第三章 孤軍5
二話連続投稿です。
太守館の一室。
フェレノールの統治者であるリガール太守の部屋に俺はいた。
部屋には俺とリガール太守しかいない。
しかし、俺とリガール太守の間に会話はない。
リガール太守は腕を組んで、椅子に座ったまま、沈黙している。
俺から話を切り出すのも可能だが、それはしない。
表情を見ればわかる。リガール太守は、気持ちを整理している。邪魔しちゃ悪い。
俺が来る前に、しっかり整理はしていたはずだろうが、俺を前にしたら、押さえ付けていた気持ちが、また表面に出てきたんだろう。
激情という名の気持ちが。
俺は最愛の姪を敵国の人質にした男。しかし、皇国が売った男でもある。
叔父としては、俺を殴りつけたいところだろう。けれど、フェレノールの太守にして、皇国の皇族としては、頭を下げねばならない。
リガール太守は葛藤している。それを邪魔するわけにはいかない。
答えを出せるのは本人だけだ。
「……ユキト・クレイ……フィオナは、なぜ、自ら人質になった?」
「俺に……仲間と別れる時間をくれるためです」
「そんなこと……とは言えんな……。あの子は貴様を気に入っている。貴様が皇国の人間なら、問答無用で、夫にするところなのだがな……」
問答無用って。
人権無視かよ。せめて、イエスかノーかくらい聞けよ。
内心が表情に出てしまったのか、リガール太守が睨んでくる。
「何だ? その顔は。まさか嫌なのか?」
「いきなり、夫になれ、といわれたら、皆、困惑すると思いますよ……」
「あの子は美人で、気が利く。そして聡い。妻にしたら、大陸中に自慢できるぞ?」
「そうですね。ですが、俺はヴェリスの人間です」
既にヴェリスと皇国の間には、埋まらない溝ができた。
ヴェリスは皇国を許しはしないだろう。表面上の仲を取り持つことはできても、人の心理はどうにもならない。
ヴェリスの人間たちは、皇国の人間は、すぐに裏切る信用ならない者たちだと、思うだろう。そして、それは態度に表れ、両者の溝を深める。
一部の人間同士が決めた、国同士の繋がりは、この先、有り得るかもしれないが、国の人々同士が仲良くすることは、難しいだろう。
だから、俺がフィオの夫となることはないだろう。
俺やフィオの気持ちの問題じゃない。国が、国の人々が納得しない。
「そうだ。貴様が皇国の人間ならば……命懸けで救ってやれるのに……なぜ、貴様はヴェリスの人間なのだ……」
「申し訳ありません。けれど、それは言っても仕方ないことです」
「これが言わずにいられるか! あの子はなぜ、幸せになれない!? なぜ、あの子ばかりが不幸を背負う!?」
リガール太守は机を強く叩いて、立ち上がった。
その振動で、机の上に置いてあった紙が飛び散る。だが、リガール太守は気にする様子を見せない。
「フィオは……不幸かもしれません」
「かもしれない、ではない! 不幸なのだ!」
「ですが、この大陸にはその日の食事に困る人がいて、今、こうしている間にも、命を落としている人がいます。フィオよりも幼い子供たちだって、沢山います。両親の顔を知らない子供もいます。親の愛情を知らずに育った子供もいます」
「だからどうした……その者たちと比べれば幸せだというつもりか!? フィオナとて、似たようなものだ! あの子は力がある故に、戦場に駆り出され、見たくもない人の死を見てきたのだ! 魔獣との戦いは、人と人との戦いより凄惨で、悲惨だ! 目の前で魔獣に喰われる同胞を見ながら、フィオナはそれでも指揮をとり、勝利を引き寄せたのだ!! その対価に幸せになって、なにが悪い!?」
リガール太守も、俺に言ったところで、何かが変わるわけじゃないことはわかっているだろう。
それでも感情を爆発させ、溜め込んだ言葉を吐き出さずにはいられないのだ。
荒い息を吐きながら、リガール太守は、力なく椅子に座る。
「……貴様は……なぜ怒らない……? なぜ、憤らない?」
「怒りを露わにして、憤って、何かが変わるなら、そうします。ですが、そうしたところで、何も変わりませんから。俺にはアルビオンにいくしか道はない。それは変わりません。焦っても、怒っても、ましてや人に当たっても、状況は変わりません。そういうときこそ、冷静に、状況を分析して、活路を探すように……意識しています」
「ふん……つまりは、怒りや憤りは感じていると、そういうわけだな? 貴様も人間だな」
