第二部 終章
俺一人で皇国に人質として赴いたところで何も出来はしないだろう。だが、ノックスを率いるヴェリスの将として皇国に行くのであれば、出来る事は山ほどある。そしてそれに対して、ヴェリスが被るリスクは小さい。
皇国第一艦隊が派遣されることを考えれば、現在、指揮系統による運用の難しさから、宙ぶらりん状態になっているノックスを皇国に向かわせる事は、ヴェリスにとっては補給やら武器の調達の面からしてもマイナスにはならない。戦わない部隊を待機させておくくらいなら、同盟国に派遣した方がよっぽどいい。
勿論、それにはデメリットもある。一番のデメリットは、指揮官として俺も皇国に行かねばならず、カグヤ様の教師役は務められなくなり、ソフィアの傍には居られなくなるという点だ。まぁヴェリスという国からしたら、些細な問題なのだが、当の本人たちが納得してはくれない。
「絶対に駄目です」
「そうだ。絶対に許可はしないぞ」
交渉を一度中断し、別室に移動した俺は、そうカグヤ様とソフィアに告げられた。
アーノルド提督は今頃、リアーシア殿下と会っているだろう。ひとまず休憩を。と言った俺に対して、会わせて欲しいと申し出たのはアーノルド提督だった。先ほどとは違い、心配そうな表情を浮かべる提督に、気付かなかった事をお詫びし、リアーシア殿下が居る部屋まで、俺が案内した。
そうして、カグヤ様とソフィアが待っている部屋に入った瞬間、言われたのがこれだ。全くもってこちらの意図を読もうともしない言葉にちょっとした苛立ちが湧くが、俺の事を思って言ってくれていると思うことで平静を保つ。
「一定上の力を持つ部隊に限定すると、ノックス以外には皇国に派遣できません。その練度の部隊は既に前線に居る部隊ですから、ノックスと入れ替えようにも時間がかかりますから」
ノックスと他の部隊を入れ替えればいい。というような意見を出させない為に、そう言って先に封じる。
おそらく、それを考えていたカグヤ様が言葉に詰まるが、今の相手はカグヤ様だけじゃない。
「それと、ユキトが皇国に行くのと、何の関係があるんですか?」
俺はノックスの総隊長だ。今は元だけど。まぁ後任が決まっていない以上、そこら辺はあんまり関係ない。重要なのはノックスを纏め、指揮できるのが俺しかいないという点だ。それだけでも行く理由には十分だ。なにせ、俺にしかできないのだから。
「他にノックスを指揮できる人はいないんだ。俺が行くしか手はないよ。それにノックスは強すぎる。皇国との間で問題は必ず起きる。それを解決する為にも、俺も皇国に居た方がいい。皇国が敗れてしまえば、今度はヴェリスが危険だしね」
ソフィアがこちらをじっと見つめてくる。いや、目を細めて、訝しげに見てくる様子は、じっとというよりはじーっとのほうがしっくりくるかもしれない。
その視線の意味は分かる。そしてそれは俺が今、一番話に出して欲しくは無い事なのだが、俺を皇国に行かせない事が目的のソフィアは一切、ためらわずに言った。
「傍に居てくれると言ったではないですか」
珍しく不機嫌さを隠したりはしない。この場に居るのが自分の他にはカグヤ様と俺だけだというのもあるだろうが、それ以前に、不機嫌な様子を見せて、俺を困らせようという魂胆が透けて見える。
ソフィアの容姿を見慣れてない者なら、不機嫌な様子も愛らしく映るだろうが、贅沢なことに、俺は普段のソフィアを見慣れてしまっている。この状況で、不機嫌な様子が愛らしいとは思えない。
ソフィアには傍に居ると言った。確かに言った。それは本気だったし、嘘ではない。だが、状況は変わる。そして状況は変わったのだ。
大事な約束ではある。俺個人だけの問題なら、何よりも優先したいと思うが、ここで俺が行かずに他の者が行って、失敗したら目も当てられない。
ノックスの力なら、アルビオンが攻めてきても、皇国軍と連携さえしっかりできれば防ぐ事は難しくはないだろう。難しいのは、その連携や補給などの問題をどういう風に解決するかだ。だから交渉役という点でも俺が行くべきだろう。
他に候補はいない。俺以外にもやれる人は居るだろうが、その人たちがヴェリスを離れるのは問題がありすぎる。
