第二章 防衛戦6
レイアール砦と、アルビオン軍の間に、急ピッチで交渉をする場所が作られていく。交渉場といっても、ただの天幕だが。
作っているのはアルビオンの兵士たちで、こちらは見ているだけだ。先ほどまで戦っていた兵士たちに共同作業を命じる勇気は俺にはない。勿論、フィオにもだ。やれば結果は見えている。
確実に血が流れるだろう。
そんなことを考えて レイアール砦と、アルビオン軍との間に急ピッチで交渉場が作られていく。交渉場といいると、俺の傍にシャルロットが来る。
「本当に交渉に応じるのぉ?」
相変わらず怖気の走る声だ。
多分、猫撫で声なのだろうが、野太い声のいかついおっさんがやると、気持ち悪さは千倍だ。
更に今のシャルロットは格好が拙い。
全身血だらけなのだ。
「返り血くらい拭きなよ」
「あとで拭くわ。それで? どうなのぉ?」
「応じるさ。それ以外には手はないよ。なにせ、向こうから撤退の用意があるって言って来たんだからね」
それを砦の兵士たちが聞いてしまっているのも一つの理由だ。
交渉には乗らず、このまま睨み合いを続けても、他の砦が攻略されるだけだろう。交渉に乗らずに、主力が他の砦に移動するという手もあるが、それをすれば、アルビオン軍はすかさず攻めてくるだろう。
結局、交渉に乗らなければ詰んでしまう。交渉の場に俺とフィオを誘い出すことが向こうの策なのだとしたら、少なくとも交渉の場に出なければ、先には進まない。膠着状態が続いて困るのはこっちの方なのだから、誘いと分かっていても、乗る以外に方法はない。
今の最善は傷口を最小限に抑えることだ。それを前提に考えつつも、勝つ為にはこの交渉で、皇国の有利なようにアルビオン軍を退かせる必要がある。
「護衛は二名。俺はアルス隊長を連れて行くから、もう一人はシャルロットでいいかな?」
「ええ。構わないわよぉ。フィオナを守るのが私の任務だもの」
格好良く決まっているのだが、腰がクネっているから全てが台無しだ。
とはいえ、返り血を全身に浴びながら、シャルロットには外傷が全くない。それだけでシャルロットの力に疑いはない。
二名の護衛の人選を、フィオは俺に任せてくれた。
交渉で何かが起きれば接近戦。そうなるとミカーナには不向きだ。当然、エリカもだ。
残るロイは経験不足が否めないし、なにより余計なことを言いそうだ。
結果、俺はアルス隊長を護衛として選んだ。だが、護衛は二人。腕利きを連れて行く方が安心できる。だから残りの一人はシャルロットだ。
まぁシャルロットの濃いキャラが敵に何らかの影響を与えてくれるというのも考慮しての人選だが。
「期待してるよ?」
「あら? 荒事にする予定なのぉ? なら精一杯荒そうかしら」
荒事は荒事でも、人の心を荒らしてください。
なにやら太い腕を回しはじめたシャルロットを見て、俺はフィオの精神力に感服した。
俺ならこんなのが護衛だったら一日だって持たない。
「ねぇ。シャルロット。聞いていい?」
「なぁに?」
「フィオの事は好きなの?」
「あら? もしかしてあなた、私のことが好」
「断じて違う!」
どういう思考回路をしてるんだ。こいつは。
もしかしてフィオのことをっていうならわかる。なぜ、自分のことをって発想に繋がるのだろうか。
「でも残念ね。私は可愛い男の子と、とびっきり可愛い女の子にしか興味がないの」
「全く残念じゃないし、基準に見合う方が少ないことを自覚しろ」
「あら~? 基準を下げるとあなたも入ってしまうわよ?」
「……もうどうでもいいよ」
エンドレスだ。何をいっても返されてしまう。
わざとやっているならどうにでもなるが、無意識に近いからタチが悪い。
だが、こういう風に相手を引っ掻き回してくれれば、それだけこっちが有利になる。
交渉で一番大事なのは、相手を自分の土俵に引きずりだすことだ。既に俺とフィオは引きずり出され、対応が後手後手になっているが。
「いいようにやられるのは癪だからな」
「四賢君は手ごわいわよぉ? 特にピクス・ランドールはかなり前から四賢君の地位にいる老獪な策士よぉ。経験という最大の武器を持っているわぁ」
「経験は埋められない。けど、長生きしてる奴が一番経験がある訳じゃない。問題は密度さ」
「余裕とは違うわね? 自信かしらぁ? それとも、どう転んでも自分が勝つと知っているのかしらぁ?」
さて、どうだろうか。
俺はシャルロットに曖昧な笑みを返しつつ、完成しつつある天幕を視界に捉えた。
