。
それが今、俺が居る城だ。
ここに巨大な包囲網を敷いていた貴族の軍勢が続々と集まりつつある。俺のように少数で合流する者もいれば、千を超える軍勢の者もいる。包囲網が徐々に狭まりつつあるからこそできる集中作戦だろう。
そんなことを思いつつ、俺は扇をチラリと見た後、、一枚の紙を見る。扇に挟まっていたもので、ソフィアからだ。
丁寧な字で書かれた手紙の内容は、神扇と呼ばれるほど強力なこの扇の説明と、最後に自分の言葉がのせてあるだけだった。手紙と言うよりは説明書だが、ただ説明するだけでなく、思いを伝えるのが手紙だと言うなら、これは手紙だろう。
「私の代わりだと思って……か」
私の代わりだとお思いください。
最後に書かれていた言葉はそれだけだが、短い言葉でも伝わることもある。俺は扇を握り締め、ゆっくり力を抜く。
ここはすでに戦場だ。約束を果たすためにも強くなければいけない。強く見せ続けなければいけない。敵にも、味方にも。
小さくドアをノックする音が聞こえる。ここは簡易の待合室だ。城についた後、俺はすぐにここへ通された。
「殿下がすぐに来るようにと」
知らない顔の少年が、俺に頭を下げながらそう告げる。
出迎えの準備をしていたなら、幾ら何でも早すぎる。時計があるならば、既に針は次の日に移っている事を示すような時間だ。寝ているのかと思っていたが、そうではないらしい。
「ディオ様は今、何を?」
「軍議の最中でございます。参加してほしいとの事です」
「なるほど。すぐに行く。案内を頼んでも?」
「かしこまりました」
部屋を早歩きで出ると、少年がこちらですと言って、前を歩いてくる。この城は大きい。間違いなく案内無しじゃ目的地にたどり着けない自信がある。まぁいざとなったら地図を出せば良いだけだが、それはスキルの無駄遣いな気がする。頼りきっては必ず足元を掬われる。まずは自分の力で出来る事は自分でしなくてはいけない。今は城の構造と道を覚える事がそれに当たる。
歩き続けておよそ十分と言った所だろうか。階段を何度か登ったりした為、おそらくかなり上階だろう。足がかなりキツイが、目的地である部屋の前に俺は到着した。
「失礼します。クレイ様をお連れしました」
「どうぞお入りを」
話が通っていたのか、中に確認するでもなく、守衛の兵士がそう言う。久々にディオ様やユーレン伯爵に会えると思うと、笑みがこぼれそうになるが、俺はその笑みを浮かべる訳にはいかなかった。ここにはディオ様やユーレン伯爵に会うために来た訳じゃない。ディオ様を出来るだけ早く勝たせる為に来たんだ。今まで通りの話し相手をしに来たわけじゃない。
二メートルくらいあるドアがゆっくり開く。
中には大きめの机を囲むようにして、鎧姿の人々が話をしているようだった。いや、話なんてものじゃないだろう。意見のぶつかり合いというべきか。
それが止む。十数人の騎士、しかも一軍を率いる者たちの視線が俺に注がれる。戦いに身を投じるだけあって、皆、異様に眼光が鋭く、強い。息がしづらく感じるほどだ。
敵ではなく味方でこれなのだ。敵と相対した時はこれ以上だろう。
なら、彼らに飲まれてる程度じゃ、ディオ様の姉上であるカグヤ様には向かい合う事すらできないだろう。ここで俺が逆に飲み込むくらいでなければ。
ディオ様を勝たせる事なんてできやしない。
「ユキト・クレイ。只今参上仕りました」
「よく来た。至上の乙女の護衛任務、ご苦労だった」
ディオ様が堅い口調でそう俺に告げる。つまりはそう言う場だと言う事だが、この場を飲み込むならば、俺が主導権を握るしかない。
まずは視線を集めるに限る。
「あの程度の任であらば幾らでも。ただ、あそこまで目に優しい任務はないでしょうが」
「それは幸せな時間を邪魔したな」
「全くです。ただ、カグヤ王女も美女と聞きます。それだけが楽しみでここまで来ました」
「姉上は確かに美女だ。あの凛とした美しさは至上の乙女にも負けないだろうな」
「では、早く拝見しに行くとしましょう。勝者として」
その言葉と同時に俺は懐にある扇を右手で取り出し、左手を軽く叩く。
ディオ様は少し意外そうな顔をした後、不敵に微笑み、告げる。
「我が軍師は必勝の策がおありかな?」
「猟犬程度の相手なら幾らでも屠れるのですがね。相手が殿下の姉君となると中々そうもいきません。が、試してみたい策はいくつかあります」
「十分だ。見ての通り、皆で話し合ってもこれだ、と言うのはでなくてな」
