第五話 トーナメント三回戦
【第4章】
【第五話 トーナメント三回戦】
宿屋の一室で、ラクトスは朝っぱらから部屋の隅から隅まで行ったり来たりを繰り返していた。
「……遅い! なにやってるんだ、フリッツは」
普段は朝ゆっくりと眠っているティアラも、さすがにこの日は起きていた。朝早く目覚めたのではなく、うつうつとしながらもほぼ夜通し目を開けていたのである。
それはルーウィンとラクトスも同様で、みな一様に寝不足だった。
結局、フリッツは夜になっても宿に戻っては来なかった。トーナメント二回戦が終わって以来、フリッツの姿を三人は見ていない。
一人は部屋で待ち、二人は街に出てフリッツを探していたが、努力の甲斐もむなしく見つけることはできなかった。
テーブルに突っ伏して死んだように転がっているルーウィンは、ラクトスを睨んだ。
「あんたは試合が終わってから一回見つけたくせに。完璧に監督不行き届きだからね。あんたこそ、一人でなにやってたのよ」
「お前らだって買い物してただろうが。それにおれにだって一人になりたいときくらいあるんだよ」
しかしさすがの二人も、イライラしてはいるがそれ以上言い合う気力はなかった。
眠そうに目をこするティアラがあくびをかみ殺した。
「フリッツさん、ご無事だといいのですけれど」
「まあ、フリッツも男だしな。この眠らない街で夜通し帰りたくないような、なにか楽しみを見出したのかもしれないぜ」
「ラクトスさん。おかしな方向に前向きなのはよしてくださいな」
何か厄介ごとに巻き込まれているよりはそちらのほうが良いのかもしれないが、それはそれでどうかとティアラはラクトスを諌める。
「そろそろ食堂開くかもよ。下で待ってたほうが手っ取り早いんじゃない?」
ルーウィンがそう提案したその時だった。
「……た、ただいまぁ」
部屋の戸を開けて、実に約半日ぶりにフリッツが三人の前に姿を現した。
ラクトスはどんな理由であるにせよ、自分の監督不行き届きが原因であっても、とりあえずフリッツに怒鳴ろうと思っていた。
しかしフリッツの姿を見て、それも出来なくなる。
ルーウィンとティアラも思わず言葉を詰まらせた。
「フリッツさん! いったいどうされたのです?」
ティアラは甲高い声で叫んだ。
フリッツに目立った外傷はないものの、その有様は見る者の哀れみを掻き立てた。シャツの裾やズボンの膝は擦り切れ、ところどころ汚れており、頭にはバナナの皮をぶらさげている有様だ。
「臭っ! あんた今までなにしてたの!」
ほのかに生ごみ臭を漂わせるぼろぼろなフリッツに向かって、ルーウィンは容赦なく吐き捨てた。フリッツは情けなく眉を八の字にして答える。
「何って、追われてたんだよ。悪そうなお兄さんたちに。最後は料理屋の裏手にあった生ごみの入ったバケツをひっくり返して、被って逃げてきたんだ」
「フリッツさん、ダメです! その格好では!」
おぼつかない足取りでベッドに倒れこもうとするフリッツを、三人は近づきはしないものの、全力で阻止しようとしていた。
「ぼくかけっこは苦手なんだけど、逃げ足だけは速いんだよね」
全く自慢にならないことを言いながらも、フリッツはふらふらしている。
バケツを被っての逃走劇は想像してみるとなかなか愉快だが、三人は実際に自分がそうなったときのことを考えると身の毛もよだつ思いがした。生ごみまみれで一晩中逃げるというのは、なかなか屈辱的で一生もののトラウマになりかねない。プライドの高い人間には到底出来ない芸当だ。
「ちょっとお湯使わせてもらってくるよ。もうあんまり時間ないしね」
「あんた、今日の試合出るつもりなの?」
ルーウィンが呆れたように声を上げる。フリッツは首をかしげた。
