第一章 再始動 4
アイリーンを発見してから二日が経った。
俺は当初の予定を変更し、いまだに領地に留まっていた。
アイリーンは一応、部屋に寝かせている。
医者いわく極度の疲労が目覚めない原因らしい。それは別におそらく何も食べていないらしい。それも結構な日数。
食料がなかったのか、それともわざと食べなかったのか。
後者の場合、目が覚めたあとが危険なため、定期的に俺は様子を見に来ていた。
「彼女が本当にアイリーン・メイスフィールドだというなら、陛下にご報告申し上げたほうがよいのではないでしょうか?」
アイリーンの様子を見ていると、ボルドがそんなことを言ってきた。
その言葉に俺は首を横に振る。
どうしてヴェリスにいるのか、何があったのか、それを本人の口から聞くまでは誰にも報告はできないしする気もない。
「彼女が目を覚ますまで待ってください」
「しかし……突然の予定変更で何かあったのではと怪しまれているはずです。長くは隠せません」
「それでもです。もしも彼女がアルビオンに戻りたくないのであれば、俺は彼女のことを陛下に伝える気はありません。陛下に伝えれば、アルビオンに送り返すことになるでしょうから」
「もしもそのことが宰相の耳には入れば、伯爵の身が危なくなります」
「承知の上です」
俺がそういうとボルドは諦めたのか、静かに部屋から出て行った。
残されたのは俺とアイリーンのみ。
おかしな話だ。
少し前、俺は彼女の国で彼女に命運を握られていた。
今は俺の国で俺が彼女の命運を握っている。人生とはわからないものだ。
「……そんなに辛かったのか」
ザックの話がすべて事実ならば、アイリーンは死にたかったのだろう。
自殺をしなかったのはなぜか。その程度では許されないと思ったのかもしれない。
さまよい歩き、野垂れ死ぬ。もしくは魔獣に食われる。
たしかに良い死に方ではないし、苦痛もかなりある。自殺よりはよほど罰に思えるだろうな。
けど。
「それを彼は望まないと思うよ。アイリーン」
目を覚まさない彼女に告げる。
アイリーンの幼馴染に会ったことはない。けれど、アイリーンの反応なんかを見た限り、仲は良かったんだろう。ならばアイリーンの死を望むとは思えない。
生きることを願うはずだ。どれだけ辛かろうとも。
「ん……」
「アイリーン!?」
アイリーンがかすかに身じろぐ。
俺はベッドに駆け寄って、アイリーンの顔を覗き込む。
ゆっくりとアイリーンの目が開いた。
「フレッド……?」
「え?」
どうやらまだ意識が覚醒していないらしい。
アイリーンが俺に向かって愛おし気に手を伸ばしてきた。
俺の知らない誰か。おそらく幼馴染だろうけど。彼と勘違いしているようだ。
「どこに行ってたのよ……心配したのよ……?」
「アイリーン。しっかりするんだ。俺はフレッドじゃない。ユキト・クレイだ」
「ユキト……クレイ……?」
何度か俺の名前を呟いたあと、アイリーンの目に光が灯った。
それと同時に俺はアイリーンに首根っこを掴まれて、ベッドに押し倒された。
「おわっ!?」
「なんであんたがいるのよ?」
「ははっ……これぞアイリーンって感じだね。寝ている君はお淑やかなお嬢様に見えたんだけど……痛い! 痛い!」
「いいから答えなさい」
俺は仰向けの状態で左腕をアイリーンの右脇に挟まれている。力を入れられたら即折れる固め方だ。
万全を期すならうつ伏せで俺を拘束するべきなんだろうけど、俺相手じゃその必要はないと思ったのか、それとも別の理由か。
なんにせよ、俺はアイリーンの顔を見て喋ることができる。ありがたい話だ。
できればもうちょっと穏やかな会話をしたかったけど。
「ここは俺の領地なんだ。そこに君が流れてきたんだよ。痛いって! 本当だよ!」
「嘘じゃなさそうね……最悪だわ。なんであんたの領地になんか来なきゃいけないのよ!」
「ひどい言い草だなぁ。俺の領地に流れてきたから、こうしてベッドで目を覚ますことができたんだよ?」
「頼んでないわよ。私は!」
「死にたかった?」
俺の質問にアイリーンは答えない。
