第一章 最前線
ここから第三部です。
またお付き合いくださると幸いです。
大きな爆発音が俺の耳に届いてくる。
連結魔術が防御魔術に衝突した音だろう。防御魔術ではなく、人に当たり、地面を抉っていれば、音はもう少し違った感じになる。
それはこちらの味方がまだ健在だという証拠だ。聞こえてくる音は俺から見て左側から聞こえてくる。左に居る軍は俺の味方側の軍勢であり、そこから防御魔術と連結魔術の衝突音が聞こえるということは。
「劣勢か」
呟いて、俺は大きく息を吐き、そして意識を切り替える。油断は判断を狂わせる。一つの判断が多くの仲間の命を散らしてく。最初から不利だと分かっていれば、それなりの覚悟と心構えで戦える。劣勢な味方には悪いが、好都合だ。
ノックスが城を出る際、ディオ様はミカーナにコートを預けてくれていた。あの日、羽織とコートを交換した時のように、必ず返すように、と言う伝言付きで。
だから俺は縦長の進軍隊形で疾走する黒い騎馬団の中央でも浮く事はない。
今の俺たちを上空から見れば、大きな黒い点が動いているように見えるだろう。全員が黒いコートを着ている為、どこを見渡しても、色の割合では黒が多くを占めている。
走る場所は森の外周部。向かう場所は小さな砦だ。俺たちが居る前線地帯ではもっとも小さな砦だが、戦略的な目で見れば、決して敵に落とされる訳には行かない砦だ。
前線地帯は大きく三つに分けられる。左右と中央だ。そしてその中央の最前線。それが今から向かう小さな砦だ。そこを落とされると、中央に楔を入れられる形になり、左右の連絡はほぼ分断される。
三つの最前線の中で最も脆弱でありながら、最も重要な位置にいる砦。しかし、その砦が収容可能な兵数はどれだけ多く見積もっても二千が限度。それも収容可能というだけで、貯蓄できる兵糧や武器を考慮すると、二千人が立て篭れるのはせいぜい五日という試算を俺は出していた。
だから、そこには練度の高い兵と将軍が配置されており、兵数は二千でも、それ以上の兵力が居る。援軍が来るまで耐える。それが彼らの仕事であり。
「彼らを助けるのが俺たちの仕事だ」
思考が口から漏れ出る。だが、それに応える者は居ない。いつもの事だからだ。
俺は森の外周部がそろそろ終わり、左に曲がるか前に進むかの判断が必要なのを、画面に映った地図で確認する。俺たちは森を迂回していた。できれば迂回せず、真っ直ぐ突破して援軍に向かいたかったのだが、それができない理由があった。森に住む魔獣と呼ばれる凶暴で強力な獣が、俺たちの進路を阻むからだ。滅多に森から出ない魔獣だが、一歩森に足を踏み入れた部外者には容赦がない。
魔獣との戦いで消耗しては援軍どころではない。だから俺は迂回を選んだ。勿論、それだけが狙いではない。森を迂回すれば、敵の側面を突けるというのも、森を迂回した理由の一つだ。
砦を攻撃している敵は、目の前の相手に集中しているだろう。その為、こちらへの対応は遅れる。そこを突く。
「ってのは向こうも予想してるだろうな」
その戦術は一度行っている。そして、それは敵さんも知っているだろう。ノックスがこの前線に居る以上、砦の攻撃中でも奇襲に気をつける筈だ。だから。
「隊を二つに分ける。第一から第三隊は俺と一緒に敵軍の側面を突く。第四、第五隊は敵後方に回り込め」
返事と共に各部隊長が動き出す。
後方に居た第一部隊のアルス隊長、第三部隊のニコラは、進軍隊形を崩し、中央にいるエリカの第二部隊と俺直属の五百名と合流する。
先頭を走っていたミカーナの第四部隊とロイ率いる五百人の第五部隊は、敵の後ろへ回り込む為に一気に加速する。
砦の目の前にはある程度の平地が広がっているが、左右は大小幾つもの森に挟まれており、俺たちが避けて通った森以外にも、森はいくらでもある。それをここに来る前で画面に出した地図で確認していた俺は、簡易の地図を作成し、部隊長に渡してある。
初めて来る場所ではあるが、地図を所有しているため、俺たちは森の位置を全て把握している。そして、このまま前進すれば更に小さな森があり、敵軍から姿が見えなくなる。
その森の外周部を移動し、ミカーナとロイの隊は敵の後背を突くだろう。しかし、二人の隊は千五百。敵の防御が完全では突破は難しい。
だから。
「左に曲がれ! このまま敵の側方を突く!」
俺はそう号令を出す。
ノックスの総勢五千の内、三千五百が俺に従って左方へ馬を走らせる。
