第4話 工学識士オーロ(後編)
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「オーロ、何か用か」
と言いながら部屋に入ってきたのは、五十を少し越えたかと思われる真っ黒な肌の男だ。
目はぎょろっとしていて、髪はちりちりに丸まっている。
あまりに肌の色が黒いために、唇が白っぽくみえる。
「あ、ニテイさん。
い、いらっしゃい。
バルド様。
こちら、か、革防具職人のニテイさんです。
ち、ちょっと変わった人ですけど、腕はすごく、い、いいんです。
革鎧の修復の、ご、ご依頼があるって聞いたので」
バルドは袋から革鎧を出した。
相当荒っぽい使い方もしたから、傷も付いているし、ほつれかかっている所もある。
きわめて頑丈な鎧ではあるが、損傷が小さいうちに修復したほうがよいと思ったのだ。
それを先日バリ・トードに相談したら、今日ここに連れてこられたのである。
革鎧を手に取ったとたん、ニテイの顔色が変わった。
「こ、これは!
ま、間違いない。
川熊の魔獣の革鎧だ。
なんて大胆な型取りだ。
げっ。
まさか。
ここに魔獣の骨を使ってるのか。
うおおお!
なんという絶妙の組み合わせだ。
すごい。
なんてものすごい。
しかもこの縫い目の美しいこと」
ニテイは、うなり声を上げながら、革鎧のあちこちを調べた。
やがて、こう言った。
「旦那。
これは毛皮自体もとんでもなくいいもんだが、とにかく職人の腕がすごい。
技と工夫の塊だ。
これだけのものを作れる職人は、今のこの国にはいない。
悔しいが、俺より数段上だ。
この仕事をやったやつの名前を教えてもらえないか」
バルドは、これはクラースクという街のポルポという職人がやった仕事だ、と説明した。
そして、懐から糸束を取り出して、これは補修用にともらった糸だ、と言った。
「ほう。
そうだろうと思ったけど、チャトラ蜘蛛の糸か。
きれいにより合わせてあるなあ。
どうして全然ほつれがないんだ?
それにこの色、この匂いは」
「チャトラ糸だって!?
ほつれがないだって!」
大声を上げたのはオーロだ。
走り寄ってくると、ニテイの手から糸束を奪い去り、食い入るようにみつめた。
「ほんとだ。
全然、ほつれなんかない。
おお!
引っ張っても、乱れない。
鋼のナイフじゃ切れない。
これだけより合わせてるのに、すごくよく曲がる。
どうやって加工してるんだ?」
やはり興奮するとつかえずにしゃべれるようだ。
バルドは、この川熊の魔獣の毛皮を薬液につけ込んで毛を処理したあと、その薬液に四十八本より合わせたチャトラ蜘蛛の糸を漬け込んだと聞いたのう、魔獣の毛皮のエキスがどうとかいう話じゃった、と教えた。
オーロは、目を見開き、全身を耳にして聞いている。
バルドはさらに、何日か漬け込んだあと乾かして、蝋を塗ると言っておったがのう、と付け加えた。
「ま、魔獣の毛皮のエキス。
そうか。
そんな手が、あ、あったのか。
じ、実験してみたい。
けど、魔獣の毛皮の、え、エキスなんて、どうやって手に入れたら」
「あるぞ」
と答えたのはニテイだ。
「言ってなかったかな。
この前、さる所から魔獣の毛皮を鎧に仕立てる仕事があったんだ。
なんと耳長狼の魔獣の取れたての完全な毛皮が、しかも二匹分、持ち込まれた。
それで一人分の鎧を作れってんだから、豪儀な話だよ。
しかもできるだけ素早い動きができるよう、ごてごてしない作りにしろってことだった。
さすがの俺も、新品の魔獣の毛皮を処理するのは初めてだったよ。
じいさんのノートを引っ張り出して薬液を調合して漬け込んでね。
寸法書きの通り仕立てて送ったよ。
手間賃もたっぷりもらったし、ぐえっ」
言葉を聞き終えず、オーロがニテイに駆け寄って、首を絞めた。
「どうして!
