第2話 狼人王の国(前編)
1
バルド殿。
辺境は実に豊かですな。
何よりも木々の豊かさですよ。
まったく圧倒されました。
森ある所には、鳥や動物がおり、そして木の実や果実や水がある。
人が生きていくための恩寵が、森にはあふれています。
中原にもかつては緑が満ち満ちていたという言い伝えは、私にはとても信じられませんな。
なるほど今よりはあったでしょう。
けれどかつてそれほどの森があったというなら、神々と神々の戦いで中原が荒れ果ててしまったとしても、悠久の時の流れのなかで、もう木々は復活しておらねばなりません。
結局中原とは、森の恵みの薄い場所なのです。
え?
はっはっはっ。
確かにそうです。
鉄や、銅や、金銀その他の鉱物資源は、辺境より中原に多いですな。
それに石も。
いや私は、辺境には金属類が少ないのでなく、見つけにくいだけなのではないかと思っておるのですがね。
ともあれ、そんな中原にも、緑豊かな場所がいくつかあります。
その最大のものは何といってもモルドス山系でしょう。
ここにいらっしゃるとき、セイオン国を出たあたりで、モルドス山系をごらんになったのではありませんか。
え?
はは。
その通りです。
モルドス山系に続く道は、けわしい岩山で覆われています。
しかしその岩山の向こうには、緑の山々も遠望できたのではありませんかな。
あの連山は、はるか西にまで延びています。
その大きさを正確に知る者はありませんが、だいたいの想像でいえば、そうですな。
ロードヴァン城からガイネリアの都までがすっぽり入るほどの大きさでしょうかな。
はっはっはっはっ。
話が大きすぎでお信じになれませんか。
しかし本当にそう思えるほどの巨大さであり、豊かさなのです。
その豊かさを享受していたのが、ザルバン公国、というわけですよ。
バルド殿は、もちろん〈狼人王〉をご存じですな。
狼人王の開いた国がザルバン公国であるということも、ご存じかと思います。
え?
ザルバンの名は聞いたことがあるが、狼人王の国が実在する国とは思わなかった、ですと?
はははは。
なるほど、なるほど。
辺境のほうには、そのように伝わっておったのですか。
もちろん実在の国ですとも。
もっとも、狼人王その人が実在したかといわれたら、お答えに困りますがね。
巨大な蛇の姿をした名のない魔神。
その巨体はモルドス山系をぐるりと取り巻くほどであったといいます。
魔神の怒りによって滅びかけた人々が星神に祈ったところ、夜の闇を斬り裂いて巨大なたくましい狼が現れた。
神狼は三年のあいだ魔神と戦い続け、ついにこれを降した。
神狼は人の姿に変わり、人間の妻をめとって、その地に国を作った。
これがザルバン公国建国の由来です。
初代である狼人王をはばかって、代々の君主は王を名乗らず大公を称しておりました。
ザルバンの君主は大昔から慈悲と誇りにあふれていました。
その豊かさを無償で他国に分かち与え続けたのですからな。
待てよ。
バルド殿。
狼人王の国のことは伝説だと思っていた、とおっしゃいましたな。
では、緑炎石がモルドス山系でのみ採れる、ということもご存じなかったのですかな。
そうなのです。
あの貴重なる石は、ザルバン公国が領有したモルドス山系でのみ採れるのです。
緑炎樹というのは、じつに不思議な木でしてな。
木そのものは燃えやすくもなんともないのです。
むしろ燃えにくい、といったほうがよいでしょう。
木の幹に刃物で切り付けると、とろっとした樹液が出てきますが、これも燃えやすくはありません。
この樹液は取れたてのときは茶色いのに、乾燥させると半透明な緑色になります。
これが緑炎石です。
もちろん緑炎石はご存じですな。
しばらく種火に当てれば発火し、驚くべき長時間、熱を発し続けます。
暖を取るにも、湯を沸かすにも、これほど優れた燃料はほかにありません。
大昔より緑炎樹を自分の国で育てたいと考えた君公はたくさんおりました。
だが、どうやってもだめなのです。
なぜか緑炎樹はモルドス山系でしか育たないのですな。
ああ、むろん。
黒石は、素晴らしい燃料ですよ。
発火温度は非常に高く、あれがなければ鋼など作れはしません。
そうか、そうか。
辺境では黒石は採れないのでしたな。
