第二章 茶番2
「お兄ちゃん、誰?」
暗闇の館をある程度ではあるが、自由に動いても構わないといわれた俺は、さっそく暗闇の館を探険、もとい、調査していたのだが。
色々と扉を開けているうちに戻り方がわからなくなってしまった。
地図を画面に出しても、空間が歪められているせいか、扉の先が映し出されない。
まぁ、簡単にいえば迷子になったのだが、いずれたどり着くだろうと、目についた扉を開け続けていたら。
幼女がいる部屋にたどり着いた。
そして本を読んでいたその幼女は、不思議そうな顔で俺に誰と問いかけてきたのだった。
画面に映った少女の名前はミリア・メイスフィールド。年齢は七歳。特徴的な赤い髪と緑色の瞳を鑑みるに、この子はおそらく。
「アイリーンの妹かい?」
「うん、ミリアはアイリーン姉さまの妹。お兄ちゃんは?」
年に似合わずしっかりとした口調でミリアは答え、そして質問をしてきた。
読んでいた本のタイトルは“魔術理論・連結魔術の有用性とこれからの発展”だ。
知力はこの年で七十を超えている。頭の良い子だ。まぁ、読む本のセンスについてはかなり疑ってしまうけど。
いや、この場合は本を与えた側のセンスか。
「俺の名前はユキト。ユキト・クレイ。アイリーンの……仲間みたいなモノかな?」
「ユキト・クレイ……? ヴェリスの軍師さん?」
「そうだね。そう呼ばれるときもあるよ」
ミリアに視線を合わせるために小さく屈む。
怖がられるかと思ったけど、ミリアは興味津々といった様子で近寄ってきた。
ヴェリスの軍師というのを知っているなら、当然、アルビオンの敵だってことも知っているだろうに。
「怖くないの?」
「お兄ちゃんは今、人質でしょ? なら、安全」
そういってミリアは俺に対して読んでいた本を差し出してきた。
まぁ、危害を加えるなんてことはしないけど、人質だから安全ってわけでもないんだけどなぁ。
そんなことを思いつつ、俺は差し出された本を受け取る。
「その本、難しいの」
「だろうね……。もう題名からして小難しい本だし。どうしてこの本を読んでたの?」
「その本しかなかったの……」
俺はミリアから視線をはずして、部屋を見渡す。
部屋には無駄に大きなベッドと、いくつかの家具があったが、子供が暇を潰せそうなモノは置いていなかった。
アイリーンの家族だから、ここへ避難させたのか。それともこの子が特殊だからここへ連れてこられたのか。
理由はどうであれ、あまり部屋から出ることはできないんだろう。
「アイリーンが忘れていった本かな?」
「多分、気づいたらあったから」
「部屋から出ちゃいけないって言われてるの?」
「うん。みんなの邪魔をしちゃ駄目っていわれてるの」
「そう。忙しくてアイリーンはあんまり来れてないみたいだね……。いつからここにいるの?」
俺の質問にミリアは少しだけ悩んだあと、二本の指を出した。
「二日前から?」
「ううん、二週間前から」
「……」
思わず閉口してしまった。
こんな部屋で二週間とは。
さぞや暇だっただろう。
流石にずっとこの部屋にいたわけではないだろうけど、それでも多くの時間をこの部屋で過ごしたはずだ。
「うーん……部屋から出すのは拙いだろうし、俺は本なんて持ってないしなぁ」
どうにかこの子のために何かしてあげたい。けど、今は俺も自由に利かない身だ。平然と出歩いてはいるけれど。
なにかできることは無いかと頭を悩ませていると、ミリアがコートを引っ張ってきた。
「どうしたの?」
「遊そぼ?」
子供と遊ぶのはとても体力がいる。
だからできれば、本とか玩具とか、俺が消耗しないものを考えていたのだけど。
「それしかないかぁ。いいよ。何して遊ぼうか」
ここ最近、ずっと張り詰めていたし、たまには息抜きも必要か。
そう思い、俺は笑顔でミリアの手を握った。
■■■
「あはは!! もっともっと!!」
ミリアの両脇に手をいれ、思いっきり振り回し、頃合をみてベッドに放り投げる。
二人鬼ごっこ、肩車したまま走るなどの体に非常に負担のかかる遊びをしたあとのため、俺の体はもうボロボロだ。
しかし、子供はそんなこっちの事情を考慮してはくれない。
