第六章 変化2
星が漆黒の空に輝く夜。
王城の最上階にある王の間。その王の間へと続く一本道の手前にある窓から外に出て、一本道の上を歩いていくと着く場所がある。
星見の場と呼ばれるそこは王だけに許された憩いの場だ。王都で最も高い城の頂上から見る星空は絶景で、例え大金を叩いても王以外の者は見れないと言う。
そこがカグヤ様のお気に入りの場所だと、俺はクレア様に聞いていた。子供の頃から何か嫌な事があれば、夜になるとそこに行って、星を見る癖があったそうだ。先王が星を見る事に興味が無かった為、カグヤ様のその行動を知る者はごく少数で、咎める者は居なかったらしい。
そこに俺は向かっていた。不安定な一本道を四つん這いで進み、そこからは決して手すりを放さず、下を見ないで前だけを見ていた。
そんなに時間の掛かる道のりではないのに、とても時間がかかったのは俺のチキンなハートのせいと言うよりは、移動中の安全が全く考慮されていないせいだと思う。
仮にも王が通る道なのだから、もうちょっと安全面に気を配って欲しい。強い風が吹こうものなら、吹き飛ばされて落下するイメージしか湧かない。
そんな事に苦戦しながら、俺はようやく星見の場に辿り着く。そこにはやっぱりと言うか、案の定と言うか、カグヤ様が居た。用意されている椅子に座っているカグヤ様は、星に見入っているのか、それとも敢えて無視しているのか、俺の方には視線を向けない。
薄手の着物を一枚着ただけのカグヤ様の格好は、とても寒そうに見えた。いや、見た通り、寒いのか、カグヤ様は両手で自分の体を抱きしめ、それでも足りないのか、両足を椅子に乗せ、体育座りのような体勢になる。けれど、それでも星を見る事を止めようとはしない。
俺は羽織っているコートを脱いで、カグヤ様の肩にそっと掛ける。だが、黙ってやったのが拙かった。
「うわぁ!」
カグヤ様はそう叫んで、こっちを見て、俺が居る事に更に驚き、椅子の上でバランスを崩してしまう。咄嗟に俺はカグヤ様の肩に手を回して、何とか落下だけは避ける。
「も、申し訳ありません。まさかここまで驚かれるとは思わなくて……」
「ユキト……? どうしてここに居るのだ? ここは王以外立ち入り禁止だぞ……?」
「クレア様が一度だけなら行っても構わないと言ってくださいました」
「母上が? そうか……そなたと話す機会を作ってくれたのだな……」
カグヤ様はそう言って悲しげに微笑む。最近、こんな表情ばかり見ている気がする。カグヤ様に限らず、多くの人が悲しそうな表情を作っている。それは多分、今のヴェリスを物語っているんだろう。
「今の王城の状況では俺とカグヤ様が会うのは厳しいですからね。会えば、周りがどんな噂をするかわかりませんし」
「……すまない。私はどうすればいいかわからなくて……黙ることしか出来なかった……」
「お気になさらずに。最善ではありませんが、最悪でもありません。今の状況では、カグヤ様が何か言葉にするのは大きな危険を伴います。状況が落ち着くまでは黙り、そこから言葉を発するべきでしょう」
「ユキト……?」
意外そうな顔をするカグヤ様に、俺はチクリと胸が痛むのを感じた。
意外なのだ。俺がカグヤ様に助言する事は。
どうすればいいかわからない。そう俺にカグヤ様はよく言っていた。それに対して、俺は答えを持ちながら答えなかった。ご自分で考えてください。と告げる事が殆どだった。
カグヤ様自身の成長を促すと、心の中では言い訳していたが、実際問題、ただ、カグヤ様に教えるのが癪だったのだろう。そして縋るような目を振り払うのを楽しみ、困るカグヤ様を見て、満足していた。
最低な行いを、俺は平然と、自分でも気づかずに行っていた。そして、そんな中でもカグヤ様は必死に答えを探し、そして自分なりの答えを示し続けた。それを俺はいつもバッサリと斬って捨てていた。違います。間違っています。などと言う言葉で。
