第三部 終章
二話連続投稿です。
皇国軍は俺の言葉を聞いて、停止する。
しかし、すぐに走り出しそうな様子が伝わってくる。徒歩の騎士も、騎馬している騎士たちも。
数はざっとみて、千いるかどうかだが、一戦交えるには十分な数だ。
ここで言葉を誤れば、彼らはアルビオン軍に突撃するだろう。それではフィオの誘いを拒んだ意味がなくなる。
泣かしてまで拒んだんだ。それだけはするわけにはいかない。
「皇国軍はすぐに砦へと戻れ! 俺は諸君らの助けは求めない!」
皇国軍に動揺が走る。
隣の者と見合ったり、掲げていた剣を下ろしたり、と反応は様々だ。
俺を助けるために来てくれたのに、本当に申し訳無いが、俺が守りたいモノは彼らとは違う。
俺を守る、皇国の誇りを守る。彼らはそういったが、根本にあるのは、個人的な感情だ。
負けに等しい形での停戦。彼らはそれを受け入れられてない。
まだ自分たちは負けていない。彼らはそう思っている。思っているから、戦う理由、動機が欲しいのだ。
そして、それが俺だった。
けど、そんな子供じみた、負けず嫌いの精神に付き合う気はない。
「例え……どんな理由で剣を振り上げようと! 皇国が同盟国の指揮官を売り渡し、敗北に近い停戦を望んだ事実は変わらない! 諸君らの憤りは決して、解決されることはないだろう! ここで俺を逃がしたところで、残るのは侵攻の脅威と、裏切りの国という汚名だけだ! 諸君らを英雄と称える者も、諸君らの戦いを美談とする者も現れはしない!!」
厳しいようだが、ここで心を折ってしまわなければ、また暴発するだろう。
俺がアルビオンに行ったあとに暴発され、停戦が取りやめになったら目も当てられない。
彼らには理解してもらわねばならない。
皇国は追い詰められ、苦肉の策でどうにか停戦に持ち込んだのだ、と。
「思い出せ! 戦場の恐怖を! アルビオンの魔術の恐ろしさを! 仲間が死ぬ恐怖を! 大切な誰かが散っていく現実を! その手に剣をとったのは何のためだ!? 何のために戦った!? “誰かのために”と思ったからのはずだ! 戦火で家族を失い、二度と同じ思いを“誰か”にさせないと思った者もいるだろう! 散っていく“仲間”のために戦うこと誓った者もいるだろう! 覚悟は人それぞれだ! だから思い出せ! 全ては戦いが引き起こしたことだ、ということを! 魔獣だろうと、人だろうと、戦えば犠牲はでる! その犠牲を最小限にするために、戦ってきたんだろう!? 今、また、戦いを再開すれば、それまでの自分たちの戦いを否定することになるぞ!?」
犠牲を減らすために、犠牲を積み上げる。それが戦争だ。
多くの矛盾が生まれ、その矛盾とも戦う必要がある。
目の前の敵を殺すだけでは留まらない。死は新たな死を生み、憎しみは連鎖していく。
戦場に出ることを選んだ兵や騎士だけに留まらず、戦うことを望んでいない人々も巻き込み、悲しみが大勢に降りかかる。
だから、前線の兵は必死に戦う。そうさせないために。
そんな前線の兵士たちが、戦いを望むのは、自己の否定だ。
してはいけない。させちゃいけない。
共に戦った戦友たちに、そんなことをさせちゃいけない。
「今、皇国の命運は諸君らの行動にかかっている! 皇国全土の民が本当に戦争を望んでいると思うか!? アルビオンと停戦することに納得していないと思うか!? 一時の平和を望んでいないと思うか!? 諸君らの帰りを誰も待っていないと思うか!? 諸君らの死を誰もが望んでいると……そう思っているのなら、俺の前まで来い! そんな生きる価値もない奴は、共に戦った友として、俺がこの場で引導を渡してやる!!」
俺が喋っている間も、少数ではあるが、少しずつ進んでいた者たちはいた。
だが、最後の言葉で、彼らは全員その歩みを止めた。
