第一章 思惑
アルビオン軍は、俺の護送のために二千もの兵を用意した。
しかも、それらはアイリーン・メイスフィールドの親衛隊ともいうべき精鋭だ。
過剰な護送兵団に囲まれ、俺はため息を吐きそうになって、堪えた。
俺は大きな馬車に乗せられている。大して整備もされていないような道を走っているのに、乗り心地はかなり良い。これも魔術の恩恵だろう。
そんな馬車に乗っているのは、俺だけじゃない。同乗者が一名いる。
その同乗者は、赤い髪をサイドで纏め、つり目がちな目を不機嫌そうにこっちに向けている。
アルビオンの英雄、四賢君の一角。アイリーン・メイスフィールドだ。
「なによ? なんか用でもあんの?」
「いや……別に、用ってほどじゃないけど……」
「はぁ? 煮え切らないわね。本当に、私があんたに手こずったなんて、今でも信じらんないわ」
どうもアイリーンは、俺が思っていた人物ではないことにご立腹らしい。
理不尽にも程がある。
「はぁ……俺も、まさかアルビオンの英雄が、君みたいな女の子だとは思わなかったよ」
「それは皮肉かしら?」
「まさか。純粋な感想だよ。正直、傷だらけの女性を想像してたからね」
「私に一太刀いれられる敵なんて、滅多にいないし、アルビオンには優秀な治癒魔術師がいるわ。傷なんて残らないわよ」
「へー、なるほど。いいこと聞いたよ。ヴェリスにもそういう人がいたら楽なんだけどなぁ」
俺の何気ない一言を聞いて、アイリーンは鋭い視線を向けてきた。
俺はその視線を真っ向から受け止める。
「あんた、一体、なにを考えてるのかしら?」
「なにって、曖昧な質問だね」
「なら、明確なものに変えてあげるわ。あんた、この先、ヴェリスに帰ることがあると思ってるのかしら?」
「もちろん」
俺が即答すると、アイリーンの柳眉がつりあがった。
まぁそうだろうな。
自分で言ってても、どうかしてると思う。
アイリーンからすれば、それこそ馬鹿にしかみえないだろう。
「真正の馬鹿か、それとも天才かしら? 本当に理解に苦しむわ」
「馬鹿に一票かな。でも、馬鹿な俺を、天才たちは読みきれない。だから、俺はまだ生きてるんだよ」
「馬鹿な軍師とは聞いて呆れるわ。さらにいえば、そんな人間に私の部下や、アルビオンの同胞があの世に送られたと思うと、苛立つわね」
アイリーンの緑色の瞳に好戦的な色が映った。
やっぱり、というか、そうだよな、っていうか。
先ほどからの不機嫌な理由の大半は、今いったことに集約されてるだろう。
アイリーンにとっては、俺は部下の敵だ。
そして、アイリーンは俺にとっては部下の敵だ。
「お互いさまだろ?」
「……そうね。殺したいって思ってるのは私だけじゃないわよね」
「君だけだよ。少なくとも、俺は君を殺したいなんて思ってはいないよ。殺そうとはしてたけどね」
これは本心だ。
指揮官を殺すのは、戦を終わらす一番てっとり早い方法だ。だから、俺はアイリーンが総大将と聞いた時点で、アイリーンを殺すための方法を考えていたし、殺すために動いていた。
けれど、別に殺したかったわけじゃない。
好き好んで人を殺したいなんて、今でも思ったりはしない。
けど、割り切らなきゃ、本当に守りたいものを守れない。だから、守りたいものと敵の命を天秤にかけて、守りたいものを選んできた。
だから、殺そうとはしていたが、別に殺したいと思っていたわけじゃない。
のだが。
この答えは、目の前の子には気に入らない答えだったようだ。
「舐められたものね……そんな半端な覚悟で私と向かい合っていたの? そんな覚悟で……私の仲間たちを殺したの……?」
底冷えする声だ。
思わず、寒気が背中に走る。
けれど。
「そうだよ。俺は、仕方ないから殺したんだ」
「いい度胸ね……私が本国の命令を律儀に守ると思っているのなら、大きな思い違いよ?」
いつの間にかアイリーンは短剣を握っていた。
そしてそれは迷いなく俺の首筋に近づけられる。
だが、俺も黙ってはやられない。
懐から取り出した扇をアイリーンに投げつける。
神扇・クラルスはアルビオンの国宝だ。そして、俺が持っている扇が、神扇・クラルスだと、アルビオンの人間は知っている。砦を攻めてきた副将すら知っていたんだ。
アイリーンが知らないわけがない。
アイリーンがとっさに短剣を手放して、両手で包むように扇を掴む。
しかし、それが命取りだ。
放り出された短剣を掴み、俺はアイリーンに向ける。
「それ持ってると、魔術は使えないのは知ってるよな?」
「人様の国の国宝を投げるなんて、やってくれるわね……」
「俺にとっては護身具だからな。身を守るために使うのが正常な使い方さ」
馬車に乗る際に、アイリーンは短剣を奪っても、俺から扇を奪うことはしなかった。