そろそろ準備が必要だ。指揮官が二人とも離れる以上、その後、何が起きてもいいようにしなくてはならない。
「ミカーナ」
シャルロットが来る前から俺の背後にずっといるミカーナに声を掛ける。
アルス隊長を護衛に選んだせいか、幾分か機嫌が悪いが、俺の声に答えないということはない。
「はい」
「部隊長たちを集めて。このあとのことを相談しようか」
「まるで、帰ってこれない可能性があるようですね?」
「相手は四賢君。どんな状況でも想定しなきゃね。俺たちの後ろには、戦う力のない人々が多くいるんだから」
負けられないのはこちらも一緒だ。
いや、アルビオン側の気持ちは勝ちたいだろう。対して、皇国側は負けられない。最初の気持ちの時点で追い詰められているのはこちらだ。
この戦争は最初から勝機は薄かった。そこから敵と交渉に持ち込めてるのなら、上手くやったほうだろう。
だから、あと少しだけ上手くことを運ぶとしよう。
「まぁ安心してよ。今回もどうにかするからさ」
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「よぉ来た。アイテールの大翼。そして」
天幕に入ると、椅子に座っていた小柄な老人のしわがれた声が響く。最初はフィオを見ていた老人は、そのまま視線を横の俺の方へ移してくる。
「ヴェリスの軍師。儂がアルビオンの四賢君。ピクス・ランドールじゃ。まぁ四人の賢君などと言っているが、言うほど大したもんじゃないわい。平凡な老人と思って接してくれ」
禿げかけた頭、皺くちゃな手や顔。見た目は老人ホームに入っていてもおかしくはなさそうな老人だ。
しかし、緑色の目だけ老いてはいない。その目と視線を合わせた瞬間、息が詰まるかと思ったほどだ。
「……ご冗談を。ランドール卿。あなたがただの老人ならば、大陸中の人々は平凡以下になってしまいます」
そう言いつつ、スキルを発動させた俺の目に飛び込んできたステータスは、予想通りというかやっぱりというか、高い数字ばかりだった。
戦闘力は九十台。知力は百二十を超えており、魔力も百を超えている。
見た事のあるステータスだ。俺が今まで対峙した中でこれだけ高い知力を持っていたのはディオ様を除けば、一人しかいない。
アーノルド提督だ。
戦闘力や魔力はランドールの方が僅かに上で、知力はアーノルド提督の方が上ではあるが、似ている。それは二人が近い位置にいるということだ。
アーノルド提督と対峙した時、俺たちヴェリス側は最初から皇国に対して優位に立っていた。だから、アーノルド提督にいいように転がされずにすんだ。
だが、今はこちらが不利だ。
ステータスは嘘をつかない。同じ条件下での知恵比べであるなら、知力が高い方が勝つ。
こちらにはフィオもいるが、腕っ節で戦う訳じゃない。数で勝ることが有利とは限らない。
「平凡以下の方が幸せだと思うがのぉ。期待されることはないし、こんな戦場に送られなくて済むしのぉ」
フォッフォッフォと笑いながら、ランドールは用意してあった席に座るように勧めてくる。
一言、礼をいって、俺とフィオが席に座り、その後ろにシャルロットとアルス隊長が立つ。
アルビオン側の護衛は一人だ。そいつの戦闘力は五十ほどで、他のステータスも高くはない。護衛というよりは、ランドールのお世話係といったところだろうか。
「それは恵まれた方の贅沢な悩みかと。私は自分に自信がないので、常に他者より上でありたいと望んでいます」
「嘘をつくでない。クレイ。お前さんは他者より上でありたい訳ではないじゃろ? そなたが上回りたいと願っているのは……敵じゃろ?」
軽く細められたランドールの目が俺を射抜く。
ここに来る前に経験は密度だと俺はシャルロットにいった。そして、アーノルド提督と知恵比べをした経験がある俺は、例え四賢君一の知恵者であっても引けは取らないと考えていたのだが。
浅はかだった。
こちらを押しつぶさんとする重圧を感じる。フィオも感じているのか、小さく汗をかいている。
今、ランドールが出している雰囲気は、歴戦の猛者が出す雰囲気に似ている。この人は机上の策士ではない。この人自身が相当な修羅場をくぐりぬけ、それに裏付けされたものが存在するのだ。
流石というべきか。周囲を敵国に囲まれたアルビオンの将だけあって、一癖も二癖もありそうだ。
まぁここでビビっていても始まらない。
交渉も戦いだ。先手というのはかなり重要になってくる。