「もちろん出るよ?」
「よし! よく言った! 偉いぞ、フリッツ!」
賞金が懸かっているため、ラクトスは是が非でもフリッツに出場してもらいたいらしい。しかしあまりにも酷いフリッツの様子に、ティアラは胸を痛めた。
「フリッツさん。元々はわたくしが悪いのですし、今ここで無理をされなくとも」
「大丈夫。ぼく、出たいんだ」
へらっと気の抜けたような笑いを残して、フリッツは部屋から消えた。
「……あいつ。目覚めたな」
ラクトスは呟き、三人は顔を見合わせた。
驚くべきことに、フリッツは自ら試合に出たいと思うようになっていた。少し前のフリッツなら、もう間に合わないから、どうせ自分なんか出たって、と諦めていただろう。
勝つことへの泥臭い執着心が、フリッツ自身も知らないところで少しずつ芽生え始めていた。
身支度を整え、ギリギリのところでフリッツは闘技場に滑り込んだ。もちろん食事も取らず、道中は全力疾走。その上一晩中不眠で駆けずり回っていたのだから、フリッツの体力はほぼ無いに等しかった。
ふらふらしているフリッツにラクトスが活を入れると、そのまま膝からガクリと崩れ落ちてしまったほどである。それを見てラクトスはぎょっとした。
「大丈夫か? さすがのおれも、ちょっと引き止めたくなってきたぞ」
ラクトスが遠慮がちに言うと、フリッツは隈をつくった顔で笑って見せた。
「だい、だいじょうぶ。がんばるよ」
フリッツは剣を杖代わりにしながらふらふらと選手控え室に向かっていった。
「さすがに今日は無理か?」
ラクトスは腕を組んでため息をつく。向こうではフリッツが他の選手にぶつかって頭を下げているのが見えた。ティアラはその様子を心配そうに見つめている。
「やっぱり、今回はやめておくべきです。棄権しましょう。お金を稼ぐのなら、今度はわたくしが」
「だめよ」
ルーウィンはきっぱりと言い放った。ティアラは驚いてルーウィンを見つめる。
「フリッツがやるって言ってるんだから、やらせるの。さ、行くわよ」
そう言うと、ルーウィンは踵を返して先にさっさと行ってしまった。
「……ルーウィンさん」
「まあ、あいつはあいつなりにフリッツの意思を尊重してるんだろうよ」
続いてラクトスが、ティアラは何度も控え室のほうに視線をやりながらも、客席へと向かった。
眠気はなんとか吹き飛んだが、それだけではどうにもならない。
夜通し逃げ回ったツケが回り、疲労は最大、脚や腕にはだるい倦怠感が残っている。まるで錘をつけて試合に臨んでいるようだ。頭はぼうっとしていて、今ここに自分がなぜ立っているのかを留めておくので精一杯だった。
これ以上のことは考えられない。勝つ方法など、思いもよらない。
「よう、少年。夜遊びのしすぎか? 目の下に大きなクマさんがいるぞ」
今回の対戦相手は大柄な剣士だった。フリッツが見上げなければ顔が見えないところにある。
今までの対戦相手は修練所の門下生であった。しかし今目の前にしている対戦相手は、彼らのようにこぎれいな印象ではなく、いかにも冒険者といった風貌の男だ。
「試合、はじめっ!」
フリッツの意識がもうろうとしているうちに、試合が始まった。
男は強かった。さすがにここまで勝ち残った選手だけあり、実力はあって当然だ。今までの相手のように若輩者ではなく、ある程度実戦で経験も積んでいる。
多少の型の崩れはあるが、その崩し方には男なりに意味がある。身を削りながら磨かれた剣技だ。
当然フリッツは防戦一方で、防ぐどころか逃げ回っていると言ったほうが正しいくらいだった。
足元もおぼつかなく、剣を振り上げる気力も、もはやフリッツには残されていなかった。何度も打ち合って、フリッツは情けなくしりもちをつく。