本国からの命令だったといっていたから、ストラトスの差金だろう。奴の気まぐれか、それとも、俺に逃げるチャンスでもあげてるつもりなのか。
まぁどっちにしろ。
俺は逃げる気はない。周りを二千の精鋭に囲まれていて、目の前には四賢君だ。逃げるのは不可能だろう。
今は、短剣を向けて優位に立っているが、アイリーンが刺されることを覚悟すれば状況は変わる。
この距離なら魔術を使うよりも短剣のほうが早い。けれど、俺の技量ではアイリーンを一撃では仕留められないだろう。
そして、仕留められなければ、アイリーンは扇を手放して、魔術を使うだろう。
そこまで読めていて、無理をする気にはなれない。
俺は短剣を手放す。
「どういうつもりかしら?」
「殺す気はないっていったはずだよ。それに、二千の包囲を抜けられないしね。それ、返してもらえる? 一応、借りてる物だから」
「……一つ質問があるわ」
「なに?」
「至上の乙女……ソフィア様は、あんたに攫われたと聞いてる。けど、あんたは一度、ソフィア様を助けてる。本当のところはどうなの?」
難しい質問だ。
真実を語ったところで信じてはもらえないだろう。けど、真実とは真逆。つまり、ソフィアが自分の意思でヴェリスに来たわけではない、といっても、俺の立場が悪くなるだけだ。
ここは本当のことをいうしかないか。
「アルビオン上層部にいるストラトスという男を知ってるかい?」
「陛下の側近ね。戦争推進派の中核をになっているわ」
「そいつは、魔術で人を操れる。だから、ソフィア様は危険を感じてヴェリスに逃げてきたんだ。その扇も俺の無事を願って、預けてくれたものだ。ま、信じられないだろうけどね」
「……信じるわ」
おいおい。
今の話のどこに信じるに足る証拠があるんだ。
信じるだなんて、それこそ人を疑うことを知らない聖人君子だろう。
「今後のために聞いておく。どんな理由で信じるんだ?」
「そうね。アルビオンも一枚岩じゃないっていえばわかるかしら?」
「……既にストラトスに対抗する派閥があるのか?」
「その言い方は正しくないわね。前からあったのよ」
アイリーンは扇を俺に返し、落ちている短剣を拾い上げる。
前からあった、とアイリーンはいったが、ストラトスに対抗する派閥が前からあったなら、やすやすと国家の中枢にストラトスを入れたりはしないはずだが。
「正確にいうなら、ストラトスに対抗する派閥はなかったわ。けれど、過激派に対抗する派閥はあった。そして、公王陛下の傍にいることで力を手に入れたストラトスを、その派閥は危険視した」
「その派閥の長は誰? それが君やランドールの後ろ盾かい?」
アイリーンはゆっくり首を横に振る。
話の流れからして、アイリーンやランドールは、その派閥の指示で動いているように聞こえてけれど、違うのか。
「残念ながら、私はその派閥所属だけれど、あの老害は違うわ」
「ああ、なるほど。あのじいさんは敵側か」
アルビオンには二つの派閥がある。一つはストラトスが所属している派閥で、もう一つは、アイリーンが所属している派閥だ。
その派閥はどちらも扇と俺の身柄を狙っていた。
そして、実行を任されたのがアイリーンとランドールだったという訳だ。
途中まではランドールがアイリーンを出し抜く形だったが、交渉中のゴタゴタを利用して、アイリーンがランドールを出し抜いた。
こんなところか。
ま、アイリーンの言葉を信じるならばだけど。
「そう。あんたの身柄は、アルビオンにとっては非常に重要なのよ。おかげで、私はあんたを殺せない」
「あれ? さっきまでのは演技で、俺を試してた、とかじゃなかったの?」
「試してた部分はあったわ。けど、殺したいってのは本心よ。あんたが逃げようとするなら、容赦なく殺しにかかってたでしょうね。この状況で逃げるなんて思う馬鹿は、アルビオンに必要ないわ」
怖い怖い。
あの目は本気だ。
しかし、いってることはわかる。この状況から逃げ出そうとする以上、逃げられるって自信があるってことだ。
それを必死に妨害するのがアイリーンの仕事なのだから、殺しにかかっても問題はないだろう。任務がある以上、おそらく半殺し程度で終わらせただろうけど。
「そっか。とりあえず、俺がなにかしなくても、既にアルビオンは内憂を抱えてるわけだ」
「そうよ。そして、今現在、その二つの派閥の最大の焦点は、あんたよ。なぜだかわかる?」
俺の利用価値はいくつかある。
ヴェリスに対する人質、俺が所有するクラルス。そして、俺の知識。
それはかなり価値があるようで、しかし、それほど価値はない。
手間がかかりすぎているからだ。俺をアルビオンに連れてくる。その過程で、アルビオンはとんでもない労力を払っている。