「ご想像にお任せいたします。さて、こちらはあまり時間はないので、すぐに交渉に移りたいのですが?」
「じゃろうな。戦いが止まっているのはここだけじゃ。メイスフィールドは今、後方軍四万と共に二つの砦を攻略するために進軍中。あまり時をかけると、あの子のことじゃ、さっさと砦を落としてしまうじゃろうて」
いっそう、清々しいほど、自分の軍の作戦を喋ってくれる。これが意図しないものならどれほど嬉しいか。
だが、この老人は意図して情報を漏らしている。知られても問題はない。もしくは教えることで、こちらに圧力を掛けられると考えての上で、作戦を教えたのだ。
「……それは大変ですね。砦を落とされると、停戦や和平どころではなくなりますからね。前線が崩壊すれば、皇国は最後の反抗に出るでしょうし」
理由は不明だが、ランドールは戦を止めたがっている。まぁ言葉を信じた場合ではあるのだけれど。
もしもそれが真実なら何らかの反応を示すだろうし、嘘なら、それはそれで反応するだろう。
「そうじゃそうじゃ。儂は今すぐにでも停戦して、アルビオンに帰りたいのじゃよ。そちらも望む所じゃろ?」
「ええ。退いて頂けるなら、これほど嬉しいことはありません。無駄な血を流さずに済みますから」
「その通りじゃ。儂らが争うことで得をする者がおるなら尚更じゃ」
意味深な言葉だ。
だが、なんとなくその得をする者というのは察しがつく。
自分は安全圏で、他人を好き勝手に動かすことを得意とする者を俺は知っている。
「……ユーリ・ストラトスですか?」
「その通りじゃ。この戦争は奴が糸を引いておる。我らが公王陛下を操ることでのぉ」
まるで湖面の水のように乱れがなかったランドールの瞳が少し揺れた。
あれは恐らく怒りだろう。しかし、それはすぐさま消え去り、またじっと俺とフィオを見据え始めた。
「そこまで分かっていながら……何故、奴を討たないのですか?」
「それが奴の目的だからじゃよ。奴の目的は二つ。戦争を起こし、各国の英雄たちを戦場に駆り立て、自らの駒とすること」
それだけで俺はランドールが戦うことを嫌った意味が理解できた。
戦えば、自分も深手を負うかもしれない。そして、そこでストラトスの魔術に襲われれば抵抗ができない。
おそらく既にそうやって奴の手中に堕ちた者たちはかなりいるのだろう。
なるほど。確かに意識がはっきりしている者よりは、怪我をして弱っている者、疲弊している者の方が心に隙がある。操るにはそのほうが効率は良い。
「もう一つは?」
俺の横で黙っていたフィオが聞く。だが、それは分からないからというよりは、確認の意味に聞こえた。
ランドールは、俺の「何故、討たないのか?」という質問に対し「それが奴の目的」と答えた。
その答えから導きだされるのは。
「自らを討ちに来た者たちを駒にすることじゃ。既に公王の周りは奴の手先で固められておる。奴を討ちに行けば、奴の駒が一人増えるだけじゃ」
四賢君がストラトスの手駒になるなんてゾッとする話だ。
まぁカグヤ様がそういう状態にあったっていうのは、今、考えるとかなりヤバイ状況だったってことだろう。
なにせ、今、目の前にいるランドールよりカグヤ様の方が厄介なのだ。個人としての戦闘力が高い分。
そう考えると大丈夫な気もするが、四賢君は四人いる。ランドールと同程度の人間が四人ともストラトスの駒となれば、それこそ大陸の危機だ。
ヴェリスの先王も危険人物だったが、ストラトスは、ほぼ誰でも操れるという能力の危険度でいえば負けていない。どちらも相手の意思を無視するという点では同じではあるけれど。
「なるほど。だから戦わないと。そして、目的は俺が所持している扇ですね?」
「物分りが良くて助かるのぉ。我が国の国宝にして、魔術の国アルビオンを根底から否定するような宝具。神扇クラルス。できれば返してくれんかのぉ?」
それが撤退の条件か。
だが、クラルスはストラトス、ひいては魔術を扱う全ての者へのカウンター兵器だ。
持っているだけで抑止力になり、預ける者にはそれなりの信頼が必要になる。
「これはソフィアが俺を信じて預けてくれた物です。申し訳ありませんが、はい。わかりましたと言う訳にはいきません」
「ま、そうじゃろうなぁ。お前さんの立場でなら、儂でも渡さん。もとより渡して貰えるとは思っておらんしのぉ」
「では、どうされるおつもりですか?」
ランドールは好々爺のように穏やかに微笑み
「お前さんをアルビオンに連れて行く」
そう言い放った。




