第四章 前進2
すげぇ。心の底からそう思った。
あてがわれた執務室で、ベイド卿は嫌がらせかと思うほどの量の仕事を事も無げに片付けた。
自分の判断が必要なモノはすぐに終わらせ、自分以外の者でもできるモノは、的確に他の者に振っていく。ステータスが見えていないのに、その人選は完璧だった。
「わざわざ呼んで悪いな。ちょっとお前と話したい事があってな」
「どのような事でしょうか?」
ベイド卿は机の上に置いてある紙を手に取って、ヒラヒラと泳がせる。
「お前の報告書によると、あのストラトスはまだ生きてるって事になるんだが」
「はい、その通りです。複数人を操って、ストラトスとして動かしているようです」
なるほど。と呟き、ベイド卿は椅子から立ち上がり、机を回って、俺のところまで来る。
そして俺の肩に両手を置いて。
「なら、何でオレを警戒しなかった?」
「……あなたはディオ様との戦いに反対したと聞きましたので」
「昔の話だ。お前がストラトスを逃してから一ヶ月は立っているんだぞ? その間にオレが操られていないっていう保証はどこにある?」
そう言われて、俺はグウの音も出なかった。確かに警戒をしなければならなかった。いや、カグヤ様に唯一同行した者として、警戒するのは当たり前だった。
最初にあった時のような、おちゃらけた態度ではない。見た目は全く変わっていないのに、まるで別人のようだ。目から発せられるのはカグヤ様に通じるモノがある。おそらく戦意だろう。完全に俺を敵として見ている。
「一つ忠告してやる」
そう言ってベイド卿は右肩から手を離し、俺に見せつけるように眼前に持ってくる。そして、手首を軽くひねった瞬間。
服の裾から短い刃が飛び出してきた。短いとは言っても五センチはある。暗器というモノだろうか。
しかし、一体何故、そんなモノを手首の部分に仕込んでいるのか。いや、それよりも俺にそれを見せた理由はなんだ。
「……なんでしょうか……?」
「俺はあの時、いつでもカグヤを殺せた。お前がのんきにカグヤの胸を眺めてた時だ。間抜け」
そう言ったと同時に、ベイド卿は左手で俺の首を掴む。右手と同じモノが左手にも仕込まれているなら、俺は今、首に短剣を突きつけられたようなものだ。
俺の脳内に、心臓を刺され、血を流して倒れるカグヤ様のイメージが浮かび上がる。簡単に浮かび上がった。そして呆然としている俺も。
「お前の戦の記録は見たり聞いたりしている。臆病なほどお前はカグヤを警戒していた。だから、お前は無用心ではない。なら、俺を警戒しなかった理由は何だろうか? 答えは簡単だ」
お前はカグヤを守るべき主君としては見ていない。
そう言ってベイド卿の左手に力が入る。
言われた俺は、正直な話、確かにと思った。俺はディオ様を主としては認めてはいるが、カグヤ様を主と認めてはいない。心の底では。
「……」
「お前は他国で何て呼ばれていると思う?」
「……存じません」
「アークライトの軍師だ。今、アークライトを名乗るのは二人、ディオルード様の母上とディオルード様だけだ。ディオルード様の懐刀。そうお前は思われている。他国がどう思おうと関係ないが、お前もその意識では困るんだよ。この国の王はカグヤだ。ディオルード・アークライトじゃない」
「……承知しました」
そう言ってベイド卿は俺の首から手を離す。
そして、机に戻り、白い布を取り出して、丁寧な手つきで右手首の刃を元に戻し始める。
「右手のにはしびれ薬を塗っていてな。左手のには毒が塗ってある。まさか卑怯だとか言わないよな?」
「しっかりした対策だと思います」
見習うかどうかは考えておこう。あんまり喋るテンションじゃない。カグヤ様が落ち込んでいたのは、俺が本当に主と認めている訳じゃないと気付いていたからだろう。
