第三章 決着
僅かな手勢じゃ防衛は手厳しい。向こうは腕利き揃いの黒鳥旗軍だ。質で負け、量が互角では勝機は見いだせない。
そんな軟弱な事を考えつつ、城を囲う巨大な城壁と比べれば申し訳程度の防壁で相手の侵攻を食い止めるアルス隊長とパウレス将軍を見た。
ミカーナは俺直属の百人を指揮しているから、こちらには将軍級の指揮官が三人いる事になる。だが、残念なことにそれは絶対的な優位とはなりえない。
「結構、消耗してたはずなんだけどなぁ」
俺は黒鳥旗軍の兵たちの少し後ろ、指揮を取るカグヤ様を見て、小さくそう呟いた。
ソフィアの魔力がこもった一撃だ。単純にソフィアと同レベルの攻撃と考えて構わないだろう。それを受けた日の夜に自ら夜襲に出てくるとは、元気なものだ。
「さて、どうしたものか。時間を稼ぐにしても、このままじゃ落城は間違いないしな」
予備兵すら用意できてないこの状況では、カグヤ様たちの夜襲部隊に城を落とされてしまうだろう。城を放棄するのと、落とされるのとでは雲泥の差がある。士気の面もそうだが、後者の方が負けた気になる。そんな気分が大きく戦を左右すると、俺はここに来て学んだ。
「軍師! また降伏勧告の使者が来るぞ?」
アルスが血で汚れた顔を拭く様子もなく、俺の近くに来ながらそう言った。
カグヤ様は一度攻撃の手を止めており、使者と思われる者がこっちに近づいてきている。
降伏勧告に乗るのは簡単だが、安全が保障されないのは困る。とりあえずまずはやれることをやるとするか。
「アルス隊長。交渉の場を設けます。ミカーナを連れていくので、兵の指揮を頼みます」
「はいよ。すぱっと斬られるなんてのは止めてくれよ?」
右手で首を叩くアルス隊長が全く冗談にならないことを言う。正直な話、その可能性は大いにある。
善処します。と返しつつ、俺はミカーナを連れていけば、まぁ死ぬことはないだろうと、楽観視しつつ、使者を出迎えた。
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交渉と言いつつ、武器を身につける事を禁止することを伝えなかったのは、魔術を使うカグヤ様が本気ならば、カグヤ様に武器があろうがなかろうが、こっちの危険は変わらないからだ。それならば、こっちも武器を持っていた方がいい。そう思ったのだが、案外、必要なかったかもしれない。
交渉をする四人の内、武器を持っているのはミカーナとカグヤ様の二人で、残りの二人、俺と、カグヤ様の参謀であるユーリ・ストラトスは武器を持っていなかった。まぁ俺は懐に扇を入れているが。
とは言え、ここでの問題はそんな事じゃない。というより、俺の関心はそんな事じゃない。
ユーリ・ストラトス。
その名が表示されたのは、黒いフードで顔を隠した小柄な人物だった。
この前、知略に優れた人物だが、素性が知れないとミカーナは言っていたけれど。
知力は七十台。そのほかも七十そこそこだ。唯一高いのは魔力。九十前半もある。ソフィアで九十後半くらいだから、さぞや優秀な魔術師なんだろう。それにしては戦闘力が低いが。それにもう一つ、意味深に誘導と言う単語が書かれている。それが得意と言う事なのだろうか。
しかし、どうにもこの男は胡散臭さを感じる。だが、カグヤ様はとても買っているようだった。私の軍師だ。とまで言っていた。
この能力値でカグヤ様の軍師が務まるとは思えないのだが、誰を傍に置こうと、カグヤ様の自由だろうと思い、そうですか。と答えておいた。
相手が無能なら、こっちは助かるだけだ。
「クレイ。降伏はしないのか?」
「残念ながら、はい、降伏しますとは言えないのですよ。立場上」
カグヤ様は俺にそう聞いてくるが、俺が返せる言葉など決まっている。いまだに戦える戦力がある以上、降伏はできない。
「そうか……。では戦うしかないか……」
「カグヤ様。発言してもよろしいですか?」
カグヤ様の隣にいたストラトスがそうカグヤ様に聞く。瞬間、少しだけカグヤ様の瞳が焦点を失った気がした。見間違いのような気もしたが、とても嫌な感じがした。
「ああ。構わない」
「それでは。カグヤ様の臣下の一人、ユーリ・ストラトスと申します」
「ユキト・クレイです。それで? 一体、何ですか? 降伏はできませんよ?」
