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閑話 変化3.5

 考える事は全てに繋がる。そう言って、軍事、外交、内政と、分野を問わず、知識や考え方を自分に教えるユキトを見ながら、カグヤはふと、昔の事を思い出し、少し沈んだ表情を浮かべた。

 それを見逃さず、ユキトは説明を一旦止め、カグヤの顔を見ながら声を掛けた。


「どうかしましたか?」


 気付かれた。そう思って、カグヤは苦笑する。相変わらず良く見ている男だと、思いつつ、ユキトが自分の些細な変化に反応してくれるのが嬉しいとも感じていた。


「すまない。少し……昔の事を思い出していた」


 そう言って目を伏せるカグヤに、少し興味が湧いたユキトは、休憩も兼ねて、カグヤに質問する。


「カグヤ様の昔の事を聞いた事はなかったですね。お嫌でなければ、聞かせて頂いてもよろしいですか?」


 カグヤは少し驚いたような顔をした後、少し照れたように笑って頷く。


「あんまり面白くはないぞ?」

「面白くはない話を面白くしてみるのも、良い勉強ですよ」

「また無茶を言うものだな……? ただの昔話を面白くなど出来はしない」


 そう言いながら、カグヤは懐かしげに語り始めた。


「子供の頃、私とディオは同じ教師に同じ事を学んでいた」


 カグヤの今の年は十八。ディオは十七だ。年は近いが、先日、誕生日を迎え、十七になったディオと、もうすぐ誕生日を迎えそうなカグヤでは、年数的には二年ほど違う。一緒に同じ教師から同じ事を学ぶのは、片方が著しく劣っているか、片方が非凡かのどちらかだ。

 ステータスでカグヤの知力が九十を超えている事を知っているユキトは、ディオの本来の能力値を思い出し、苦笑する。


「昔からディオ様は優秀でしたか」

「とても、な。私は年上なのにいつもディオの二番手だった。だから勉強が嫌いだったんだ。私は外で剣の稽古をする方が好きだっだし、何より……教師の者と合わなかった」


 思い出してきたら少し腹立しくなったカグヤは若干、不機嫌さを表情に出すが、ユキトはそれを気にせず、その続きを促す。


「それで? それが一体、今とどんな関係が?」

「……その教師は私が何故、理解できていないのか、理解できなかった。私は教師がなぜ、そこまで苛立つのか理解できなかった」

「答えが分かっているのに、いつも過程はぐちゃぐちゃですからね。でも、カグヤ様は、答えが合っているから正解だと思っていた、そんな所ですか?」

「その通りだ。そして、そんな私と教師に待っていたのは対立だった。教師は私を褒めたりはしなくなった。私は教師の授業を受ける事を止め始めた。その頃に、王城の警護をしていたライオルと出会い、色々と手ほどきを受けたんだ」


 王城を攻略する時に出会ったあの傭兵か。とユキトは記憶を呼び覚まし、あの時の会話を思い出す。


「あの人がカグヤ様を王城から出してくれたと話してましたが?」

「ライオルは父に召抱えられる前は、旅の傭兵で、あちこちに人脈を持っていた。ベイドもその一人で、ライオルは、当時ファーンの家を継いだばかりのベイドに私を売り込んだ。そしてそれは成功し、ベイドは父の承諾を引き出して、私を国境に連れて行ったんだ」

「なるほど。カグヤ様が王都から離れていた理由は分かりました。ですが、それを何故、今、思い出していたんですか? まさかその教師と俺を重ねた訳じゃないですよね?」


 ユキトがそう目を細めながら聞くと、カグヤは慌てたように手をばたつかせる。


「違うぞ!? そうじゃないんだ! えっと、逆なんだ! あの時、ユキトのような教師が居てくれたら……王城を出て行ったりしなかったのにと思ったんだ……」


 しょんぼりとした様子を見せるカグヤにユキトはため息を吐く。過去に幾ら思い馳せても戻れはしない。今があるのも、過去にそれがあったからであり、もしかしたらが起きていれば、今という現在は存在はしない。

