第六章 変化3
早朝。
俺はディオ様の執務室を訪ねていた。
「朝早くから、まさかコートと短剣を返すって言われるとは思わなかったよ」
俺は肩膝をつきながら、ディオ様のそんな呟きを聞いた。意外そうではあるが、ディオ様は怒ってはいない。
「今は必要ないモノですので」
「なるほど。それで? 何に戻るのかな? 僕の話し相手? それともソフィア様の付き人?」
「いえ、戻るのではなく、卒業しようかと」
「卒業?」
ディオ様が聞き返す。ディオ様の予想には無かったと言う事だろう。
「はい。内乱中、ディオルード・アークライトと共に戦った、アークライトの軍師としての自分に区切りをつけ、卒業しようと思います」
「アークライトの軍師を卒業? もっと大きな存在になる気かい?」
「元々、流されるまま、ディオ様とソフィアの為だけに戦って来ました。けれど、そうやって流されるままでは救えぬモノ、守れぬモノがあります。それに、そんな俺の在り方が、人を傷つけていたと知りました。今が、覚悟を決める時なのだと思います」
そう言って俺は立ち上がる。
そんな俺をディオ様は微笑みながら見つめていた。俺の言葉で色々と察したのだろう。
「覚悟を決めるか……。ユキトからそんな言葉を聞くとは思わなかったよ」
「まぁそうできればいいなぁと言う感じですけれど」
「自信が無い?」
「正直にいえば、そうですね。責任を背負う事は好きじゃありません。自分の許容量を超えないか心配です」
「一人で抱えると押しつぶされるよ。経験者からの忠告さ」
ディオ様はそう言うと、机の引き出しから一枚の布を取り出す。それは薄青色の羽織だった。俺がディオ様のコートと交換した物だ。
「これを返すよ。しっかりコートも返してもらったしね」
「まだ持っていてくれたんですか? 捨てたのかと思ってましたよ」
「当たり前だよ。これは君と互いに生き残る事を誓った時の物だ。絶対に捨てたりなんかしないさ」
そう言ってディオ様はそれを俺に手渡す。
懐かしい感触が手にかえってくる。俺はすぐにその羽織を着る。コートより安心するのは何故だろうか。
「ノックスの指揮権はどうする?」
「ディオ様にお預けします。ただ、指示を出せるのはカグヤ様だけですので、必ず一言断ってから動かしてください」
「分かった。少しの間、君の部下は預かるよ。ただし、少しの間だよ? あんな癖の多い人たちを僕は纏められないからね」
そう言ってディオ様は笑う。その言葉は本心ではないだろう。やろうとすればやれるだろう。ただ、その労力を費やすのが勿体無いといった所か。
ノックスは軍総司令であるディオ様でも自由自在に動かせる部隊ではない。あくまでカグヤ様の直轄だ。俺が総隊長から外れてもそれは変わらない。ディオ様としては扱いづらいのだろう。
「そうですね。自分で集めた人たちです。色々と片付いたら、もう一度、率いてみたいと思います。それまでよろしくお願いいたします」
そう言って俺はディオ様に一礼すると、ディオ様に背を向け、執務室を後にした。
■■■
次に向かったのはベイドの執務室だ。しかし、執務室の近くで、俺は呼び止められた。
ベイド本人にだ。
「オレに用があるんだろ?」
「よくお分かりですね」
「オレの執務室に向かってるんだ。分かるに決まってるだろ? それで? コートを脱いで、何の用だ?」
「ここには唯のユキト・クレイとして参りました。少し取引をしようかと」
ベイドは俺の言葉に眉を少し動かす。
俺のカミングアウトのせいで、ベイドは今、随分と苦境に立たされている。この状況で取引と言ったら、それに関する事だと思うだろう。実際、その通りだ。
「何が目的だ?」
「これから俺はカグヤ様に、カグヤ様が必要とする全ての事を教えます。当然、そうなるとファーン宰相の、カグヤ様を傀儡にすると言う計画は台無しになるでしょう」
「それを邪魔するなと? それで、お前はオレに何をしてくれる?」
