第一章 最前線2
アルビオンが皇国に侵攻したのは、俺たちノックスが皇国に到着してから一週間ほど経ってからの事だった。
真っ先に応援に駆けつけたかったが、皇国側がそれを許さなかった。皇都での俺たちへの対応はとても丁寧で、尚且つ誠意に満ちていた。だが、皇国には皇国のプライドがあるらしく、ヴェリスからの援軍にすぐに頼る事はしたくなかったらしい。
そんな訳で、最初の二週間ほどの間、俺たちは挨拶に来る皇国の有力者たちと話をする事くらいしか出来なかった。
そこで気づいたのは、皇国の人々は自らが弱い存在だと理解していた。ヴェリスがもしも敗れ、大陸のバランスが崩れた場合、次の標的になるのは皇国だと分かっていた。にもかかわらず、危機感が薄かった。長らく戦から遠ざかっていたせいか、アルビオンの侵攻に際しても、国境の守備軍を総動員すればどうにかなると考えており、アルビオンが本腰を入れ始めた時は、よろしくお願いします。などと言う始末だった。
そして、案の定というべきか、当然というべきか。皇国の国境守備軍は侵攻してきたアルビオンの軍に惨敗し、後退。国境に築かれた堅牢な砦は突破され、皇国国内の脆弱な砦に守備軍の残存部隊と、各地の皇国軍が集結し、第二次防衛戦線が作られた。
その時になってようやくノックスに出陣要請が来た。皇国に来てから三週間ほど経ってからの事だ。
これでも皇国に来てから築いた人脈をフルに使って、早めたほうだ。皇王の居城へ出向いて、現状の状況と危うさを説いたりもした。だから、どうにか手遅れになる前にノックスは最前線へと向かう事が出来た。
ヴェリスの時とは違い、最大限のバックアップは期待できない。その中でも結果は出さなければいけない。そういうプレッシャーを感じつつ、どうにかこの半年、防衛戦線を維持する事には成功した。
これからどうなるかは分からないが。
「どうにかするのが俺たちの仕事か」
「そうですね。ただ、どうにかする問題が多すぎますが」
俺の横で前回の戦いの報告書をまとめていたミカーナがそう応える。
それに、そうだね。と呟き、俺は画面で地図を出す。俺たちが居る第二次防衛戦線の全域の地図だ。
皇国は三つの砦を要として、防衛作戦を展開しており、アルビオンはそれを力攻めで攻略しようとしている。俺たちノックスが居るのは三つの砦の少し後ろにある仮設の駐屯所だ。砦への迅速な援軍が役割で、重要な情報は真っ先にここに来る。
駐屯所と言っても破棄された村を改造しただけで、そんなに立派なモノじゃない。だが、ノックスの面々はそれなりに気に入っているのか、ここを『家』と呼び、ここでの生活を楽しんでいる。
俺自身も、戦いが無ければ文句はないのだが、如何せん戦いはほぼ毎日起きている。俺たちに援軍要請が掛かるかはその時次第だが、指揮をする俺は常に一定以上の緊張感を持っている必要がある。
「戦線を維持するだけじゃなくて、押し返さないといけないしね」
「今の皇国軍は難しいというのが本音ですか?」
「核心的な所を突いてくるね。まぁ……皇国の全軍が動き出さない限り、押し返すのは厳しいかな。そんな状況だし、この前の戦いで将軍を逃がしたのは痛かったなぁ」
「私の記憶が正しければ、私の謝罪に、ユキト様は気にするな、といってくれたはずですが?」
「冗談だよ。そんな深刻そうな顔しないでよ」
笑って言いつつ、俺は皇国もミカーナみたいに深刻に考えてくれればいいのに、心の中で呟く。
俺たちのノックスの後ろ。そこには第三防衛線を張る軍が存在する。この戦線が抜かれた時の為に備えて、色々と防備を整えたりしているようだが、そんな事をする暇があるなら、さっさと奪われた砦を奪い返すべきだろう。こういう所でも皇国の臆病さが出ている。
後手後手では勝てはしない。だが、それを皇王に説明する時間がない。ここから皇都まではおよそ五日。往復で十日だ。その間、ノックスを留守にするのは拙い。敵が平常通りなら何とかなるだろうが、最近はアルビオンの動きが怪しい。
「アルビオンの四賢君か……」
「通常時は自らのやりたい事をアルビオンの全面支援の下にやる探求者たちでありながら、アルビオンの危急の際には軍を率いる指揮官であり、最強の魔術師へと姿を変える四人。出てくると思いますか?」
ミカーナが俺の顔色を伺いながら問いかけてくる。そうやってミカーナが俺の顔色を伺ってくる時は、決まって俺が険しい顔をしている時だ。
ミカーナのその反応で、自分が険しい顔をしている事に初めて気づいた俺は、はっとしながら、苦笑する。
「出てくるんじゃないかなぁ。アルビオンは帝国と共和国とは同盟関係だし」
「そちらに割くはずの戦力をこちらに回してくると?」
