第五章 遊軍3
先を行くロイの隊は先の内乱中に義勇兵として戦った者たちで組まれている。彼らは平民、農民などで高度な戦術を叩き込まれた貴族の子弟ではない。当然、動きには無駄が見られる。だが、腕っ節だけで戦場を生き抜いた彼らの爆発力は驚異的だ。
恐らく小隊の隊長と思われる者が走り続けるロイに挑み、一瞬で返り討ちに遭う。そして、ロイが止まらない為、部隊も止まらない。先頭が止まらない為、その後ろを走る五百人も止まらない。
「流石はロイ。爆走だ」
攻撃の最中は隙が出来やすい。思考が攻めだから受けに切り替えるのに時間が掛かるのだ。そして思考を切り替え、行動に移すには更に時間が掛かる。それが数千の軍なら尚更だ。
ロイたちには立ち止まらずに反対側まで走り抜けるように言ってある。その後はニコラがロイたちの部隊を吸収して指揮を取る。
俺は旗下の四百の騎馬隊を使い、ロイたちが通った後で混乱中の敵部隊を蹂躙する。弱った箇所は申し訳ないけれど、徹底的に叩かせてもらう。
「梯子を叩き壊せ! このまま敵に損害を与えつつ、ロイたちを追うぞ!」
「そうはさせぬ! 皆の者! アークライトの軍師がここに居る! 名のある将軍よりも価値があるぞ! その首が欲しければ!」
「この部隊の隊長はあいつか。あいつを殺ればこの部隊は機能しなくなるな」
俺は指揮杖代わりにしている扇を、声をあげ、周りを鼓舞している騎士に向ける。
瞬間、四百人の目標がその騎士へと変わる。
俺の周りに居る四百人は、内乱の際、ディオ様と共に王都を奇襲した面々から成り立っている。元々精鋭ばかりを選抜したあの部隊から、更に精鋭を選び、ディオ様はノックスに加えてくれた。
それぞれが腕利きばかりで、個人での戦闘は勿論、集団戦術にも精通し、それぞれが小隊の隊長格、もしくはそれ以上の地位についても問題ない力を持っている。
ロイが見つからなければ、この四百人の中から一人、部隊長を選んでいただろう。そう思うほどの者たちだ。俺が扇を向けた隊長と、その付近に居た者たちは瞬殺された。文字通りで、通りすぎる際に、事も無げに首が飛んだ。
「流石って所か。このまま駆け抜けた方がいいかな?」
「ご冗談を。私たちにも手柄を立てる機会をくださいな」
俺の後ろからエリカが馬に乗って現れた。その後ろからは続々とエリカの部隊が続いてきている。連結魔術を撃ち終わったと言う事だろう。
「意外に早いね」
「三隊が奇襲した後方は陣形が大きく乱れています。あんな所に連結魔術を撃ち込んだら、味方にも被害が出てしまうわ」
「なるほど。こっちも向こうと一緒って事ね」
連合軍の魔術師たちは俺たちに連結魔術は向けられない。味方に被害が出るからだ。間違いなくこちらよりも大きな被害が。
更に後方に居る魔術師たちは三隊の激しい攻撃の対応に追われている。砦への連結魔術も目に見えて減った。
「けれど、私たちの前には敵しかいない。あなたがわざとそうしたのでしょ?」
エリカは俺の狙いが分かっているのか、俺が蹂躙して広げた場所に円形の防御陣形を作る。
敵の目の前に防御陣形を作る。それは一見、愚かに見えるかもしれない。止まってしまえば、敵も落ち着き、冷静に対処してくる。それは奇襲の利を捨てる事に繋がる。だが、
「察しが早く助かるよ。威力重視で連結魔術用意だ」
「お任せを」
連結魔術は一人一人では弱く、効果範囲や射程距離が不十分な魔術を、複数人で同時に行使し、相乗効果で強力な魔術へと変える事を言う。
何故、効果範囲が必要なのか。城内または陣形内の敵を一気に葬るためだ。何故、射程距離が必要なのか。魔術師が安全な場所から一方的に攻撃する為だ。
エリカたち魔術師たちには申し訳ないが、俺はこの安全を捨ててもらった。つまり、距離をこちらから詰めた上で、連結魔術を行使する作戦を俺は立てた。