この乳の都も、黒石の採れる山を近くに四つ持っておりますし、国内全体では百を超える採掘場所があります。
しかし、黒石はね。
穴を掘って掘り出すのです。
採れば採るほど深く穴を掘り進めて掘り出さなくてはなりません。
これがなかなか大変ですし、運搬も手間がかかります。
使える量にはおのずと限りがあるのです。
燃料のすべてを黒石でまかなうというのは、まったく無理なことなのです。
辺境のように緑豊かであれば、何の問題もありません。
燃料すべてを木や草でまかなえるのですから。
中原では、そうはいかないのです。
この国でいえば、ごく南のほうは別として、この王都はじめ北部一帯には人の数に対して木が少なすぎるのです。
ゴリオラ皇国のように広大な森林地帯があれば、話はちがうのですがね。
この燃料不足を解決するため、大昔から中原諸国は、ザルバン公国から緑炎石を輸入してきました。
いえいえ。
買ったのではありません。
ただでもらったのです。
ザルバンの君主は、各国の王に対し、それぞれ範囲を決め、自由に緑炎石を採取することを許してきたのです。
信じられますか。
このパルザム王国は、七つの山を与えられていました。
役所が置かれ、毎日毎日膨大な数の馬車が、緑炎石を運び出しました。
運搬は大変ですが、採取は簡単この上なく、採っても採ってもなくなる心配がないのですからなあ。
各国の王は、それを独占管理し、街や村に販売しました。
緑炎樹はもちろん木材としても使えますが、老木や枯れた木以外の伐採は厳しく禁じられました。
ある意味、中原の王権の安定はザルバン公国に支えられていたといっても、そう間違いではないと思いますな。
それほどの恩恵を受けておりながら、なんということか。
国とは、人間とは、欲深いものです。
分け与えられるだけでは満足できず、さらに多くを望んで、諸国はザルバンの喉元にかみついたのです。
2
あれは、四千二百五十一年のことでした。
今から、二十一年前になりますか。
中原諸国に、突然、シンカイ国の王と大将軍の名で、檄文が飛びました。
ザルバン大公は、けがらわしき亜人と血を混ぜる邪悪な君主である。
かの国を討ち滅ぼして、正義を立てるべし。
当時のわが国の王宮は困惑しました。
ザルバン公国は中原でも最も古い国といってよいですから、さまざまな伝説を持っております。
建国王は実は狼に似た亜人で、今でもその亜人たちの一族がモルドス山系に住んでいる、という話はわりと有名でしたな。
大公家はその血が薄くならないよう、時々亜人の血を入れるというような風聞もありました。
人と亜人が子をなすなど、確かにひどく冒瀆的で、おぞましい行いです。
けれどそんな噂を理由に今さらザルバンに攻め入るというのは、ひどく不自然です。
そもそも、ザルバンの騎士が精強であることは有名で、また、天険に守られた国でもありました。
山道のいくつかをふさいでしまえば守ることはたやすいのです。
道は細く、大軍は通れません。
力ずくで奪えるような国ではなかったのです。
ただ、その檄文に一抹の不安を感じたのも事実です。
なぜなら、シンカイ王と並んで、物欲将軍の署名があったからです。
いえ。
聞き間違いではありません。
物欲将軍です。
本当の名は、ルグルゴア・ゲスカスというのですがね。
もともとシンカイの人間ではなかったという噂も聞きます。
シンカイというのは、まったく謎の国です。
他国の使節もいっさい受け入れません。
国に他国の人間が入れば殺してしまうのです。
資源に恵まれた都市が密集して国を作っており、国力は想像を絶するほどに高いと思われます。
この国については、王の名や、いつ代替わりしたかさえ、ほとんど伝わってきません。
中原の大国で戴冠式にメルカノ神殿から神官を迎えない唯一の国ですな。
そんな中、物欲将軍の名だけが中原にとどろいていました。
ケルデバジュ王をご存じではありませんかな。
今はもうないヤンガという国の王です。
今からおよそ八十年前、ケルデバジュ王は、素晴らしい槍を手に入れましてな。
騎士たちを招いて、それを自慢する宴を開いたのです。
自国の騎士たちだけではなく、近隣の著名な騎士も招いたそうです。
宴で実際にその槍を振るわせたのですな。