「ええ。普通の人間です。できることには限りがありますし、怒りを感じるときも、泣くときだってあります。だから、精一杯考えています。今できる最善はなにか、目的のために必要なことはなにか」
「今できる最善か……その最善は……誰が最善だと判断する?」
「結果を見た、自分以外の誰かと、最善と信じて行動した、そのあとの自分です」
「結果次第か……貴様は、このあと、どんな結果を思い描いている?」
難しい質問だ。
いや、簡単か。
俺が思い描く結果。
それは。
「大陸の平和です。少なくとも、国同士の争いは……無くなっています」
「不可能だ。既に大陸は泥沼の戦乱期に突入している。共和国は島との争いを続けているし、皇国とヴェリスの間には不和が生まれた。帝国とアルビオンも利害が一致しているに過ぎない。同盟はいずれ崩壊し、それぞれの国が大陸の覇権を狙うだろう……まぁ、皇国はすぐに消えるだろうがな」
「はい。戦禍は広がり、力のない者たちが消えていくでしょう。だから、止める必要があります」
「どう止める? 敵国であるアルビオンで、貴様に何ができる? 優秀な部下も、力ある者たちの支援もないのだぞ?」
確かに、一人じゃ俺は無力だ。
力はなく、問答無用で処刑される可能性だってある。
けれど、その可能性は低い。
なぜなら、アルビオンにはストラトスがいる。俺があいつなら、俺をすぐに殺すなんて、勿体無いことはしない。
なにせ、奴の目的はソフィアだ。
俺はソフィアを釣るには絶好の餌だ。さらに言えば、ヴェリスを引き付け、カグヤ様も釣れる。
だから、俺は殺されはしない。それに、あいつは子供のように、人を操るのを楽しんでいた。
子供のような無邪気さ。まるで、ゲームを楽しんでいるような感覚で、あいつはいるはずだ。
そして、あまりに簡単なゲームはつまらない。適度な苦戦がなければ、楽しくないから、あいつは俺の自由を全て奪い、餌だけの状態にはしない。
そこが狙い目だ。あいつの傍には、操り人形はいても、味方はいない。
全てを操れるから、あいつは一人だ。
だから、まぁ俺一人でも、多分、どうにかなる。あいつに上手く接近できればの話だけれど。
ストラトスさえ、どうにかできれば、アルビオンの暴走は止められるだろう。元々は、大陸の抑止力だった国だ。
進んで戦争を望みはしないだろう。もしも戦争を望むというなら、できればやりたくはないが、ソフィアに協力してもらうだけだ。
「今回の戦争の原因は、今まで、大国間の調整を行っていたアルビオンが、ヴェリスに攻め込んだため、起こりました。ですから、アルビオンを元の中立国に戻せば、戦争は止まります」
「確かにその通りだ。帝国が動くのは、アルビオンが味方故だ。しかし、どうやる気だ?」
「特別なことはしません。まずは話し合いで、アルビオンの強硬派を説き、通じないならば、力づくで排除するだけです」
そうはいっても、強硬派の大半は、ストラトスの術中だろうから、排除するのはストラトスだけに留めたい。
それだけの余裕が、俺にあればの話だが。
「その力を、貴様は持ってはいない」
「アルビオンにも、非戦派はいます。力がないなら、付ければいい。仲間がいないならば、作ればいい。状況を自分の有利なように変えていく。それが軍師です」
「非戦派が強行派と争う気がなかったらどうする?」
「ないなら、生むだけです」
リガール太守は俺の言葉に目を見開く。
俺の言葉の意味を理解したからだろう。
非戦派と強硬派の争い。それはつまり。
「内乱を起こさせる気か!? その考えがあるから、アルビオンの内部に入ることに、抵抗感を持っていないのだな!? 自らを火種にする気か!?」
「そういう方向性でいるだけです。まずは、アルビオンの内情を知らなければいけません。上手くいくかはわかりませんが、アルビオンが内乱になれば、ヴェリスへの攻撃は中断されます。そして、帝国は、一国でヴェリスと戦う無茶はしないでしょう」
「そうなれば、各国は緊張状態で膠着する……そういうわけか……」
アルビオンに内乱を起こさせるのは、外からでは難しい。いや、アルビオンに限らず、外から、敵国に内乱を起こさせるのは、非常に難しい。
しかし、意外なほどに、内側からの混乱は広まりやすい。なぜなら、基本的に民は戦争を望まないからだ。