剣や槍を落としている者、打ちひしがれ、涙を流している者、その場で呆然としている者、さまざまだ。
けれど、これで皇国がアルビオンに仕掛けるという展開は無くなっただろう。
残るはアルビオン側だ。
既にアルビオンは大義名分を手に入れている。
フレズベルクの召喚は、交渉の決裂の判断材料としては充分だろう。
アルビオン側に躊躇する理由はない。このまま一気に攻め込み、皇国を蹂躙することだって可能だ。
実際、俺の言葉で皇国軍が止まったにも関わらず、アルビオン軍は止まっていない。
アルビオン軍を止めねば、皇国を止めても意味はない。
止めることができるランドールには、動く気配がない。俺が止めるならよし、止められなくてもよし、と思っているのだろう。
まったく。
秩序の番人と聞いて呆れる。
「アルビオン全軍! 俺は当初の予定通りアルビオンに行く! 進軍を止め、魔術の詠唱も止めろ!」
「黙れ! 既に交渉は決裂した! 貴様らが決裂させたのだ!」
騎馬隊を率いている大男がそう大声で返した。
皇国側であるフィオが交渉を決裂させた。
それは確かに事実だ。
けれど、既にフレズベルクの姿はない。もう少し柔軟な対応をしてもいいんじゃないだろうか。
秩序の番人、大陸の守護者。そんな大層な名前で呼ばれた国の軍なのだから。
「アルビオンは戦を望むのか!?」
「望んでいるのは貴様らのほうだ!」
「本当にそうか? よく自分たちの姿を見つめ直してみろ! 既に脅威は去った! 既に敵軍は足を止めている! それでも諸君らは止まらない! ぶつかりあえば戦争だとわかっていながら、諸君らは止まらない! それでも戦争を望んでいないと? 俺には戦争を望んでいるようにしか見えないぞ! 今の諸君らは、獲物を前にした餓狼と変わりはしない!!」
最後の言葉は明確な挑発だ。
しかし、少しでも自制心が残っていれば、その挑発に乗ることは、俺の言葉を認めることに等しいとわかるだろう。
おそらく、あの大男はアルビオンの部隊長クラスだ。敵の挑発に理性を失うようなことはないだろう。
俺の読み通り、一番前を駆けていた大男の騎馬隊が停止する。
こちらを睨んではいるが、再度突撃してくる気配はない。
一度でも間が空けば、その間に俺とフィオの交換は終了する。
俺は、ふぅと息を吐く。
皇国軍とは違い、アルビオンにとって、俺は敵だ。上官だったわけでも、仲間だったわけでもない。
言葉を聞き入れる必要はどこにもない。だから、動きを止めるだけでもかなり難しいはずだったのだけど。
「アルビオン軍の優秀さに救われたか……」
そう呟いた瞬間。
アルビオンの砦が一瞬だけ光った。
それが見慣れた光だったことに、気づき、それから俺は上空を見上げる。
炎の玉を打ち上げる連結魔術だ。
着弾時に爆発するため、密集地帯に打ち込めば、相手に甚大な被害を及ぼす。
それが放れた。アルビオンの砦から、停止している皇国軍に向かって。
わかってしまった。間に合わない。
通常は数人がかりの防御魔術で防ぐモノだ。皇国の砦にいた魔術師は僅かだ。それに、何があっても砦からは離れないように厳命してきたから、砦から出てきた者たちに同行はしていないだろう。
つまり、防ぐ手立てはない。さらにいえば、範囲の広い爆発から逃れるのは難しい。すくなくとも、一割ほどは被害を被るだろう。
ランドールが何か唱えている。それは何の救いにもならない。
奴にとっても、予想外、ということだ。
皇国軍の兵士たちも、前線で戦ってきただけあって、反応は早く、的確だ。しかし、盾を並べた程度では防げない。それほど連結魔術とは理不尽なものだ。
そう理不尽なのだ。魔術は。
炎の玉が皇国軍の真上に差し掛かったとき、二つの異変が起きた。
一つは、地面で起きた。