槍を使ったのは親衛隊の騎士だったのですが、何ともすさまじい威力であったそうです。
宴が終わってしばらくしてルグルゴア将軍から使いが来ました。
しかるべき対価でその槍を譲ってほしいというのです。
他国の将軍から王の宝物を寄越せなどと言われるのは、属国扱いされたようなものです。
相手はまったく国交のなかった国なのですよ。
王の体面にかけても承諾するわけにはいかなかったでしょう。
すると二か月後、ルグルゴア大将軍みずから、二百人の騎士を率いてやってきました。
大きくモルドス山系を迂回し、途中の街やで堂々と宿泊や補給をしながらやってきたのです。
二百人もの騎士が押し寄せて来たのを知って、ケルデバジュ王は門を堅く閉ざしました。
門前で物欲将軍は、宝石箱を差し出し、この箱一杯の宝玉を差し上げるゆえ、くだんの槍と騎士を一年だけお貸し願いたい、と申し入れました。
槍と騎士だけ取られて宝石を手に入れられなければ、ケルデバジュ王の名は地に落ちます。
ひとたび槍を貸し出したら、それは二度と戻って来ないでしょう。
そもそも、こんな礼を失した申し出にまともに応対すること自体、王の権威に関わることなのです。
ケルデバジュ王は、玉石をもってではなく斧鉞をもって受け取られるがよかろう、と自ら大声を発したそうです。
いくら急なことといっても、城内には騎士も兵士もおり、矢玉も兵糧もあるのです。
一日二日のうちには近隣の騎士たちも駆けつけるでしょう。
物欲将軍は諦めてすぐに逃げ出さなければ死ぬだけです。
ケルデバジュ王は、何の不安も持っていませんでした。
物欲将軍は、かの槍をみごと使いこなしたという騎士の顔をお見せあれ、と言いました。
ケルデバジュ王の傍らにはべっていた親衛隊の騎士が、われなり、と名乗りました。
すると物欲将軍は、あの者は殺すな、と部下たちに命じるや、大剣を振りかざして城門を打ち砕いたそうです。
いや、いや。
あきれられるのも、ごもっともです。
実際にそんなことができるわけはありません。
ただ、そのように見えたのでしょう。
あるいは、誰かがわざと嘘を伝えているのです。
もっとも、ザイフェルト殿とこの話をしたとき、丸太をくくりあわせた形の門扉なら、留めの金具や革紐がさびたり腐ったりしていた場合、うまく斬ればばらばらにできるかもしれない、とは言っておりましたがな。
とにかく物欲将軍と部下は城内に侵入しました。
城の騎士も兵士もまたたくまに打ち倒され、槍は奪われ、使い手の騎士は捕らわれました。
城の財宝もごっそりと奪われました。
物欲将軍は、ケルデバジュ王の生首を髪をつかんで持ち上げると、約束通り宝玉は置いていくが槍は返さぬ、と言い、首を放り投げてそれに宝箱をたたきつけ、帰国しました。
ここがまた不思議なのです。
王城を落としたのです。
これを売りつければ莫大な富が得られましょう。
また、王や騎士たちを殺したりしますか。
生かしておけばやはり億万の身代金が得られましょうに。
こんなやり方では恨みと不名誉だけが残るではありませんか。
しかも、殺した王に槍の代金を払うとは。
結局このあと周りの国々から攻め込まれ、ヤンガの国は滅びてしまいました。
王城の生き残りがこの話を伝えたのですがな。
物欲将軍は、行きと帰りの街や村でも暴虐を働きました。
地方領主の館に乗り込んでいきなり宿泊の世話を強要もしました。
気に入った武具や調度があれば無理やりに自分のものとしたそうです。
美しい女性には目もくれず、欲しがるのは品物ばかり。
うまい酒と食べ物には大変興味を示したそうですがね。
それなりの財貨を置いて立ち去るのだそうです。
こうした話がいくつもあるのです。
噂によれば、物欲将軍は自国においても、たとえ他の騎士のものであろうが王のものであろうが、欲しいと思ったものは必ず手に入れなければすまない騎士だといいます。
その一方で、金惜しみはせず、部下の功績をたたえることも手厚い、という噂も聞こえてきました。
誰いうともなく、この奇怪な騎士のことを物欲将軍と呼ぶようになったのです。
その物欲将軍の名が、ザルバン公国への攻め入りを呼び掛ける檄文の中にあったのです。
何かが起きる。
そんな不安を感じずにはいられませんでした。
4月10日「狼人王の国(後編)」に続く