どうして僕を呼ばないんだっ。
どうしてだああああああああ!」
「おまっ。
くる。
しい。
死ぬ。
だすけ」
あまりに手加減なしに絞めているので心配になり、バルドはオーロを引きはがした。
しばらく呼吸を整えてから、ニテイは言葉を続けた。
「残った革や骨やなんかは、全部送り返した。
手入れ用の端切れや糸と注意書きを添えてね。
そういう契約だったんだ。
でも、そのエキスたっぷりの薬液は残ってる。
抜いた毛はもらってもいいと思ったし、エキスもいろいろ試したかったんでね。
しかし、チャトラ糸をねえ。
その発想は、なかった」
どうやら、オーロの二つ目の問題も、取りあえずは解決したようだ。
バルドがニテイに、その注文主はリンツ伯爵サイモン・エピバレス殿じゃろうと言うと、ニテイは目を白黒させて驚いた。
その毛皮をサイモン殿に渡して仕立てをたのんだのがほかならぬバルドなのである。
息子カーズ・ローエンのために。
そう言うと、ニテイはますます目を見開いた。
バルドはニテイに革鎧を預けた。
ニテイは、丁寧に補修したいので三日預からせてくれ、と言った。
バルドは、一日で頼む、と言った。
騎士がいざというとき戦えないのでは話にならないからだ。
けっして、目をらんらんと輝かせて革鎧に見入っているオーロに不安を覚えたからではない。
4
謁見がいつになるのかという連絡は、まだ来ない。
なるほど王というものは忙しいものだろうが、バルドに会うための時間はごく短いものですむはずだ。
バルドは少しいぶかしく思い始めていた。
かりにも王の賓客と呼んだ人間を王宮内に招かず、臣下に預けるというのも、よく考えてみると妙といえば妙だ。
おかげでバルドは堅苦しい思いもせず、自由に街を歩き回ることもできるし、食事も最高ではあるが。
何か王宮に人を入れたくない事情でもあるのだろうか。
そのわけは、はたしてこの夜、明らかになった。
この日の晩餐も、非常に素晴らしいものだった。
滞在して十日間、トバクニ山の温泉に行ったときの弁当を別とすれば、晩餐に同じ品目が出たことはない。
肉も野菜も美味だった。
だがやはりバルドの記憶に一番残ったのは、締めの甘味だ。
どうもこの家では、いやこの国の貴族はかもしれないが、食事の最後に甘味を食べる慣例のようだ。
今日は久しぶりに、当主と同席だった。
客用の館ではなく、本館のほうの晩餐室で食事をした。
奥方やお子たち、主立った騎士たちも同席している。
バリ・トードもカーズも一緒だ。
ジュルチャガは街を歩き回って何か食べ物を買って帰ったようだ。
今ごろ別館の使用人部屋で食事をしているだろう。
あとで味見をさせてもらわねばならない。
食事が終わって、さあ今日の甘味は何かなと思っていると、助手にワゴンを押させてカムラーが入って来た。
ワゴンの上に乗っている物を見て、驚いた。
緑炎石じゃのう。
じゅうぶんに火が入っておるようじゃ。
食後の甘味を出すのに、なぜ火が必要なのじゃ。
そのあとから平鍋を持った助手が入って来て、燃える緑炎石の上に平鍋を置いた。
カムラーが指で合図をすると、助手は平鍋のふたを取った。
とたんに。
何とも甘くて上品な香りがただよってきた。
いや、甘いだけの香りではない。
酸味を帯びたひどく濃厚な香りだ。
平鍋の中の物を大型のスプーンでつついて調えながら、カムラーが説明を始めた。
「鍋の中には、小麦粉を卵と牛の乳で引き延ばした生地を、薄く焼いて折りたたんだものが入っております。
ソースは、七種類の果物の絞り汁に、エイボの蒸留酒を加えたものです。
エイボの蒸留酒は、それ自体はうまみに乏しい酒ですが、暖めると上品な甘みがでます。
そして」
カムラーは、小さな火ばさみで燃える緑炎石をつかむと、それを平鍋にかざした。
すると、平鍋のソースがふわっと燃え上がり、紫の炎を発した。
おおっ、という声が上がった。
薄暗い部屋の中で燃え上がった炎は神秘的な美しさで、料理人の、そして卓に座る人々の顔を照らした。
「このように燃やしてやりますと、非常によい香りが出るのです。
さあ。
貴婦人を飾るブーケのように、料理を香りで飾り立てるといたしましょう」
そう言いながらカムラーは、大きなスプーンでソースをすくっては料理に掛けた。
すぐに炎は収まったが、一同の視線は料理にくぎ付けである。
助手が皿を差し出すと、カムラーは平鍋の中の物を皿に取り分けた。
カムラーの横に立った助手が、壺から何かをすくってその上に乗せた。
助手はすーっと歩いてその料理を当主の席に運ぶ。
当主はそれを一瞥して、了承のしるしにうなずく。
そしていよいよ料理の皿は、主賓たるバルドのもとに運ばれた。
「お待ちにならず、すぐにお召し上がりくだされ」
と当主に言われ、バルドは料理を口に運んだ。
ああ。
至福の香りだ。
甘くて、すっぱくて、ふくよかだ。
今夜の魚も肉も素晴らしい香りだったが、こうしてみると、鼻の奥のほうにまだ刺激されきっていない部分があったのだと分かる。
この甘味の香りは、その足りなかった部分を満たして、何ともいえない幸福感を与えてくれる。