森が途切れたからといって、すぐに戦場が見える訳ではない。だが、馬の足音や土煙を見れば、気付く者は気付くだろう。
なにせ敵はアルビオンだ。四方を大国に囲まれ、常に侵略を意識し続けた軍隊であるアルビオンの軍は、戦の経験こそ乏しいが、高い練度を誇っている。兵も将も。
「厄介と言えば厄介だなぁ」
「と言っても、皇国への援軍である私たちは負ける訳にはいかないかと」
ニコラが俺に馬を寄せて、そう声を掛けてくる。
アルス隊長、エリカ、ニコラの三人の場合は役割はしっかりしている。先鋒はアルス隊長で中軍にはニコラ。そして後方はエリカの部隊が当たる。そして俺は部隊の真ん中の方が指示出しと状況把握がし易い為、真ん中に居たがる。それを知っている為、ニコラは俺に馬を寄せて来たのだ。
「そうだね。まぁどんな戦いでも負けるのは御免だけどね。最初は第二隊を先鋒にして、敵の連結魔術を受け止める。その後、第二隊は後方へ。第一隊を先鋒として第一陣形で突撃する」
「了解しました」
ミカーナが居ない時は、俺の副官はニコラになる。単純に調整と指示出しが上手いからだ。
ノックスを効率よく運用する為に、俺は五つの陣形を徹底的に部隊長と兵に覚えさせた。第一陣形は鋒矢の陣に似ている。一点突破の突撃に用いる陣形で、上から見れば縦長の二等辺三角形のように見えるだろう。鋒矢の陣との違いは、先鋒の役割だ。鋒矢の陣の主攻は先鋒に配置した突破力のある部隊だろうが、第一陣形の主攻は後方に居るエリカたち魔術部隊だ。
先鋒の第一部隊の役割は道を作る事であり、中央にいる第三隊の役割は、第二隊を内側に入れ、守る事だ。そして軍の中央部で連結魔術を発動させるのが第一陣形の目的だ。
それを皆が知っている為、アルス隊長率いる第一部隊は敵を崩す事よりも、より前に進む事と決して崩れない事を意識している。彼らは剣である前に盾なのだ。
そして第三隊はまず第二隊に近づけない事を第一としている。盾としての役割もあるが、それよりも第二隊の集中を妨げない為に陣形を維持するのが一番求められる。
そして第二隊はひたすら集中し、早く連結魔術を発動させることが求められる。
ノックスは俺の直属部隊を合わせて、六つの隊からなるが、それぞれの隊を分けた場合は全て想定している。一隊が離れる、または壊滅した際もしっかり想定し、演習を行っている為、全体を二つに分けた程度では兵に動揺は走らない。
兵の様子がいつもと変わらない事を確認した俺は、ようやく見え始めた敵に側面を懐から取り出した扇で差して、命じる。
「突撃!」
■■■
砦の前に展開していたアルビオンの軍の数は七千から八千ほど。その半数が砦へ攻撃を仕掛けていたが、半分は後方で周囲を警戒しながら待機していた。その後方軍に俺達は突撃した。
この軍の指揮官が半数もの兵を後方に待機させていたのは、奇襲を警戒したというのと、単純に砦の規模が小さくて全ての兵では攻められなかったからだろう。砦の横にある森が邪魔で軍は砦の横には展開できないのだ。少数部隊なら行けるだろが、砦が小さい為、砦の中での移動も容易い。対応が早い為、少数での奇襲はしづらいのだ。
そこらへんを考慮しての二段作戦だったが、正解だったと言えるだろう。
俺が率いる三千五百は敵の連結魔術を防御し、そのまま陣内に切り込み、そして半ばほどで進軍速度を落としていた。
「対応が早いのは予想していたからか。それとも単純に練度が高いからか」
「どちらも嫌というのが本音です」
ニコラは俺の呟きに律儀に答えつつ、中央から側面に援軍を出し、入れ替えを小まめに行っていく。それによってこちらの被害はそれほどでもないが、敵軍を突破するほどの勢いはなくなりつつあった。
「まぁ関係ないけどね」
「はい。元々中央で止まる予定だったのですから。止められた所で問題はありません」
そう言ってニコラは後ろ見る。
後方ではすでにエリカが連結魔術の最終段階に入っているだろう。中央まで俺たちを切り込ませた時点で。
「お前らは負けている」
言葉と同時に爆音が鳴り響く。同時に地面をえぐる音と人が吹き飛ぶ音が混ざって、俺の耳に届く。
聞き慣れた連結魔術が防御魔術で防がれなかった時の音だ。もっと言えば、連結魔術が人の命を奪う音だ。
エリカが多様する爆発系の魔術は戦場では色々な効果を発揮してくれる。爆風は直撃しなかった兵も巻き込み、爆音は敵の耳を麻痺させる。そして連結魔術が直撃した光景は敵の士気を根こそぎ奪う。