ただ口をつぐみ、俺から視線を逸らす。それだけで大体、察しがつく。
アイリーンは罰が欲しかったんだろう。けど、誰も自分を罰してはくれなかった。だからアルビオンを出た。
そんなところだろうか。
「君に起こったことはザックから聞いたよ。アルビオンから君が失踪したっていうのもね」
「……だからなに? 同情でもしてるの? だから助けたの? 私は死にたいの! 死ぬべきなの!」
「俺は……君が死ぬべきじゃないと思ったから助けた。だってそうだろ? 操られたとはいえ、国を混乱に陥れ、幼馴染まで処刑しておいて、君だけ死ぬなんて身勝手な話だ」
「っ……!?」
「死ぬのは楽だ。けど、それは逃げだ。死にたいならば死ねばいい。ただし君が迷惑をかけた全員に詫びてからだ。その前に死ぬことは一番、迷惑をかけられた俺が許さない。なにせ俺は君に殺されかけているんだからね」
もちろん、迷惑というなら幼馴染が一番迷惑しているだろう。その次はアイリーンに殺された者たちだ。
けど、彼らはもうこの世にはいない。だから生きている中で一番、迷惑をこうむったのは俺ということになるだろう。かなり強引な理屈だけど。
「詫びるなんて……無理よ……」
アイリーンは目に涙を浮かべながらつぶやく。
ああ、そうだ。人殺しは詫びれない。なにせ相手は死んでいるのだから。
だから人殺しはしてはいけないし、それが正当化される戦争は最低なのだ。
けど、だからといって自分が死んでどうなるという問題でもない。
「死んだ者には詫びれない。だから生きている者に詫びるんだ。償いといってもいい。君の力を必要とする人がいるし、国がある。すぐにアルビオンに戻れとは言わない。ここでゆっくり考えるんだ。俺も力になってあげるから。ね?」
落ちていくアイリーンの涙をあいている右手で拭うが、涙は止まらない。
それは仕方ないことだろう。
この子はまだ十代の少女だ。周りの支えが必要で、周りの支えに頼っていい年齢だ。
それなのに辛い目に遭いすぎた。
泣くぐらい許すべきだ。いや泣ける場所を作ってあげるべきだ。
「あとアイリーン」
「なに……?」
泣いたせいか湿った声でアイリーンが答える。
俺は少し視線を下げたあと、気まずそうに目を逸らす。
「その恰好で男の上に跨るのはまずいかなって……」
そこでアイリーンは視線を下げて自分の恰好を見る。
アイリーンが元々着ていた服はボロボロだったので、脱がせて別の服を着せていた。もちろん、着せたのは俺ではない。
問題は着ている服だ。
今着ているのは病院服に似た服で、動けばすぐにはだけるような服だ。
そんな服で俺の上に跨っているわけで、その色々と見えてしまっている。
「なっ、なっ、なっ……!!」
「一応言っておくけど、着替えさせたのは俺じゃないから安心して」
「当たり前よ!」
アイリーンの鋭い平手が俺の頬を襲う。
それだけでも理不尽なのに、極められている左腕が折れる寸前まで曲げられる。
そのうえ、目隠し代わりにアイアンクローも追加される。
「痛い! 痛い!」
「油断してたわ。あんたってそういう奴だった。わざとすぐ言わなかったんでしょ? 私が真剣に悩んでるのに、私のあられもない姿を楽しんでたってわけね! そうでしょ!?」
「違う! 誤解だ!」
「誤解なもんですか! 私にこんな服を着せたところから計算づくなの? こうなることがわかってたの? さすがね。何でも知っているだけあるわ!」
「痛い! ひどい! その言い方はひどい!」
そんな風に騒いでいると。
「失礼します。伯爵。なにか騒がしいようですが……」
ボルドがドアを開けて入ってきた。
そして俺とアイリーンを見て。
「そういうご関係だったとは。大変失礼いたしました」
恭しく頭を下げたあと、華麗に退室していく。
これはまた新たな誤解を生んだな。
「あんたねぇ……」
「これは俺のせいじゃないと思うんだ」
「家臣の失態は主人の責任よ!」
そう言って俺は今日二発目の平手打ちを食らった。
元気になったことを喜ぶべきか、それとも騒がしくなったことを嘆くべきか。
難しい判断だ。