男はおやおやとフリッツに同情していたが、それでも本当に情けをかけるつもりはないらしかった。
フリッツは息が切れるどころか、頭にもやがかかっているような状態だった。
三試合目にしてはあまりに情けない展開に、観客たちから容赦ない野次が飛ぶ。しかしその野次や罵倒すら、フリッツの耳には入らない。
それほどに消耗しきっていた。
「夜通しの鬼ごっこは楽しかったか? おれはあんなことされなくても勝つつもりだが、金持ちってのは根回ししねえとどうにも気が済まないらしい」
フリッツは回らない頭で理解した。なるほど、目の前の男が自分に勝てば、男に賭けた者たちに大金が転がり込む寸法のようだ。ここでフリッツが負ければ、昨日の男たちを差し向けた人間の思う壺なのだろう。
それは、なんだか悔しい。しかし、今日はさすがに勝てない。
どうしてこんなことになってしまったのか。せっかくの試合なのに、こんな最悪のコンディションで戦わなければならないなんて、あんまりだ。フリッツは朦朧とする意識の中で、自分を追い掛け回した男たちを恨めしく思った。
「どうして自分は追いかけられていたんだっけ?」
考えたことが直接言葉になって口から飛び出していたらしい。
自分の勝利を確信している男は、律儀にもフリッツの呟きに答えてやった。
「そりゃ、どうしてもおれを勝たせたいやっこさんがいるからだろう?」
それは変だ、とフリッツは思った。
だって何もしなくたって、正々堂々と戦ったって、フリッツが負ければ必然的に男は勝てる。それなのにわざわざフリッツをこんな目に遭わせておくなんて、本当におかしな話だ。
そもそも、自分が勝つ方に賭ける人間などいないだろうから、そうなれば元々賭けなど成立しない。
そこでフリッツは、あれ、と思った。
もしかすると。ひょっとすると。
万が一にも。
「それって逆に、ぼくが勝つことに賭けてるひとがいるってこと?」
フリッツは回らない頭から浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
だから賭けが成立する。だからフリッツが妨害に遭う。
それを聞いて男一瞬きょとんとしたが、その後豪快に笑った。
「まあ裏を返せばそうなるわな! さあ、お前には何の恨みも無いが、終わらせちまおうぜ!」
男は後もう一押しといわんばかりに張り切りだした。
一方、フリッツは思考の飛んでしまった頭でおかしなことを考えていた。
自分が勝つほうに、賭けている人間が居る、という。
そのことはフリッツにとって衝撃的だった。
(信じられない!)
フリッツの目は一気に覚めた。
気分が高く跳ね上がる。
(ぼくが勝つと思ってくれてる誰かがいる)
自分は望まれているのだ。
勝つことを。
男の剣が振り下ろされた。観客が息を呑む。
しかし、フリッツはそれを横に転がって間一髪で避けた。
なんとも無様な避け方だったが、男はその反射的な動作に感嘆の口笛を吹いた。しかし続けざまに容赦なく剣を振り下ろす。フリッツはまたしても避けた。今度は避けないよう、フリッツめがけてまっすぐに剣を振り下ろす。
間に合わなかったフリッツはとっさに剣で受け止めた。木製の剣に、冒険者の男の刃が食い込む。
もう一度勢い良く振り下ろされれば、剣は真っ二つに割れてしまうかもしれない。相手もそれを感じたのだろう、男は剣により重みを乗せるため大きく振りかぶった。
相手が大きな動きに出たときが、小回りの利く自分のチャンス。
(やっぱり、負けたくない)
それが今、活かせるか。
こんな身体で。こんな頭で。
(……勝ちたい!)
それは衝動だった。フリッツは重い脚に鞭を打った。
一瞬。この一瞬だけ!
