第十五話 酒と語らい
【第6章】
【第十五話 酒と語らい】
「ほら。おれの奢りだ」
その夜、ラクトスは飲み物のビンを二つ持ってきた。一つは酒、もう一つはリンゴジュースらしい。ラクトスは栓を抜くと、ジュースの方のビンをフリッツに握らせた。
飲もう、というのだ。フリッツは目を丸くする。財布の紐が硬い彼の口から、奢りなどという言葉が出てきたことなどなかった。
ラクトスはフリッツの手に冷えたジュースビンを押し付ける。
「お前とこうしていられるのも、あと少しかもしれないだろ?」
「って言ってると、案外違ったりしてね」
フリッツはそう言ったが、その途端にかすかな寂しさを感じた。
頭はわかっていても、気持ちはまだ整理できていない。言葉に出すことで、改めてラクトスがいなくなるかもしれないことを実感したのだ。
「そうだな。こんなふうに気持ちが先走ってちゃ、足元掬われちまうかもな」
フリッツの考えなど知る由もなく、ラクトスは苦笑した。
二人は椅子ではなく、絨毯の上に直接座り込んであぐらをかいた。
「この前も言ったが、ステラッカでもグラッセルでも飲酒は十八からだ。よっておれは、法律の範囲内で」
「はいはい、わかったよ。法律で二十歳になるまで飲んじゃいけないところは、マネするなって言うんでしょ。もう、誰に言ってるんだか」
フリッツが言うと、ラクトスは歯を見せて笑った。
「だな。とりあえず」
「「乾杯」」
ビンのままカチンと合わせ、二人はそのまま口に運んだ。
喉をそらしてビンを掲げる。息を止めて中身を半分ほど飲み干したところで、お互いにぷはっと息を吐いた。
ジュースを飲んでいるフリッツはラクトスに尋ねた。
「どう? お酒の味は?」
ラクトスは口元を手の甲で拭った。
「正直、よくわかんねえ。苦いしな。でもこういうのは、最初は気分なんだろ」
「そうだねえ。ここだと、ぼくはあと二年待たなきゃならないけど」
フリッツはビンをくるくると回して、飲み干した。飲み終えたビンを勢いよく床に置く。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「なに言ってんだ。おれはまだ酔ってないぞ。こんなにあるんだ、おれの気が済むまでつきあうんだよ」
「ええ、ぼく素面なのに?」
「まあそう言うなって」
眉を寄せるフリッツなどお構いなしに、ラクトスはそう言って次のビンを開けた。
飲み方、酔い方には色々あると聞く。自分がどういう酔い方をするかは、その時になってみなければわからない。
陽気になる者もいれば、逆に沈み込む者もいる。そして普段と大して変わらない様子で、実はこっそり酔っ払っていたり、平然としている者もいるという。
そしてフリッツは、後悔していた。
「……まさか絡み酒だったとは」
まあ、まさかというほどでもないかと、フリッツは肩を落とす。
ラクトスはすでにカラッポになったビンを逆さまに向けていた。ラクトスはいくつも酒を持ってきており、それらはどれもアルコール度数の高いものだった。
今ではすっかり酔っ払い、えんえんとフリッツに話を聞かせている。それが愉快なものならいいが、大概はグチやら世の中への不平不満で、さすがのフリッツもうんざりしていた。
「うう、面倒くさい。誰か、助けて……」
何度もルーウィンやティアラに助けを求めにいこうと試みたのだが、その度に足をひっかけられて阻まれた。フリッツはぐったりと椅子の背にもたれかかり、もうずいぶんと長い間適当に返事をしてその場をやり過ごしていた。
「だいたいなあ、おかしいと思わねえ?」
顔を紅くしたラクトスは、唾を撒き散らす勢いでフリッツに訴えかける。
「毎日大人しく席について教本見て、理論覚えて試験の成績気にして。おかしいだろ、どう考えても! お前らはここに、魔法修練所に何しに来てるんだ! 貴族の嗜み? 安定志向? はっ、クソくらえだ。魔法はなぁ、そんなくっだらねえ枠には納まりきらないんだよ!」
ラクトスの熱弁に対し、フリッツは「はぁ」と答える。話はどうやら、キャルーメル高等魔法修練所時代に遡ったようだ。
