第二章 防衛戦4
「ありがと! 十分すぎるほど時間を貰えたよ!」
「それは四人に言ってよ。まぁまだまだ働いてもらうんだけどね」
そんな事を言いつつ、俺はフィオが居る後方の司令部に来ていた。フィオの周りを固める参謀たちや、連絡係がせわしなく動いている。
司令部はしっかり機能している。このぶんなら例え敵が二倍以上の兵力で、圧倒的に火力で優っていようとも、耐える事はできるだろう。
だが、俺たちはこの砦を死守しに来たわけじゃない。敵を最低でも撤退までに追い込むために来たのだ。耐えるだけでは足りない。
「敵を撤退させるのに必要なことは?」
フィオが俺に向かってそう言ってくる。近くに居た参謀が少し不機嫌そうな顔を見せる。
当然だろう。フィオが俺に聞くのであれば、参謀は何の為にいるのかわかったもんじゃない。
とはいえだ。今の俺たちにそんな個人の心情に気を使っている余裕はない。今は勢いを得て、押しているが、数で負け、そして火力で負けているのだ。勢いを失えばすぐにまた劣勢に戻る。
時間との勝負だ。
早く考え、早く行動しなければならない。
「損害だ。大きな損害を与えるか、または与えたように見せて、指揮官に自軍が劣勢だと思わせる必要がある」
「あのディックとかいう指揮官だね? この数の差だし、多少の損害には目を瞑りそうだよね?」
「ああ。奴の仕事はこの砦を落とす事だ。その為なら犠牲は厭わないだろうが、奴らにはこの後にも戦いが控えている。三つの砦を攻略する為に軍を分けたという事は、どこかで合流する必要があるということだ。だが、損害の大きい軍でそれをするのは難しい。どこかで奴らは損害の線引きをしている筈」
「そこを見極められるなら、撤退に追い込めるね」
地球の軍では、三割から四割程度の損耗で軍は全滅判定を受ける。これがそのままこの世界の軍に当てはまるかはわからないが、一つの基準となるだろう。
なぜ三割から四割なのか。簡単だ。三割から四割を失った時点でその軍は、軍としての機能を果たせないからだ。
人間が体の三割から四割を失ったら、歩くのは困難だろう。軍もその機能を失うのだ。
その点でいえば、目的が果たせない程度の損害が、撤退の一つの基準といえるだろう。
そうなると、敵の思考になって考えることが必要になってくる。これは重要なことだが、かなり難しい。
「フィオ。敵の最終目的は?」
「皇国の征服だと思うよ」
「じゃあ、中間目標は?」
「うーん、フェレノールを攻略することかな?」
「そうなってくると、フェレノールを攻略できない損害を与えれば、撤退するな」
言うのは簡単だが、やるのは簡単ではない。フェレノールを攻略するのに必要な兵数はおそらくアルビオン軍なら三万もいれば十分だろう。例え太守にフィオの叔父さんがついていても、フェレノールは砦ではない。あくまで街だ。三万の軍に包囲されてしまえば陥落は免れないだろう。
現在、砦を攻撃するアルビオン軍の数はおよそ三万。そして後方には四万。この四万は残り二つの砦を攻略するために移動するとは思うが、移動しない場合は後詰として四万が居る事になる。
三万の兵力を丸々失っても砦さえ落とせれば、フェレノールに四万の軍勢が攻め込むことになる。
だが。
「三つの砦を同時に攻略しなければ、フェレノールを攻略する際に、後ろに敵軍が居る事になる。それは避けたいだろう。そう考えれば、三つの砦を攻略するだろうって予想は外れてないはず……」
「うん。それが前提なら、このレイアール砦の攻略軍には圧勝が求められてるね。ハウザー砦を攻略するなら最低でも同数以上の兵数を消耗するだろうから、四万で攻撃した場合はおそらく一万五千から二万は失う。残りは二万ほど。その二万も万全ではない筈だから、このレイアール砦の攻略軍には三万の兵数をできるだけ保っていて欲しい……と私なら思うかな?」
自分がもしも敵の司令官だったらとフィオが仮想しながら、そう口にする。
アルビオン本国にはまだ兵力は残っているだろう。そう考えれば、今回の七万の侵攻軍に求められているのはフェレノールまでの攻略だ。フェレノールを攻略すれば、また戦力の再編が始まるだろう。
だから是が非でもフェレノールを攻略する四万は残しておきたい。ならば、このレイアール砦を攻撃している軍に許されている損害は。