連結魔術は投石器や大砲などの兵器とは違う。移動に時間が掛かる訳でも、近い距離に放つ事ができない訳でもない。連結して効果をあげる際に射程を伸ばしているから、遠くに撃てるのであって、別にそれをしなければ普通の魔術と変わらない。威力を除いては。
「全員、集中なさい! この一撃で陣形を吹き飛ばすわ!」
エリカの檄に魔術師たちは答えない。必死に歯を食いしばって魔力を魔術に込めているからだ。今回は微細な調整は必要ない為、全ての魔術師が参加している。
連結魔術の敵はやはり連結魔術だ。連結して高めた防御魔術は、非常に高い防御力を誇る。双方ともに連結魔術が使用可能な場合は、根比べになり、それに負けた方が被害を被る。内乱の際の俺が率いた軍のように。
しかし、それでは戦の前に戦が決定するようなものだ。いや、実際、魔術師の数と質の差は戦を決定的に左右するものだ。高威力の兵器を多く揃えた方が勝つと言うのは、あながち間違ってはいない。ただし、それを上手く利用できると言うのが前提条件だが。
魔術師が戦を左右するのは間違いない。それくらい魔術師は強力だ。それなら、魔術師を中心とした戦術次第では劣勢は挽回でき、互角の戦いを優勢に進められると言う事だ。
ようは使い方次第で、俺は自走砲や迫撃砲に近い運用法を考えている。防御面をどうにかできれば戦車に近い運用も出来るだろう。あくまで人だから同じ扱いをするわけにはいかないが、とりあえずは普通の人間と変わらない速度で移動出来るのだ。移動させない手はない。
「詠唱用意!」
詠唱と言っても魔術の名前を唱えるだけだ。それが引き金だ。
連合軍側の指揮官の何人かはこっちが何をしているのか分かったようだが、しっかりとした円陣を組んでいる俺たちを突破できない。突破できないと言う事は。
「もう手遅れってことだ」
「エクスプロード!!」
後方から複数人の声が重なる。
円陣の中央から巨大な赤い光体が上がり、少し放物線を描く形で砦を攻めている部隊の中央に着弾する。
瞬間。尋常ない爆発がおき、こっちにまで爆風が来た。それだけでは終わらない。あれはエリカを中心とした十数名ほどの連結魔術だ。残り十発以上ある。
「恨みはないけれど、お前たちは俺に討つべき理由を与えた。この戦いに関して言えば、大事なのはそれだけだ」
「エクスプロード!!」
どんどん上がる赤い光体は連合軍の前線をどんどん崩壊させていく。それを助ける筈の後方の部隊と、全体を指揮する本陣は今、こちらの奇襲部隊に蹂躙されている事だろう。
なるべく直視しないようにしているが、爆発の直撃を受けた場所は凄惨な事になっている筈だ。それを作り出したのは俺だが、正直、直撃ではない場所の光景でも吐きそうだ。
でも、それでいい。この戦場でそういう感覚を無くしたら負けだ。忘れてしまえば、戦を軽く考える気がする。そうなるくらいなら忘れない方がいい。
目の前で直接戦う兵たちは忘れてもいいだろう。けど、俺は忘れちゃ駄目だ。この感覚と戦うのも俺の戦いの一つだ。
「戦果は上々かしら?」
「とりあえずはね」
連結魔術の連発のせいか、上気した顔で妙に色っぽく息を吐くエリカからすぐに視線を逸らし、俺はそう答える。もっと見ていたい気持ちはあるが、今はそういう時じゃない。そういう時なら良いのかと言う問題にもなるが。
恐らく俺とエリカでは、そういう時は一生来ないだろう。
「ロイは大丈夫?」
「平気さ。優しいお姉ちゃんに任せてあるからね」
側方に抜けていたロイの隊が、連結魔術で崩れた隙をついて、再度突撃してくる。同じく後方部隊を突破し、側方に抜けていたニコラの隊と一緒に。
ニコラはロイの隊が突出しすぎないように他の隊を上手く指揮しつつ、敵を蹂躙する。