ラクトスは酒ビンを握りしめて床に叩き付けた。
「修練所のやつらは親や家族に言われて、仕方なく魔法を身につけてやってるって感じだった。試験に落ちたら叱られるから、面子が立たないからって、好きでもないこと金かけてやりやがって。
知ってるか? あいつら、自分の順位を上げるためならなんでもやる。おれの答案隠したり、実技の道具に小細工したり」
その言い方からは、修練所時代にラクトスがクリーヴ以外の門下生からも妨害を受けていた様子が伺えた。一般家庭からの出身で、めきめきと力をつけていくラクトスが疎ましかったのだろう。
ラクトスはそんな中で、たった一人で戦っていたのだ。
「なんのための修練所だよ。なんのための勉強だよ。人を陥れるのに時間割いてる場合じゃないだろ。どうして自分を磨かないんだよ。他人の足を引っ張って、蹴落とそうとする。どうして自分が飛びぬけてやろうって思わないんだよ」
ラクトスは一気に残りの酒をあおった。
フリッツが心配そうに見守る中、ラクトスはぷはぁと息を吐く。ラクトスの目は据わっていた。
「おれはあいつらが嫌いだ。大っ嫌いだ、今でも。あんな虫唾の走る場所、よく通ったもんだ。それもひとえに、魔法を学びたかったばっかりに。嫌いといえば、あいつも嫌いだ。スカした顔して、点数稼ぐことばっかり考えてやがる。そのくせそこそこ出来がいいのが気にくわねえ」
それを聞いて、フリッツはある人物を思い浮かべた。
「それって、もしかしてクリー……」
「あぁ?」
「……なんでもない」
やはりラクトスの前でクリーヴの名前は禁句だった。フリッツは小さくなって椅子に戻る。ラクトスはフリッツを睨んだことを少し後悔したのか、その口調は大人しくなった。
「あいつを思い出すのはやめよう。せっかくの気分が台無しになる」
「うん、そうだね。でも」
「でも、なんだ?」
フリッツはラクトスの視線に気がつき、眉を下げる。
「なんだか、可哀想に思えてきて」
優等生にもなりきれず、悪の組織に堕ちた。それもグラッセル王宮にまで来て。
クリーヴの人生はこれからどうなるのだろうか。漆黒竜団の幹部に上り詰めたところで、そこに待っているものは必ずしも彼の望んでいたものではないだろう。
ラクトスは口からビンを離して言った。
「同情する人間が居て、はじめてそいつは可哀想なやつになっちまうんだ。だからやめてやってくれ、そう考えるのは」
「……ラクトス」
大嫌いだ、虫が好かないと散々言っているラクトスだが、ラクトスは心からクリーヴを憎んでいるわけではないとフリッツは思っていた。
心のどこかで、ラクトスはクリーヴのことを認めている。同じ魔法使いとして、一目置いているほどではないにしろ、存在を認めてやってもいい、くらいには思っているはずだ。
もっとも、ラクトス本人は認めようとはしないだろうが。
好敵手ってやつかなと、フリッツは思った。
しかしそこで、ラクトスは急に声を潜めた。
「おれは魔法が使いたかったんだ。魔法使いになりたかったんだよ。どうしてかって?」
ラクトスが真面目な顔をして、フリッツを見た。
フリッツは息を呑む。これはもしかしたら、ちゃんとした話をしたがっているのかもしれない。
フリッツはラクトスから、どうして魔法使いになろうと思ったかを聞かされたことがなかった。それを話してくれるということは、自分とラクトスという人間との距離が縮まっている証だ。
それを今、聞かせてくれるというのだ。
ラクトスは自分の意見は言うが、自分の話は滅多にしない。フリッツは姿勢を正して、ラクトスの答えを待つ。
ラクトスはにやりと笑い、声を大にして言い放った。
「そりゃお前、かっこいいからに決まってんだろ!」
「はい?」
そのあんまりな答えに、フリッツは肩から崩れ落ちた。思わず目が点になる。
そんなフリッツの様子にはお構いなしに、ラクトスは大声で熱く語り始めた。拳を握り締めての演説は、完全に自分の世界に入ってしまっている。