ベッドに着地したミリアは、すぐに立ち上がって、俺のほうへ向かってくる。
正直、腕が限界だ。これ以上やると、ミリアをベッドじゃないほうに投げてしまいそうで怖い。
そんなことを思っていると、部屋の扉が開いた音が聞こえてきた。
そちらに視線をやれば、鎧を脱いで、ワンピースを着ているアイリーンが驚いた表情を浮かべて立っていた。なかなか珍しい表情だ。
「……なにをしてるのかしら?」
「ミリアと遊んでる」
「遊んでます!」
元気よく手をあげたミリアの様子をみて、アイリーンは片手を額に当てて深くため息をはいた。
流石のアイリーンも、楽しそうな子供の前で怒るなんてことはしないようだ。
「まったく……人質の自覚を持ちなさいよ」
「欠片もないから仕方ないだろ。それより、この部屋はどうにかならないのかい?」
ミリアがアイリーンに駆け寄っていったので、休憩もかねて、俺はアイリーンに疑問をぶつけた。
疲れたため、ベッドに腰かけると、じゃれ付いてくるミリアをつれて、アイリーンが俺の隣にきた。
「結構急ぎだったから、こんな部屋しか用意できなかったのよ。それに、私がアルビオンに帰ってきたのはあんたと同じ日よ? それまではずっと前線で、この部屋を用意したのは私じゃないわ。ただ、ミリアのことをずっと見てくれてたのはアル様たち。文句はいえないわ」
「ってことは、メイスフィールド家を避難させたのはアル様の判断?」
アイリーンは首を横に振った。
ミリアはアイリーンの膝の上でゴロゴロしていたが、髪を撫でられて気持ちよくなったのか、眠そうにしている。
あの様子じゃすぐに寝てしまうだろう。
「ミリアをアル様に預けたのは父よ。三大公爵家はストラトスの魔術がどういうモノか知っていたし、ヴェリスのカグヤ陛下が反乱軍についたことや、カグヤ陛下の傍にはストラトスがいたこと、そして、クラルスがあんたの手にあったことなんかを知って、ヴェリスで何が起こったのかを察した。
皆がストラトスをとても警戒していたわ。けれど、それでも侵入を許した。できるだけ事情を知る者はストラトスに近づかないようにはしていたけれど、日増しにストラトスは勢力を拡大していった。だから、父は一か八か、ストラトスに近づくことを決めたらしいわ。私はそのとき戦場だったから、あとから聞いただけだけど」
「近づき、ストラトスを討とうとしたのかな?」
「多分。けれど、父は戻ってこなかった。事前に決められたとおりに、メイスフィールド家はアルビオンから出たり、アル様の下に身を寄せたりしたわ。父は万が一を考えて、誰がどこにいくかは把握しないようにしていたそうよ」
アイリーンは小さくため息を吐いたあと、静かに寝息を立て始めたミリアの髪を撫で始めた。
ストラトスと会い、戻ってこなかった。操られたか、殺されたか。どちらにしても救いはない。
操られていれば、命は助かっているかもしれないが、アイリーンの敵になっているということになる。そして立ちはだかれば、状況によっては斬らざるを得ないだろう。
嫌な話だ。
「アル様も流石に子供用の部屋は用意できなかったってわけか」
「みたいね。まぁ今日、外に出て、ミリアが喜びそうな本とかを買ってきたから、もう退屈することはないでしょう」
「まさかとは思うけど、魔術関連の本じゃないよね?」
「冗談いわないで。童話とかよ。ミリアは魔術師として優秀な素質をもってはいるけれど、私とは違って、武人として育てられたわけじゃないわ」
それはつまり、アイリーンは武人として育てられたという意味だ。
確かに、アイリーンの戦歴は十一歳あたりから既に始まっている。魔獣討伐が殆どだけど、その功績によって四賢君に任命されている。
子供の頃から武人として育てられて、そして戦場に出させられた。
そう思うと、今、妹の髪を優しげに撫でているアイリーンがとても不憫にみえてしまう。
「どうしてミリアは武人として育てられなかったの?」
「母が泣いて頼んだのよ、父に。私は自分でもいうのもあれだけど、将来を嘱望されていたわ。けれど、ミリアは優秀ではあるけど、私ほどじゃない。だから、母は戦場に行けば、ミリアは命を落とすと思ったの」
「随分な話だね。まるで君が命を落とさないみたいだ」
