第一章 再始動 5
「あ、あ、あ、あんたねぇ!! どうかしてるわよ!?」
アイリーンは恥ずかしいのか顔を真っ赤にして叫ぶ。
アイリーンが元気になってから二日が経った。それ以来、アイリーンは驚異的な早さで回復してみせた。
医師いわく、生きる気力を取り戻したのでしょう、ということらしい。
それは非常にめでたいことではあるが、そんなアイリーンをいつまでも病人扱いはできない。
本人も暇だと言っていたので、仕事をあげることにした。
メイドという仕事を。
「似合ってるよ。うん、本物のメイドさんみたいだ」
「あんた……私が公爵家の娘だって知ってるのかしら?」
「知ってるよ。けど、何事も経験でしょ? 大丈夫、最初のうちは失敗しても目を瞑るから」
「給仕の心配をしてるんじゃないわよ! 公爵の娘がメイドになるなんて聞いたことないわ!」
「よかったね。初めての快挙だ」
拍手を送るとアイリーンの目が鋭いものに変わる。
あれはたぶん殺るべきか考えている目だな。
怖い怖い。からかいすぎは注意だな。
「まぁ、寝てるよりはマシじゃない? そのうち別のことを頼むけど、今は屋敷内にいてもらわないと困るしさ」
「……本当に私のことを隠してるの?」
信じられないといった様子でアイリーンは聞いてくる。
それに頷くと、アイリーンはどうかしてるわ、とつぶやいた。
「私はアルビオンの四賢君。それを自国内に匿うなんて、想像力豊かな連中が何を考えるかくらいわかるでしょ?」
「謀反でも企んでるって? それならそれで弁解するだけさ。俺は君を保護していただけですって」
「……カグヤ様を信頼してるのね。絶対に判断を間違えないって」
「もちろん」
「じゃあ忠告しておくわ。間違えない人なんていない」
「肝に銘じておくよ」
アイリーンの言葉を受け流したわけじゃない。
本当に忠告は受け止めている。
ただ、カグヤ様が間違えるならそれはそれで仕方ないとも思っている。
あの人が間違えるなら、それには理由があると思えるから。
「理想の主従関係ね。羨ましいわ」
本当にそう思っているんだろう。
アイリーンは俺から目を背けながらつぶやく。
主に裏切られたアイリーンからすれば、信じられる主を持つ俺は恵まれているんだろうな。
「理想は人それぞれさ。俺だって大変なこともあるんだよ?」
「たとえば?」
「カグヤ様はわりと無茶ぶりが好きだからね。それを成立させるのは大変だよ」
「ふーん……あんたでも大変だって思うことがあるのね。いつも何でも飄々とこなすと思ってたわ」
「俺はそんなにデキた人間じゃないよ。だから周りの人たちに良く頼る。そうじゃないとやっていけないからね。今回は君に頼ることにするよ。こんなことを言うとあれだけど、生活人として俺は非常に欠けていてね」
「そんなことはアルビオンにいる時点で察しがついてたわよ。あんたが使ってた部屋、いつも散らかってたもの」
「そうなんだよ。片付けが苦手でさ。だから手伝ってくれるかい?」
そう聞くとアイリーンは呆れたようにため息を吐く。
そして。
「仕方ないわね。少しの間だけ私がメイドをしてあげるわ。光栄に思いなさい!」
「うん。お願いね。とりあえずどうしようかなぁ。アイリーンにできそうなことから始める?」
「一通りの家事ならできるわ。心配しなくていいわよ」
「あ、そう。じゃあとりあえず肩揉んでくれる? 最近、肩こりがすごくて」
辛そうに肩を回すと、アイリーンの目が細くなる。
少しの間、俺とアイリーンは無言になった。
そしておもむろにアイリーンは俺の後ろに回る。
「この! くらいで! いい! かしら!」
「痛い! 痛いよ! 肩が千切れるって!」
肩を引きちぎられるのではないかという恐怖を味わった俺は、それ以来、アイリーンに肩もみを頼むという愚行はしなくなった。
■■■
アイリーンがメイドになってさらに二日。
ボルドが慌てた様子で俺に手紙を届けてきた。
「カグヤ様から?」
「はい!」
俺は慌てるボルド―とは裏腹に、落ち着いて封を開ける。
そこにはカグヤ様の直筆で、そろそろ武芸大会もあるから帰ってこいと書かれていた。
「手紙にはなんと?」
「帰ってこいだそうです」
「それでは至急、支度を」
「いえ、結構です。まだ帰る気はありませんから」
俺の言葉にボルド―は信じられないモノを見るような目で俺を見てきた。
気持ちはわかる。これは正式な文章ではないが、王からの手紙だ。
それで帰ってこいと言われてるのに、帰らないとはどうかしている。
「掃除終わったわよ? ってどうしたのよ?」
「いや、カグヤ様から帰ってこいっていう手紙が送られてきただけさ」
ひょっこりと顔を出したアイリーンに対して、俺は大したことないような感じで告げる。