「ユキト。母上に何か言われたのなら気にしなくていいのだぞ? 私から言っておこう。だから無理しなくてもいいのだぞ?」
カグヤ様は俺の変化がクレア様によるものだとあたりを付け、そう言ってきた。間違ってはいない。それでも完全な正解ではない。クレア様はキッカケだ。ソフィアもそうだ。俺に考えるキッカケをくれた。
だからこの変化は俺自身による変化だ。誰かに言われたからじゃない。
だが、それを伝える前にカグヤ様は肩を落として、一人で喋り始めてしまう。
「母上は私に敬意を払えとでも言ったのだろう……? いいのだ。私はそなたに相応しい王ではない。敬意など、払うに値しない愚かな女だ……」
「……違います」
「違くなどないであろう!? 既にこの城は、この国は私が居なくても回る! 全て、ディオとベイドが片付けてしまうからだ! 私に求められているのはお飾りな王なのだ!」
「それは……少し誤解があるかと」
俺の個人的な感情を抜かして考えれば、ベイドはカグヤ様を大事に思っているだろう。今は自らの野望を優先してはいるが、それでもベイドにとって、カグヤ様は大事な妹分であるのは間違いない。
ディオ様も大切な姉であると心の底から思っているだろう。今、ベイドを潰しに掛かっているのが良い証拠だ。ただ、姉であるカグヤ様に必要以上に期待しているからか、むやみに助言はしない方針であるため、カグヤ様は勘違いしているのだろう。
ベイドはカグヤ様の負担を減らす為に、ディオ様はカグヤ様の自立を望んで、仕事を率先して片付けている。ディオ様は多分、カグヤ様自らが現状に不満を言ったり、状況を打開しようとしてくれるのを待っているんだろう。いや、待っていたんだろう。だからベイドの派閥を放置していた。そして、その我慢も限界を迎え、今、王城は二つの派閥の熾烈な争いの場になっている。
「誤解などではない! そなたも……私が王である事が不満なのだろ……?」
「カグヤ様を王に推したのは俺自身です」
「そうだったな……では、期待した姿を見せられぬからそなたは私に辛く当たるのか……? 私が情けなく、頼りないから……」
そなたは私を信頼してくれないのか?
告げられた言葉ひとつひとつに強い感情がこもっている。ずっと秘めていた感情だろう。
王であるからこそ、決して表に出すまいとしていた感情が、ここで出始めている。
「違います」
「では、何故だ!? 何故、私はそなたの信頼を得られない!? そなたの理想とする王には程遠いからか!?」
「それも違います。俺がカグヤ様を信頼しなかったのは……単純に俺がカグヤ様を許せていなかったからです」
許せていなかった。その言葉を聞いて、カグヤ様は呆然としてしまう。当然だろう。ストラトスの支配から解放した時から、王都での戦い、先王との戦い、そして今日まで、形はどうあれ、俺とカグヤ様は同じ旗の下に居た。隣で戦ってきたのだ。その人間に許せていなかったと告げられるのは、衝撃だろう。
「あなたがしっかりしていなかったら内乱は起きた。あなたが出てきたから、俺は戦場に出る事になった。あなたの攻撃で俺と共に戦ってくれた人が死んだ。それらを、俺は飲み込めていなかったんです」
「……ユキト……それは……本当か……?」
「本当です……」
「そう……か。そうだな。その通りだ。全て私のせいだ。私さえ居なければ、全てが起こらなかった。私がしっかりしていれば、父が何かしてくる前に殺せば……いや、この身を差し出していれば、今のような状況にはなっていなかっただろうな……」
カグヤ様は椅子の背もたれに寄りかかる。そうして居ないとバランスを保てないんだろう。
しばらくカグヤ様が落ち着くまで待っていると、カグヤ様は腰に差してある短剣を鞘ごと抜いて、俺に突き出す。
「何のおつもりですか?」
「……殺したいほど憎いであろう? 今なら抵抗はしないから」
