第一章 序3
女性の美しさを何かに例える時によく使われるのは花か、もしくは宝石だろう。それらで足りない、もしくは役者不足の時に用いられるのは“星”だろう。人では手の届かない神秘的で、空に広がる絶対的なもの。
その中でも目立つのが太陽と月だ。なぜか。見た感じデカイからだ。そして昼と夜。照らす光は人が感謝してもしたりないくらいの恩恵を与えてくれる。それらに例えられると、さすがに女性側が遠慮するだろう。まるで太陽のように美しい、といわれたら、否定するのではないだろうか、それはいい過ぎだ、と。
けれど、それが似合ってしまう女性たちが確かにいる。現代人である俺は、本やテレビ、インターネットを通して、多くの女性を見ている。その中には単純な美しさを武器にしている人たちもいて、はっきりいって、住む世界が違うと、見ただけわかるくらい美しかった。
そんな女性たちと比べても、今、俺の目の前にいる女性、至上の乙女は群を抜いて美しい。年は十七歳と聞いた。俺より下なのに、年上に見えるのは振る舞いのせいか、それとも容姿のせいか。
背中まである金色の髪はどのような上質の絹よりも艶やかで、蒼色の瞳はどんな青天の空よりも澄んだ輝きを放っている。白い肌はきめ細やかで、白いローブから微かに伺える手足や腰は驚くくらい細い。これだけいってもまだ足りない。俺では例えようのない美しさだ。
太陽と月以外を使わないのは理解できた。よほど言葉巧みな者でない限り、彼女の美しさを太陽や月を使わずに表現するのは難しいだろう。
男の理想を形にしたら、彼女になるのかもしれないとすら、俺は真剣に思った。
彼女を近くで見れるのはいい。何時間でも見てられるだろう。俺は。
しかし彼女はもう結構な時間、椅子に座って、窓から景色を眺めることしかしていない。こういう時に話を振るなり、切り出すのが、話し相手の仕事なのだろうが、なにせなってから一日と経っていない。
元々、話をするのが得意な方じゃない。本の話ならできるが、この世界の本については知らない。そうなると、現代の本の話をすると、俺の創作か体験談みたいなことになってしまう。その手の話に耳を傾けさせる自信は俺にはない。もっと言えば話術もない。
さて、どうしたものか。ディオ様は急な用事が入ってしまったため、彼女を城に迎えた後、すぐに城を出てしまった。
彼女がここに来た理由は、物資の補給や休養も兼ねてだった。この危険地帯で唯一安全と言える場所だから、仕方ないだろう。
とはいえ、何もせずに待たせる訳にもいかない。ディオ様の周りで自由に動かせ、尚且つ、彼女の興味を惹かせられそうな人間は、俺だけという、ディオ様の独断で、俺は至高の乙女と呼ばれる少女と、部屋で二人きりだった。
ディオ様は簡単に、名前を呼ばれるくらい仲よくなっておいてくれ、と言ったが、ハードルが高すぎる。美人と話すどころか、女性と話す機会だって少なかった俺に、どうしろというのだろうか。
「……至上の乙女様。何か不便はおありでしょうか?」
「……私の名前はソフィア・リーズベルク。至上の乙女などという名ではありません」
鈴の音のような声が、小さな口から紡ぎだされる。もっと聞きたいと思った声は、とても声の綺麗な歌手の歌を聞いたとき以来、数年ぶりだ。外見だけじゃなくて、声もしっかり美しいとは、ギャップのない人だ。
「失礼を。軽々しくお名前を呼んではいけないと忠告されていたので」
とりあえず笑顔でそういうが、忠告してきた護衛隊長らしく大男の目は尋常じゃなかった。話し相手に選ばれた俺に、名前を呼ぶな、体に触れるな、たやすく近づくな、というのだからびっくりだ。いわれなくても触れたり近づいたりはしない。初対面の女性にそんなことできるか。
「そんなことをいうのはラーグ隊長ですね。私のことはソフィアで構いません」
「ではソフィア様とお呼びします。お話は必要ですか?」
「そうですね……。その変わった服は何でしょうか?」
「祖国の服です。あまり出回るモノではないので、珍しいと言えば珍しいですね」
嘘だ。めっちゃくちゃ大量生産だ。とはいえ、この世界では出回らないだろう。着てれば嫌でも目を惹くし、これ以外に服はないから、ディオ様に着替えを頼まなくちゃいけないな。