食いついてきたベイドに俺は内心ほくそ笑む。苦境に立たされてるせいか、食いつきが早い。よほど、俺のカミングアウトで痛い思いをしたんだろう。まぁあの状況でのカミングアウトだったから、痛い思いで済んでいるんだけど。普通の時に言っていたら、痛いじゃ済まない。確実に処罰されているだろう。
「何もしません。カグヤ様に様々な事を教える事に徹します。ですから、どんな噂が立とうが、俺の言葉が偽りだと言われようが気にしません」
「嘘をついたと言ってくれると楽なんだが?」
「それはできません。嘘つきではカグヤ様の傍にはいられませんから。そちらに損は無いと思いますが? どうせ、大陸を統一しようと思えば、強力で、優秀な王が必要です。それを今から育てるんですから、利害は一致していると思いますよ?」
ベイドはしばらく考え込んだ後、俺を半眼で見てくる。こっちの意図を読もうとしてるんだろう。申し訳ないが、意図なんて何もない。言った通り、俺はカグヤ様に色々と教える時間が欲しく、邪魔されたくないだけだ。
「お前に何の得がある?」
「仕えるべき王を育てられます。俺は権力を握るのも、上に立つことにも興味はありません。優秀な人間が上にいる方がやりやすいんですよ。あなたと違って」
「良く回る口だな。どこまで本心やら。だが、それならそれでいい。わかった。オレはお前の邪魔はしない。その代わり、お前も何もするな。カグヤの教師役に徹しろ」
「御意」
小さく笑みを浮かべながら俺はそう言ってベイドに背を向ける。口約束だが、この程度の事なら、そのくらいの軽さで良いだろう。破れば被害が大きいのは向こうだ。破らずとも被害を受けるだろうが。
これで一応準備は整った。後はカグヤ様次第だ。
さて、勉強の時間だ。
■■■
カグヤ様の執務室に入ると、中ではカグヤ様が書類に目を通しており、その横でカグヤ様の作業をソフィアが手伝っていた。
なんというか、良い光景だ。視覚的に。並外れた美女が二人並んでいると言うだけで眼福なのに、二人が仲良さげに笑っているのがまた良い。
「仕事はどうですか?」
「ソフィアが手伝ってくれているから大助かりだぞ」
笑顔でそう言うカグヤ様の横で、ソフィアが優しげに微笑む。まるで姉が妹を見るかのような視線だ。年齢はカグヤ様の方が一つ上だが。
「そうですか。じゃあ俺も手伝います。さっさと終わらせましょう。このぐらいの量ならすぐですよ」
「このぐらいの量……? これがか?」
カグヤ様は顔を引きつらせる。机に積み重ねられた書類は山が三つほど。俺が城で色々とやっていた時はもっとあった。それこそミカーナの補佐があっても一日じゃ終わらないほどだった。
「全部見るのにどれほど時間が掛かるか想像もできないのだが……」
「そこです。まず、全て読む必要はありません」
「そうなのか? だが、それでは理解できないのではないか?」
小首を傾げるカグヤ様に思わず苦笑してしまう。仕事に時間が掛かる訳だ。送られてくる書類を全て読んでいるのだろう。だから、重要な案件が自分に回ってきてない事にも気付いていたんだ。
「要点を掴めればいいんです。例えば……」
俺は書類の中から一枚取り出して、ざっと読む。俺は文章を読むのは速い。画面に映っては消えていく情報やステータスを見るようになってからはそれは顕著だ。
「これは国境付近から人が移動してきて困っていると言う声に対して、一時的な避難場所を設けて対処してもいいでしょうか。という書類です。どうしますか?」
「えーと、許可しよう!」
「はい、では次に行きましょう」
カグヤ様が許可する事を認めた証として、書類に印を押す。掛かった時間は一分程度と言った所か。もう少しペースを上げたい所だが、まだ最初だしこんなものか。
「ユキト。ユキトがその役をすると、私がする仕事がなくなってしまいます」
後ろを見れば、頬を膨らませたソフィアが居た。確かに書類の説明を俺がすると、ソフィアは何もする事がなくなってしまう。
