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軍師は何でも知っている  作者: タンバ
第一部 内乱編
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第二章 姉弟

 戦いの後には必ず後始末が生じる。それは怪我人の看護であったり、装備の片付けであったり、捕虜の扱いであったりと多岐にわたる。だから俺はその後始末に忙殺されて、二日ほどロクに眠る事が出来なかった。城下町の人に協力を仰いだのも問題で、感謝を示すため、少ないながらも報酬の金を捻出する必要があった。二日間の殆どがその作業だったため、自業自得と言えば自業自得だ。百五十人の声でも、人の耳を狂わすには十分だというソフィアの意見を退けて、念には念を押したのだから。


「過剰な増員は考えものだな……」


 そんな事を朝、しかもベッドの上で言いつつ、久方ぶりの長時間の睡眠を取った俺は、いつもの羽織姿に着替え、自分に与えられた部屋を出た。

 目的の場所はソフィアの部屋だ。この一昨日と昨日は、ほとんど会話がなかった為、その謝罪をと思っての行動だったのだが、それは意外な人物に遮られた。


「ミカーナ? どうしたんだい?」

「ご報告に来ました。ディオ様からクレイ殿に召喚命令です。出来る限り、すぐに前線に向かうようにと」

「……もう一つ言ってなかったかい?」

「はい。ソフィア様をアルビオンに帰還させるように、と」

「帰還させろ、か。まぁそうなるよな」


 俺の呟きにミカーナは呆れたようにため息を吐いた。今の流れでそれが何に対するため息なのか分からないほど、俺は鈍くはないつもりだ。


「戦場に来いってのは予想通りだからね」

「笑って言う事ではありませんよ。戦う相手は黒姫の二つ名を持つカグヤ殿下です。今まで一度も負けた事のない」

「どうにかなるさ。それに俺が今、考えなきゃいけないのは別の事だしね」

「何ですか?」

「説得さ。そういう命令だしね」


 ため息を吐いた俺はミカーナを置いて、ソフィアの部屋に向かって足を速めた。




■■■




「嫌です」


 はい。予想通り。分かってたさ。素直に頷く訳がない事くらい。

 言葉を発したのは椅子に座っているソフィアだ。アルビオンに帰るんだ。と伝えたら、すぐに返された。気持ちはわかるが、俺にはどうすることもできない。


「ディオ様がそう言っているんだ。俺も前線に出る。ソフィアを守れないんだ」

「ディオルード様の要請を断ればいいじゃないですか。自分は武官ではありませんと」

「そんな言葉が通る訳ないだろ? 俺はディオ様の家来だし、何より、三日前に戦いの指揮を取ったばかりだ」


 俺がそう言うと、ソフィアは俺から顔を背ける。これは思ったよりもてこずりそうだ。

 ソフィアと俺の距離は歩数にして十歩ほど。それを詰めようとして、俺は右足を前に出す。出したが、体が少しだけ後ろに下がってしまい、距離が縮まらない。何かに阻まれている。いや、これは風に押し戻されてると言うべきか。

 左足を前に出しても一緒だ。ソフィアはこの十歩の距離を縮ませる気はないようだ。


「ソフィア」

「何ですか?」

「俺は君を説得に来た」

「知ってます」


 何を当たり前のことを、と言った口調で、ソフィアは言葉を返してくる。だから俺は。


「でも君は応じる気はない。友人の説得を」

「……友人だから応じないんです」

「なら、他の人に頼むよ。君が知らない誰かにね」

「分かりました! 魔術は使いません!」


 背を向けようと、捻っていた腰を元に戻して、俺は椅子に座るソフィアの下へ歩く。先ほどのように押し戻されるような事は無い。当たり前か。ソフィアは直前の言葉を自ら破るような事はしない。


「顔を見て話をしたいんだけど?」

「魔術は使わないと言いましたが、説得に応じるとは言ってません」


 この流れでまだそんな事を言ってるのか。さっきと同じやり方でも説得に応じてくれる気がするけれど、それはあまりに可哀想だし、何より危険だ。俺は他人にソフィアの説得を委ねる気なんてさらさらない。そう突っ込まれたら、途端に会話の主導権を握られてしまう。