大地が盛り上がり、皇国兵たちを覆い尽くしたのだ。
ドーム状の土壁だ。
千人近い人数を覆うほどの巨大な土壁は、俺の視界から完全に皇国兵を消し去る。
一瞬で出来上がった土壁にも驚いたが、異変はそれだけではない。
空から急降下してきた“何か”が炎の玉と交差し、一瞬後、炎の玉が爆ぜたのだ。
空中で爆発した炎の玉は、余波を撒き散らすが、その余波は土壁によって防がれる。
余波を受けて、土壁はゆっくりと崩壊していくが、中にいた皇国兵は無事なようだった。
万事休すと思った展開が、一瞬で覆された。
「流石に危なかったのぉ。とっさの壁じゃったから、耐久力が不安だったんじゃが、“あの子”が空中で爆発させてくれたから、助かったわい」
「ランドール卿……あの子とは……?」
「そうじゃなぁ。本人が名乗るじゃろうて。じゃが、その前に、始末をつけねばならんかのぉ」
ランドール卿は底冷えのする視線を、アルビオンの砦へと送った。
策士は大なり小なり、自分の策に自信を持っている。いや、策というよりは、自分の思い描いた展開、といったほうがいいか。
その展開にすれば、自分は最大限のメリットを得て、相手は最大限のデメリットを得る。そんな展開を、策士は思い描き、そういう展開にするために、あれこれと考えを巡らす。
だから、その展開を邪魔する者には尋常ではない苛立ちを覚える。
特に上手くいっている時に邪魔をされるのは、心底腹が立つ。
今のランドール卿の気持ちはわかる。
俺がクラルスを持っていることは確認できた。
ランドールとしては、既に引き際だった。
戦争が起きても、起きなくても構わない。そういうスタンスだったランドールだが、だからといって、無闇に戦争がしたいわけではないだろう。
「いや、儂がなにかするのは筋違いかのぉ」
「そうね。指揮官でありながら、あんたは止めなかった。慢心が招いた結果よ。策士、策に溺れるとはこのことね」
ランドールの呟きに、空からそんな言葉が返される。
上を見れば、真っ白な鷹らしき巨鳥に乗った少女がいた。
巨鳥といっても、フレズベルクのような巨大さではない。それでも人が一人、二人は乗れそうな大きさだ。
羽ばたかずに空中に制止しているあたり、フレズベルクと似たような存在なのだろう。
そんな鷹の背に乗っているのは、俺よりも年下にみえる少女だった。
髪は燃えるように真っ赤で、サイドポニーにしている。
髪に合わせているのか、真っ赤な鎧を身につけており、その手には巨大な鎌が握られていた。
そんな少女の緑色の瞳が、俺の姿を捉えている。
可憐ともいえるような容姿とは不釣り合いな格好と、不釣り合いな武器だ。
まぁ不釣り合いなのは外見だけみた場合だが。
目の前に映し出されたステータス画面には、九十後半から百を超える数字が並んでいる。
そして、映し出された名前に俺は納得する。
画面に映し出された名前は【アイリーン・メイスフィールド】。
四賢君の一角にして、アルビオンの英雄。
最年少で四賢君に加わった天才。
そして、僅かな間ではあるが、俺が敵と定めた人間でもある。
「こうして会うのは初めてね。ヴェリスの軍師。私の名前はアイリーン・メイスフィールド。あんたをアルビオンに連れて行く人間よ」
「ヴェリス方面に向かう、といっておらんかったか?」
「ヴェリスの軍師を護送してこいって命令がきたのよ。本国からね。それで来てみれば、無抵抗の皇国軍にアルビオンが連結魔術を放っていたわけだけど……いったい、どういうことかしら?」
アイリーンの鋭い視線がランドールを射抜く。
ランドールはおどけた様子で、肩を竦め、笑いながら呟く。
「見ての通りじゃ。アルビオン軍が皇国軍を攻撃したんじゃよ」
「どうせ、また何か小細工をしていたからでしょう? 絶対に攻撃するな、といっておけば、攻撃するわけないもの」