「島の服ですか……着物以外にも変わったモノがあるのですね」
「どうして私が島の出身だと思ったんですか?」
「違うのですか?」
「さて、どうでしょうか。ただ、島の出身者の子供には黒髪黒目が出ることもあります。黒髪黒目だからといって、島の出身と断定するのは早計かと」
「では、ご両親が、もしくはどちらかが出身者なのですか?」
「両親とも島の出身ですし、私も島の出身です」
笑顔で言った後に、奇妙な沈黙が流れた。あれだ。冗談が通じない相手に冗談をいって、怒らせた時に流れる沈黙に似ている。やばい。怒らせたかもしれない。
「つまり……嘘をついたと?」
「まさか。そういう場合もあると言っただけですし、私は否定をしていません。どうでしょうか、といいましたが」
「似たようなものです! 何なんですか一体、嘘をつく意味がわかりません」
「嘘ではなく、冗談です。戯れで口にする言葉の遊びです。人とによって通じない場合がありますが、今回の場合は、私がソフィア様をからかったと言えるでしょう」
にんまりとして俺がそういうと、ソフィア様は顔を真っ赤にして、また外の景色に視線を移してしまった。
失敗したなぁ。かけ合いを楽しむつもりが、俺だけかけて、相手が怒ってしまった。悪くない選択だと思ったんだけどな。
「……私に……冗談を言ったり、からかう人などいません……」
「すべて事実ばかりでは、息苦しいと思います。たまには誇張の入った話やどうでもいい話のような遊びが必要だと、私は思います。物を作る時に遊びと呼ばれる余裕が作られるように、人にも余裕が必要です」
「息苦しい……余裕……私はどう見えますか?」
「とても息苦しく、余裕がないように見えます。大変ですか? 至上の乙女を演じるのは」
言った瞬間、俺の顔の真横を風が通り過ぎる。壊れたブリキのようにゆっくり首を後ろに回して見れば、壁に軽くヒビが入っている。風の弾丸といったところか。当たっていたら、死にはしないが、恐らく気絶ぐらいはするだろう。
「二度と口にしないように」
「……これは私の知り合いの話です。ですからソフィア様にはまったく関係ありません。話をしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
許可をもらって、俺は深呼吸する。あの風の弾丸を見て、今からやろうとすることは自殺行為かもしれない。敢えて外したのは二度目は当てるという意思表示だろう。それでも、俺はソフィア様に肩の力を抜いて欲しかった。
親友に刺されて気づいたことがある。それは誰しも多少は演じているということだ。他人が求める自分を。素の自分だけでは誰かと打ち解けないから、皆頑張っているのだ。俺の親友もそうだったのだと思う。実はナーバスだったのかもしれない。実は人と喋るのが好きではなかったのかもしれない。だから押しつぶされた。友人として、素の親友を受け止めるどころか、気づくことも、俺はできなかった。
その後悔が、俺を少しだけ後押しした。ソフィア様は間違いなく無理をしている。こんな危険地帯に来て、平気な女性がいる訳がない。平気そうに見えているのは、そう演じているからだ。
「私の知り合いにはとても美しい少女がいます。太陽のように神々しく、月のように神秘的な少女です。少女はあるお使いを頼まれました。しかし、そのお使いの目的地には、女を食い物にする暴君がいました」
「あなた、その話は……」
「許可は頂きました。最後までお聞きを」
「……続きを」
「はい。少女はその暴君の近くにいくのは、嫌でした。しかし、行くしかありません。自分が行かなければ、他の誰かが行くことになる。それは少女にとっては看過できない問題だったのです。結局少女はお使いに行き、暴君に見つかってしまいます。ですが、少女は予め暴君を撃退する方法を知っていたので、難なく暴君を退けました。けれど、少女の心は晴れません。なぜなら、どれだけ撃退の方法があろうと“もしかしたら”が有り得るからです。それを考える度に、少女は恐怖を感じました。少女はお使いを終わらせると、真っ先に帰ろうとしました」
「……それで?」
徐々にソフィア様の表情が曇り始めている。そんな顔をさせたくはないけれど、心を開いてくれないのだから仕方ない。余計なお世話なのかもしれないが、俺にはどうしてもソフィア様が辛そうに見えた。