「じゃあお話と行こうか」

「話を聞くとも言ってません」

「そっか。なら別に聞かなくてもいいよ。君に無理して聞いてもらうような話を、俺は持ち合わせていないからね。ただ……残念なことに俺は明日には前線に出発する。ここで君と楽しい会話が出来ないのは残念だ」


 もうひと押し必要かと思い、次の言葉を考えているとソフィアがこちらを向いて言葉を発する。


「先ほどから……私をいじめて楽しいですか?」

「いじめるって大げさだな。ちょっとした……気を引く為のちょっかいさ」

「……本当に明日行くんですか……?」


 少しを俺を恨めしく睨んだ後、ソフィアはシュンと小さくなってそう呟いた。聞くまでもない事だ。俺は否とは言えない。言う気もないが。


「行くよ。もしかしたら今日の夜には出るかもしれない」

「どうしてユキトが行かなければいかないんですか!?」

「ディオ様は多分、賭けに出ようとしている。それが出来るだけ分の悪いようにさせない為に、使えるモノは全て使う気だ。この城に詰めている僅かな兵力も、俺もね」


 そう言うと、ソフィアは椅子から立ち上がり、俺と向かい合うように立つ。俺よりは四、五センチくらいは背が低いため、視線を合わせようとすると、首を下に向ける必要がある。


「帰るのは……嫌ですけど……ユキトの迷惑になるなら……帰ります……」


 何度か視線を外して躊躇いつつもソフィアはそう自分の意思を伝えてくる。しかし、それだけでは言葉を切らなかった。


「けれど! ユキトが前線に行くのは反対です! 強行に行くと言うなら、ディオルード様に抗議文を出してでも止めます!」


 攻守が逆転してしまった。アルビオンに帰ると言う事を受け入れた以上、ソフィアには守るものが何もない。受けに回る必要性が無くなったのだ。開き直ったとも言うが。


「それは……随分な要求だね」

「ディオルード様の頼みは聞くのに、私の頼みを聞けないのですか?」

「ディオ様のは命令で、ソフィアのは頼み事だよ。片方は断れない強制力があって、片方は断っても……相手が不機嫌になるだけだし」

「なら、私も命令します」

「いいの? 俺とソフィアは……対等じゃなくなるよ?」


 ディオ様は対等に近い関係を望んでも、決して対等である事は望まない。だから。命令に私情を挟んだりはしない。俺が使えると判断すれば、使う。俺が命令を拒めば、一般の兵が拒んだときと同じ扱いをするだろう。

 一方、ソフィアは俺に対等である事を望んでいる。頼みを聞いて欲しい、というかわがままを言う事はあっても、至上の乙女、アルビオンの使者と言う立場から来る権威を盾に、俺に何かを強制させた事はない。それをすれば対等ではないからだ。


「……私はユキトと対等でいたい。友人で居たいです。けど……危険な場所には行ってほしくはありません! また死にかけるかもしれません! その時に……私は助けにはいけないんですよ……?」

「ソフィアの気持ちはわかるよ。俺は頼りないからね。でも、似たような気持ちを俺も持ってる。ディオ様が戦ってる。苦しんでるんだ。助けてあげたい。勿論、ソフィアの傍にも居てあげたい。だけど、俺には両方はこなせない。だから、大変な方に行くよ」


