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軍師は何でも知っている  作者: タンバ
第二部 王国再建編
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第六章 変化

 俺の祖母は怒ると怖かった。今まで会ってきた人の中で、一番怖かったと断言できるほどだ。と言っても、別に怒ったからと言って、怒鳴るわけでも顔を恐ろしい形相に変える訳でもない。まして、手を出された訳でもない。

 ただ、じっと正座する俺を対面の状態で見続けるのだ。無言で。こっちが反省したと分かるまでずっとだ。

 話そうとしたり、姿勢を崩そうとすると、落胆のため息を吐くから、何もできずに耐えるしかない。本当に地獄のような時間だった。けれど、そうやって怒られる時はいつも俺が悪かった。

 何故、そんな事を思い出したかと言えば、今、似たような状況に陥っているからだ。

 怒られているのは俺で、怒っているのはソフィアだ。俺が座る椅子の前に椅子を置き、先ほどから一切喋らず、こちらの質問には答えない。ただじっとこっちを見ているだけだ。

 だが、怒っているのはわかる。私は怒っています。と顔に書いてあるし。

その理由はまぁわからんでもない。


「わかった。謝るよ。もう二度とあんな真似はしないから」

「……」

「怒っているのは、俺が自分を顧みなかったからだよね? もうしないから」


 そう言って、俺は笑みを浮かべるが、ソフィアはそれに答える事はしない。

 無視が一番のいじめだというが、確かにきつい。この場合は、視線はこっちに向いているから尚きつい。確実に無視してるのが分かるからだ。

 取り付く島もないという言葉を身をもって知る事になった俺は項垂れて、ソフィアが折れるのを待つしかないと判断する。しかし、思いのほか早くにソフィアは折れた。いや、この場合は、折れたと表現するのは正しくはないだろう。

 何せ、許してはくれていないのだから。


「……ユキトが私の為に何かしてくれるのは嬉しいです」

「え? あ、そうなの?」

「はい。ですけど、勘違いはしないでください。今回の事は全く嬉しくありません」


 ちょっと希望が見えた気がしたけど、気のせいだった。真顔で嬉しくはないと言われると、結構傷つく。ソフィアの事を思ってやったつもりだったのだけど。

 俺がソフィアの為と思っていても、ソフィアにとっては喜ばしい事とは限らないと言う事だろう。所謂、余計なお世話をしてしまったと言う訳だ。


「ごめん……」

「アルビオンでは利用されるのも、自由を奪われるのも嫌でした。けれど、このヴェリスなら大丈夫です。何故だか分かりますか?」


 ソフィアの問いかけに俺は少し悩む。アルビオンに無くて、ヴェリスにあるモノ。沢山ある気がするし、あまりないような気もする。だが、特別なモノなのは間違いないだろう。

 そこまで考えて、俺は合点が行く。なるほど。


「俺やディオ様がいるから?」

「はい。その通りです。頼れる人が、友人が傍にいるならどんな事でも平気です。けれど、今回、ユキトはそんな私の思いに気付いてくれませんでした」

「いや、だって、私の願いを叶えてくださいって言うから……」

「傍に居ると約束してくれました。ですが、私が割って入らなければ、ユキトはどのような結果であれ、この城を追われていたのではないですか?」


 ソフィアの言葉に俺は素直に頷く。百パーセントの確率で城を追われるとは限らないだろうけど、ノックスの総隊長は解任されただろう。そして、周りからの信用も失うだろう。いや、今、現在、進行形で俺はヴェリスの有力者からの信用を失っている。

 だが、そんなモノは本当にどうでもいい。ノックスを作ったのも、軍師としての地位も、ヴェリスで積み上げたモノの全てはソフィアに会いに行く為、ソフィアを助ける為に築いたモノだ。今更、惜しくはないという気持ちが俺の中にはあった。

