第二章 防衛戦5
アルビオン軍は一定間隔で大きな旗を立てている。おそらく大隊ごとの区切りなのだろう。中央左側にある旗の下。そこに敵将ディックはいる。
自分の居場所がバレていても、居場所を変えない理由は二つだろう。居場所を変えると、せっかく綿密に引いた軍の連絡線が崩れるというのと、ただ単に必要ないと思っているからだ。
攻城戦は基本的に一方的な戦いだ。攻守の切り替わりは殆どない。あっても前線が押し返される程度のことで、攻撃側の軍の中央に敵の手が及ぶことはまずない。
常識で考えればだが。
ディックがいる場所はギリギリで長距離の連結魔術が届くかどうかという場所だ。精密な狙いをつけれる距離ではない。普通の魔術師ならば。
「狙えるかい?」
「誰に言っているのかしら?」
連結魔術の詠唱に既にはいり始めているエリカが合間にそう呟く。その顔には不敵な笑みが浮かべられている。
距離が距離だ。ディックを狙い撃ちでればベストだが、流石にそこまで上手くはいかない。
五発に一発くらいの割合でディックの近くを掠るくらいの命中率で十分なのだが。
エリカはおそらくディック自身を狙っている。
「敵将を取るのが一番てっとり早いのはそうなんだけど。無理して狙わなくてもいいよ?」
「冗談はよして。私は無駄な殺生は好まないの。一人で済むならそれに越したことはないわ」
エリカと皇国の魔術師は、詠唱が終わり、魔力を魔術に注ぎ込む作業に移っている。
皇国の魔術師たちのキツそうな顔を見る限り、普通に会話ができるエリカはかなり異常なのだろう。
「そうだね……。それで済むなら確かにそれで済ましたいよね」
だが、そうはいかないだろう。
将軍には二種類がいる。
軍の全てを預かり、その人物が失われると軍が機能しなくなる将軍。そして、そうではない将軍だ。
ディックは明らかに後者だろう。戦死しても指揮官が交代するだけのはずだ。それはアルビオン軍に混乱を与え、戦が長引くことに繋がるだろう。
「エリカ。あえて狙わないことは可能かい?」
「……当てるなって事かしら?」
「そういうことだね」
「逆に難しいわよ……!」
「難しいだけなんだね。ならやって」
そういうだけいって、俺はエリカから視線を逸らす。
エリカは間違いなくやれるだけのことはやるだろう。ディックの周りにだって護衛はいるはずだ。当てる気のない攻撃では死なないだろう。
臆病風に吹かれて、すぐに撤退してくれるなら楽なのだが、そうもいかないだろう。仮にも四賢君が率いる軍の副将だ。それなりの実力はあるとみて間違いはない。
撤退を決めさせるなら、もう少し痛手を与える必要がある。
アルビオンの連結魔術は、皇国軍の防御魔術と上空にいるフレズベルクでなんとか防いでいる。それもあってか、アルビオン軍は数にモノをいわせて、砦に登ってきている。すでに登られ、かなり押されているところもある。
そしてそういう所には前線の指揮官が登ってきて、拠点を作りはじめている。
前線を麻痺させるには砦の上に登り始めている前線の指揮官たちをどうにかする必要がある。
俺のそんな考えが伝わったのか。
アルス隊長とミカーナ、そしてロイの三人が俺の視線の先にあるアルビオン軍の拠点に迫っていた。
少しのあと、先陣を切ったのはアルス隊長だ。
左右の手に握られた双剣が煌めき、敵の首が宙に飛んだ。
そのあとにロイとミカーナが続く。
ミカーナはアルス隊長を追いつつ、後ろから矢でアルス隊長を援護する。ロイはそんなミカーナに近づく敵を片っ端から吹き飛ばしている。
三人に戦い方の指示はしてないが、自然と最善と思われる形が取れている。ミカーナとロイの相性が少し心配だったが、心配は無用だったか。
拠点を作るといっても防護柵やら何らかの設備をおいていた訳じゃない。ただ、指揮官の周りに部隊が集まっているだけだ。
並の部隊じゃあの三人の強襲は止められない。
いとも簡単に敵の指揮官の首をはねたアルス隊長たちは、敵の密集地から一気に離脱する。
指揮官を失い、混乱している部隊に今度は皇国軍が攻撃を加える。
砦に登った兵に逃げ場はない。なにせ唯一の逃げ道である後ろの梯子からは、味方が登ってきており、そのほかの場所にいるのは敵ばかりだ。
そしてその局地的な場所でいえば、敵である皇国軍の方が圧倒的に多い。
