第三章 孤軍
アルビオンに俺を連れて行く。
それは中々に困難なことだ。まず、俺がランドールを完全には信用していない。更に、ストラトスの目を盗むのが難しい。
奴は自分の駒となった者をあちこちに送り込んでいるはずだ。そうなってくると、そいつらにバレずにアルビオンに俺を連れ込むというのは、幾ら四賢君の一角といえど難しい。
なら、ランドールはどうやって俺を連れて行く気なのか。という話になるが、おそらく簡単な話だろう。
堂々と連れて行く気なのだ。
兵を退く代わりに俺の身柄を受け渡せとでも皇国にいって。
「それは信頼が必要な行為ですが?」
「戦乱の世では親兄弟とて裏切る。儂に信用を求めるでない」
「あなたがストラトスと協力していないという証拠はありますか?」
魔術で操られている可能性もあるし、元々、ストラトスに協力していた可能性もある。
とにかくストラトスとの繋がりがないことを証明してくれなければ、話には乗れない。
それに、上手い話には裏があるともいう。
公王がストラトスに操られている以上、今回、ランドールが受けた命令は皇国への侵攻のはず。その命令を受けているにもかかわらず、撤退するのはランドールの立場を脅かしかねないし、実力を疑われることにも繋がる。
本当にストラトスの思惑通りになりたくない。それだけとは考えにくい。個人的な思惑があると考えるべきだろう。
「ない。まぁ魔術で操られてはいないのは確かじゃが、魔術で操られていないという事が、ストラトスと繋がっていないという事にはならんじゃろ?」
「はい。もしも自発的にストラトスに協力していた場合、俺は罠に嵌められます。そこをどうにかしなければ、お話はお受けできません」
「じゃろうな。だが、しかしじゃ。お前さんに選択権はあるかのぉ?」
ランドールは伺うようにこちらを見てくる。
まぁそう来るよな。ランドールの目的は俺をアルビオンに連れて行くこと。そこにストラトスが関わっていようがいまいが、やることは変わらないだろう。
俺を差し出せば軍を退く。そう皇国につきつければ済む話だ。皇国はヴェリスとの同盟を破棄する形になるが、ヴェリスに派遣している第一艦隊を呼び戻せる。
アーノルド提督は別に海戦に特化している訳ではない。フィオとアーノルド提督の二人がいれば、アルビオンの再度の侵攻にも耐えれるだろう。もっと、いえば、俺を渡す際に様々な譲歩を勝ち取れるだろう。
本気でランドールが俺をアルビオンに連れて行く気ならば、撤退ではなく停戦の可能性もある。まぁそこまでの権限はいくら四賢君とはいえないだろうが、そう働き掛けることくらいはできるだろう。そしてその働きかけは強力だ。
待てよ。もしも停戦や和平の話を持ち出すならば、おそらくランドールはストラトスと繋がっているはずだ。そういう権限を持っているということなのだから。
「確かに俺に拒否権はないでしょう。ですが、皇国もタダでは俺を引き渡したりはしないはずですよ?」
「そうじゃなぁ。四賢君と呼ばれていても、与えられた権限には限りがある。儂にできるのはある程度の戦果を示して、その後撤退に持ち込むことくらいじゃな。アイリーン嬢にも了解は取ってある故、皇国侵攻軍は全軍撤退させることができるじゃろう。撤退は戦争前の国境線までといった所かのぉ」
そう喋るランドールの表情に乱れはない。ステータスにもだ。おそらく嘘をついてはいない。
だが、ランドールはストラトスと繋がってはいないという証拠にはならない。俺が見抜けないだけで、嘘をいっている可能性も有り得る。
「その条件で俺を引き渡すことを皇国は了解するでしょうか?」
「さぁのぉ? どうなんじゃ? フィオナ皇女」
ここまで聞き役に徹して、殆ど喋らなかったフィオに話が振られる。
ストラトスの話は一応してあるが、そこまで詳しくはしていない。だから黙っていたのだろうが、話の方向は皇国の動向についてだ。答えないわけにはいかないし、話を逸らすのも難しいだろう。
例え関わりが薄くとも、フィオは皇女で、皇族という皇国の代表の一族だ。自分の意見はいわなければいけない。
だが、フィオ個人の意見は予想できてしまう。
「絶対に渡しません」
やっぱり。
完全に個人の主観だ。ランドールは微笑ましそうに笑っている。そういう答えが返ってくることを分かっていたな。
「そうなると、このまま戦争を続けることになるのじゃが?」