「最大でも一万くらいか」
「だと思うよ。少なければ少ないほど良いはずだしね。多分、敵の将軍が撤退の線引きに考えている数字は六千から七千くらいだと思う。それくらいなら」
「ああ。どうにかなるな」
三万の内の六千から七千を削る。同数ならまだしも、こちらの総兵数は八千だ。守りに出て、時間を掛けて削るならまだしも、攻めに出てそれだけの兵数を削るのは容易ではない。なにせ、こちらは正面火力で圧倒的に劣っているのだから。
正面からの連結魔術の撃ち合いでは勝負にはならない。というか撃ち合う事するらできない。こちらは防御で精一杯だからだ。俺とフィオが話をしている間に、もう皇国軍は防御に回りつつある。
連結魔術を防御するには集団での防御魔術が必要だ。剣であり盾なのだ。片方の役割をしている時は片方の役割はできない。
魔術が無理なら歩兵による斬り合いだろうか。攻め込んできている前衛を殲滅すれば六千くらいにはなるだろう。その代わり、こちらも損害を受け、砦の防衛をできなくなるだろう。
現実的に考えて、この戦力で六千から七千の損害を与えるのは厳しい。
だが、別に六千人の兵士を殺す必要はない。六千人を無力化させれば良いだけなのだ。
「フィオ。魔術師たちを貸して」
「防御を手薄にはできないからあまり回せないよ?」
「平気だよ。敵の指揮官を取るだけだから」
敵の指揮官はディックだ。本当に取れるとは思っていない。ただ、ディックの周りには補佐役の人間が多くいるだろう。ディックを攻撃するということは敵の中枢を攻めるということだ。
軍は生き物だ。手っ取り早く潰すには頭を狙うのが一番だ。
六千人を無力化するに等しいだけ敵の参謀や部隊の指揮官を殺す。今から俺がやろうとしているのは単純にそれだけだ。
そしてそういうのが得意な人が俺の部下には一人いる。
「アルス隊長。俺は敵の参謀たちを片付けるので、アルス隊長は前線の指揮官たちを片付けてくれませんか?」
俺のそんな言葉にアルス隊長は驚くでもなく、ただいつも通りニヤリと好戦的な笑みを浮かべて応えた。
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前線に指揮官を片付けるといっても、別に敵軍に殴りこみを掛ける訳じゃない。そんなことができるのはカグヤ様くらいだ。
アルス隊長には、砦に登ってきたアルビオン軍の兵士たちの中で指示を出している者を片付けてもらう。
「ミカーナとロイはアルス隊長を手伝って。俺とエリカは敵の中枢へ攻撃を仕掛けるよ」
そう簡単に指示を出して、俺はエリカと、フィオが回してくれた魔術師たちを引き連れて前に出る。
「ロイを護衛につけなくて良いのかしら?」
「ミカーナとアルス隊長だけじゃ万が一があるでしょ?」
「一番、万が一があってはダメなのは自分だってことを自覚してるのかしら?」
「してるよ。だからエリカが居るんだ? 期待しているよ。紅蓮の魔女さん」
俺の右隣を歩くエリカにそう言うと、まじまじと意外そうな目で見られた。
おかしいな。変なこと言っただろうか。
「そんなに変?」
「違うわ。信用されてたことにビックリしたのよ」
「信用? 今までしてないと思ってたの?」
「ノックスで、あなたが心から信用しているのは、ミカーナだけだと思ってたわ」
そんなことはない。いや、まぁ一番信用しているのは誰かと問われたら、間違いなくミカーナの名前をあげるだろうが、別に他のみんなを信用していないわけじゃない。
「ここまで一緒に戦ってきたのに酷いなぁ」
「私はヴェリスに滅ぼされた国の王族で、男に人生を狂わされ続けた女よ? 裏切るとは思わないのかしら?」
「そんなこと考えてたの?」
エリカのそんな言葉こそ意外だった。過去のことは綺麗さっぱりケジメをつけて、今は新しい人生を歩んでいると思っていたのだけど。
「考えない女と思っていたの?」
「そりゃあね。みんなのお姉さんって感じだし。ってかこのタイミングでどうしてそんな話をしたの?」
「あなたと二人になる機会って中々ないもの。基本的にいつもミカーナが居るから」
そういわれると確かに俺とエリカが二人で話す機会は少ない。というか、ミカーナ以外の部隊長と二人で話す機会は殆どない。