「ごめんごめん。じゃあ、カグヤ様への説明はお願いしていいかな? 俺は俺でやるからさ」
カグヤ様の執務机の横。通常は補佐役の人間が座る場所に、俺は書類の束を置いて、軽く首を左右に振り、両手を回す。
カグヤ様が許可か、それとも否かについて悩んでいる間にソフィアは次の書類を読んで、要約する。スムーズではないが、カグヤ様が一人でやるよりはよほど捗るだろう。俺は俺でやれるし、問題はない。
俺はこの席に座っている筈のアンナの事を少し考える。
現在、近衛隊は城内の警備を任されており、アンナは城内で起きる揉め事の対処に掛かりっきりになっている。ディオ様とベイドの争いが激化したせいだ。そのせいで、アンナはカグヤ様の補佐から外れざる負えなくなっている。前からそんな感じだったらしいが、最近では顔を合わせない日もあるらしい。正直、申し訳ない気持ちがある。
アンナはカグヤ様を補佐するのが生きがいと言うか、自分だけの仕事と思っている節がある。俺がカグヤ様の傍で仕事を手伝い、色々と教えるのは気に食わないだろう。後でしっかりフォローを入れておかないと、暴発しかねない。
そこまで考え、俺はある事に気付く。近衛隊の任務の中にはソフィアの護衛の任務もある。当然、ソフィアの護衛隊も居るが、そのどちらもカグヤ様の部屋の前には見かけなかった。
「ソフィア。護衛の人たちは?」
「カグヤ様が近衛隊の護衛を必要ないとおっしゃったので、私も護衛隊には大丈夫です。と伝えました」
「ああ、そう……」
酷な事をする。カグヤ様もソフィアも。さぞや近衛隊も護衛隊も落ち込んでいる事だろう。問題なのは護衛が必要ないほどに二人が強い事だが、そうであっても、護衛対象に必要ないと言われるのはショックだろう。
後で、双方にもフォローをいれておくとしよう。そして、明日からはしっかり護衛についてもらおう。仕事や任務に誇りを持っている者にとって、それらを取られるのは苦痛以外の何物でもない。
そこら辺もしっかり教えないといけないかな。
そう思いつつ、俺はてきぱきと目の前の書類を片付け始めた。
■■■
仕事をさっさと終わらせ、空いた時間を勉強時間にする。それが俺がカグヤ様に伝えた事だ、元々、ベイドもディオ様もカグヤ様が処理できる程度の仕事しかあげてはこない。だから、時間を作るのはさほど難しくはないのだ。
「まず、現在のヴェリス王城の状況を説明しましょう。ヴェリスの王城ではディオ様とファーン宰相が権力争いを繰り広げています」
「どうして二人は争うのだろうか……?」
心底分からないと言う顔でカグヤ様がそう呟く。
さて、どう説明するべきか。この争いは単純な権力争いじゃない。ディオ様は権力が欲しい訳じゃない。ただ、反抗勢力を潰したいだけだ。一方、ベイドはそんなディオ様の攻撃を防いで、絶大な権力を手中に収めたい。
簡単に言うと。
「お互いが気に入らないからでしょう」
「ユキト。その説明はちょっと……」
ソフィアから駄目出しを食らった為、俺はもう少し詳しく説明する事にする。この王城の争いに関しては、カグヤ様がまだ動く時期ではないから、あんまり時間は掛けたくはないんだけれど。
「この国は先の内乱で活躍した者とそうでない者がいます。当然、活躍した者は優遇され、活躍しなかった者は不満が溜まります。ディオ様の派閥は主に内乱で活躍、もしくはディオ様側についた者たちで構成され、ファーン宰相側はそうでない者たちで構成されています」
「内乱が尾を引いているのか?」
「はい。ディオ様側についている者たちは、後に自分を脅かさないように、ファーン宰相側の者たちは、今よりもっと良い待遇を受けたくて、どうにかここで権力を握ろうとしています。これらの争いは、やらせておいて構わないでしょう」
俺がそう言うと、カグヤ様が考え込む。考えないよりはよほど良い反応だ。多分、どうしてやらしておいて構わないのかについて考えているんだろう。