必死に抵抗するアルビオン軍の部隊から目を離し、あちこちに目をやる。
似たような光景があちこちで起きている。
砦を走り回りながら、アルス隊長たちが指揮官を斬りまくっているからだ。
アルビオン軍の前線に混乱が広まりつつある。そしてその前線を立て直す役割を持つ中央の司令部は、現在進行形でエリカの連結魔術を用いた精密砲撃をくらっている。
戦況は少しずつだが変わり始めた。
そう思った瞬間。
アルビオン軍の前線部隊が撤退を始めた。
■■■
攻撃の全てが止んだ。
アルビオン軍は砦から距離を少し取り、こちらの様子を伺っているようだった。
様子を伺っているという点でいえばこちらも一緒だ。
なぜあのタイミングで撤退したのか。臆病風に吹かれたにしても、撤退するには早すぎる。戦況は微かにこちらに傾いた程度で、アルビオン軍から見れば些細な変化だ。
「何かあったのかな?」
「エリカの攻撃が当たっちまったんじゃないか?」
アルス隊長がそう茶化すが、エリカは首を振る。
「有り得ないわ。私の攻撃は防御魔術に防がれて、誰にも当たっていないもの」
確かに特徴的な爆発音はしなかった。防御魔術で防がれていたのなら納得だ。
しかし、そうなってくると撤退したことがますますわからない。敵の有力者が戦死したとしたら、撤退が早すぎる。
アルビオン軍はまだ戦う力を十二分に持っている。あそこで撤退を決断した人物はよほど優れた観察眼を持っているか、臆病者のどっちかだ。
いや、両方かもしれないな。
「あのまま続けてもアルビオン軍に益はなかったのは間違いないから、撤退はある意味、最善といえるよね?」
「ああ。被害が増えるのを嫌ったなら……もしかしたら出てきてないだけで、あの軍には四賢君がいるかもしれないな」
アイリーン・メイスフィールドは四賢君で一番武勇に優れていると聞くが、軍の指揮や知略に圧倒的に優れるとは聞いていない。しかし、あの引き際は疑問すら抱くほど早かった。
この先の展開を読んだというのであれば、おそらくその人物はアイリーン・メイスフィールドではない。
この撤退で俺たちは身動きがとれなくなった。
読まれたのは先ほどの戦況だけじゃない。俺とフィオの策も読まれたのだ。
「四賢君で本国に待機していたのは誰かな?」
「ピクス・ランドールだろうな」
珍しいことに、アルス隊長が俺の質問に答えた。
いつもは会話にすら入ってこないのに。
「知っているんですか?」
「数年前、アルビオン国内に大規模な山賊を討つために結成された討伐軍で、俺は奴の下で戦った。千を超える山賊を、僅かな手勢と自分の策だけで奴は壊滅させた。お前さんと同格以上の策士だぞ」
「一番の問題はそこじゃありません……。ここにもう一人、四賢君がいるならば、メイスフィールドは他の二つの砦を攻めに出ている筈。そしてその可能性が高いのは左側にあるハウザー砦だ……」
アルス隊長の表情が少し険しくなる。アルス隊長だけではなく、ロイやミカーナも同じだろう。
ハウザー砦には四賢君は来ないだろうというのが、俺とフィオの読みだ。そしてだからこそ、ニコラにノックスの隊員たち預けて、向かわせた。
それで十分だと思ったからだ。しかし、四賢君が二人いるとなると話は変わってくる。
「ハウザー砦に向かったニコラや隊員たちが危ない……」
「危ないっていうなら私たちもだよ。向こうは四賢君が率いているかもしれない三万で、こっちは約八千なんだよ? この砦を守りきるのだって一苦労だよ?」
それもそうだ。違う場所の心配をする前に、目の前にいる相手をどうにかしなければいけない。
実際に新たな四賢君が加わったかどうかも確認が取れてはいないのだ。何をするにしても情報が足りなすぎる。
ここで情報収集といきたい所だが、あいにく、ここにはレンはいない。敵陣営の情報を好き勝手知ることはできない。
「本国の守りに四賢君は残しておくものだと思っていたけれど……」
四賢君の配置は今までは、ヴェリス方面軍に一人、帝国方面軍に一人で、本国の防衛に一人、そして皇国方面軍にメイスフィールドがついていた。
だが本国の防衛についていた筈のランドールが皇国戦線に乱入してきた。
これは作戦の根幹を揺るがす事態だ。予想していなかった訳ではないが、その確率はかなり低いと踏んでいた。なにせ、アルビオンは共和国の方面軍を皇国攻めに回しているのだ。