殺してくれていい。
そう言い放ったカグヤ様の目は、全てを諦めていた。そんな目をさせている自分が嫌で、今すぐにでもこの場から去りたいけれど、もっと辛いのはカグヤ様だ。
俺とカグヤ様の関係は一度、精算しなきゃいけない。
俺は短剣を受け取り、それをそのままカグヤ様の手に返す。
「どうした……?」
「謝罪しなければいけない事が幾つもあります。そして話をしなければいけない事も沢山あります。それを行うのに、この短剣を必要ありません、ですのでお返しします」
「……私が憎くないのか?」
「あなたの事が嫌いでした。憎いかどうかと言われると微妙ですが、嫌いだったのは確かです。全ての原因があなたにあるのだと、思い込んでいました。そうやって俺はあなたに甘えていた。整理できない感情を、あなたにぶつけていたんです」
そう言って俺はゆっくり肩膝を付く。そして右手を胸の前に、左手は地面につける。
臣下が主へ行う礼だ。回りくどく色々言ったのは、カグヤ様に言ったのは、カグヤ様に理解して欲しかったから。俺がそういう感情を抱いていた事を。
それでも。
「そんな俺でも構わないと言うのなら……カグヤ様。あなたに仕える事を許しては頂けないでしょうか?」
「……私が……嫌いなのだろ……?」
「そう思っていた。という話です。内乱も、俺が戦場に出た事も、俺の仲間が死んでしまったことも、あなたが全て悪い訳ではない。そう気付くのに、随分と時間が掛かってしまいました。いえ、気付いてはいました。ただ、整理のつかない感情をぶつける相手が欲しかったんです……」
カグヤ様に仕えた者で、内乱に加わった者からすれば、俺は憎い敵だろう。ノックスに加わっている者たちの中にも、そういう者たちは居るかもしれない。けれど、そういう者たちが俺に何か言ってくる事は無い。俺に何か言う事を恐れているとか、隊長たちが止めているとかじゃないだろう。整理がついているんだろう。
多分、皆、俺より大人なんだ。俺が子供すぎると言うだけかもしれないが。
「ユキト……」
「申し訳ありません……。辛い思いさせてしまいました」
言った瞬間、カグヤ様の目から静かに涙が流れた。それは徐々に量を増していく。
「……どうして……もっと早くそう言ってくれなかった……。誰も、私には何も教えてはくれなくて、誰を頼っていいかわからなくて、不安で、辛くて……でも、良き王になろうと頑張ってきたんだ……」
「知っています。その事にも気付いていました」
「……ユキトの期待に応えようとしたんだぞ……」
「申し訳ありません……」
カグヤ様は両手で涙を拭う。だが、すぐに新たな涙が流れる。次第に嗚咽が漏れ、泣きじゃくり始める。
こんな姿は初めて見た。こんな弱々しい姿を持っているなんて思いもしなかった。
どうして縋る目に答えなかったのか。どうして無言のメッセージに気付かなかったのか。いや、そうなるまでどうして追い詰めてしまったのか。
自分をコントロールできず、俺はカグヤ様を傷つけた。そして、また俺はカグヤ様の変化に気づけなかった。何故、いつも気づけないのか。それに今回は間違いなく追い詰めたのが俺だからタチが悪い。
こんな風に俺は親友を追い詰めていたのかもしれない。自分では知らずに、追い詰めていたから刺されたのかもしれない。何が気持ちが分かるようになりたいだ。偉そうな事を思ったものだ。
何でも見れるスキルを持っていても、こうして一人の女性を泣かしてしまっている。その涙を止める事さえできずに居る。
愚かなのは俺だ。カグヤ様は必死だった。自分の指示では動かない部下たちに四苦八苦し、王の仕事に忙殺されながら、それでも王とはどうあるべきかについて悩んでいた。周りをついてこさせるにはどうすべきかについて悩んでいた。それを知っていたのに。俺は。
「カグヤ様。王座から退こうとしているとクレア様から伺いました」
「……私では……この国を纏められない……」