フリッツは男の後ろに回った。そして剣でがら空きになっているわき腹をためらい無く打ち、男がバランスを崩したところを、脚を剣で払って、倒した。
男は驚いた顔のまま、信じられないという表情のまま、ゆっくりと転倒していった。
男の手に握られた剣を、初戦の時のように強く弾く。今度は、剣はくるくると回りながら美しい放物線を描いて、会場の壁にブスリと刺さった。
会場の野次が一気に鎮まる。ひっくり返った男が頭を掻いて、きょとんとしている。
それは木製の剣だからこそなせる、フリッツの精一杯の容赦の無さだった。
「勝者、赤!」
審判の判定を聞いて状況を理解した観衆は、一丸となってフリッツの勝利を称えた。
客たちもよくわかっていない、半ばヤケクソのような歓声だったが、気にしないでおこうとフリッツは思った。
しかしフリッツは、その場で剣を取り落とし、崩れ落ちた。
それを見た男は、フリッツに駆け寄った。
「おい、お前、大丈夫か?」
「……ちょっと、浮かれて……調子に」
「はあ? 何を言って」
男はなおも話かける。
しかし、フリッツはリング上で気を失った。
フリッツは控え室で大あくびをした。
一瞬だけ自分でも驚くような頑張りを見せたが、その後は気を失ってしまった。
否、観衆の前で堂々と眠りこけていたのだ。
相手が見た目に反して、意外に良い人で助かった。本当に悪人なら、あそこで戦闘不能に陥ったフリッツを大怪我させることだって出来ただろう。
フリッツは対戦相手に感謝しながら、うとうとと椅子に座っていた。まだ眠気は去ってくれない。みんなはまだだろうかと、霞がかった頭で考えた。
誰かが近づいてくる気配がする。フリッツはうっすらと目を開けた。
知らない女性だ。
「ちょっと、きみ!」
案の定、声をかけられた。また昨日の類の人間ではないかと、フリッツは眠たいながらに身構えようとした。しかし、結局眠気と疲労で失敗に終わる。
「……あのう、知らない人には」
「いいからいいから」
言いきらないうちに腕を掴まれ、人ごみの中をぐいぐいと引っ張られる。路地裏に連れて行かれてボコボコにされる自分を想像する、というところまで考えが及ばなかった。フリッツは精魂尽き果てていた。
知らない人には着いて行くなと言われていたが、正確に言えば今の状況は「着いて行く」ではなく「連れて行かれる」だ。ラクトスに言い訳はできるかもしれないが、かといってこの先に待つ惨事を回避できそうにはない。
それにしても女性一人に強引に連れて行かれるのは、なんとも情けないことだった。やっと人ごみを抜けたと思えばそこは店の中で、女性はフリッツの腕を掴んだままカウンター席に座った。
フリッツは力なく、されるがままに椅子に座る。
「おねえちゃん、べっぴんさんだね」
カウンター越しに店員が声をかけた。
「ええ、よく言われる。今日のオススメと麦酒ね」
「はいよ」
店員は愛想良く答えた。
フリッツはどうして見知らぬ女性に連れられ、酒場に入ってしまったのかなど見当もつかなかった。
歩いてここまで来たことで、次第にフリッツの頭もはっきりとしつつあった。眠たかった時は自分がどこに連れて行かれ、どうされようが知ったことではなかったが、徐々に頭が冴えてくるとそういうわけにもいかない。
酒場に連れてこられた経緯も、闘技場や宿屋までの道もわからない。
フリッツがやっと警戒し始めると、女性は歯を見せて笑った。
「お腹空いてるわよね、がんばってたもの。とりあえず頼んだものをつまみましょ」
「……宿でみんなが待ってるので」
「やぁだ、とって食いはしないわよ。楽にして。リラックス、リラックス」
椅子に座ると女性の顔はフリッツよりもやや高い位置にあったが、さきほど連れ去られたときに見たときはずっと背が高かった。すらりとした細身であるにも関わらず、開いた襟元からは豊かな胸が覗いている。フリッツはそこへ視線がいかないようにしなければならなかった。
短髪で黒髪の、唇の紅が印象的な女性だ。
フリッツは今更気がついたが、かなりの美人だった。花のような香りが漂ってくる、これは香水だろうか。
このさばさばした感じはルーウィンに似ているところがあると思ったが、目の前の女性の方がはるかに愛想がいい。機嫌がいいときのルーウィンといった感じだ。
「あたしのこと、覚えてる?」
女性は自身を指差し、首を傾げる。フリッツは眉間にしわを寄せた。
思い当たる要素が無かったのだ。
「ほらぁ、試合始まる前に手ぇ振ったじゃない」
「ああ!」