「例えそうであっても、国の為に戦ってくれた同盟国の人間を敵に売り渡すなどできません」
「その戦争が、裏で糸を引いている者が喜ぶものであってもかのぉ?」
「致し方ないかと」
取り付く島もない。
ランドールもあえて質問しているように見える。一体、何が狙いなのだろうか。
フィオへ問いかけを続けた所で話は進まないと思うが。
「なるほど、なるほど。信頼しとるようじゃのぉ。もう少し大人な子であれば、こちらも心を痛めずに済んだのじゃがなぁ」
「どういう意味でしょうか?」
「まぁ簡単な話じゃよ。フィオナ皇女のお父上はそうは思ってはおらんということじゃ」
聞いた瞬間。
俺は椅子から立ち上がってしまった。
正直、やられたと思ってしまった。まさか皇王へ直接交渉を持ちかけているなんて。
「一体……いつから……」
「元々、皇国への侵攻は儂とアイリーン嬢との二人で行う予定じゃった。じゃが、儂は秘密裏に皇王と交渉する気じゃったから、最初はアイリーン嬢に任せたのじゃよ。期間で言えば、アルビオン軍の再編成が始まった辺りには、もう皇王とは接触しておった」
まさかアルビオン軍が中々攻めて来なかったのは、こちらを油断させるためではなく、交渉の為の時間稼ぎだったのか。
戦場のことで頭が一杯で、そういう政治的なことにまで気が回らなかった。
気づけていれば、また違う対応もできた筈。いや、ヴェリスならまだしも、皇国では政治には関与できない。気づけた所で俺の手の届かないところで行われている交渉を止めることなんてできなかった。
だが、こうまで見事にしてやられたのは久々だ。
「儂の信条でのぉ。厄介な人間とは戦わないことにしておるんじゃよ。お前さんが、あのアーノルドに一杯食わせたのは知っておった。じゃから交渉の席につけば、おそらく何かしらの打開策を講じるのもわかっておったのじゃ。残念じゃったのぉ。儂は最初からお前さんとは戦ってはおらんのじゃ」
用意された土俵に上がったと思ったら、敵が別の土俵にいたとは。
俺やフィオが皇国の政治には関与してないことまで見抜いての行動か。
皇王の行動を止められるアーノルド提督は、未だにヴェリスにいる。
意を唱えるだけならば、リガール太守でもできるかもしれないが、フィオの一件で皇王とは対立気味なリガール太守では、決定は覆せないだろう。
今、この瞬間、皇王の決定を覆せる人間は皇国にはいない。
「そんな……お父様が……」
「条件は戦争前の国境線まで退くこと。そして半年の停戦期間を設けることじゃ。既にアルビオン本国への確認も済ませておる。この交渉はその最終段階じゃ。本人の意思確認といった所かのぉ」
いけしゃあしゃあといってくるが、返す言葉が見当たらない。
全くもってしてやられた。打開策が一つも見当たらない。
このままヴェリスに逃げるという手があるが、砦の兵士たちを振り切る必要がある。
もしも振り切る、ないし見逃してもらえたとしても、海を渡る術がない。陸路は全て一度、アルビオンを通過しなければならない。もしくは魔獣がひしめく山々を超える必要がある。
それは不可能だ。そんな準備はしていないし、している時間もない。そんなことをするくらいなら、ランドールを信じてアルビオンに向かった方がまだマシだろう。
大体、この場で俺が逃亡すればフィオが責められることになるだろう。この交渉は冗談ではなく皇国の存亡が関わっている。それをご破産にしては、いくら皇女といえど処罰は免れまい。
それにフィオは俺が逃亡することを決意すれば、おそらく逃がしてくれるだろう。全力で。その後のことは一切、考慮せずに。それくらいの信頼関係は築いている自信はある。
だが、それをさせる訳にはいかない。信頼関係を築いたからこそ、そんなことをさせられない。
俺がここで足掻けば、様々な人に迷惑がいってしまう。そして例え僅かでも皇国が得られるだろう平和な一時もなくなってしまう。
ランドールのいうことが本当ならば、ここで話に乗るのはあまりマイナスではない。皇国とアルビオンの戦争は終わり、なおかつストラトスの思惑を外せる。そして俺はストラトスに近づける。
無駄な血を流さずに、アルビオンをストラトスから解放できるかもしれない。
これは賭けだ。ただ、分が悪いように見える。なにせ会ったばかりの赤の他人を信じなければいけないからだ。