「考えてもみろよ、自力で炎や光が出せるんだぜ? 凡人には到底出来ないことが、自分には出来る。それって凄いことだろ? おれが杖をかざしたら、太陽が落ち、大地が割れ、雷鳴が轟く! 想像するだけで気分がいいったらないな!」
一気にまくしたてると、ラクトスはその場にごろんと横になった。
一方、聞かされた方のフリッツはぽかんとしたままだ。
しかししばらくすると、下を向いて肩を小刻みに震わせた。その様子に気がついたラクトスが不審げに眉を寄せる。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
「……ふふ、ふ。あははは!」
フリッツは突然腹を抱えて大声で笑い出した。
ツボに入ったようで、なかなか笑いが収まる気配はない。腹がよじれて痛いらしく、ひいひい言いながらごろごろと床を転がっていた。一旦収まり、また思い出しては笑うを繰り返し、ついには床をどんどんと叩き始めた。
やっとのことで落ち着きを取り戻した頃には、ラクトスの酔いもやや冷めていた。フリッツの様子に驚いたのだ。
フリッツは座りなおすと、涙を指でぬぐいながら言った。
「知らなかったな。ラクトスがそんな理由で魔法使いになっただなんて。ぼくはまたてっきり、石炭を買うお金がないときに暖を取ったり灯りをつけたりできるのが便利で、魔法使いになったのかなって思ってたから」
「はん、ずいぶんと夢のない理由だな」
大笑いされて逆に落ち着いてしまったラクトスは、壁に背をもたせかけた。それでもなぜか愉快そうな表情をしている。
「まあ、それもあるけどよ。魔法で金が出せないと知ったときは、それなりにショックだったしな」
ラクトスはまだ赤みの残る顔で最後の一滴を飲み干してしまうと、静かにそのビンを床に転がした。
「おれは魔法が好きだ。魔法を使える、自分を気に入ってる。逆に魔法を使えないおれに価値なんかないとすら思えるな」
酔っ払っているとはいえ、ラクトスのその言葉に嘘偽りはない。
普段は口に出さない、その単純な言葉こそが、ラクトスが本当にそう思っているのだという証拠だった。こんな時でもなければ聞けない、彼の考え方や本音が、今はなんなくぽろぽろと零れ落ちる。
なにが面白いかといえば、普段はそっけなく冷たい言葉ばかりが大半を占めるラクトスの意外な一面を見られたことだ。この場にルーウィンが居合わせたなら、きっとこの先ずっとからかわれ続けるに違いない。
フリッツは、ラクトスに訊ねた。
「ラクトスにとって、魔法って?」
「憧れ。神秘的で、いつまでも追っかけていたいもの。おれの全て」
そう答えたラクトスの表情は、先ほどまでの酔っ払っていた彼とはまったく別人の顔をしていた。
「お前だってそうだろ? 剣が好きでやってるんじゃないのか。剣を振ってる自分が好きでそうしているんじゃないのか」
「そりゃ、好きか嫌いかと聞かれれば、好きだよ」
「だろ? そうだろ、やっぱり!」
ラクトスは身を乗り出した。しかしまた落ち着きを取り戻し、ベッドに背を預ける。
「まあ、そんなわけで。好きな魔法で食っていけたら、おれはこの上なく満足なわけだ。しかもそれで金が貰えて、親に仕送りできるほどの余裕があれば、ますます満足なわけで」
フリッツを見ると、にやっと笑う。
ラクトスは、勢いよくその場に立ち上がった。そして空になった酒ビンを高々と掲げる。
「おれは、王宮魔法使いになる!」
突然どうしたのかと思ったら、ラクトスはそう宣言してみせた。
普段の彼からは想像もつかない突拍子のない行動に、またもフリッツは噴出す。そして声を立てて笑った。
「ははは、すっかり酔っ払ってるね。まだ勤められるかどうか、わかってないのに」
「うるせえな。今いい気分なんだよ、何か言いたかったんだよ。笑ってんじゃねえよ、お前もやるんだよ」
フリッツは無理に立たされ、頬にぐりぐりとビンを押し付けられた。フリッツは笑いながら、なんとかそのビンを受け取った。
「えー、どうしようかな。じゃあ。ぼくは、兄さんを必ず見つける!」
「ああ、お前の目的そんなんだったな」