 ノックスはディオ様に引き継ぎ、城を出て、ディオ様の相談役にでも収まって協力していく。そんな事まで考えていた。

 けれど、それをソフィアは良しとはしなかった。


「ソフィアの傍に居ると確かに約束したね。城を出ても傍に居る事はできると思っていたんだけど。それじゃあ駄目だったかな?」

「駄目です。私を一人にしないでください……」


 悲しげな表情をソフィアは浮かべる。それを浮かべさせたのは俺だ。

 この身をかけてでも守るつもりだった。けれど、ソフィアはこの身も守る内に入れて欲しいと願っている。自己犠牲は自己満足という事か。

 残された者たちの事を考えては、正直、いなかった。あの時は、ただソフィアを守る事しか考えていなかった。


「ごめん。約束を破る所だったね」

「……今回だけは許します。もう次はありませんからね?」


 ようやく笑みを浮かべたソフィアに、そう笑って返す。

 終わったかと思い、俺は椅子から立ち上がろうとするが、ソフィアに服を掴まれる。


「どうしたの?」

「……もう一つ大事な話があります」


 ソフィアは少し躊躇いがちにそう俺に言ってくる。

 そんなソフィアの様子を見て、俺はもう一度椅子に座り直し、ソフィアの目を見る。


「大事な話?」

「はい……カグヤ様の事です」


 意外な名前が意外な人から出てきた為、俺は驚きを隠せなかった。

 なぜ、ソフィアの口からカグヤ様の名前が出てくるのだろうか。いや、そんな事よりも、なぜ、カグヤ様の事が大事なのだろうか。


「何かされたの?」

「何もされてはいません。ユキト、カグヤ様がユキトに何をしたと言うのですか?」

「何をした? えっと……どういう意味?」

「ご自分でも気付きませんか? ユキトはカグヤ様に多くの負の感情を抱いています。言葉や言い方から伺えるほどに……」


 ソフィアはそう指摘して、悲しげに目を伏せる。一方、指摘された俺は、今までのカグヤ様に対する言動を思い出していた。

 うん、多分、ソフィアの言ってる事は正しいだろう。俺はカグヤ様に辛く当たってきたし、内心、かなり思う所がある。もっと簡単に言えば、俺は嫌いなんだろう。あの人の事が。


「……確かにね。俺はカグヤ様が……嫌いだ」

「ユキト。私と会ったばかりのユキトなら、今のカグヤ様を見て……放ってはおかないでしょう。何故だかわかりますか?」

「……わからないよ。ソフィアは分かるの?」

「……ユキトは優しいです。誰かの身になってあげられる。その優しさに私は救われました。ユキトは……カグヤ様の身になって、考えた事がありますか? 私にしてくれたように、隠されている本心を読み取ろうとしましたか?」


 告げる度にソフィアが悲しげに顔を歪ませる。

 言うのが辛いなら言わなければいいのに。そう思うけれど、俺の為に言ってくれているのは間違いないだろう。カグヤ様の身になって考えた事なんて一度もない。隠された本心を読み取ろうとした事も一度もない。

 ソフィアに最初会った時、俺はソフィアが不安で仕方ない事に気づいた。周りが気付かなかったのは、ソフィアなら大丈夫だろうと言う認識があったからだ。ソフィアの力にばかり目が行って、ソフィアの気持ちに目が行かなかったからだ。

 そう考えて、俺は気付く。ソフィアの気持ちに目が行かなかった人たちのように、俺もカグヤ様の気持ちに目が行っていなかった事に。


「……してないよ。しようとも思わなかった」

「何故ですか?」

「……カグヤ様なら大丈夫って思ってたのと、嫌いだったからじゃないかな?」

「何故大丈夫だと思ったのですか?」

「……俺に勝った人だから」

「……何故お嫌いなのですか?」

「……俺の仲間を殺した人だから……違うな。それだけじゃない。内乱を起こすきっかけを作ったから。俺が戦場に出る理由を作ったから。そう言うのを含めて、俺がカグヤ様を許せていないから……」


 ようやく分かった。俺は内乱から続く怨み辛みを、精算出来ていないんだ。全ての原因をカグヤ様にあると思い、俺はカグヤ様に当たっていたんだ。

 けれど、自覚した所でどうしようもない。あの内乱が起きた理由の一つはカグヤ様である事に変わりはない。


「カグヤ様を……許せませんか?」

「……」

「他所者の私だからこそ、ヴェリスの危うさは理解できます。カグヤ様の下に居るディオルード様とファーン宰相は権力争いを繰り広げ、それぞれの思惑を込めた提案をカグヤ様にしているのでしょう。カグヤ様は今、誰を信じればいいのか分からない筈です。そして……そんな中、ユキトはカグヤ様の下を離れる可能性を示唆してしまいました」

「俺は……どうしたらいいかな?」


 どうするのが良いのか分からず、ソフィアに俺は聞いてみる。

 だが、予想外の答えが返ってくる。


「ユキトが考えるべき事だと思います」

「厳しいなぁ……」

「ユキトは同じようにカグヤ様に返しているのでしょう? 縋るような目を向けられても、ユキトは答えなかった。それは……とても悲しい事です……」


 そんなソフィアの言葉を聞いて、ようやく俺はソフィアがカグヤ様の事について話した理由が分かった。重ねているのだ。自分とカグヤ様を。

 確かに二人は似ている。周りに左右され続けている点なんか特に。


「ユキトに助けてもらっておきながら、こんな事を言うのは、失礼で、恩知らずな事だとは分かってます。けれど、それでも私はユキトにカグヤ様を救ってほしい」


 カグヤ様に優しくしてあげてください。

 そう懇願してくるソフィアを安心させるために俺は頷いたが、心の中ではまだ折り合いのつかない感情が渦を巻いていた。




■■■




 あの交渉から数日が経った。

 ベイドとディオ様の権力争いは一瞬で激化していた。ディオ様がベイドの勢力を潰しに掛かり始めたのだ。全力で。

 キッカケは俺の胸を揉んだという一言だ。ディオ様としては看過できない事なんだろう。

 一方、ベイドの方は自勢力を維持する為に必死に立ち回っていた。

 俺の言葉を信憑性の無い妄言だと周りには説明し、俺を貶める事で事態を上手く好転させようとしていた。そしてそれはそこそこ上手く行っていると言っていいだろう。

 ヴェリスの有力者の前でカグヤ様に、自分の部隊と離反すると言う言葉を使い、脅しを掛けたのだ。しかもその後の対応でソフィアに庇われている為、俺はソフィアに与する裏切り者と言うレッテルを貼られている。全てが間違っていると言う訳ではないのが痛い所だ。