どう謝罪すべきだろうか。いや、そもそも俺はカグヤ様に忠誠を誓えるのだろうか。俺は竜の爪痕を刻まれている。この手の話はディオ様に聞くしかない。
「カグヤは十二の時に王城からオレの下に送られてきた。武の才能があると言う建前で、ライオルと言うオレの知己が城から逃がしたからだ」
「父王から逃れる為ですか?」
「それもあるが、あの時の王城は子供とは言え、女が居るような場所じゃなかった。まぁ逃がした先も女が居る場所とは言えないけどな」
それがどこなのかは容易に察しがつく。カグヤ様は国境を守る将軍だった。そこから導き出されるのは。
「戦場……ですね?」
「そうだ。カグヤは十二で初陣を迎え、そこから二年で将軍になり、攻めれば必ず領土を奪い取り、守れば決して進ませない無敗の将軍へとなった。才能もあったし、俺があいつを将軍にするために育てたってのもある。そのせいで教えられなかった事は沢山ある」
少し悲しげな表情をみせたベイド卿は、刃を仕舞い終えると、窓から見える王都を見る。
「最強の将軍にすれば、国王も手は出せまいと思っていた。その予想は破られた。最強の将軍にするまでがオレの仕事なのだと思っていて、最近はカグヤの事はアンナに任せていたってのも原因の一つだけどな」
「……ずっと守ってきたのですか……?」
常勝無敗の将軍になるまでは狙われていた。そう取る事ができる言葉だった。俺の質問にベイド卿は頷く。
この人の本当の顔は最初に会った時と、今とではどっちなんだろうか。どちらも本当のベイド・ファーンに見える。役割が違うだけで。
「オレのオヤジは前国王を大枚叩いて王につけた大馬鹿野郎でな。だからファーンと言う名はこの国では嫌われている。その罪滅ぼしも兼ねて、オレはカグヤを預かった。ただ、オレにはカグヤを王にする気はなかった。何故だか分かるか?」
「……ディオ様ですか?」
「そうだ。ディオルード様の下で動く最強の将軍。オレがカグヤに求めた役割がそれだ。だが、お前の小細工のせいでカグヤは王になってしまった。王に必要な知識など教えてはいないのに、だ」
ベイド卿は俺を僅かに睨む。そうは言われても、今の状況ではカグヤ様に王になってもらう以外には方法がなかった。
「申し訳ありません……」
「カグヤにあまり何もかも任せるな。しっかりと補佐しろ。オレはファーンである以上、あまり表に出ると国民が反発する。これからカグヤには王に必要な事を教えていく。裏方として、俺はカグヤを支えるから、お前は表で支えろ。自分で王にしたんだ。それくらいはしろ。これはカグヤの兄貴分からの命令だ!」
そう言ってベイド卿は一息つくと、勢いよく椅子に座り込む。
不機嫌そうと言えば不機嫌そうだが、どちらかと言えば自己嫌悪をしているようにも見える。
「……悪いな。お前のせいじゃないのは分かってる」
「少なくない責任は俺にあります。表の補佐はお任せを」
「……カグヤとディオルード様。どっちかに子供が生まれて、男ならカグヤは王から退ける」
「相手の問題が出てきます。国内には相応しい相手は今のところ居ません。他国とも国交が完璧に回復していない以上、他国の有力者も厳しいでしょう」
「……カグヤは妹みたいなものだ。できれば普通に暮らさせてやりたい。なんか対策を考えとけ。オレも考える」
そう言われても、と言うのが俺の心境だ。ディオ様とカグヤ様以外に王の子は二人。二人の姉上だが、どちらも他国に逃がされている。
年齢的に言えば、子を求めるなら二人の姉上だろうが、国の苦難の際に他国に居た者の子供達を王に据える事を、民が納得するとは思えない。しばらくはカグヤ様に王の位置に居てもらわなければならないだろう。
「中々難しいですね」
「そうだな。難しい次いでに厄介な話もしてやろう」