「確かに厳命はしとらん。じゃが、無抵抗な軍を攻撃しろ、とも命令はしとらんよ」
「そう。まぁいいわ。今は責任の追求よりも、この場の収拾が先ね」
アイリーンの言うとおり、突如として現れたもうひとりの四賢君に、アルビオン軍も皇国軍も混乱していた。
アルビオン軍は、自分たちの攻撃を四賢君に防がれ、皇国軍は、敵である四賢君に助けられた。
どちらも混乱の極みではあった。しかし、明確な攻撃を受けた皇国軍は、戦闘準備を開始していた。
このままでは開戦しかねない。
俺の言葉はもう皇国軍には通用しないだろう。なにせ、俺が停止しろ、といったから止まったのに、それで攻撃を受けたのだ。たまったものじゃないだろう。
しかし、アイリーンはさして慌てた様子をみせない。実際、慌てるほどのこととも思っていないんだろう。
「私の声を聞きなさい! アルビオン軍!」
返事は静寂でもって返ってきた。アイリーンが言葉を発した瞬間、今まで準備をしていた連結魔術や、出撃準備をすべて取りやめて、アルビオン軍は聞きに回ったのだ。
それだけ前線の兵から信頼されている、ということでもある。
「自らがした愚かしさをわかっているかしら? 無抵抗の人間を撃つために、魔術を覚えたの? その身に纏った鎧は、何のためかしら? 今、この場にいるのは、皇国と戦争をするためかしら? 断じて違うわ! 我がアルビオンは他国を侵略せず、他国の侵略を許さない! 本国の方針で、今、我々は各地に侵攻を行っているけれど、国の方針に騎士が合わせる必要はどこにもない! その剣は誰に捧げたの? 公王陛下? 私? 違うはずよ! 公国の民たちに捧げたはず! 国を守るために振るう。そう誓ったはず! 我らは秩序の番人! それが誇りであり、それが指針! さきほどの行動を悔いるならば、剣を収めなさい! アルビオンの騎士たちよ!!」
アルビオン軍から似たような音が所々から聞こえてくる。
剣を鞘に収める音だ。
それは、アルビオンが戦意を失った証拠でもある。
アイリーンはその音を聞くと、満足げに頷き、フィオをみる。
「フィオナ皇女。さきほどはこちらに非があるわ。望むならば、犯人を引き渡すけれど?」
「それは必要ないじゃろうて。なにせ、最初は皇国からじゃしのぉ」
「そうなの? なら、どちらもなかったことにしない? どう? フィオナ皇女」
今のフィオに、アルビオンの非は唱えられない。なにせ、一番最初に交渉をぶち壊した犯人だ。
フィオは小さく頷く。その目は泣いたせいで赤く、まだ潤んでいる。
両国のトップの合意を受けて、シャルロットが皇国軍へと向かった。
戦闘の準備をしているとはいえ、皇国もいまだに混乱している。
両者の行動をなかったことにするということで、合意したと聞けば、率先して行動することはないだろう。
アイリーンのあの言葉は皇国にも突き刺さる言葉だ。
それに、場は掻き回されすぎている。状況を把握することすらできていない以上、この場の誰もが、これ以上、なにかしようとは思わないだろう。
「ユキちゃん……」
フィオが俺に声をかけてくる。
これが最後の機会だろう。
アイリーンの任務は、俺の護送だ。
アイリーンの様子をみれば、その任務が不本意だというのはすぐわかる。
すぐに終わらせたい。そう思っているんだろう。だから、俺にもあまり時間は与えないだろう。
いや、既に俺を軽く睨んでいる。
急げ、といったところか。
急かされている以上、長くは喋れない。だから、俺はさまざまな思いを込めて、フィオに告げた。
「また会おう。フィオ。今度は平和なときに」
フィオの目からまた涙が溢れはじめる。
これ以上、みていては、踏ん切りがつかなくなる。
そう思い、俺はフィオに、そして皇国に背を向けた。