「いえ、降伏など結構です。こちらはいつでもあなた方を倒せますし、ただ……あなたがたはお仲間の撤退を助けなければいけない。いわば捨て駒です。それは理解していますか?」
「ストラトス」
「カグヤ様。お任せを」
ストラトスの言動を咎めようとしたのか、カグヤ様が声をかけたが、瞬時にストラトスが声を返すと、またカグヤ様は焦点を一瞬、失って、頷く。
一体、これはなんだ。今のはまるでストラトスの言葉にカグヤ様が従ったみたいだ。どう考えてもおかしい。それにこいつ、さっきから言葉を発する度に魔力を消費している。
「承知している。自分で考えたのでな」
「では、撤退さえ完了すればこの城には用はありますまい?」
「何が言いたい?」
「撤退する者は見逃しましょう。ですから降伏を」
至極真っ当な意見だ。だが、こいつが言葉にすると、どうにも疑ってしまう。何か裏がある気がする。そう思っていた俺の横から、ミカーナが声を掛けてくる。
「受けるべきかと」
一瞬、耳を疑った。俺が降伏の話をした時は状況次第と言ったミカーナが、降伏に賛成したのだ。
驚き、俺はミカーナの目を見る。どこか遠くを見ているような目だ。とりあえずわかるのは、ストラトスが何かしらの魔術を使っていると言う事で、その影響をカグヤ様とミカーナが受けたという事だ。
「いや、断る。話し合いは以上にしていただきたい。もう一度、どうしてもというなら、少し時間を置きたい。後ろにいる者たちの意見も聞きたいので」
「そうですか。それなら今度はそちらから使者をお願いします。よろしいですか? カグヤ様」
「ああ。構わない」
人形のように答えるカグヤ様から目を逸らし、俺はミカーナを連れて自分の陣営へと戻った。
■■■
「操られてる?」
アルス隊長が俺の話を聞いて、困ったような顔でそう聞いてきた。
アルス隊長の横ではパウレス将軍も似たような表情をしている。二人と相対する形で喋っている俺は、少し離れた所で椅子に座っているミカーナを見る。先ほどの事で相当落ち込んでいるようだ。
「おそらくカグヤ様はそうでしょう。ミカーナは誘導された、と言った所でしょうか?」
「確信は貴様にもないのだな。だが、そう考えれば、カグヤ殿下がディオルード様に敵対したのもうなずける」
「まぁな。敵対するような関係じゃない。むしろ協力しないことの方が驚きだったからな。それにそのストラトス。召し抱えられたのは半年くらい前だ。最初は下っ端だったけど、いきなりカグヤ王女に目を掛けられ始めて、一気にのし上がってる。案外、当たってるかもしれないな」
アルス隊長が俺の知らなかった情報を教えてくれる。あの能力値で側近と言うのもおかしい。やはり何らかの手段、おそらく魔術でカグヤ様を操っているんだろう。
マインドコントロール。強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術、またその行為。
催眠。催眠を受けやすい意識状態のひとつ。また、その状態、およびその状態に導く技術を指す場合もある。催眠術とも呼ばれる。本人が本当に嫌がる事はさせられない。
俺は思いついた二つの言葉を表示させ、その二つの情報を流し読みする。恐らく、魔術を使ったものだから、現代の知識が役に立つかは分からないが、何でもありってわけじゃ無い筈だ。催眠は本人の嫌がる事はさせられないし、マインドコントロールも、あくまで自分の意思で決めたように見せる方法だ。どちらも本人を誘導しているだけだ。
ストラトスのステータスに書かれていた誘導は、おそらくそう言う事なんだろう。思考を僅かに誘導する。その積み重ねでカグヤ様は行動までも操られた。先ほどのミカーナは僅かな思考の誘導を入れられたのだろう。それだけで脅威は脅威だが、あの焦点の合っていない目。あれは完全に操り人形状態だった。どうにかしなければ、自我が表に出てこないようにされることも考えられる。そうなれば、魔術など使わなくてもいつでも操り人形だ。
先ほどのカグヤ様には一切の尊厳がなかった。ただ言われた事を肯定する。どれほどの屈辱だろうか。意思を踏みにじる。それは何よりもしてはいけないことの一つだ。
人は心を持っている。それを封殺されしまえばただの人形だ。そしてカグヤ様はその手前まで来ている。