「うん。ただ、帝国とアルビオンの同盟は一時の利害関係で成り立っているし、帝国方面の戦力は回せないだろうね。そうなってくると回ってくるのは共和国方面軍だ。帝国やヴェリス方面の軍は常に実戦さながらの演習で鍛えられていたって聞くけど、共和国方面軍はどうなんだろうね」
わざとおちゃらけて言ったが、俺は楽観視はしていなかった。共和国方面軍は確かに戦の経験はないだろが、共和国が島との戦いに敗れれば、今度は自分たちが戦う事になる。その状況は、危機感を持つには十分だろう。更に、共和国への援軍として派遣されていた可能性もあり得る。そうなると、もしかしたら一番厄介な軍を相手にする事になるかもしれない。
「どんな軍が来てもやるしかありません。ここでアルビオンを食い止めなければ、皇国が滅びます。そしてそうなったらヴェリスが滅びます」
俺はミカーナの表情を見る。いつもと変わらないように見えるが、少し無理をしているように感じる。それは気のせいではないだろう。
ヴェリスの戦況は芳しくはない。元々、皇国を味方につけたのは、皇国水軍を相手にするのを帝国が回避すると考えていたからだ。だが、帝国は皇国がヴェリス側についたのを察していながら、ヴェリスに侵攻してきた。
ソフィアの風魔術と皇国水軍の奇襲で帝国海軍の第一陣は甚大な被害を受けたが、その代わりに、上陸部隊をヴェリスの大地に上げる事に成功した。上陸部隊を指揮するのは帝国陸軍のトップである陸軍将トルステン・ベルギウス。
被害を受けた海軍は、すぐに第二陣が現れ、持ち直した。指揮していたのは、海軍将カール・ベッケンバウアー。
ヴェリスへの上陸作戦は帝国三軍将と呼ばれる最高戦力の内、二人を動員した作戦であり、大国である帝国が多少の犠牲に目を瞑り、この期にヴェリスを落とす気でいる事が伺える。
とはいえ、トルステン・ベルギウスの上陸部隊はすぐにカグヤ様の軍によって食い止められ、カール・ベッケンバウアーもアーノルド提督の皇国第一艦隊に身動きを封じられている。予想より大規模な侵攻ではあったが、侵攻が予想外だった訳ではない。
ただ、ユーレン伯爵領のいくつかの村や街は落とされたと聞く。ミカーナの両親や俺を助けてくれたミカーナの祖父のゴルドーさんの安否は分からない。少し無理をしているように見えるのは、ミカーナも心配なんだろう。
「焦っても何も上手くはいかないし、今はやれることをやろうか」
そう言って俺は目の前にある幾つかの書類を手に取って、今の敵はこいつらだし。と言って、ミカーナに向かっておどけてみせた。
■■■
久々にアルビオンの攻勢が止んだ。数日の間、各砦への攻撃が無くなり、当然、俺たちへの援軍要請も無かった。
だが、それは嵐の前の静けさであった事が、すぐに発覚する。
皇国侵攻軍に共和国方面軍合流。その報告だけでも目を覆いたくなるのに、更に畳み掛けるように続報が届いた。
再編成された皇国侵攻軍の大将は四賢君が一人、アイリーン・メイスフィールド。四賢君最年少の若き天才。ソフィアのリーズベルク家も含まれる三大公爵家の跡取りでもあり、四賢君の中ではもっとも国民の人気がある英雄。
「四賢君の中でも最も武勇に優れていると言われているメイスフィールドが出てくるとはな。ヴェリスの軍師様の名が敵を引き寄せたか?」
アルス隊長がそう言ってニヤリと笑って皮肉を飛ばしてくる。
それに対して、俺は肩を竦めて反応を見せる。あながち間違ってはいない。俺とノックスを警戒しているというのは、四賢君が出てきた理由の一つだろう。
「強い力は争いを呼ぶ。そして争いを終わらせるのは更に強い力が必要になってくる。大きな戦を起こしたくなくて、色々と動いていた俺が戦を大きくしてるんだから、笑える話だよね」
駐屯所の俺の一室に集まった部隊長たちが俺のその反応に顔を見合わせる。どうやら意外だったらしい。
「らしくねぇこと言うなよ。ユキトの兄ちゃん。俺たちが戦いを呼んだなら、俺たちで何とかするだけの話じゃねぇか」
「ロイと同意見というのは不服ですが、その通りかと」
俺の横に居たミカーナがそう言って、少し沈んでいた俺を励ますように微笑む。
だが、一言余計だ。
「おい……喧嘩売ってんのか?」
「正直な感想ですよ。第五小隊長」
「俺は部隊長だ! 大体、俺が五番目ってのが納得行かない! なんでミカーナより下なんだよ!?」
「実力が反映された結果です」
「ロイ君。第五が嫌なら私と第三部隊変わる? ただの年功序列で決めただけだから、気にしなくても」
「駄目です」
ミカーナが鋭い視線をロイへ部隊番号を変える提案をしたニコラに向ける。
ミカーナにいきなり睨まれた形になったニコラは、ひっ。と小さな悲鳴を上げ、ごめんなさい。と言って、隣に居たエリカの背中に隠れる。
そんな様子に俺が苦笑を漏らしていると、エリカが真面目な話に戻す。