「強力な力を持つ魔術師は戦場では絶対的な存在よ。それは事実。最も死から遠い存在だわ。まぁ戦場である以上、死は必ず近くにいるけれど」
死はいつも戦場に蔓延している。それを払う力がある者、それから逃れられる者、そして幸運な者が生き残る。
だが、時としてなんてことの無い場所で死は全ての者に平等に降り注ぐことがある。強力な剛将や、不敗の名将が死ぬときは大抵、そういうときだ。
「君だって人間だ。死ぬときはやがて来る」
「そうね。けど、私はまだ死なない」
アイリーンの言葉には力がこもっていた。
それは圧倒的な決意にも感じられたし、恐怖を紛らわそうとして放った虚勢のようにも感じられた。
多分、どちらも正しい。
ミリアや父のためにも死ねないという覚悟はあるだろうし、もしも死んだらどうしようという恐怖もあるだろう。
「君はストラトスを討ったあとのことを考えているかい?」
「突然なに? 先のことばかり考えていると足元をすくわれるわよ?」
「ちょっと気になっただけさ。どうやってアルビオンを再興するつもり? ストラトスが居なくなったから、はいおしまい、とはいかないよ?」
「そういうのは私が考えることじゃないし、あんたのほうが得意でしょ?」
「アイリーンの考えを聞きたいだけさ」
しばらく俺を見つめたあと、アイリーンはミリアへと視線を移して、語り始めた。
「アル様が公王の地位について、四賢君がしっかりと脇を固めれば、アルビオンは安定すると思うわ。それから他国との外交にしっかり重きを置けば、大陸の混乱も収まるはず。といっても、アルビオンは多くの代価を支払うことになるでしょうけどね」
「確かにそうだね。王を変えただけでじゃ丸くは収まらないのは、ヴェリスで実証済みだし」
「まさか、ヴェリスのような状況にアルビオンがなるとは思わなかったわ。本当に最悪よ」
アイリーンは憤ったように呟きながらも、ミリアの髪を撫でる手は優しいままだ。
態度を見ればわかる。アイリーンは本当にミリアを可愛がっているんだろう。
いや、もしかしたら、これがアイリーンの自然体なのかもしれない。いつもは肩肘を張って、下に見られないように努力しているのかな。
俺が小さく微笑むと、アイリーンがムッとした表情で聞いてくる。
「なによ?」
「なんでもないさ。ただ、微笑ましかっただけだよ」
「少し馬鹿にされたような気がしたのだけど?」
「してないよ。疑いすぎさ」
「どうかしら? あんたはなぜか、私を子供扱いしている節があるし、信用できないわ」
ジト目でアイリーンが俺を睨んでくる。
流石に子供扱いはしていない。
ただ。
「子供扱いはしてないよ。年下の女の子として接してるだけさ」
「私は四賢君で、あんたと戦ったこともあるのよ?」
「関係ないよ。アイリーンはアイリーンだ。どれだけ君が立派だろうと、俺にとって、君が年下の女の子だってことは変わらない。どれだけ大きくなろうと、親からすれば子供は子供。それと大して変わらないよ」
「私はあんたの子供じゃないし、年だって大して離れてないじゃない」
「三つ、四つ違えば、随分な差だよ。それだけいろんなことを経験しているってことだからね」
俺がそう返すと、アイリーンは納得いかなそうな表情を浮かべる。
そんな顔されても態度を変える気はない。
ここは戦場じゃないし、今は味方だ。肩書きどおりの扱いをするのはちょっと抵抗がある。
「もしかして、対等に扱ってないのが不満?」
「不満なわけないでしょ! 馬鹿じゃないの!」
少し語気を強めてアイリーンはそういうが、すぐにハッとしてミリアをみる。
声も大きめだったから、ミリアが目を覚ましてしまった。
気持ちよさそうに眠っていたのに、かわいそうなことをしたな。
「ごめんなさい。ミリア。まだ寝てて大丈夫よ」
「……ううん。起きます」
ミリアは首を横に振って、むくりと起き上がる。
そして、這うようにして俺のところまで来ると、今度は俺の膝の上で丸くなり始めた。
「そうやってるとまた寝ちゃうよ?」
「こうやってるだけ、寝ないから大丈夫」
そういいながら瞼を閉じたミリアをみて、俺とアイリーンはそろって苦笑を浮かべた。