「お二人の力を貸していただけますか? もちろん、ミカーナも」
「何をする気だ?」
「ストラトスとカグヤ様をおびき出します。そこでカグヤ様を術中から救います」
「おいおい。まだ完全に操られてるって決まったわけじゃないだろ? どう確かめる?」
アルス隊長がそう危惧する。だが、俺には確信があった。あのステータス画面の誘導という言葉と、喋るたびに魔力を使っている事。ほぼ間違いないだろう。
「それを確かめるためにカグヤ様と話がしたいのです。今が最後の機会でしょう。全ての兵に馬を与えて、包囲を突破し、城から脱出します」
「確実に背を追われるぞ?」
「問題ありませんよ。俺がここに残りますから。追撃は弱いかと」
「それは……一体、何の意味がある?」
「部下だけは逃がさせていただきました、と言う話を信じさせるためです。そして降伏の証として、この扇をカグヤ様に差し出します。これは特殊なモノなので、受け取った後の反応でカグヤ様が操られているかどうかはわかります」
俺は扇を見せながらそう説明しつつ、少し離れた所にいるミカーナにも了解を取る。
ちょっと、いや、かなり命かけだが、勝算は十分ある。問題はこの扇の効果。ソフィア曰く、風の魔導具で、触れるだけでどのような魔術も打ち消し、強く仰げば暴風を起こします。と言うのが、どう言う状況でも有効なら、つまり、既に掛かっている魔術でも打ち消せるなら、カグヤ様を正気に戻せる。
上手く扇に触れさせる。または触れて貰わなきゃいけないが、そこはうまく言葉を使ってやるしかない。カグヤ様が操られておらず、本当に自分の意思で動いているならば、どうしようもない。捕まるだけだ。
そこまで考え、俺は大きく息を吐いた。
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椅子に座りながら、俺はここまでの流れに苦笑する。我ながら滑稽な歩みと言える。
まさかこんな事になるなんて思ってなくて、任された事を必死にやって、結果、多くの人の命を散らした。
あれ以上はなかったかもしれないが、もしかしたらと思ってしまう。
だから、せめてもの罪滅ぼしをしよう。この命をかけてでも。
カグヤ・ハルベルト。間違いなくこの国の希望だった人は、今、この国にとって害ある存在へと変えられつつある。それは一部の者の独断で、カグヤ様の意思を全く持って無視して行われている。
世の中に善と悪は確かにあるだろう。だが、どちらを行うにしても必ず意思が関わってくる。その意思が無いのは、善でも悪でもない。無だ。
もしかしたら、ディオ様はカグヤ様がこんな状態だと知っていたのかもしれない。だから自ら戦う事はしなかったのだろうか。
考えてもわからない。人の心は読めやしない。例え、夫婦でも親子でも、姉弟でも親友でも、心の奥を察するのは不可能だ。察してくれると思っていてはすれ違うだけだ。だから伝える必要が出てくる。
いろんな情報を見れる俺も、人の心だけは見れない。せいぜい、ステータスの変化で予想する事くらいだ。俺も、他者も、言葉で伝えてくれなけば分からないんだ。
だが、その言葉が届かないならばどうだろうか。心が無いならどうだろうか。それは何て空しいことだろう。
その状態に落ちつつあるカグヤ様が俺に声を掛ける。
「ユキト・クレイ……降伏はしてくれないか?」
部屋に響いた声に俺は思わず笑みが溢れる。自嘲の笑みだ。
結果だけ見れば、撤退部隊は無事撤退し、夜襲部隊も包囲を突破した。
だが、代償も大きかった。どう見ても半数は包囲を突破できずにやられたはずだ。
俺が言動に違和感を持たせないために捨て駒にしたのだ。
死んでいった者たちのためにも、絶対に失敗はできない。
「せめて部下だけと思ったのですが、なかなか世の中はうまくいきませんね」
「言ってくれれば部下の命も保障したのだが?」
「部下が納得しないでしょう。ですけど、俺はここまでです。降伏しましょう」
そう言いながら俺は椅子から立つ。カグヤ様の後ろにはストラトスの姿もある。
どうにかしてカグヤ様をこちら側に引き込まなければ俺に明日は来ないだろう。だからやるしかない。
右手に扇子を持って俺は心の中で呟いた。
さぁ大一番だ。と。