そう言って、ベイド卿は執務机の引き出しから一枚の紙を取り出す。
近くに寄って覗いてみれば、そこには一枚の扇が書かれていた。
「これは!?」
俺は懐の扇を取り出す。比べてみればそっくりだ。
「神扇・クラルス。アルビオンの宝具だ。お前が至上の乙女に受け取ったと聞いて、調べていたが、嫌な事に繋がった」
「嫌な事?」
「このクラルスの特徴は、魔力を分解する事、そして扇の底についている小さな宝石。そこに魔力を溜める事ができる事だ。それによって、魔力を打ち消す物でありながら、強力な魔導具としても機能する。だが、疑問じゃないか?」
「……アルビオンが何故、魔術を無力化する物を作ったのか、と言う事ですか?」
ベイド卿は頷く。
矛を作る時には盾を作るように、強力な魔術を作り出すアルビオンが、それを破るための物を作り出すのは不思議じゃない。不思議ではないが、幾ら何でもこの扇は強力すぎる。これが量産されればアルビオンの優位はあっという間になくなる。瞬時に滅亡の危機だ。
「作られたのは今から三百年ほど前。まだアルビオンと言う国が、魔術都市だった頃だ。アルビオンは代々、公王を五大名家と呼ばれる所から選ぶんだが、その始祖たちが作り出した物らしい。裏切り者の一族を根絶やしにするために」
「裏切り者の一族?」
「魔術を使い、同じ魔術師に害を与えない事。それがその時の魔術都市の決まりだった。それを破った一族が居た。彼らが使うのは独自の魔術で、彼らは操作魔術と呼んだ」
「な!?」
「彼らの魔術を無力化するために、その扇や似たような武器が、古来種の賢者の協力で、多数作られた。そして一族は滅ぼされ、武器は全て古来種の賢者が破壊したらしい。扇は製造法を封印した上で、アルビオンの宝具として保管されるようになった。まぁここまで言えば分かるな?」
これで分からないならただの馬鹿だ。あのユーリ・ストラトスは滅ぼされた一族の生き残りか、またはその魔術を学んだ人間だ。そして、それに対するカウンター兵器である扇は俺の手元に、運良くあった。だからストラトスを退ける事が出来た。
だが。
「アルビオンが……危ない……?」
「本来の目的がカグヤやヴェリスではないと言った以上、奴の狙いはアルビオンと見るべきだろう。加えて言えば、お前に言った言葉を考えれば、それは確実だろう」
今はお礼を言いにきたのさ。ありがとう。おかげで僕は長年ほしかったモノを手に入れられる。君のおかげさ。
ストラトスは確かにこう言った。あの時はよく分からない言葉だったが、俺が扇を手にしている事を知ったからこその言葉だろう。どうやって攻略すべきか悩んでいた者を、あっさりアルビオンから引き離してくれたのだ。礼くらいは言うか。
「いつか君は自分の存在は恨むだろう……あいつはそう言った……」
「図らずもあいつに協力した形になったからな。それに……」
ベイド卿は俺の顔を見て言葉を止める。俺は恐らく酷い表情をしているだろう。
怒りと自分の情けなさで自分を見失いそうだ。ストラトスは俺に直接言いに来た。何故、そこで奴の意図に気付かなかったのか。
俺はそこまでアルビオンは関係ない。だが、それでもストラトスは俺に対して、礼を言い、そして自分を恨むだろうと言う言葉を残した。
俺が唯一アルビオンと関係している点はただ一つ。
ソフィアだ。
「あの野郎……!! 最初からソフィアが狙いか……!!」
「ヴェリスを乗っ取ればアルビオンとも正面から戦争できるから、最初はそう言う予定だったのかもな。だが、状況が変わった。至上の乙女を操る事ができれば、アルビオンの大半の魔術師を支配したも同然だ」
「あの時受け取ってなければ!!」
ベイド卿の前だと言うのを忘れて、俺は思いっきり執務机を殴る。そんな俺をベイド卿は静かに諌める。