そう言うディオ様の横に歩み寄った俺は、机の上に広がっている地図に視線を移す。
地図の上には駒があり、それがその場の兵力を示している。
「長期間の包囲を続けていれば、いづれ相手は疲れ果てます。だから巨大な包囲網を作ることを助言しました。あれはあれでまさしく必勝だったのですが、どうして取りやめになったのですか?」
「ふん、あれが必勝? 小さな城をいくつ落とした所で勝ちには繋がらん! それに相手の城を落とすために出す少数の軍勢は、カグヤ将軍が率いる奇襲部隊に何度もやられている! 勝利を手にしているのは向こうだ!」
金色の髪を刈り上げた大柄の男が俺を胡散臭そうに見ながらそう言い放った。
画面にはレクトーリュ・パウレスと表示される。位は将軍で戦闘力は八十後半。知力は、五十ジャスト。一兵卒なら問題ないが、部隊の指揮官としては問題あるだろう。今の言葉からわかるように、視野が狭い。目の前の敵を倒し、そこから得た物でしか考えていない。
「パウレス将軍。では、あなたならどうすると?」
「俺なら全軍を率いて一大決戦に望む! 小さな敗北を重ねている以上、大きな勝利が必要なのだ!」
叫ぶパウレス将軍を支持する声が何人からか上がる。
自分でさっき小さな城を落としてるって言ってた癖に何を言ってるんだこの人は。城を取るのも小さな勝利だ。それに、それはカグヤ様の待ち望んでる展開だろう。カグヤ様はどのような戦場でも勝利を収めているが、とりわけ野戦での戦いでは無類の強さを誇っている。まぁこれは保管されていた記録によるものだから正確かは分からないが、尾ひれがつくのには実もあると言う事だ。その人相手に正面から戦うなんて愚の骨頂だ。
だが。
「では全軍、そうですね……今、集まりつつある一万規模の軍を率いて、正面からカグヤ殿下と戦って、破ってきてください。大将はパウレス将軍でよろしいですか? ディオ様」
「ユキトが良いならかまわない」
「だそうです。ではご武運を」
「ちょ、ちょっと待て! 相手はカグヤ将軍直属の一万だ! こっちは集まったばかりの一万に届くかわからない軍だぞ!? それで戦うだなんて無謀だ! 相手はカグヤ将軍だぞ!」
喚くパウレス将軍に俺は深々とため息を吐く。俺の意図が伝わった将軍たちは我関せずを貫き、パウレス将軍に賛同していた者たちも、パウレス将軍が拙い立場になったことに気付く。
「あなたが言った事です。俺なら一大決戦に望む、と」
「そ、それは、相手より圧倒的な兵力を集め、練度を高めた軍を編成してからの話だ! 同数、同練度の軍ではカグヤ将軍には勝てん!」
「その通りです。分かっているのなら、無いものを仮想した上での大言は謹んでいただきたい。まるで勝てるかのような口ぶりに、思わず、誠に不覚ですが、期待してしまいました」
「貴様! 俺を愚弄するか!?」
「愚かだと言わずに何と言えばいい!? ディオ様は聡明だ。だからあなたが多くの仮想をした上で言葉を発した事も理解した! だが、もしも理解が及ばず、言葉通りにあなたの言葉を信じ、あなたに軍を任せたらどうするおつもりだった!? ここは勝つために意見を言う場のはず! 軽はずみな言動をする場所ではない筈だ!」
グウの音も出ないとは、今のパウレス将軍の事を言うのだろう。ここまで言っても分からない人だったら、ディオ様に懇願してでも将軍から解任してもらう所だったが、肩を落として、周りを気にしている所を見れば、その必要もないだろう。
「ユキト。そこまでにしてあげてくれないか? パウレスは僕の大事な部下だ。自分が至らなかったと思えば反省もする」
「ディオ様がそう言うのであれば、私からは何も言いません。が、言葉を意味もなく遮られるのは不愉快です。次に同じことがあれば、私は口を噤んでしまうかもしれません」
「ふふ、君が口を噤む姿を見ては見たいけど、それは君の考えを聞いてからだ。現状をどう分析する?」
ディオ様がパウレス将軍に気を使ったのか、明るく柔らかい声でそう聞いてくる。
机の上の地図にはこのハルパー城と、カグヤ様が本拠地としているカノン城を両端として、間にある小さな城や砦などが書かれている。戦う事が決定的で、戦術を練るならこの地図は適しているが、戦略面を考えれば。
「この地図では力不足ですね。もう少し大きい地図……そうですね、王都が入っている地図はありますか?」
「そうだね。僕も考えてた所だよ。用意はしてあるんだ。持ってこさせるよ」