しかし、それを聞いてアイリーンの顔つきが変わった。
「だけって……それでどうするつもりなのよ?」
「ここにいるよ」
「……私のためなら余計なお世話よ。もう平気だから」
「まぁ君も心配だけど、俺がここに居続けるのはそれだけじゃないんだよ」
アイリーンは間違いなく回復しつつある。
一人にしてしまうのは心配だが、そこまで過保護になる必要はないだろう。
「王からの帰還要請を断ってまでここにいる理由ってなによ?」
「……帝国で政変があったのは知ってるかい?」
「知ってるわよ。老皇帝が倒れたから、幼い皇帝が擁立されたんでしょ?」
俺たちがアルビオンで戦っている頃。
帝国は帝国で大忙しだったわけだ。
皇帝が倒れ、内部で次の権力者争いが繰り広げられていた。
そんな中で擁立された皇帝はわずか七歳。もちろんその皇帝には後ろ盾がいる。
「帝国宰相ローラント。僅か二十五歳で帝国宰相となり、現在帝国を牛耳る権力者だ。彼は十五年前、帝国に滅ぼされた小国の王族の一人だったらしい。そこから帝国宰相に上り詰めたあたり、大した人物だよ」
「名前は聞いたことあるわ。私が聞いたときは宰相ではなかったけれど。それで? そいつが何か関係あるの?」
「彼が本当に危険ならそろそろ動くと思うんだ」
「はぁ?」
意味が分からないといった様子のアイリーンに苦笑しつつ、俺は机の上にあった紙に簡単な地図を描く。
大陸の地図。
「帝国とヴェリスの間には広大な山脈が横たわっている。これを軍で越えるのはまず不可能に近い。けれど、少数部隊なら突破は可能だ」
「まさか……!?」
「狙うなら陸路で狙うならここの領地だ。その心配があるから俺はまだここにいるんだ」
「冗談じゃないわ! 本当に敵が来たらどうするのよ!?」
「現在、領内にいる兵士は五百人。敵が来たとしても千くらいだろうし、どうにかなると思うよ」
「倍の相手に持ちこたえることはできても、打ち倒すのは難しんじゃないかしら? 兵士がみんなあんたの直属兵のように精強とは限らないわ」
「それはごもっとも。けど、耐えるのはせいぜい二日くらいでいいんだ。今の王都には強い者たちが集まっている。もちろん俺の部下たちも」
「二日耐えるのも一苦労だと思うわよ? ここにはまともな防備もないんだし」
「まぁ、そこは心配してないよ。屋敷に籠るにしろ、森に籠るにしろ。俺と〝君〟が指揮すれば問題なく戦えるだろ?」
当然のように俺は告げるが、アイリーンは固まった。ボルドも固まった。
何度か目を瞬かせたあと、アイリーンは肩を震わせ始める。
「あんたねぇ……初めから私をあてにしてたわけ?」
「言ったはずだよ。そのうち別のことを頼むって」
「あんたって最低だわ! 保護した女の子を戦力としてあてにするなんて!!」
「君はアルビオンの四賢君。そりゃあアテにするよ」
当然といわんばかりに胸を張るが、アイリーンは納得いかないのか顔を怒りに染める。
おかしいなぁ。
「私は国から逃亡したお尋ね者よ? それを普通、あてにする? というか傷ついて戦えなくなったとか思わないわけ?」
「ボロボロの状態で魔獣倒したんだろ? 十分、戦えてるじゃないか」
「それは……そうだけど……」
アイリーンは不満そうに唇を尖らせた。
それを見て、ボルドが渋い顔を作る。
「私も賛成しかねます。どうであれ陛下にお話しすべきでは?」
「あくまで俺の予想ですから。外れてる可能性もあるのにカグヤ様に動いてもらうわけにはいきませんよ。これで外れていても、俺が無礼な奴ってだけで済みますから」
「あんたって……自分が大切じゃないの?」
アイリーンは心底不思議そうに訊ねてきた。
それに対する答えは決まっている。
「大切だよ。命はね。けど、俺の立場は大切じゃない。たとえこれから冷や飯を食らう羽目になったとしても、俺は一向にかまわない。なにか起きてから後悔するよりも、それに備えて後悔したほうがマシだ。所詮失うのは立場だけだしね」
「陛下からの信頼もじゃないかしら?」
「この程度で失うほど安い信頼関係じゃないんだよ。俺たちは」
そう宣言すると、アイリーンは深くため息を吐いた。
そして。
「私の武器は?」
「保管してあるよ。武器庫に」
「……肩慣らしをしておくわ。そうならないことが一番だけど」
「ありがとう。助かるよ。それと……君が嫌なら戦わなくてもいいよ」
「まさか。あんたが死ぬのは勝手だけど、あんたが死んだらこの領地の人が困るでしょ? だから私は領地の人のためにあんたを守る。あんたのためじゃないから覚えておきなさい」
「ああ、覚えておくよ」
そういうとアイリーンは部屋を出ていき、ボルドも諦めたのか何も言わなかった。
俺は机に向かい、カグヤ様への返書を書き始める。
精いっぱいの謝意をこめて。