 ソフィアと協力して、ヴェリスを転覆させに掛かっているなど言う噂もある。否定しようにも、俺にそれが事実なのか確かめてくる者すらいない。完全に距離を置かれているのだ。とはいえ、予想外と言う訳でもない。あれだけの事をして、まだ王城に居られる事は完全に予想外ではあるけれど。

 もう一つ予想外なのは、カグヤ様の反応だ。ベイドについて、毎日、多くの者が真実かどうかを訪ねているのだが、カグヤ様は一切取り合っていない。ベイドを庇いもしなければ、俺の言葉が事実だとも言わない。完全にこの論争に加わる気がないようだった。

 おかげで王城はこの話で持ち切りだった。唯一、事態を収拾できるカグヤ様がそんな状態な為、誰も歯止めを掛けれないのだ。当然、その噂はカグヤ様にとって、決して好ましくはないモノに変化しつつあるのだが、それでもカグヤ様は一言もこの件には触れる事はなかった。

そんなカグヤ様と王城の様子を観察しながら、俺はこの後、どうするべきかを考えていた。今の俺は王都に駐屯する部隊の隊長であり、王城での仕事は一切ない。つまり暇なのだ。

 ノックスの隊員たちには王都で休息するように伝えてある。もう少ししたら、俺もノックスの隊長として動かなければいけないだろうが、もう少しの間は暇だ。

 そして、そんな俺に客人が来た。

 その人の名前はクレア・アークライト様。ディオ様の母上で、早くに母上を亡くされたカグヤ様にとっても母と呼べる存在の人だ。

 二人への影響力が強いのを自覚してか、いつもは王都の片隅にある屋敷で暮らしているのだが、いきなり王城の俺の部屋に来た。勿論、騒ぎになるのでひっそりとだが。


「今日はどのようなご用件でしょうか?」

「あなたの話を聞きました。色々とです。ユキト・クレイ」

「それでは……さぞや私に思う所があるでしょう。私をお叱りに来たという事でしょうか?」


 俺の言葉にクレア様は首を左右に振る。少し憂いを帯びた表情のまま、クレア様は椅子から立ち上がり、俺を真っ直ぐ見つめてくる。

 心の中が透かされるような視線は、戦場で対峙した時のカグヤ様の視線に似ている。こっちの何もかもが見透かされているようで、心がざわつくのを止められない。


「今日来たのは謝罪をする為です。恩人足るあなたに何も返せない不出来な娘と息子に代わって、私があなたに謝罪しに来ました」

「……どういう意味でしょうか?」


 クレア様の内心が読み取れず、俺は困惑しながら聞き返す。こういう時には俺のスキルは何の役にも立たない。どれだけ情報が見えても、人の心が読めないからだ。そして、こういう時に役立つのは経験であり、その経験に関していえば、目の前の人は俺の何倍も上だろう。あの王の下、ずっと気持ちを偽り続けてきたのだろうから。


「そのままの意味です。あなたはディオを、そしてカグヤを救ってくれました。本当なら、あなたに最大限の敬意を払わなければいけないのに、あの子達は自分の事で精一杯になってしまっている。あなたの事は一切、考えずに」

「……お二人には気を使って頂いております」

「自分を偽るのは好ましくはないわ。嫌いなのでしょ? 争いが。戦わなければいけない理由があるなら、仕方なくするけれど、率先してやろうとはしない。違うかしら?」


 嘘をつくなと目が言っている。それに嘘をついてもバレてしまう気がした。だから俺は正直に告げた。


「その通りです」

「あなたが今日までヴェリスの為に力を尽くしたのは……ソフィア様の為ね?」

「……はい」

「だから、ソフィア様を救った後、戦いから身を退こうとした。少なくとも、戦わなければいけない地位からは身を退こうとした。ここまでは正解かしら?」


 正解なんてもんじゃない。大正解だ。全て当たっている。そんなに俺は内心が分かりやすいのだろうか。


「はい。全て当たっています」

「どうして分かったのか。と言う顔ね。似ているからよ。あなたがカグヤに」


 そう言って、クレア様は一度、優雅な動作で俺に頭を下げた。


「ユキト・クレイ。あなたに謝罪を。望まぬ戦いに駆り立て、今も謂れ無き言葉の攻撃に晒してしまっている事を、心から謝罪します。そして、これは母親としての、卑怯な願いです。カグヤを助けてあげてください。あの子は」


 王の座から身を引くつもりなの。

 そう言って、クレア様は悲痛な顔を浮かべながら俺の目を見て来た。



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