「しかし、少女は疲れてしまいました。どこかで休まなければいけません。そこで暴君を倒そうとしている勇者の家に向かいました。勇者は快く迎えてくれましたが、少女の心は晴れません。なぜなら……少女は勇者も暴君と同じなのではないかと思っていたからです」
「話は終わりですね。私の予想では、その話にそこから続きはありません」
「ありますよ。無事に帰れたという結末です。それは確実です」
「……どういうつもりです。先ほど、無礼な発言には容赦しないことを言った筈ですが?」
「おかしいですね。私は知り合いの話をしただけです。ソフィア様とはまったく関係はありません。して、質問があります」
「何です……?」
俺は口の中を乾くのを感じた。魔術のことはまったく分からないが、間違いなくソフィア様は準備をしている。ソフィア様が多少でも不愉快に感じた場合、おそらく俺は風の弾丸を喰らうだろう。
感情はため込めばストレスへと変わる。どんな形であれ、感情を吐き出せば、肩の力は抜けるはずだ。
まぁ俺が危険だが、死にはしないだろう。
「少女についてどう思いますか?」
「何がいいたいんですか?」
「今の話の感想を。もっと直接的に言えば……当たってますか?」
瞬間。俺は宙を舞った。そう言えば聞こえはいいが、とんでもない突風で吹き飛ばされたのだ。
俺とソフィア様がいる部屋は広い。それこそ学校の教室よりも広いくらいだ。その端にある窓の近くから、反対側にあるドアの方まで吹き飛ばされた。
これはまずいと思ったが、どうすることもできない。俺は武道やスポーツの心得なんてない。つまり、受身の取り方だって満足には知らない。
背中から思いっきり床に叩きつけられ、頭が前後に揺れて、後頭部も床に何度か打ち付けられる。
両手両足も痛いが、一番問題なのは息ができないことだ。強かに背中を打ったことと、いきなり突風を浴びせられたせいで、呼吸が上手くできない。更に後頭部を打ち付けたせいか、視界が歪む。完全な脳震盪だ。
「あなた……! 防ぐ自信があったのではないのですか!? それに受身も取らずに!」
さすがにまずいと思ったのか、ソフィア様が俺の方に駆け寄ってくる。近くにしゃがみこんで、俺の顔を覗いてくるが、めちゃくちゃ歪んでるから誰だか分からない。どうにか呼吸はできるようになったが、それだけだ。こんなに辛いのは生まれてから数えるほどしか経験したことはない。
「ディオルード様の側近なのに……」
「……今日……なったばか、りです……受身……やり方、知らないん、です……」
「そんな技量で……なぜ馬鹿なことなど口にしたのです!」
どうにか視界が安定し始める。どうやら一過性のものみたいだ。視界が安定してくると、体中に痛みに意識が行く。最悪だ。体中が痛い。
「不安、な……時って……話を、聞いて、欲しい……かなって」
「あんな聞き方で……内心を吐き出す人などいません……」
「だって……まともに聞いて、くれないので……挑発すれば耳を、傾けてくれるかな、と思ったんです……」
「……あなたは……馬鹿なんですか……? 放っておけばいいじゃないですか。今日会ったばかりの女など……息苦しそうに見えたって、不安が垣間見えたって……あなたには関係ないでしょ……?」
声から険しさが取れた。とても柔らかい声だ。少し泣きそうな顔なのが問題だが、これがソフィア様の本来の姿なんだろう。何てことはない。俺と変わらない。不安も感じるし、痛みだって感じる人間だ。至上の乙女の前に、女の子なんだ。
「友が……苦しんでいるのに気づいて、あげれませんでした。だから……誰かの内心が見れたなら……救おうって、決めました。そしたら、たまたま……ソフィア様の内心がちょっと、見えました。ソフィア様の心境を……想像するのも難しくありません。気づかないヤツがおかしいです……」
「……私は……」
「辛かったし、怖かった筈です。だけど周りに見せられずに押しつぶされそうだった……。大丈夫です。ここには俺しかいませんから……」
仮面を取っても大丈夫ですよ。
そういうと同時に、ソフィア様は大粒の涙をこぼし始めた。どうにか体が動くようになった俺が上半身を起こすと、ソフィア様は俺の肩に額をつけて、そのまま嗚咽をこぼした。