ラクトスは今思い出したというような様子だった。頑張って言ってはみたが、ラクトスの反応にフリッツは肩を落とす。それを見て、今度はラクトスが笑った。
もう一回だと言って、ラクトスは床に転がった空ビンを拾った。フリッツにビンを持たせて腕を伸ばさせ、自分の持ったビンを打ちつけた。
「「おれは、王宮魔法使いになる!!」」
フリッツとラクトスは同時に言って、その後目を合わせて噴出した。
フリッツは椅子に座って笑い、ラクトスは再び床に転がった。フリッツもラクトスも、互いにこんなにも腹を抱えることなど、滅多になかった。
気分が上がるのに身を任せ、騒々しく、バカバカしいやりとりを繰り返す。大して面白くもないのにひたすら笑い続けた。
しかし突然、ドアが破壊される勢いで開け放たれる。
「うるっさいわ!! あんたたち、いい加減にしなさい! 今何時だと思ってるの!」
どちらがうるさいのかと言い返したくなるほどの大声量で怒鳴り込んできたのは、鬼のような形相のルーウィンだった。暗くて見えにくいが、その後ろには眠そうにあくびをするティアラの姿も見える。
フリッツとラクトスの熱は一気に冷め、凍ったように固まった。
ルーウィンは動かなくなったフリッツの襟首を持ち上げると、顔がくっつきそうな勢いで睨みを利かせた。
「調子こいてんじゃないわよ、まったく。とっとと寝な! 眠れないなら、今すぐあたしが沈めてあげようか?」
拳をバキボキと鳴らし始めるルーウィンに、フリッツは恐れおののいた。
こうしてグラッセルの夜は更け、フリッツとラクトスは静かに就寝せざるをえなくなったのだった。
フリッツが寝静まったのを察して、ラクトスは与えられた部屋のバルコニーに出た。
街のざわめきがかすかに聞こえ、風が心地よい。景色をぼんやりと見つめて、ラクトスは思いに耽った。
貧しさから来るコンプレックスだったのか、忙しさから来る苛立ちだったのかはよく分からない。いつも両親の手伝いをしていて、誰とも遊ばなかったのも一つの理由だろう。
物心ついたときからラクトスは周りに人を寄せ付けなくなった。家族で手がいっぱいで、他のことにかまける余裕など無かった。それを嫌だとか辛いと思ったことは無かった。
家族と居る時間だけがラクトスのすべてで、守る為ならなんでもしようと思っていた。
もともと魔法に興味を持ち出したのも、街で魔法使い崩れの手品師が硬貨を消したり出したりして見せたのが始まりだった。
初めてラクトスが金稼ぎ意外に興味を示したことに両親は喜び、そして修練所へ送り出してくれた。免許皆伝で修練所を出たあとは、魔法使いとしてどこかに務め、いつか両親に楽させてやろうと思っていた。
ラクトスは真っ黒な夜空を見上げた。いくつかの星がちかちかと輝いている。
そしてラクトスは、クリーヴとの戦いに思いを馳せた。
土壇場でどれだけ強い心持でいられるか。それが勝負の決め手だった。
自分一人のことなら簡単に諦められた。自分が強いか弱いか。強者であるか弱者であるか。
それは今のラクトスにとって、なにがあっても貫くほど大切なものではない。一度自分が諦めてしまえば、それまで。負けてしまえばその先には、何もない。
しかし、あの時はそれだけではなかった。勝負に勝ち、先へ進む。それが最も重要なことだった。
身を挺して追っ手を食い止め、ラクトスを先に進ませたルーウィン。先にいる攫われたティアラと、突入の足がかりのために単身で潜入したフリッツ。
自分のために。
そして自分を必要としている、彼らのために。
それは自分の一方的な思い込みだけかもしれない。しかし、あの時はそう思えた。
そんな自分がおかしかった。だが、まんざらでもない。
ラクトスは口の端だけで笑った。
たまには自分の都合の良いものを信じたって、バチは当たらないだろう。
王宮に魔法使いとして召し上げられる。それはラクトスの心からの望みだった。内定が決まれば、家族を楽にすることが出来る。
しかしそうなれば、フリッツたちとの旅は終わりになる。
ラクトスの心は、珍しく揺れていた。
家族と天秤にかけても釣り合う重さのものを、彼は手に入れたのだった。