皇国との半年に渡る戦争から、交渉、そして一時休戦。
割に合わないとはこのことだ。
だが、アルビオンで権力を僅かでも握っている者たちは、喉から手がでるほど、俺を欲しがっている。
いや、欲しいのは俺ではない。俺はいわば餌だ。
食いつくのはヴェリスでもノックスでもない。ソフィアだ。
混迷を極めるアルビオンにとって、ソフィアの存在、権威は、国を一つに纏める上で必要不可欠なのだろう。
ストラトスにしたって、ソフィア個人はもちろん、至上の乙女の権威が欲しいに決まっている。なにせ、ソフィアがいれば、それだけで国民の支持を得られるのだから。
戦争を続けるにしろ、止めるにしろ、国民の声は重要だ。そして、ソフィアにはそれを動かすだけの力がある。
ソフィアを手に入れた者が、アルビオンを手に入れる。そういっても過言ではないだろう。
まぁ、ソフィアを誘い出すための餌として捕まえられたのは予想どおりだが、猟師が複数存在するのは少し予想外だ。
ストラトスの魔術ならば、反対勢力などできはしない、と思っていたからだ。流石は魔術の国、アルビオンといったところか。
わかってさえいれば、ストラトスの魔術を防ぐことができるのか、それとも、ストラトスに極力近づかないようにしているのか。
なんであれ、反対勢力があるのは吉報だ。これで、いろいろと手間が省ける。
「俺個人に価値はない。けど、俺を助けにくるかもしれない人には価値がある。そんなところかな?」
「わかってるじゃない。だから、いっておくわ。私たちはあんたに仲間になってもらいたいわけじゃない。あんたは何もせずにじっとしていなさい。もしかしたら、全てが終わったあとに、ヴェリスに帰すこともありえるわ」
嘘だ。
あの目は絶対に、全てが終われば俺を殺す気の目だ。
まったく、とんでもなく恨まれたものだ。
しかし、俺を捕まえれば、ソフィアが来るとよくわかるものだ。それだけ確信があるのはなぜだろうか。
「ソフィア様が動かない可能性もあるぞ?」
「絶対に動くわ。ソフィア様は毎日のようにあんたの話をしていたらしいから」
なるほど。そういうことか。
いや、納得はできないけれど、今まで誰にも興味を示さなかったソフィアが、一人の人間に興味を示したのだ。そして、その人間の下に逃げた。
試してみる価値はあるくらいにしか、俺には思えないが、アルビオンの人間たちはまた違う感想をもったようだ。
「それで? もしも来たとして、どうする?」
「アルビオンのために、私たちの旗印となってもらうわ」
「……結局、政治に利用するのか?」
「一ついっておくけど、間違っているのはあんたよ? 至上の乙女はそういう存在なの。公王以上の権威を持つ不可侵の存在。魔術師にとっては、まさしく至上の存在なのよ」
アルビオンにいるのが嫌になるわけだ。
こんな狂信者に近い奴らに囲まれてれば、気が狂いかねない。
それでも、アイリーンが悪いとは完全には言い切れないけれど。
恐らく、そう教育されてるんだろう。幼いときより、親や周りが尊敬し、崇拝の対象としてきた相手だ。自然と自分もそうなっていくのだろう。
「君たちアルビオンの人間にとって、ソフィア様が至上の存在だっていうのはわかったよ。けど、俺にとっては違う。彼女は大切な友人だ。そして、俺は彼女のことをよく知っている。君たちがいいように利用できるほど、彼女は愚かじゃない」
「いってくれるじゃない。でも、利用なんてする気はないわ。私たちはソフィア様に責任を果たしてもらうだけよ。至上の乙女としての責任を、ね」
アイリーンの言葉を聞いて、俺はため息を吐いた。
ここで何をいっても無駄だ。
彼女の認識は変えられない。
思考を切り替えるべきか。
アルビオンを二分して、混乱に陥れようとしていたのは、結局はストラトスを討つためだ。
だから、結果的にストラトスを討つことさえできれば、問題はない。
あまり目の前のことに拘り過ぎても、意味はない。
考えるべきことはストラトスを討つことだけだ。
そのためにできる限りの手は考えてあるし、既に実行している手もある。
問題なのは時間だ。
アルビオンがごたついている間に、ノックスがカグヤ様たちに会えねば、かなり拙い。
ノックスの部隊長たちに、直接指示を出したわけじゃない。けれど、自分たちで考えて、動けるはずだ。そういう風に育てた。
彼らは前を向いて、ヴェリスの王城へと向かうだろう。そこからの判断は、ソフィアやカグヤ様次第だ。状況に応じて、行動してくれるだろう。
今の俺は無力だ。誰かを信じ、誰かに任せることしかできない。
「……もどかしいってのはこういうことか……」
アイリーンに聞こえない程度の声で呟き、俺は扇を強く握った。