勝っているうちはいい。しかし、負けるなら、膠着状態になると、途端に不満がでてくる。
通常は、間者を使い、そういう人々を煽るのがセオリーだが、今回は俺が間者だ。
噂を流し、不和を誘発させ、不満の導火線に火をつける。
それをするのに必要なのは、話術と知識だ。
巧妙な嘘をつくには、人の心理を把握している必要がある。そして、観察し、得た情報を生かすにも、知識は必要になってくる。
そして、その知識を上手く使うには、話術が必要になってくる。
本当は、人の話を信じ込みやすい奴や、周りから信頼されている奴などを見抜く必要があるが、そこらへんは、ステータスを見れば、大体わかる。
噂さえ勝手に流れてくれれば、その内、それは本当のように語られる。知ったかぶりの奴や、話を大きく話す奴が、尾ヒレもつけてくれる。
内側に入り込むのが一番大変だが、今回は向こうから招いてくれている。
俺を連行している間、閉じ込めている間、人の前に晒す間。
誰も俺と接触しないのは不可能だ。
そのチャンスを、俺は逃したりはしない。
「まぁ、考えはそんな感じです。ですから……皇王陛下を止めてください。皇国が滅びても構わないというのは……陛下の身勝手です」
「……貴様が成功する保証はどこにある? アルビオンと戦えば、皇国は負ける。それだけの差が、アルビオンと皇国にはある」
「戦わずに降伏しても、アルビオンが皇国に善政を行う保証もありません。アルビオンを信じるか、俺を信じるか。どちらかです」
リガール太守なら、おそらくロナルド陛下を思いとどませることはできるだろう。例え、俺が失敗しても、皇国をむざむざアルビオンに差し出すことはしないはずだ。
アルビオンは確かに、大陸の中央部で、自国を抑止力にして、平和を守り続けた大国だ。確かに、そのときのアルビオンは信頼に値する。
けれど、今は違う。
今のアルビオンは、秩序の番人でも、中立国でもない。
信頼するのは、流石に危険だ。
どうにも、ロナルド陛下はアルビオンを信頼しすぎている節がある。どうにか行動を止められる立場にいるリガール太守には、危機感を持っていてもらわねばならない。
まぁそれだけアルビオンは信頼できる国だったということだろうけれど。
そう思えば、やはり、アルビオンの侵攻はストラトスの影響が強いのだろう。
「ひとまず、説得はしてみよう。だが、確約はできん。兄上は……一度決めたら、どうにかやり通そうとするからな……」
「構いません。ただ……降伏の話を、アーノルド提督は」
「伝えてはおらん。察してはいるだろうがな。だから、リアーシアを送ってきたのだろう。兄上の中では、一度、降伏し、征服された皇国を、アーノルドが取り返す。そんな筋書きが出来上がっているのだ。だから兄上は、アーノルドには皇国の現状を教えてはいない」
「なるほど。アーノルド提督が、陛下の考えに賛同するとは思えないと思っていましたが、そういうことでしたか」
事後をアーノルド提督に託す気でいるのだ。
ロナルド陛下と、今の言い方や、ロナルド陛下の考えを知っていることから察するに、リガール太守は。
「そうだ。アーノルドなら、全てを任せられる」
「では、それは戦争が終わったあとに、皇国が単体で行ってください。征服された皇国を取り戻すとなれば、民にさらなる犠牲を要求することになります。そして、それは周辺諸国に悪影響を及ぼす。申し訳ありませんが、その計画は、断じて許すわけにいきません」
「ふん……ならば、アルビオンを中立国に戻せ。そうすれば、兄上の退位程度でことは収まる。そして、兄上は、皇王の重荷から解放される。フィオナにも、父親らしく接することができるだろうさ」
アルビオンを中立国に戻す。
つまり、どのような手段であれ、アルビオンに侵攻をやめさせることができれば、ヴェリスと皇国はハッピーだというわけだ。
他の国は申し訳ないけれど、知らない。
そこまで余裕はない。
俺も人間で、できることには限りがある。優先するのは、自分の周りだ。
「では、成功を祈っていてください。俺は、国境線へと向かいます。フィオの帰りの護衛も必要ですから、フェレノールから騎士を出してもらっても構いませんか?」
「用意しよう。ユキト・クレイ……月並みだが、武運を祈る」
「感謝します。では、いつか……また会える日を楽しみにしています」
そういって、一礼し、俺はリガール太守の部屋をあとにした。