本国の防衛についていた四賢君がこっちに回ってくるということは、共和国への備えをほぼ無くすことに等しい。そして、それは共和国がアルビオンに攻め込まないという、アルビオン側の自信で成り立っている。
その自信を支えるのが共和国への信頼なのか、はたまた別の何かなのか。そこは今の時点では判断できないが、確かなことは、四賢君を二人投入したとすれば、アルビオンは皇国を本気で落とす気であるということだ。
「フィオ。フェレノールへ撤退しよう。このままじゃ各個撃破される」
「……まだ四賢君が出てきたとは限らないよ?」
「フェレノールを戦場にはしたくない気持ちはわかるけど……このままじゃ皇国は一気に皇都まで落とされる。反撃できる可能性は一つだけ。フェレノールまで一端退いて、皇国の全軍を持って迎え撃つことだよ」
皇国は後方にまだ戦力が残っている。それらと現在、戦線を構築している兵、そしてフェレノールのいる兵を合わせればアルビオンと互角以上の兵数にはなる。
フェレノールは砦ではないが、一応の防衛機能は持っている。立地的に考えても、フェレノールで迎え撃つ以外に手はない。
ただ、確実に一般市民に被害は出る。避難は間に合わないだろうし、なにより家を捨ててもらわねばならない。
「私はフェレノールを戦場にさせない為に来たの! ここで戦っている皆もそうだよ! フェレノールには多くの人たちが住んでるんだよ……?」
「知ってるよ。けど、皇国にはもっと沢山の人たちが住んでいる。ここで無理な抵抗して、戦力を消耗させたら、フェレノールが戦場になるよりも多くの人が死ぬ。そして戦火は皇国全土に飛び火していくんだ。既に皇国には犠牲を出さないという手段なんて……残っちゃいない」
キツいようだが、ここでしっかりとフィオに決断してもらわないと、唯一の望みが消え去っていく。
ここはどんな言葉を使っても撤退を決断してもらわなければいけない。俺や部隊長たちがバランス良く砦に配置されているならまだしも、一箇所に集中している状況では、他の砦の死守は期待できない。そして一つでも抜かれれば、俺たちは砦を放棄してフェレノールに撤退しなければいけない。フェレノールが危険だからだ。
結局は時間の問題だ。こんな状況にしてしまった責任は感じてはいるが、いちいち落ち込んではいられない。
軍師なら軍師らしく策で責任を取るべきだ。
「ユキト様。敵軍に動きが見えます」
アルビオン軍をじっと見ていたミカーナがそう呟く。
目の良いミカーナのいうことだ。外れはないだろう。
「どんな動き?」
「単騎がこちらに駆けてきます」
俺もアルビオン軍を見てみるが、まだ視界にそんな姿は捉えられない。
しばらくして、ようやくミカーナのいっていた騎馬が見えてくる。
アルビオンの国旗を掲げ、駆けてくる姿はまるで。
「使者か……?」
「そうだね。でも、どうしてアルビオンから使者を出すんだろう?」
それは皆目見当もつかない。
降伏勧告しにくるにしても、タイミングがおかしい。こちらが勢いに乗り始めた時にアルビオン軍は撤退したのだ。そんな中でこちらが降伏勧告を受け入れる筈がないのは、馬鹿でもわかる。
一体、なにを伝えにきたのか。
「アルビオン公国が四賢君、ピクス・ランドールよりヴェリスの軍師、ユキト・クレイ殿、およびアイテールの大翼、フィオナ・オルブライト皇女殿下への伝言を預かってまいりました!!」
砦の近くで馬を止め、使者がそう叫ぶ。
それを聞いた俺とフィオは、急いで砦の最前列へと向かう。
「ユキト・クレイだ! 伝言を聞こう!」
「ピクス・ランドールからの言葉をそのままお伝えします! 戦は望まぬ故、和平を。アルビオン全軍を撤退させる準備はある。とのことです! また、ユキト・クレイ殿。ストラトスについて知っていることを教える。との伝言も預かっております!」
まさか和平の使者とは。敢えて、砦にいれずに大声で叫ばせたのは失敗だったか。
砦の兵士は皆聞いてしまった。
これで俺とフィオは交渉の席につかないという選択肢を失ってしまった。
なにより。
「ストラトスについて知っていることを教える……?」
奴はアルビオンにいるはず。そして上層部に食い込んでいるとも聞く。そんな奴の名前が何故、四賢君の口から出てくるのか。
俺とフィオは困惑の表情をお互いに浮かべながら、顔を見合わせた。