「カグヤ様。今、ヴェリスが、いえ、カグヤ様が一番したい事はなんですか?」
「そうだな……。他国との戦争を回避する事……か?」
ソフィアの質問にカグヤ様が答える。
その答えにソフィアは一つ頷き、笑みを浮かべる。
「はい。ですから、今は、王城の争いに構っている暇はない。という事なのだと思います」
「だ、だが、自分の足元で味方が争っていては他国と戦は勿論、交渉だって上手くいかないのではないか?」
「そこは大丈夫でしょう。両派閥の長は、どちらも優秀です。ヴェリスの危急となれば一時休戦するでしょう。それに、他国との交渉となればお二人共権力争いをしていられる余裕はなくなります。仕事が増えますから」
そう言って、俺は一枚の紙をカグヤ様に見せる。
菱形に近い形をした大陸の全体図だ。地図は画面に表示されるが、俺にしか見えないから、大雑把だが地図を書いたのだ。
「大陸の全体図ですか?」
「うん。ざっとだけどね」
「確か書物を保管する場所に大陸全体の地図があった筈だが、持ってこさせるか?」
「大丈夫です。この程度で十分ですから」
そう言って、俺は大陸の東に位置するアイテールと書かれた場所を指差す。
「ここからは外交です。まず、ヴェリスは何としてもこのアイテール皇国を味方につけなければいけません。何故だかわかりますか?」
「強力な水軍を有しているからだな?」
「はい。世界で最も発達した水軍は、おそらく容易にヴェリスの海岸部を制圧するでしょう。そしてアルビオンと挟撃されれば、ヴェリスは滅びます」
「水軍が発達しているのはインペリウス帝国も同じではないのですか?」
ソフィアが疑問を口にする。その質問にカグヤ様が少し上機嫌で答える。
「もしも帝国が敵に回っても、皇国なら打ち破れるだろう。だが、その逆ではヴェリスは皇国の上陸を許してしまうだろう。だから、まず皇国を味方につけるのが最優先なのだ。そして、皇国と戦いたくはないと思っている帝国も味方に引き込む。これでアルビオンは三方から囲まれる事になる。迂闊にはヴェリスに踏み込めまい」
ようやく自分の得意分野の軍事方面になったせいか、カグヤ様はハキハキとしている。多分、スポーツしてる時はやたら頭が働くのに、学校の勉強とかはできないタイプの人と似通った性質を持っているんだろうな。
そういう人にモノを教える時は、得意分野に例えるのが一番だ。
「その通りです。それではどうやってアイテール皇国を味方に引き込むべきでしょうか?」
「それは……」
カグヤ様が得意げな顔から一変、難しい顔で考え込む。今日はよく表情が変わるものだ。
ソフィアも考えているが、これだ。というのは思いつかないらしい。
定石通りなら使者を送り、友好を深め、といった手順を踏むが、今はあんまり時間は無い。
「大事なのはヴェリスと組む事の利を説く事です。アイテール皇国は水軍こそ強力ですが、水軍以外に際立つモノはありません。特にここ十年は戦争が無かった為、兵は経験不足です。一方、こちらは先王の時代から戦に明け暮れているヴェリス軍。経験では五大国一です。一対一ならどこの国にも引けはとらないでしょう」
「それがアイテール皇国の利になるのか?」
「優秀で経験豊富な兵や指揮官は得難い存在です。アイテールは軍の弱体化を自覚しています。できれば戦などしたくはないでしょう。けれど、状況は変わり始めた。このままヴェリスを討つ事に協力しても、次の標的になるだけです。では、どうすべきか。ヴェリスと協力し、戦況を膠着状態に持ち込ませる。そして、その間に軍の再整備から再訓練まで行いたい。そして、ヴェリスはそれに協力する事ができます。人材を派遣する事で。これがアイテール皇国に説く利です。今のところは」
俺はそこまで言って、納得顔のカグヤ様とソフィアを見ながら、心の中で、そう上手くはいかないだろうけど。と呟いた。