生地はすっきり焼かれていて歯ごたえがよい。
それでいて、たっぷりとソースを吸って柔らかい。
それはバルドが経験したことのない食感であり、うまさだった。
だが、これは何じゃ。
ちょこんと生地の上に乗せられた、これは。
まさか。
バルドはその半球型の物をスプーンでそぎ取って口に入れた。
やはりそうだった。
バルドは驚愕した。
それは氷菓だったのだ。
もう一さじ、口に運んだ。
間違いない。
これはエイボの実から作った氷菓だ。
エイボの蒸留酒で仕上げた温かい甘味の上に、エイボから作った氷菓を乗せてあるのだ。
バルドは生地と氷菓を一緒に口に運んだ。
温かい。
温かいのに冷たい。
冷たいのに温かい。
何ともいえない不思議な美味だ。
くそっ。
くそっ。
カムラーめ。
何というぜいたくな。
「ごちそうというものは、舌で楽しんでいただくことはもちろんですが、音で、色で、香りでも楽しんでいただくものなのです。
どうか当家の食後甘味を、心ゆくまでお楽しみください」
とカムラーが説明を締めくくった。
今日もカムラーの完勝である。
5
食事が終わると、バリ・トードはバルドたちを促して、客棟に移動した。
そして人払いをした。
今、部屋にいるのは、バリ・トード、バルド、カーズ、ジュルチャガの四人だけである。
「バルド殿。
この件については、くれぐれもご内密にお願いします。
実はウェンデルラント王陛下は、ご病気なのです。
ここひと月ほどは体調の悪化も著しく、もはや起き上がって政務を執ることも難しい状態なのです。
明日、急きょジュールラント殿下の立太子式を行います。
特に身分の高い貴族と重臣だけが集まる、ごく内々の式典となります。
諸都市、諸国にはただちに立太子を通達いたし、民にも布告しますが、正式の立太子式は行いません。
ほかにも今、いくつか問題が起きているのですが、私の口から申し上げられるのはこれだけです。
それと、もう一つ。
明日夜、ジュールラント殿下がこの屋敷にお見えになります。
午後は外出しないようにしていただきたい」
それから四人は酒を飲んだ。
貴族家が客を招いて晩餐するときは、夕方に始まって深夜もしくは明け方まで続くものだから、まだ遅い時刻とはいえないのだ。
つまみは、ジュルチャガが屋台で仕入れてきた食べ物である。
「この串焼きは何かの」
「牛の舌だね」
「そういえばそうか。
しかし、牛の舌は私もよく食べるが、これはちょっと変わった味だ」
「熟成させてるんだって」
「なるほど。
確かに臭い。
臭いがまたそれがいい」
「あ、ちょ。
それは残しといてよー。
司祭様、食べ過ぎ。
またしびれ薬入れちゃうからな」
なぜかバリ・トード上級司祭とジュルチャガが仲良くなっている。
歓談の中で司祭は、ふと、こんなときにゼノスがいたらなあ、とつぶやいた。
バルドは、それは誰かと訊いた。
「ああ。
古い友なのです。
平民なのに医学博識まで上りつめた男でしてな。
王宮に上がるようになっても、下級平民の治療のほうに時間をさいておりました。
あの男がいれば、王陛下の病気も治せるかもしれません」
その人物は死んだのかと思ったら、そうではなかった。
罪を犯して追放されたのだ。
この国では死体を傷つけることは重罪である。
その禁を犯したというのである。
それほど憎い相手だったのかと訊いたら、そうではなかった。
「あの男の妻と娘ですよ。
はやり病で死んだのです。
あの男は常々、人間の体の中がもっとはっきり分かれば、治療はうんと進むのにと言っておりました。
鳥や獣はそうとう切り開いておったようですが、人間はまたちがいますからな。
それで二人は、自分たちが死んだら、ぜひ体を切って中を見てほしい、と言い残したのです。
あの男は、その遺言を守りました。
そして助手に密告されたのです」
本来なら死刑になるところだったが、ゼノスという男の功績は大きかった。
また、平民からも貴族からも助命を望む声が強く起こった。
それで国外に追放されたのである。
その後、先王の崩御にともない特赦令が発せられた。
つまりもう追放は取り消されているのだ。
「ゼノスピネンは、医学にすべてをささげた朴念仁でしたがね。
悪いやつではなかった。
ああ、一つだけ妙な趣味がありました。
料理ですよ。
しかも、ノゥレのうまい食べ方なんぞを研究しておりましたな。
何度もひどい物を喰わされました。
いやいや。
ノゥレなんぞはどう料理したところでノゥレに過ぎませんからなあ」
ゼノスピネン。
ノゥレ料理。
バルドはある老人を思い出した。
あれは去年の五月ごろだったか。
ゴドン・ザルコスとともに、エグゼラ大領主領の東の端の村のそのまた奥の集落に行った。
そこでピネンという老人の作ったノゥレ料理を食べたのだ。
人になじまぬ亜人たちがその老人のことを賢者と呼んでいた。
老いてはいたが、かくしゃくとしていた。
バルドはそのことを司祭に話した。
枢密顧問という国家の要職にあるこの聖職者は、バルドに抱きついて喜び、すぐに迎えの使者を立てると言った。
4月22日「将軍就任(前編)」に続く