複数の連結魔術を無防備で食らったアルビオン軍は大混乱に陥った。この戦術も前に行ったが、即興だった前とは違い、今は確かな戦術として行っている。分かっていようが対処は難しいだろう。
俺たちの周りから兵が退いていく。少し俺達から距離を置いて、体勢を立て直す気だろう。遠目からでも声を上げて、軍を立て直そうとしている将軍の姿が見える。
だが、それが命取りだ。
「第三隊を先鋒にして第二突撃に入る。ニコラ、分かってるね?」
「敵の注意をこちらに引き付けるだけ良いんですよね?」
俺が頷くと、ニコラは軽く微笑み、部隊を前へ移動させる準備に入る。
俺直属の五百人の内、百人は伝令役だ。俺の指示を迅速に伝える事を意識している彼らは、俺が命令を下せばすぐに動く。
先鋒に居たアルス隊長の第一隊が俺の方へ下がってくる。第三隊が代わりに前に出て、隊の入れ替えが完了する。
「まだまだ余裕だったんだが?」
「アルス隊長だけですよ。皆、疲れてます。それに」
「突破が目的じゃないってんだろ? 分かってる。そういう事なら俺よりニコラの方が適任だってのもな」
そう言いつつ、自らの活躍の場を取られた事が不服なのか、アルス隊長は頬についた返り血は乱暴に拭う。だが、体中を返り血で染めている為、頬に別の血が微かにつくだけになってしまう。
その様子に俺は苦笑しつつ、
「はい。ですが、アルス隊長にはまだやってもらう事があります。後方へ移ってください」
「? あー、なるほどな。今度の目標は向こうか」
アルス隊長はそう言って、部下に指示を出し始める。先鋒の第一隊が後方へ下がり、第三、第二隊が一列上がる形になる。その後、ニコラから準備完了の合図が来た為、俺は突撃の号令を掛ける。
「目標は敵の将軍! 突撃!」
そう言って俺は扇を振り下ろす。
それに従い、ノックスは再度加速し始める。
ニコラを先鋒にしたのはもっとも戦術への理解度が高いからだ。今の俺たちは陽動だ。本命は後方を襲うミカーナとロイ。それを分かっているニコラは急な命令にも動揺などしない。
未だ体勢を立て直せていない後方軍へ一撃を加えた後、俺は先鋒のニコラに反転を命じた。そして、それに対して、ニコラは確認の伝令すら寄越さずにすぐに実行した。
後方軍はいきなり反転した俺たちに一度困惑を示したが、俺たちが進む先を見て、こちらを追いかけ始める。元々ノックスの役割は砦への援軍だ。
後方軍は叩いたが、砦を攻めていた半数は混乱しつつも未だに砦を攻めている。その後背を俺たちは攻めようとしていた。そして、そんな俺たちを追いかけ、後背を突こうとアルビオンの後方軍も俺たちを追撃しようとしていた。
そして。
完全に勢いが前に行ってしまったアルビオンの後方軍を、ミカーナとロイが率いる奇襲部隊が襲った。敵をなぎ倒す強さを持つロイとノックスでは一番の速さを持つミカーナの部隊を、俺はよく組ませる事が多い。ミカーナはいつも大いに不服そうだが、二人の部隊は二隊での連携に慣れており、そのおかげで無駄がない。
敵将の場所を遠目から確認できていたのだろう。ミカーナとロイは瞬時に後方軍を立て直しかけていた敵将に接敵する。後背を突かれ、しかも将軍が狙われた後方軍は再度、大混乱に陥る。今度は立て直す者は居ない。
「後方軍はこのままミカーナとロイに任せる。砦の攻撃部隊を蹴散らすぞ」
「私たちはもう必要ないかしら?」
エリカがそう言ってやる気がなさそうな表情で声を掛けてくる。防御魔術と連結魔術の連続は確かに魔術師をかなり疲弊させるが、エリカはその程度でへばる程、やわな魔術師じゃない。
やる気がないのはそんな理由じゃない。
「もう少し頑張ってよ。砦で優先的に休憩させるからさ」
「あら? 気前がいいわね。その言葉を忘れないでね」
ここまで騎馬でずっと駆けて来た。エリカはその度に水浴びがしたいとボヤいていた。
難しい理由なんてない。エリカはただ単純に長い行軍が不満で、やる気がなくなっていたのだ。
そして、そんな態度を表面に出せるほどにこの戦いは圧勝だった。
ヴェリスを離れて半年。俺たちノックスは皇国の最前線で独立遊軍として、各地の砦への援軍として戦いを繰り広げていた。
敵はアルビオンの皇国方面軍だが、皇国が戦とはずっと無縁だったのと同じように、アルビオンの皇国方面軍も戦を経験した事がなく、俺たちノックスが苦戦するような敵ではなかった。
そろそろアルビオン側も別の手を打ってくるだろうな。と、既に掃討戦へと変わりつつある戦闘を指揮しながら、俺は心の中でそう呟いた。