「傍に居たいよ。けど、それに拘るのは俺の我が儘になっちゃうからね。ヴェリスが無くなれば、一緒に居る所じゃなくなるし、そこは……わかって欲しいかな」
そう言うとソフィアは不機嫌な表情のまま、唇を噛み締め、ゆっくり一歩引いた。ソフィアは親しい人間に悪感情を抱かれるのを嫌う。だから、こういう風に言えば、ソフィアは諦めるとわかっていて、俺はそう言った。
弱い部分を攻めるようで申し訳ないが、今回はソフィアの心境には配慮できない。絶対に折り合いがつかないのはわかっている。なら早く話を終わらせた方が良い。
そう考えた俺は、ソフィアの横にいるカグヤ様を見る。
「私はまだそなたに教えてもらわねばならぬ事がたくさんあるぞ……?」
今度はカグヤ様が俺を困らせる。行かないで良いなら、俺も行きたくはない。ただ、行かねばならないなら、行くしかないとも思っている。
引き留めるなら、引き留められるだけの理由を考えて欲しい。ただ、駄目だ。や、止めよう。と言うだけでは、事態の解決にはならない。
「ご安心下さい。カグヤ様は元々、即断即決の方です。迷わなければ、俺が居なくても問題はないかと」
スポーツや格闘技でも、勢いが売りの選手が考え過ぎて、持ち味を消してしまう事は多々ある。国王になったカグヤ様がまさにそれだ。考え過ぎて、答えが分からなくなっていたから、考え方を俺は教えた。
だが、元々、天才型のカグヤ様は考えるまでもなく答えに行き着く。それが直感なのか、瞬時に頭脳が答えを弾き出すのかは知らないが、答え自体はいつもあっている。ただ、そこに行き着くまでの過程をすっ飛ばしているため、一度答えを疑うと、何が駄目なのか分からなくなり、結果、思考の迷路にはまってしまうのだ。
「だが……私はそなたが居ないと不安だ。この不安はどうすれば良い?」
「いつか俺が居なくても、判断を下さなければいけない時が必ず来ます。それが少し早まっただけです。誰もが最初は不安で、恐ろしいものです。ですが、それから逃げていても、始まりません」
そう俺が言うと、カグヤ様は何か大切な物を落としてしまったような、そんな落ち着かなそうな表情をカグヤ様は浮かべる。
これまでは、カグヤ様が願い、思いを口に出し、俺はそれを叶える為の方法を教えてきた。それが、今度はカグヤ様自身がしっかり考えなければいけない。今のヴェリスはカグヤ様を全面的に補佐する体制ではない。大変だろう。
けれど。
「あなたに破れた俺が保証します。カグヤ様なら大丈夫です。自信を持って下さい」
「私がそなたに勝てたのは、そなたが軍を率いる事に慣れていなかったからだ。今、同規模の軍で戦えば、私は負けるだろう」
「それは光栄ですが、あなたと戦う事はこれから先は有り得ません。そう思っておられるなら、尚更、胸を張り、自信を持って下さい。俺があなたに負けた事を誇れるように。俺もあなたが俺に勝った事を誇れるように努力します」
今、同規模の軍を率いて戦っても、俺はカグヤ様には勝てないだろう。戦でカグヤ様に勝つ方法はちょっと思い付かない。 戦前ならどうにかなるが、直接対峙したら、俺だけじゃなく、恐らく誰も勝てないだろう。そう思うくらいカグヤ様は戦が強い。
だから、もっと自信を持っても良いのだが、内乱の時の自分の不甲斐なさが今でも尾を引いているらしく、未だに自信を取り戻せていない。
ステータスを見れば、その人がどれだけ優れているかが、俺には分かる。だが、それを本人が知る術はない。俺が数値を教えたところで、効果はないと思う。
だから、自分で自分の力に、価値に気付いてもらわないといけない。自分を知らない人は、正しい判断を行えないからだ。自分が何が出来て、何が出来ないのか。そこから発展して、相手が何が出来て、何が出来ないのか。そうやって考える事が大切だ。
それを知って、学んでもらうには良い機会だと思う俺がいる一方、まだ早い気がすると思う俺もいる。だが、ヴェリスがこれから先、どう動くにしても、カグヤ様の成長が必要不可欠だ。
いつかはカグヤ様が一人で多くの判断を下さなければいけない。俺が横に居ないというのを経験するのは、そのときに役立つ。
「私の事は……私自身が何とかしなければいけないというのは分かる。そなたがそう考えているのも。だが、そなた自身はどうなのだ? そなたは」