予想なんて誰でもできることだ。現代で言えば、連続強姦魔がいる道を撃退グッズを持たせて歩かされるようなものだ。一生もののトラウマになりかねない。
強さなんて関係ない。やらなければならない大事でもないのに、やらせることじゃない。
もしもソフィア様にヴェリスへ向かうように言ったヤツが目の前にいるなら、俺は殴っていただろう。それくらい、俺の肩に顔を埋めて泣くソフィア様の姿は儚げだった。
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しばらくして泣き止んだソフィア様を、俺はもう一度椅子に座らせた。まだ体中が痛いが、さきほどよりは随分マシだ。このまま痛みは消えていくだろう。消える程度の痛みなら、幾らでも我慢できる。消えない痛みよりは何万倍もマシだ。
「落ち着きましたか?」
「……はい……」
消え入りそうな返事をソフィア様は口にする。泣いたのが恥ずかしいのか、顔が微かに赤い。
さて、心の壁はなくなったことだし、お話しと行くか。
「まず断っておきます。ディオ様はソフィア様を害することはしないでしょう。強いてあるとするなら、ディオ様の周りの人たちですけど、その時は必ず知らせに来ましょう。お捕まりになったなら必ず逃がします。ですからご安心を」
「……すみませんでした……」
「えーと、何に対する謝罪ですか?」
「魔術で攻撃したことと……疑っていたことです」
魔術で攻撃されたことは、まぁいい。敢えて挑発行為を繰り返したのはこっちだ。攻撃を仕掛けさせ、罪悪感に付け込んだという結果になってる辺り、悪いのはおそらく俺の方だろう。
疑うというのは悪いことじゃない。ある種の防衛行為だ。まったく疑っていないお気楽なお姫様なら、俺もここまで体は張らない。
「お気になさらず。大したことはありませんから」
「でも……痛かったでしょ……?」
「まぁ痛かったですけど、悪いのは俺ですし。それに……こうしてソフィア様が目を見て話をしてくれるようになりました。それでよしとします」
先ほどまで警戒の表れだったのか、俺の目を見てくることはなかったソフィア様は、今は目を見て話をしてくれている。大した進歩と言えるだろう。
「あなたは……優しいですね」
「ユキトです。クレイ・ユキト。いや、ユキト・クレイですかね」
「私ったら、名前も聞いていませんでしたね……」
「名乗りませんでしたから。最初に名乗っても、あなたと呼ばれる気がしたので」
「間違いありません。私は名乗られても名前じゃ呼ばなかったと思います。自分は至上の乙女と呼ばれることを嫌っているのに、他者の名前は呼ばない……最低な女です……」
ソフィア様はそう呟いて、外の景色を眺め始める。外には何もない草原が広がっている。ずっと見ていたら飽きてしまう光景に思えるが、ソフィア様は違うらしい。
「私は至上の乙女という名が嫌いです。星回りや魔術的に災いが起きるとされる日は、与えられた部屋から出れません。会う人やその日の行動はもちろん、交わす言葉や歩く歩数まで制限されるときもあります。すべては至上の乙女と呼ばれているからです」
「それは……なんとも息苦しいですね。ちなみに言葉や歩数を制限すると、よいことがあるんですか?」
「言葉は力を持ち、数もまたそうです。ですけど、普段の何気ない会話や歩行を制限して、何か効果を得られたという事実はありません」
ソフィア様はそういってため息を吐いた。ただため息を吐いただけなのだが、ソフィア様がするとどうにも絵になりすぎて困る。目を軽く伏せ、椅子に座りながらため息を吐く儚げな美少女。この時代なら、多くの絵描きが、描かせて下さい、とお願いしに来るかもしれない。それを今は俺だけが見てると思うと、なぜだか勝った気分になる。
「お気持ちはそうですね、万分の一程度ならわかるかと」
「ほとんど理解してくれないんですね。でも、至上の乙女ではなく、ソフィアという女を理解しようとしてくれたのは……ユキトが初めてです。ありがとうございます」
ありがとう。そういってソフィア様が浮かべた笑顔を見て、俺は顔を赤くしてしまい、照れながら、お気になさらずに、というだけで精一杯だった。