「だが、その扇がなければお前は負けていた。この国はストラトスに支配され、アルビオンに無謀な侵攻をさせられていたかもしれない。今更、過去を悔やんでも仕方ない。今は落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!? 俺のせいで、事態は最悪の方向に進もうとしてる!」
そう言うと、俺は踵を返して部屋から出ようとする。
「どこへ行く?」
「決まってます。アルビオンへ行きます。そして扇をソフィアへ返します」
「お前だけではアルビオンへは行けない。分かっているだろう?」
「ですけど!」
「ユキト。少し落ち着きなよ」
扉がゆっくり開いて、部屋の中に突然、ディオ様が入って来た。
■■■
ベイド卿が立ち上がって礼をする。俺もそれにならう。
「声が外まで丸聞こえだよ。そんなんじゃソフィア様は救えない。そうだろ?」
「ディオ様……」
「ディオルード様。いつから話を?」
「最初からですよ。ベイド卿。あなたが姉上を王にしたユキトを殺すのではと思いましてね」
ディオ様はそう言って腰の剣を見せる。まさかベイド卿を殺す気だったのか。
ベイド卿が頬に汗を垂らしながら、首を横に振る。
「また内乱を勃発させるような事はしません」
「ありがとう。僕も戦争は懲り懲りだからね。まぁそれも理由によりけりだけど」
ディオ様はそう言い放ち、ベイド卿に地図を出すように指示する。
すぐに地図を出したベイド卿から、それを受け取り、ディオ様はしばらく見た後、執務机に広げる。
「ユキト。最初に言っておく。僕はユーリ。ストラトスを許す気は毛頭ない。抱える怒りは君以上だと自負してる。だから、彼がアルビオンに居るなら、僕もアルビオンに行く」
この手で殺す為に。
そう言ったディオ様の目はゾッとするほど冷たかった。完全に切れている。こんなディオ様を見るのは初めてだ。
「姉上に次いで、ソフィア様を狙うなんて良い度胸だよ。僕に関わった女性を全員不幸にする気かな?」
「ディオルード様こそ落ち着いてください」
「落ち着いてるよ。怒りは蓄えておく物だからね。とりあえず、周辺に残っている三つの小国。彼らは全てヴェリスと敵対している。彼らをどうにかしなければアルビオンには行けない。選択は二つ。滅ぼすか、和平を結ぶかだ」
最初の選択は有り得ない。滅ぼす時間を考えれば、アルビオンまでの道を作るまでに、ストラトスがソフィアに魔術をかけてしまう。
ここは和平を結ぶべきだろう。
「和平以外にはないかと」
「僕もそう思うよ。まずは彼らとの和平。次にアルビオンへの訪問かな。時間はあまり無い。できることは素早くやるべきだ」
「急ぎすぎては失敗する可能性も増しますが?」
ベイド卿の言葉にディオ様は軽く笑う。それは不敵な笑みのようにも見えたし、嘲りのようにも見えた。
「僕の軍師は失敗はしない。それが大切な誰かの為なら尚更だ。ベイド卿。申し訳ないけど、ユキトはしばらく僕の軍師だ。今まで通りね」
「……もしも至上の乙女を救い出したとして、アルビオン自体がストラトスの手に落ちた場合はどうする気ですか?」
「攻めてきたなら迎え撃つ。攻めて来ないなら放っておく。僕にとって大事なのはソフィア様の安全ですから。むやみにヴァリスを危険には晒さないから安心していい」
「それを聞いて安心しました」
ベイド卿はそう言って頭を下げる。だが、その時のディオ様の顔を見ていた俺から言わせれば、そんな言葉は信じられなかった。
あの顔は完膚なきまでに叩き潰す気の顔だった。ディオ様は既にどんな手を使ってもストラトスを逃す気はない。
そうは思っても俺は口には出さない。
俺も似たような心境だったからだ。