「そうです。ユキトは戦が嫌いではないですか……!」
自分が言おうとした言葉を。黙っていたソフィアに取られる形になったカグヤ様が、軽くソフィアを睨む。
ソフィアは口を両手で押さえ、しまった。と言わんばかりに目を見開いている。
そんな二人に苦笑しつつ、俺は真っ直ぐ二人を見る。
「俺は人を信じていたい。だから戦いたいとは思いません。ですが、戦わなければ護れない物があり、戦ってでも護りたいと、渡したくはないと思う人がいます。だから」
問題はありません。
そう言って俺は笑みを浮かべた。ヴェリスの為に行動しようとは決めたけど、国の為に戦うなんて俺には一生出来ないだろう。だから、大切な誰かの為に戦うんだ。これ以上、戦が起こらないようにするために。
ゆっくりとした動作で俺は片膝をつき、左手を床に、右手を胸に当てる。
「御身の傍を離れるのは誠に心苦しいのですが、行かねばなりません。この身の不甲斐なさをお許しください」
「ユキト……」
「ソフィアとの約束も、護らなきゃ駄目な事の一つではあるんだけど、全てをする事は出来ないから……俺の力不足のせいだね」
「……そんな事を言っても、許しませんから……次はないと言ったじゃないですか……」
泣き出しそうな声でソフィアがそう 言ってくる。確かにカグヤ様にくってかかった時に、次はないと言われている。
これは本気で埋め合わせを考えないと、許してはもらえないだろうな。
「ユキト。行くのは良い。だが、帰っては来るのだろうな?」
「勿論です。状況によって変わりますが、半年から一年ほどが援軍派遣としては妥当かと。皇国もそのぐらいの時期に一度、艦隊を本国に引き揚げるでしょう。ヴェリスとアルビオン・小国連合、帝国と皇国との戦い次第では早くも遅くもなりますが、半年から一年という期間で話を進めたいとは思っています」
兵も人だ。家族が恋しくなる者もいるだろう。異国が合わない者も出るかも知れない。それらを踏まえて、半年から一年という期間だ。これ以上の長さは難しいから長引く事は無いだろう。
「一年か……そなたの居ないヴェリスは持つだろうか?」
「持たせてください。一年後に、俺が意気揚々と帰ってこれるように」
敢えて厳しく言うと、カグヤ様は笑みを浮かべ、そうだなと呟く。
カグヤ様はある程度納得してくれた。あとは、ソフィアだが。
「また待つんですね……」
「そうだね。また、だね」
ユーレン伯爵の城を出る時もソフィアは送り出す側で、そのあとは待っている側だった。
「一年待ちます。それで帰って来ないなら……こちらから行きますから覚悟しておいてください」
「わかったよ。前回の二の舞にはならないようにするさ」
そう言って俺は立ち上がった。
その後、皇国は警戒態勢を保ったまま、ヴェリスから離れ、その行方をくらませた。一方、ヴェリスは皇国水軍を警戒したまま、来るべき帝国海軍との一戦に備え、海岸部の防備を整え始めた。
それから一週間後。帝国海軍の艦隊が捕捉したという情報が来ると同時に、ヴェリスから旗を掲げていない船が何隻か皇国へ向けてひっそりと出発した。
その甲板には黒い小袖に黒い馬乗り袴、そしてその上から黒のコートをマントのように羽織るという一風変わった服装の青年がおり、その黒い双眼で離れていくヴェリスの地を見えなくなるまで見つめ続けていた。
青年はヴェリスの地が見えなくなると、軽く息を吐き、よし。と強い口調で呟く。
青年は視線を船の進路である皇国方面に向け、右手に持った扇もそちらに向けた。
「全速前進! これよりノックスは皇国での任務を開始する! 旗を掲げろ!」
青年の声の後、全ての船にヴェリスの旗が掲げられた。
第二部、お付きあい下さり、ありがとうございます。
タンバです。
第三部を始める前に第二部で駆け足になってしまった部分、描かれなかった部分を、三人称または主人公以外の視点から書こうと思います。
書く話は幾つか決めてますが、ご要望があれば、活動報告、ツイッター、感想のどれかに書いて下さい。
要望のある部分を必ず書くとは確約できないので、ご了承下さい。
ここまで読んで下さった皆さん。
ありがとうございます。
もうしばらくお付きあい下さい。