これは拙いことに気づかされた。面と向かって話すというのは非常に重要だ。それが組織の中にいる人間同士なら尚更だ。
普段はいえないようなことをいう場所、機会を設けてあげるのは、非常に大切な心遣いといえるだろう。俺は皆の上官で、遠征先の皇国では最上位の人間だ。もっと部下に気を配るべきだった。
「それはごめん。この戦いが終わったら出来るだけ皆と話すようにするよ」
「そうしてくれると助かるわ。私は私で苦労もあるから。それにしても、余裕ね?」
俺の表面上の態度が軽いせいか、エリカは呆れたようにため息を吐いて、すぐに話を別に切り替える。
しかし、そんなに余裕そうに見えるのだろうか。俺としてはいつも戦場にいる時と変わらないのだけど。
「余裕そうに見える?」
「ええ。いつもはもう少し表情が厳しいわ」
「うーん、そう見えるのは多分、フィオが皇国軍の指揮を取っているからだと思うよ。いちいち皇国軍の心配はしなくていいから、今は自分がやるべきことに専念できる」
「負担が減ったから余裕ができたって事?」
「そうそう」
それだけが理由ではないけれど。
正直な話、アルビオン軍の動き、対応は俺から見ると隙だらけだった。隙が見えたからそこを突けるか、といわれるとまた微妙なのだが、隙のない軍勢を相手にするよりは余程気が楽だ。
多分、そんなことを思うのは、久々に砦に篭っての戦いだからだろう。
砦や城に篭るのはカグヤ様と戦った時以来だ。あの時は、量で上回っていても、質では圧倒的に向こうが上だった。戦いが始まって、終始押され続けたのを今でも覚えている。
だからつい比べてしまうのだ。カグヤ様の軍と今のアルビオン軍を。
あの時のカグヤ様の攻めは苛烈で容赦がなかった。しかも、あれで操られ不本意な戦いをしていたというのだから、びっくりだ。
そう思ってしまえば、目の前の敵は大した相手には思えなくなる。
「俺もそれなりに経験を積んだってことかな?」
「そうね。経験は何よりも武器になるわ。魔術でもそれは変わらないわ」
魔術でも変わらない。
エリカは多分、連結魔術のことを言っているのだろう。
戦場のピリピリした空気で行う連結魔術は非常に困難なことなのだが、エリカが率いる第二部隊はそれをほぼ毎回行っている。だからエリカは連結魔術の指揮に関しては既にヴェリスで一番習熟しているだろう。
なにせ、この戦争が始まってから、間違いなく一番多くの戦闘をこなしているのは俺たちノックスだ。
「魔術のことはあんまり分からないけど、エリカの腕が優れてるのは知ってるよ」
連結魔術は中心となる人物と同じ魔術を行い、相乗効果を生む魔術だ。そのため、中心になる魔術師の技量と、それに合わせる他の魔術師たちの技量が高ければ高いほど威力が高くなる。
だが、威力とは別に命中率に関しては、ほぼ中心の魔術師に依存する。魔術をコントロールするのは中心の魔術師だからだ。
そして、俺が知る中で一番、命中率の高い魔術師はエリカだ。
「敵将ディックの周りを攻撃する。奴の周りで爆発が起きれば、参謀たちに被害が出るし、奴自身も、押されていると勘違いするだろうからね」
「その為に最初の演説で敵将と長く受け答えをしたの?」
「ちょっと違うかな。居場所が分かってれば何かの役に立つとは思っていたけれど、こうなることを予想してた訳じゃないよ」
そうはいってみるが、半ば予想はしていた。
敵を退かせるのが目的なら、敵将に撤退命令を出させるのが一番てっとり早い。そして、敵将が否応なく不利だと判断するのは、自分の周りにまで敵が攻撃の手を伸ばしてきた時だ。
それなら遠隔攻撃で敵将の周りを攻撃すればいい。それくらいなら考えていた。
先々のことまで読めると誤解されても困るから、エリカには言わないけれど。いや、こういうことを言わないから、信用されてないのではって思われるのか。
「訂正。割と予想してた」
「今日は正直なのね?」
「あれ? 俺が嘘ついたのバレてた?」
「それなりに長い時間、あなたの部下をやってれば、嘘かどうかはわかるわ。だから、できるだけ本当のことを喋って欲しいの」
「あらら。ミカーナが増えた気分だよ」
そんな軽口を叩きつつ、俺は目を細め、敵将であるディックがいる場所を、しっかりと視界に捉えた。