 もしも教師がユキトと似た感性、考え方の持ち主で、カグヤの本質、才能を見抜いたとしても、それは決して幸せな事ではないだろう。なにせ、そうなってしまうと、カグヤは王城に残り、そして、そのまま成長していただろう。

 あの先王が目と鼻の先にいる美女を一秒とて放っておく訳がない。そこまで考え、ユキトは頭を振る。

 今は、そういう話をしている訳じゃないからだ。

 ユキトは目の前で自分の顔色を伺ってくるカグヤに笑みを見せながら、問いかける。


「王城を出た事を後悔していますか?」

「……どうだろうか。良かった事も悪かった事もあるからなぁ」

「王城に残っていても、多分、それは変わりませんよ。ですから、過去がああだったら、こうだったらと考えるなら、今をよりよくする事に考えを割くべきです」

「……もしかして私は怒られているのか……?」


 勉強中に余計な事を考えるな、集中しろ。

 そんな風にユキトが言っているように聞こえたカグヤは、不安げな表情で、立っているユキトの表情をもう一度伺う。

 ユキトの首が横に振られた事に、ぱっと表情を明るくしたカグヤだったが、ユキトの言葉を聞いて、肩を落とす。


「いえ、叱っていたんです」

「……そうか……私は今、叱られていたのか……」


 項垂れるカグヤを見て、少しからかいすぎたかと反省しつつ、ユキトは笑みを浮かべる。

 カグヤの反応はユキトにとって新鮮で面白いものだった。こう言えば、こういう反応をするだろうと思っていても、それを裏切られる為、ユキトはカグヤに対して、色々と試す事が多かった。

 こんな言葉にはどんな反応を示すのか。こんな行動にはどんな反応を返すのか。

 カグヤが見せる表情、反応を、ユキトは常に楽しんでいた。楽しみすぎて、今のように落ち込ませる事も結構あるのだが、そういう時の為に、ユキトはいくつかのご褒美を用意していた。


「冗談です。からかっただけですよ」

「む。そなた、また私をいじめたのか!?」


 教えられて初めてからかわれた事実に気づき、文句を言い始めるカグヤの様子を微笑ましく見つつ、ユキトは執務室にある一枚の木の板を指差す。


「いじめたなどとは心外ですが、まぁお詫びにまた、あれをしますか?」

「……そうやって私が好きな事を話題に出せば、私の気が逸れると思っているようだが、毎度毎度、同じ手は」

「では勉強を再開しましょうか」

「う、嘘だ! 今のは聞かなかった事にしてくれ! やる! やるんだ!」


 新たな教材を取りに行こうとするユキトの腕を両手で掴み、カグヤはそう言いながら、ユキトを押し留める。

 だが、そんなカグヤの姿を見て、ユキトをニコリと笑って告げる。


「やる、んだ?」

「……やらせてください……」


 しゅんと肩を落とし、自分の顔色を伺うカグヤに満足しつつ、どうにも最近、本格的にいじわるをした時の反応を楽しみ始めた自分に、何だかよくわからない恐怖を感じつつ、ユキトは木の板を取りに向かった。




■■■




 木の板は縦横五十センチほどで、将棋盤よりは少し大きい。

 細かく縦横に直線が引かれており、それがマスを形成している。その上には大小複数の駒が並んでいる。

 軍揮ぐんきと呼ばれる盤上遊戯だ。やり方はチェスに似ている。将棋のように取った駒を自分の駒として使う事はできない。

 盤の上には駒の他に山や川などを模した地形的障害物が置かれており、それを突破するには条件が必要になる為、容易には越えられない。

 戦を忠実に再現する為、駒に割り振られた役割は、現実にある物ばかりで、性質もとても似ている。勝敗は指揮官の駒を取られた方の負けで、この指揮官の駒を如何に追い詰めるかがポイントの遊戯だ。