特別速い訳でも、力強い訳でもない。勢いに乗っているのはロイの隊くらいだ。だが、確実に、効率よく敵を倒している。勢いがあまり無いのは完全にニコラが兵の手綱を握っているからだろう。
「慎重で確実。堅実ね」
「だから安心できるのさ。前線はニコラとロイの突撃でほぼ崩壊したね。後、後ろがどれだけ上手くやったかだけど」
「それは心配無いわ。私たちが移動を開始する時点で、ミカーナの隊は魔術師の隊を急襲していて、アルスの隊は敵の大隊を切り裂き、将軍に迫っていたわ。今頃は討っているんじゃないかしら?」
「連合軍だから一人くらい将軍を討ったくらいじゃ終わらないと思うけど、後方から援軍が来なかったのはそのおかげかな」
そう呟いていると、後方、砦から大きな歓声が上がり、砦の門が開いた。
やっぱり。と思わず思ってしまった。
「何事!?」
「パウレス将軍が打って出たんだよ。多分ね」
「砦を守る将軍が打って出るなんて……」
「まぁ勢いはこちらにあるし、パウレス将軍が千騎でも率いてくれば、より早く終わるし、悪い事じゃないさ。エリカ。ここを任せていいかな?」
門が開いた事だし、少し自分の目で確かめたい事があった。
「砦に行くのね?」
「よくわかったね?」
「分かるわ。とても大切な人が居るんじゃなくて? まるで恋人を見るような目で砦を見ていたわよ?」
「そんな事無いと思うけどなぁ」
「女の目に狂いはないわ。行きなさいな。もうこの戦いは終わってるわ」
そう言ってエリカが見る先には、確かに敗走しつつある連合軍の姿があった。全体を指揮する立場で私情優先で動くのは危険であり、愚かだ。それに申し訳ないと言う気持ちもある。けれど、この状況では俺が居てもあまり役に立たない。
「敵が退いたら深追いしないこと。そして、すぐさま全ての隊と合流して。もしも敵が予想外の行動に移ったら、防御を最優先して。対処は俺が考える」
「了解。私に対処できる事なら私が処理しても構わないかしら? 私は雰囲気を壊すのは好きじゃないの」
そう言って妖艶に笑うエリカの姿に俺は苦笑する。だが、気遣いは嬉しい。
俺は頷き、その場を僅かな護衛と共に離れ、砦へと向かった。
■■■
砦の中で俺は馬から下りて、周囲を見渡した。
負傷した兵やそれを看護する兵は見えても、ソフィアの姿は見えない。
やはり風の魔術だけでソフィアと判断したのは早計だっただろうか。けれど、あれだけの魔術を短時間で連続行使できる者など、ソフィアしか俺は知らない。少なくとも、ソフィアと肩を並べる者でもないかぎりできない芸当の筈だ。
砦の中を忙しなく見渡す俺を心配したのか、護衛についてきた者が声を掛けてくるが、それを無視する。
居てほしい。居てくれ。居てくれないと困る。そんな言葉と焦燥がどんどん心から浮かんでくる。ここに居ないならばまだアルビオンに居ると言うのだろうか。
会えるかもしれない。そう思った分、ソフィアの姿が見つからないショックは大きかった。今の気分は掴みかけたモノが手からすり抜けた時に似ている。その何十倍もショックはデカイけれど。
掴みかけたのは大切な人で、必ず会いに行くと約束した女の子だ。
「ソフィア……」
そう呟き、顔を伏せた時、頬を風が撫でた。背中に当たっていた風がいきなり真逆になったのだ。
それに釣られるように俺は風が向かう方向を見る。
砦の防壁の上。怪我人が集められている場所に風が集まっている。
俺はすぐに駆け出した。護衛の者たちが声を発するが、先ほどと同じように無視する。構っている暇はない。今の俺はディオ様の制止だって受け付けないだろう。
防壁の上に登る階段を駆け上がる。防壁は長い直線だった。
壁の上で怪我をした者たちは、無理して降ろさずにその場で手当を受けていた。
手当をしているのは普通の兵士たちだが、それに混じって白いローブの女の子が居た。
白いローブが血で汚れるのも構わず、傷口に手を添えて、魔術を使っている。