 ディオ様はどうかは知らないが、俺にとってはディオ様は友人だ。そしてソフィアも。けれど、どちらかを選ぶなら、今はディオ様を選ぶ。

 強く必要とされているからだ。


「私だって大変です……ユキトが居なくなったら……私には誰も居ないんですよ……?」

「ソフィア……ごめんね。少しの間だけで良いから、俺をディオ様の所に行かせて。この内乱を終わらせる。そしたら、今度はソフィアの所に行くから」

「……すぐに来てくれますか……?」

「できるだけ、俺の全力を尽くす事は約束するよ」

「……なら……」


 少しだけ我慢します。

 ソフィアは涙を流しながらそう言った。

 その姿に、思わず前言を撤回して、傍に居ると言いたくなるが、俺はその心の揺れを押さえ込んで、ソフィアの部屋を後にした。




■■■




「これを……」


 深夜。多くの者が眠りについている頃。俺は百人の騎士と共に前線に向かおうとしていた。

 準備も最終段階に入り、後は出発の号令だけという所で、ソフィアは俺の所まで走ってきた。

 そして両手で差し出したのは緑色の扇だった。それも見るからに高価そうな。


「えっと……」

「神扇・クラルス。風の魔導具で、触れるだけでどのような魔術も打ち消し、強く仰げば暴風を起こします。これが……ユキトの命を守ってくれます」

「凄い物なんだろうけど……ありがとう。受け取るよ。俺じゃあちょっと使い手としては不足だけどね」


 扇を受け取った俺は、手にしっくり来る感じに驚きつつ、それを懐にしまってソフィアを見る。扇は後でも見れるが、ソフィアは今を逃せば、当分は見れない。


「戦に敗れたとしても、どれだけ追い詰められたとしても、諦めずに生きると誓ってください……」

「ああ……どんな事をしても生きるよ。約束があるからね」

「……必ず私の下に来てください。待っています……」

「出来るだけ早く行くよ」


 泣きそうな顔のソフィアとは裏腹に、俺は終始笑顔だ。別に作っている訳じゃない。単純に嬉しかったからだ。勝ってください、勝利を、と言ってくる人は居ても、生きて欲しいと言ってくれる人は居なかった。

 俺の無事を願う人が、少なくとも今、一人は居てくれる。そして、俺にはこの後にやるべきことがある。それはとても幸せなことなのだと思うと、笑顔が自然と顔に浮かんでしまう。


「ユキト……今も、行って欲しくはないと思っています……けれど」

「……けれど?」

「私はあなたを信じると決めました……だからもう引き止めません。ご武運を」


 深く頭を下げたソフィアはゆっくりと頭を下げ、一歩ずつ下がっていく。

 俺に用意されている馬車がある。それに俺が乗り込まなければ騎士たちは進めない。いや、俺の号令がなければ進めない。

 ディオ様が俺に書いた命令文には、百の騎士を率いて前線に来るようにとあったからだ。この場の指揮官は俺なのだ。

 少し離れた場所に居るソフィアから目が離せない。この視線を逸らせば、考えたくはないが、もう二度と見ることすら出来ないのかもしれない。そうしたらソフィアはどうするのだろうか。ずっと偽りの、他者が求める至上の乙女を演じながら生きるのだろうか。


「クレイ殿……この時間が長ければ、長いだけ辛くなります。あなたも、他の騎士たちも」

「……そっか、俺だけじゃないんだった。皆にも帰りを待っている人が居るんだよな」

「至上の乙女に待っていると言われる男性は、あなた一人でしょうが」

「待ってくれる人に身分も性別も何もかも関係ないよ。だから帰ってこなくちゃいけないんだ」

「そうですね……」


 馬で近寄ってきたミカーナに視線を向けずにそう言うと、俺は懐の扇を握り締め、深呼吸をして、ソフィアから視線を逸らす。

 同時に完全にソフィアに背を向けると、俺は告げる。


「出陣する!」


 俺はソフィアの下に帰りたい。けれど、それだけじゃダメだ。俺はこの場に居るミカーナや、名前も知らない騎士たちも、責任を持って返さなければいけない。それが率いる者の責任なんだ。

 とても重い。内蔵が押しつぶされる。そんな感じだ。何もかも心配で、何もかもが不安だ。

 けれど、送り出してくれた人の思い、踏みにじる訳にはいかない。

 前に進むしかないんだ。




 それから約二日後にユキト・クレイが率いる百人の騎士は本隊であるディオルード王子の軍勢、八千五百に合流した。

 続々と集結する王子の勢力は、ユキト・クレイが到着してから五日後には一万二千にまで膨れあがり、多くの者が、国王派のカグヤ王女率いる一万の精鋭軍との決戦が近いと感じていた。

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