 この軍揮をカグヤは好きで、暇があれば新しい戦術を考えたりしており、その腕前も相当なものなのだが。

 基本的なルールを覚えて、ある程度慣れ始めたユキトに、カグヤは勝てなくなりつつあった。だから、ユキトに再戦を申し込むのだが、カグヤが申し込むとユキトは断る。その代わり、時たま、ユキトの方から勝負を誘ってくる事がある。

 その機会をいつもカグヤは待っていた。

 だが。


「うう……」

「どうぞ。カグヤ様の番ですよ」


 カグヤは眼前に広がる自分の軍の有様を見て、目を覆いたくなった。

 先鋒として敵陣に突っ込んだ駒は孤立させられ、それを救出する為に差し向けた駒は、待ち構えていたユキトに尽くやられ、今は盤の外に置かれている。

 自分の陣地にはユキトの駒が大きな楔を打ち込んでおり、左右に分断され、片方は機能していない。もう片方は、指揮官の駒を必死に守ろうとしているが、分断された事と、攻めで駒を失っていたせいで、ユキトの猛攻を防ぎきれなくなりつつある。

 だが、ここでユキトの猛攻を受け止めれきれば、逆転の機会はまだある。そう思い、カグヤは予め考えていた通りに駒を動かす。

 そしてユキトに次の手を促そうとするが、そうする前にユキトはさっさと、まるで最初から決めていたかのように駒を動かす。

 また一歩、指揮官の駒にユキトの駒が近づいた。先ほど、カグヤが駒を動かしたせいで生じた隙をついたのだ。

 カグヤはどうすればいいか盤上を見た時、すぐに逆転できない事がわかってしまった。カグヤの頭は、これからの動きを幾つかシミュレーションし、すぐさま答えをはじき出したのだ。

 過程を飛ばし、すぐ答えに辿り着く為、他人に説明するのはカグヤは苦手だった。だが、今、この状況では他人に説明する必要はない。負けたとわかるのは自分一人でいいのだから。


「……私の負けだ……」

「はい。では片付けましょうか」

「ま、待ってくれ! もう一回! もう一回、私に再戦の機会を!」

「何度やっても同じですから、今日は終わりです。また勝つ為に頭をつかってください」


 そう言ってユキトは容赦なく軍揮の駒を片付けはじめる。広げていたのは執務机の上であり、そこは勉強の際は勉強机に変わる。片付けねば、勉強をできないのだ。

 ユキトは片付けをしながら、打ちひしがれ、嘆きの言葉を漏らすカグヤを見る。ユキトは別に軍揮が強い訳ではない。更に言えば、現実の戦でカグヤよりも強い訳でもない。

 ただ、軍揮に限れば、ユキトはカグヤには負けない自信があった。ユキトは軍揮のルールを覚える際にカグヤの戦術を幾つか覚え、その後の対戦でもカグヤの癖や傾向をしっかり見て、把握していた。ユキトは軍揮を強くなろうとしたのではなく、カグヤに勝つ為にどうすればいいか考えていたのである。

 通常の戦では指揮官同士が目の前で座り合う事はない。だが、軍揮ではそうしなければいけない。だから、カグヤの事をよく把握しているユキトは、カグヤの様子を見ていれば、どのような手を打つか大体わかるのだ。その事に一向にカグヤは気づかない。盤面しか見ていないからだ。

 そろそろ教えるべきかな。とユキトは考えていた。だが、カグヤを自信のある土俵で負かす事が出来るのは、ユキトでも今のところ軍揮だけだった。これで教えてしまえば、たちまちカグヤは、ユキトの表情や動きを観察し、それらを情報として、戦術に組み込んでくるだろう。そして、ユキトは負ける。 

 それはそれで面白くないと思い、ユキトは湧き上がったアドバイスを飲み込み、カグヤにこう言った。


「この後の勉強で上手に答えられたなら、もう一回だけならお相手しても構いませんよ」

「本当かっ!?」


 突っ伏していた状態からガバっと起き上がったカグヤを見て、ユキトはニコリと微笑む。

 カグヤのやる気を上げ、意識を勉強に向けさせたユキトは、軍揮の盤を片付け、さて、どんな難しい問題を出そうかと、頭をフル回転させ始めた


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