フリッツは思い出した。選手達の鼻の下をことごとく伸ばさせた、あの女性だ。
「まさか、ぼくにだったんですか?」
「なんだあ、気づいてなかったんだ」
店員に差し出された飲み物を受け取って、女性はフリッツにそれを手渡す。甘い香りが鼻をくすぐった。リンゴジュースは好きだが、この雰囲気でこの選択はかなり恥ずかしいものがある。
フリッツはいたたまれなくなってきた。そんなフリッツの心中を察したのか、女性は目配せをした。
「ジュースでごめんね。でも二日酔いになったら大変だもん。今日はそれで我慢ね。それにどうせ飲めないでしょ、すごく弱いんじゃない?」
「わかりますか?」
それを聞いて、女性は楽しそうに頷いた。
不思議な女性だ。初対面なのにも関わらず、恐ろしく気さくに話しかけてくる。フリッツが警戒しようが、不審に思っていようが、知ったこっちゃないといった様子だ。
そういう態度で接されていると、だんだんフリッツも警戒を解かざるをえなくなった。気がつけばフリッツは、目の前の見ず知らずの女性と話をしながらつまみを食べていた。
「あの、どうして」
「どうしてこんなとこにいるかって? 決まってるじゃない、三回戦のお祝い。今日はちょっと、いや、かなり危なかったけどね」
女性はグラスに口をつけて一気に飲み干した。もう一杯とおかわりをする。
「じゃあ見てたんですか?」
「見てたわよー。だって木の刃でやってる子なんてなかなか見かけないからさ、どんな子なんだろって興味も湧くじゃない」
「……やっぱり目立つんだ」
「まあ、それなりにね。どうする、明日もそれ使うの? 明日はもっと人が多いわよ」
女性はとても楽しそうに笑いかける。
どうしてこんなにもにこにこしているのだろう。最初はいぶかしんでいたはずのフリッツだったが、今では単に笑い上戸なのだろうということで済ませていた。
何を思ったのか、女性はフリッツとの距離を縮めてきた。顔がくっつきそうなほどに近づいて、目を輝かせながらフリッツに尋ねる。
「ね、どうしてそんなの使ってるの?」
フリッツは逃げられるぎりぎりのところまで身を退いた。妖艶な唇と豊かな胸元が目の前に迫ってきているが、あくまで紳士的に対応しなければ。例え向こうから近寄ってきたとしても、女性に簡単に触れてはいけないものだ。
彼女は楽しそうに訊いてくるので、その理由を応えるのは大変申し訳ない気がした。しかし飾っても仕方がないので、フリッツは正直に答えた。
「本物だと、危ないので」
「あ、そっか。なるほどね!」
女性は口を大きく開けて笑った。
つまらない答えを聞いても楽しげに振舞う女性を、フリッツは純粋に不思議に思った。
「あの、どうしてぼくに……」
「見つけた! こんなところでなにやってんの!」
声と同時に、両開きの扉が勢い良く開けられた。現れたのはルーウィンだった。
「あんた、こんなところでフラフラできる身分だと思ってんの? ほら立った、さっさと帰るわよ」
ルーウィンはフリッツの腕を掴むと、そのまま外に引きずり出そうとする。意外にも女性はあっさり、にこにこと手を振って見送った。フリッツも軽く会釈をして、ルーウィンに引きずられるままに酒場から出て行った。
一人折り残された女性は、ジョッキを飲み干して空にする。そして勢い良くカウンターに置くと、そのままうずくまるようにして前屈みになった。
店員が心配して女性の様子を窺う。
しかし、なんということはない。
女性はこみ上げる笑いをこらえていただけだった。
「うふふふふ。なにあれ、かっわいい。全然似てない、ふふふ」
下を向いたまま肩を震わせて女性は笑った。店員は皿を布で拭きながら言う。
「近頃の女性は、なんでもかんでもかわいいときた。すいぶん純朴そうな少年だったな。お姉さんのお相手には役不足じゃないかい?」
「そうかしら。逆にわたしには、ちょっとハードル高いかなあ」
女性は真っ赤な爪で軽くグラスを弾いた。
「ああ、お連れさんから伝言預かってんだ。あんまり遊ぶなってさ。ちゃんと仕事もしてくれだとよ」
女性は店員に向かってむくれて見せる。
「失礼しちゃうわね。終わったから遊んでるのにさ。なによ、頑張って働いてる部下の気も知らないで。じゃあもう一杯ね」
「おいおい、いいのかい? お連れさん、相当怒ってたみたいだけど」
女性は店員の差し出したワイングラスを奪うように受け取ると、そのまま一気に飲み干した。
「いいのよ、いつものことなんだから。仏頂面はもとからだし。それに」
女性の唇は妖しげに弧を描く。
「いいものも見つけたしね」