「調子が戻ったのなら、対策を打ち出してくれると安心なのだけど?」
「そんなに簡単に対策が思い浮かべば苦労はしないよ。皇国の第二次防衛戦線の兵数は全軍で三万。対するアルビオンの侵攻軍は二つの方面軍と四賢君の直轄軍が合わさったなら五、六万にはなるだろうね。正直、兵数以上に兵力の差は大きい。どうやって挽回すればいいのかちょっと思いつかないよ」
「頼むぜ。総隊長。作戦を考えるのが仕事だろ?」
アルス隊長が簡単そうに言うが、量と質で向こうが上回っている。そして指揮官は大陸に名を轟かす四賢君の一人だ。
豊富な戦の経験こそないが、二年ほど前にアルビオンで起きた魔獣の大反乱の際に、魔獣を殲滅する活躍を見せたメイスフィールドが弱いと言う事はないだろう。魔獣相手に先陣を行く武勇と、襲撃を受ける街を効率よく救って回り、防衛線をすぐさま構築した所を見れば、只者ではないことはすぐに分かる。
もしもカグヤ様クラスの相手なら勝ち目はない。後方に控える第三次防衛線にはまだ二万の精鋭が居るが、それが合流してもこちらは五万。実際のアルビオン軍がどの程度の兵数になるかは不明だが、兵数を五分に持ち込んでも、アルビオンは大陸一の魔術師保有国だ。火力で突破されるのは目に見えている。
頭が痛い事ばかりだ。といっても、挽回の一手がない訳じゃない。
敵の数は減らないし、敵が弱くなる事もないだろう。なら、こちらの戦力を増強するしかない。
皇国は他国との戦争こそなかったが、定期的に森から出てくる魔獣の相手をする必要があった。そして、それを一手に引き受けていた人物が居る。
弱小国のアイテール皇国において、大提督アーノルドが海の守護者とするなら、陸の守護者ともいうべき存在。
皇国の筆頭将軍にして、アイテールの大翼の二つ名で呼ばれる救国の英雄。
「ミカーナ……少しノックスを頼んでいいかい?」
「? どちらへ行かれるんですか?」
「フェレノールの街だ」
「!? あの方を説得しに行くのですか?」
フェレノールはここから馬で一日ほどの所にある大きな街で、皇国では皇都に次ぐ規模を誇る大都市だ。そして、第二次防衛戦線がこれ以上、下がれないのも、フェレノールの街を失う訳には行かないからだ。
その街にアイテールの大翼は居る。魔獣ならともかく、人を相手にする気は無いと言って、皇王の命令に逆らって、フェレノールから一歩も出ないのだ。
その人物の名はフィオナ・オルブライト。現皇王の庶子であり、皇位継承権も持つれっきとした皇女だ。
フィオナ・オルブライトは、庶子故に魔獣討伐の任を押し付けられ、その才能をもってその任を全うした。その功績を持って、正式な皇位継承権も得たが、本人はそういうモノには興味はないと聞く。
父親である皇王の呼び出しにも滅多に応じず、皇王も片手の指で事足りる回数しか会って話した事はないと言うほどで、皇城では人嫌いだと言う噂を良く聞いた。
皇国の危機感の薄さは、このフィオナ・オルブライトの存在があったからだとも言える。
だが、フィオナ・オルブライトは軍を率いる事を拒否し、半ば隠居のような状態でフェレノールに閉じこもってしまった。
今まで何人もの使者が説得に向かったと聞くが、取り付く島もない態度で、全く話を聞いて貰えず、諦めて帰るしかなかったと言われており、もはや皇国軍の中で、フィオナ・オルブライトが軍を率いる事に期待している者はほとんど居なかった。
だが。
「フェレノールから動かない理由が、本当に人と戦う気がないと言うなら、俺にはどうする事もできないけれど、多分、それだけじゃない。動けない理由がある気がする」
「動けない理由ですか?」
「フェレノールは巨大な都市だ。そこを治めるのはアーノルド提督と同じ皇王の弟。正直、良い噂は聞かない。皇国内部の問題に関わる気は無かったけれど、そうも言ってられなくなった。この目でフェレノールとアイテールの大翼を見てくるとするさ」
「では、私もついていきます」
先ほどノックスを任せると言った筈なのに、ミカーナが当たり前のようにそう言ってしまう。それに対して、他の部隊長たちも当然とばかりに頷いている。
「護衛は必要よね?」
「ああ。俺とエリカは離れられねぇし、ニコラじゃ護衛にならねぇ。ロイ一人じゃ不安だしな。妥当だろ?」
エリカとアルス隊長が笑みを浮かべてそう言う。どうやらミカーナにはついてきてもらうしかないようだ。
「ミカーナを信頼してるから、留守を頼もうとしたのに」
「ありがとうございます。しかし、残念ですが、私たちはユキト様の武勇には一片の信頼も置いていないので、護衛をつけるのは当然です」
「あっ、そう……」
そんなミカーナの辛辣な言葉にガクリと肩を落として、俺は小さくため息を吐いた。