「纏められます。今度はきっと。微力ですが、俺がその方法をお教えします。あなたを助けます。ですから、もう一度、頑張ってみる気はありませんか?」
決して助けなかった癖に、今度は助けると告げる。俺だったらそんな奴の言葉を信じたりはしない。
けど。
「……本当に助けてくれるのか……?」
この人は信じる。この人は疑う事を知らない。それは王には不向きかもしれないけれど、誰もかも疑うよりは良いだろう。それに。知らないなら教えてあげればいい。
「はい。本当です。ですが、そうやって人をすぐに信じてはいけませんよ。あなたを騙そうとする人間だっています」
「……どうやって判断すればいいんだ?」
ようやく収まり始めた涙を強引に拭い、カグヤ様はそう聞いてくる。そんな様子に俺は小さく笑みを浮かべながら答える。
「戦場で相手の出方を読もうとしますね?」
「ああ、する」
「それと変わりません。この人は何か考えているんだろうと、常に考えてください。そうすれば、カグヤ様ならすぐに嘘を見抜けます。戦場でできるんです。ここでもできますよ」
「ここは戦場ではないし、周りの味方にそんな目を向けるのは……正直、申し訳ない」
「では、周りの者は俺が判断しましょう。その代わり、俺の行動、言葉を常に疑ってください」
「……どうしても誰かを疑わねばいけないのか? 誰もが味方で、信じる事はできないか?」
縋る目をカグヤ様が向けてくる。随分と難しい事を言ってくるものだ。
けれど、聞かれた以上、答えなければいけないだろう。正直に。
「そうできれば一番ですが、そんな風には絶対なりません。人は感情を持っており、それ故に人の社会は成り立っています。ディオ様が言っていました。誰もが信頼できる世界は、誰も信頼できない世界と同じくらい危険だと。これは、多分、どちらになっても今の社会が崩れ去るからでしょう。敵対する者がなければ人は負の感情のはけ口を失います。まぁ誰もが信頼できる世界なら負の感情なんて無くなるのかもしれませんが、ようは予想不能と言う意味じゃ両方危険だと言う事です。こんなのは究極の二択ですから当然ですけどね」
「少し難しいぞ……私に分かるように話してくれ」
「はい。簡単にいえば、カグヤ様のその願いは叶わないと言う事です」
そう告げるとカグヤ様は、そうなのか。と言って、シュンとした様子で落ち込んでしまう。
「都合の良い言葉がよろしかったですか?」
「……正直に言ってくれた方が良い。全ての人を信じるのは無理だとはわかった。だが、私はそなたを疑ったりはしないぞ。今、決めた。絶対にだ」
そう言ってカグヤ様は涙で腫らした目で俺を真っ直ぐ見つめる。
やっぱりこの人は真っ直ぐなんだ。不器用なほどに。
生きづらい人。そうディオ様はカグヤ様を称した。確かにその通りだ。一人なら、こんなに生きづらい人は居ないだろう。けど、それなら誰かが支えてあげればいいだけだ。
その誰かになれるのに、俺はずっと逃げてきた。そうしてしまえば、俺はもう何からも逃げれなくなってしまう。けれど、もう逃げないと決めたんだ。
そう思った時、優しい風が吹いた。
それが誰が吹かせたものか考えるまでもない。ソフィアだろう。多分、ずっと俺とカグヤ様の会話も聞いているんだろう。
ずっとソフィアが戦う理由だった。それをソフィア自身に否定された。それで終わってはいけないと。
だから、今度からもう少し大きなモノの為に戦おう。その全てを背負って。
ヴェリスの為に。そう俺は何度か口にした。けれど俺自身、ヴェリスの為に戦った事は一度もない。ヴェリスに居るのはディオ様が居たからだ。けど、もうそんな軽い気持ちじゃ駄目なんだ。
「カグヤ様。少しお願いがあるのですが?」
「何だ?」
「ヴェリスの軍師と名乗ってもよろしいでしょうか?」
そう聞くと、カグヤ様は少し驚いた後、弾けるような笑顔で頷いた。