そう言ってディオ様はすぐに地図を変えるように指示を出す。将軍の中には声を出そうとする者、困惑する者、黙っている者、ようやくかと言わんばかりにアクビをする者。
あれ、おかしいな。ここは軍議の場で、集まってるのは将軍の筈なんだが、めっちゃアクビしてる人が一人居る。髪は赤みがかっていて、背は俺よりは高いが、特別高いと言う訳ではなく、肩幅も広くはない。灰色の目はつり上がっており、鋭く見えるが、それ以外に外見的な特徴はない。この場に居る面々が持っているような特殊な威圧感もない。
画面が出てきて、アルス・クロウという名前の傭兵隊長だと言う事がわかる。戦闘力は九十前半。おそらくこの場では一番強い人間だ。知力も八十ほどで、速力は九十後半。間違いなく速度が売りの戦法を取る戦士だ。
俺の視線に気づいたのか、アルスは言葉を発せず、口の動きで俺に意図を伝える。
三文字で、ね、む、い。眠いから早く終わらせろと言った所だろうか。ニヤリと笑う姿と良い、中々良い性格をしてるかもしれない。
地図の交換が終わり、俺は一息置いてから説明を始める。
「我々の目的は勝利です。皆さんにもう一度思い出して頂きたいのは、求めているのは目の前の勝利ではなく、ディオルード殿下が、現国王に勝利する事です。その過程で幾ら負けようと、結果、現国王に勝てれば問題ありません。そして、カグヤ殿下と積極的に戦う必要もありません。迂回するなり、誘い出すなりした後、本隊が現国王を討つ。それでこの戦争は終わりです。これが私が考えてる展開ですので、頭に入れておいてください」
「まぁ言うのは簡単だけど、それをどうするかという問題だね」
「最初に決めておくべきことです。皆がそれを頭に入れて、その過程で何ができるか考える。それが会議です。しかし、ようやく一歩を踏み出した所で申し訳ありませんが、皆さんはお疲れのご様子。私も少し疲れました」
「そうだね。ここは解散し、また明日、軍議を行う事としよう。皆の者、解散だ!」
「御意」
皆が一礼して下がる中、俺に近寄る男が一人居る。
アルスだ。
「悪いな。気を使わせたか?」
「いえ、眠い頭で無理をしても良い事などありませんから」
「それは違いないな。将が寝不足では勝てる戦も勝てやしない。それはこの軍議も一緒か。じゃあな。俺は傭兵を取り纏めてるアルス・クロウだ。よろしくな。軍師殿」
「こちらこそよろしくお願いします。アルス殿」
そう言って幾つかの言葉を交わした後、アルスが部屋を出ていき、将軍たちは皆、退室した。
途端、俺は気が抜けたようで、足に力が入らなくなる。どうにか机に寄りかかって堪えるが、膝は震えている。
「気が抜けたかい?」
「見たいです。慣れない事をしたせいですよ」
「中々様になってたよ。軍師はね」
そう言ってくれるディオ様にお礼を告げつつ、俺は体勢を立て直す。今から俺はディオ様と幾つか話し合う事があるのだ。
「疲れてるのは本当です。それはディオ様もでしょうし、手短に済ませましょう」
「そうだね。ここ最近は体が思うように動かなくて参ってるんだ。出来れば今すぐ寝たいよ」
笑いながら言うディオ様の顔を見れば、微かに何かが付けてある。恐らく化粧だろう。先ほどアルスが言ったように、将が寝不足では勝てる戦も勝てない。それは将軍の問題というよりは士気の問題だ。肌の色が悪い、今にも倒れそうな将軍の下では兵は戦いたくはない筈だ。だから、疲れていても、将軍は平気な振りをしなければいけず、そう見せなければいけない。
「すぐに終わらせます。まずは王都までの道は、やはりカノン城を抜かなければいけませんか?」
「大軍は、ね」
「なるほど。では次に、ディオ様以外に全軍統率可能な将は居ますか?」
「居たらとっくに休んでるよ。ユーレン伯爵が上手く補給を受け持ってくれてるからまだマシだけど、正直、軍を維持するので精一杯だよ」
「わかりました。最後に一つ聞かせてください。わざわざ包囲網による持久戦を取りやめたのは、周りの声によるものですか?」
「違うよ。僕の意思だ。これ以上、この内乱を長引かせる訳にはいかない。狙う短期戦だ。僕は……父を討つ。ユキト。だから、僅かな時間だけでも、姉上をどうにか引きつけてくれないかい?」
そう言ってくるディオ様の目には確固たる意思が見えた。それほどまでに意思が固いならば、敢えて安全策である持久戦を口にする訳にもいかない。なにより短期戦は俺も望む所だ。
「御意。手を尽くしましょう。ディオ様の道は必ず開きます」
そう言って、俺はディオ様に跪き、短期戦のために必要なことを考え始めた。