せめて保険がなければとてもではないが承諾できない。
そう、もしも俺が賭けに負けてもどうにかなるような保険だ。
後ろで黙っているアルス隊長を見る。
視線が合う。
何かを訴えるような目だ。おそらく俺が承諾すれば激怒するだろう。だが、ほかに手はない。
だから。
「アルビオンに行くのは俺だけで良いんですね?」
「そうじゃ。それ以外は条件には含まれてはおらん」
「では……部下がヴェリスに帰還するのを見届けてから、アルビオンには参りましょう。それくらいの我が儘は許されませんか?」
ノックスをヴェリスに送り返す。
今できることはそれくらいだ。
ノックスがヴェリスに戻れば、カグヤ様たちの負担も減る。皇国の離脱でヴェリスは単独でアルビオンと帝国の二大国と戦うことになるが、帝国もアルビオンも内憂を抱えている。まだまだ勝機はあるはずだ。
そして、ノックスは特殊部隊だ。そういう風に育てた。
戦線を突破し、敵国に侵入するのも、まぁ指揮官次第では可能だろう。
それが俺が用意できる俺への保険だ。
「構わん。しかしじゃ。お前さんが逃げないという保証はどこにある?」
「それはこちらを信じて頂くより他はないかと」
こっちもそっちを信じるんだから、そっちもこっちを信じろ。
そんな子供のような言い分に、ランドールが頷くはずもない。
「それでは認められんのぉ。こっちは強制的にお前さんを連れていけるんじゃぞ?」
さて、どうしてものか。
今にも腰に差している双剣を抜きそうなアルス隊長を視線で諌めつつ、何かいい手はないかと考える。
人質代わりになる物を渡すのが一番だが、俺が持っている物でそんな価値があるのはソフィアから預かっている扇だけだ。そしてランドールが欲しがっているのはそれなのだ。
渡したら最後だろう。
無理矢理奪いに来ないのは、俺と争えば、結局はストラトスの思惑通りになるからか、それとも逃げられる可能性があるからか。まぁどうであれ、扇を渡すというのは有り得ない。
そうなってくると物ではなく者になってくるのだが、部隊長の内、誰かを人質にするのは意味がない。彼らをヴェリスに送り返すのが目的なのに、残っていてもらっちゃ困る。
部隊長はヴェリスには欠かせない戦力であり、俺にとっては命綱だ。なんとしてもヴェリスに帰ってもらう必要がある。
しばらく黙っていると、横にいたフィオが唐突に呟く。
「私が残る」
「……は?」
思わず、素で返してしまった。
まぁ俺といっている時点で、かなり素なのだけど、それでも言葉には気をつけていた。付け入る隙を与える訳にはいかなかったからだ。
しかし、フィオの言葉はそれを忘れさせるくらい強力だった。
「私が残るよ。皇国の皇女で、高位の指揮官。人質として不足はありませんね?」
「それは問題はないだろうがのぉ。フィオナ皇女を見捨てる可能性も」
「この人は親しくなった人を決して見捨てない。親しくなっていない人、他人に対しては、どれだけでも非情で、残酷になれるけれど、親しくなった人をこの人は……ユキト・クレイは見捨てる事はできない。それは皇国の皇女として保証します」
フィオはそういって毅然とした態度でランドールと視線を合わせる。
フィオを人質にするのはランドールにとってデメリットはない。俺が裏切っても、皇国の英雄であるフィオをアルビオンに連れていけば、まぁ戦果としては十分だ。それに条約を破ったとして、すぐさま皇国を攻めることもできる。
俺が戻ってこようが戻ってこまいが、ランドールに痛みはない。ただ、扇という目標が手に入るか入らないかの問題だ。
そこらへんの計算をすぐさましたのか、ランドールは小さく微笑み、呟く。
「馬鹿な子じゃのぉ」
「……初めて言われました」
「クレイはこれでもう逃げれなくなった。良かれと思うたことがクレイの首を絞めたのじゃ。皇国の皇女といった以上、今更、言葉をなかった事にはできんぞ?」
ランドールがこの交渉中で初めて、厳しい声を発した。
まるで孫を叱りつける祖父だ。しかし、実際は敵味方。なんとも奇妙なものだ。
「全て分かってます。ただ、ランドール卿。一言よろしいですか?」
「なんじゃ?」
フィオはゆっくり息を吸い込み、今まで見せたことがないほど険しい表情を浮かべる。
そして。
「ユキちゃんを甘くみると……痛い目みるよ?」
その場の全員が戦慄するほど冷たい声でそう言い放った。