背中しか見えないが、見間違える筈はない。
「風の魔術で刃の破片は取り除きました……。後は普通に傷の手当を」
「……感謝……します……。乙女殿……」
「お大事に。次の方は?」
「ソフィア様。もうここには重傷を負っている者は居ません。一度休むべきかと」
ソフィアの護衛隊長であるラーグ隊長がソフィアに近づき、そうソフィアを諌める。
だがソフィアはゆっくり首を振る。
「私を受け入れたせいで、この砦は戦いに巻き込まれてしまいました。せめて自分に出来る事をしたいんです」
「……それでしたら、私が重傷者が居るか確認してきましょう。それまで」
お休みください。と言う言葉は続かなかった。俺の後方から俺の護衛役が俺の名前を呼んだからだ。
「ユキト様! 一人で行かれては困ります!」
言葉にラーグ隊長とソフィアが反応する。ほぼ同時に二人が振り返る。
いつぶりだろうか。二人を見るのは。
とても昔のように感じる。あの日、馬車でユーレン伯爵の城を出た日が。
あの日から俺はずっと戦ってきた。約束を支えにして。
ゆっくり右足が前に出る。すると、すぐに左足が出た。今すぐ駆け寄りたいけれど、どうにかそれを堪える。
ミカーナから忠告を受けている。もしもソフィアが居たとしても、操られていないかをまず確認するようにと。
「ユキト……?」
「クレイ!? まだ戦いは終わってないぞ?」
「久しぶり。ソフィア、ラーグ隊長。部下に任せてきました。やはり追われてたのはソフィアでしたか」
俺がどうやって扇をソフィアに触れさせるなり渡すなりしようかと考えていると、ソフィアが俺に向かって微笑み、ゆっくり近づいてくる。
血で汚れていようと、まったく美しさを失わない。あの城に居た時、毎日見れた姿が俺の目の前にあった。あの日々が幸福だったのだと今なら分かる。あの日々があったから戦えた。あの日々を取り戻したくて、俺は戦ったんだ。
「少し痩せましたね」
「仕事が色々あってね」
「食事はちゃんとしなければ駄目ですよ?」
そう言いながらソフィアは俺が持っている扇を両手で掴み、胸に抱えるように持つ。
予想外な行動に俺は目を見開く。
「これで……私があなたの知るソフィアだと、証明できましたか?」
そう言ってソフィアは母親が幼子に向けるような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
その笑顔は俺の知っているソフィアの笑顔で間違いなかった。
「ソフィア!」
俺はソフィアを両手で引き寄せ、きつく抱きしめる。
「よく……無事で……。君がとても心配だった……」
「私はそこまで不安ではなかったですよ。ラーグ隊長たちがいましたし、いざとなればディオルード様を頼ると決めていました。それに……ユキトが来てくれると信じてましたから」
現にこうして来てくれました。
そう言ってソフィアは顔をあげ、俺に向かって微笑む。
俺は自然と溢れてくる涙を止められなかった。溜まっていた感情が溢れてきてしまう。
「……その扇。君を守る為の大切な物なのに……俺に渡したりするから、危ない目にあっただろ……?」
「安心してください。クラルスを使う機会は殆どありませんし、なにより、私には言葉を使用する魔術は通じませんから」
ソフィアは俺の頬に手を当て、涙を払いながらそう簡単そうに言う。
それは衝撃の一言だった。
「ストラトスの事を知っているの……?」
「はい。多分、ユキトよりも。ただ、やはり不安でした。けど、もう大丈夫です」
一際笑顔になったソフィアは、ゆっくり腕を俺の首に回す。ソフィアが俺の首に抱きつく形になる。
「私は今、世界で一番安全な場所に居ますから……」
耳元でそう囁いた後、ソフィアは、恥ずかしいですね。と言いながら、それでも腕をほどきはしなかった。




