第1話 カムラー(後編)
3
ワインが体に回ってきたのか、体がほくほくと温もり、顔に汗が浮かんできた。
バルドは両手で青みがかった湯をすくって顔に掛けた。
そして両手で顔をもんだ。
もう一度湯をすくって顔に掛けた。
板きれに汗ふき布が乗せられて突き出された。
顔とひげをよく拭いて、布を板に乗せた。
吹く風が心地よい。
ここトバクニ山は乳練石で出来た山である。
乳練石は神聖な石であるから、平民は足を踏み入れることはできない。
トード家からついてきた召使いたちは、麓で待っている。
トバクニ山から流れ落ちた湯は、麓でいくつもの湯だまりを作っている。
待っているあいだ、彼らはそこで湯につかることができるのである。
馬も当然山には入れない。
バルドを乗せて来たユエイタンも、馬車を引いて来た馬たちも、上等の飼い葉を与えられてくつろいでいるはずだ。
バリ・トードとバルドは山頂で夜を明かすから、召使いたちは弁当を食べながらゆったりと温泉を楽しむことができる。
目の前に料理の乗った板が差し出された。
そのうちの一品が、目を引いた。
ポド芋の油ゆでだ。
二日前の晩餐で大いに驚かされた料理である。
ポド芋も、それに混ぜ込んである丸ネギも、辺境でもよく見かけるありふれた野菜だ。
どちらも、暑さにも寒さにも強く、痩せた土地でもよく育つ。
バルドも小さい時からなじんできた。
そのよく知ったポド芋が、油ゆでにするとまるで違った料理になる。
ヒマヤから出た船の上でポド芋の油ゆでを初めて食べたときは、あまりのうまさに思わずうなったものだった。
だが、トード家の料理は。
カムラーが調理したこの油ゆでは。
さらに次元の違う料理だった。
油ゆでには違いないのだが、どうやったらこんなふうに仕上がるのか、見当もつかない。
食べたあとで料理法を聞いたときは、そこまでするかと驚いた。
まず鍋にたっぷりの牛乳油を入れて沸かす。
じゅうぶんに温度を上げてから、平切りにしたポド芋を入れてゆでる。
芋の表面がきつね色に色づいたら、すばやくすくってざるで油を切る。
別の鍋に新しいブイユ・ウーが入れてあり、これは低い温度に沸かしてある。
芋を入れて、じっくりと火を通す。
しかし通しすぎてはいけない。
平鍋にブイユ・ウーを入れて溶かし、細切りにした丸ネギを入れ、しんなりするまで炒める。
丸ネギは熱を通すと三倍の甘さになる、とはカムラーの言だ。
そこにポド芋を入れてあえる。
芋とネギがなじんだ頃合いをみて、細かく刻んだペリスの葉を混ぜ込んで完成である。
油でゆでるという発想が、すでに辺境の感覚ではぜいたくの極みである。
まして貴重な牛乳油を使ってゆでるとは。
聞いたときには腰を抜かしそうになった。
しかも温度の違うブイユ・ウーで二度ゆでするというのだ。
大国の貴族家でなければ思いつきもしない料理方法だろう。
ああ、だが。
だがその味たるや。
先に説明を聞いていたら、どんなにか油っぽいぎとぎとした料理だろうと思ったにちがいない。
ところが実際には、むしろさっぱりした味なのだ。
表面にはしっかりとした歯ごたえがあり、かみしめれば奥行きのある甘味が口中に広がる。
ポド芋というものは、独特の水っぽさと、かすかな青臭さがある。
水でゆでたときには、なおさらである。
チャリア油でゆでても、中のほくほくの部分は若干の水っぽさを持っている。
この料理には、それがまるでない。
芋の中に入り込んだブイユ・ウーは、芋の中身と混ざり合い、凝縮されたうまみのかたまりとなったのだ。
しかも外側をさきにゆでて締めてあるから、うまみはどこにも逃げない。
かりっとした歯ごたえを、からめてある丸ネギの柔らかさと甘さが包み込み、絶妙の味のハーモニーを奏でている。
そしてポド芋と丸ネギの甘さに対し、しっかりまぶしたペリスのみじん切りがアクセントを与え、全体をきりりと引き締めている。
ペリスなど、それだけで食べたら苦いだけのうまくもなんともない葉っぱである。
ところが、この料理に混ぜ込まれたペリスは、確かにペリスのままなのに、素晴らしい風味そのものとなっている。
料理としては至極単純な手順でございますが、しかし完成された手順であり、組み合わせでございます、とカムラーは言った。
まさしくそうだ。
この組み合わせ、配分、手順。
完全無欠であり、変えようがない。
これを発見したカムラーは、神から特別な恩寵を受けた人間だ。
神々は、どうしてあんな奴にこれほどの才をお与えになったのだろう。
バルドは不思議でならなかった。
とはいえ、料理に罪はない。
この芋にもネギにもペリスにも、罪はないのだ。
そもそも、この料理がうまいのは、芋とネギとペリスとブイユ・ウーの手柄だ。
カムラーはそれを引き出す手伝いをしたにすぎない。
食物は神々からの贈り物である。
しっかりと味わわねばもったいない。
冷めているのだが、温かいときとまた違った味わいがある。
ああ、何たる香ばしさか!
バルドは至福の味にひたった。
ひたりながら、ロードヴァン城を出てからこの王都に着くまでのことを思い出していた。
4
バルドを案内してくれたのは、マッシモサンボ・ハソク伯爵である。
伯爵であるが、領地はない。
騎士でもない。
パルザム王国では、文官の登用に道を開くため、ずいぶん以前から貴族の位階だけを与えることを行っている。
領地も下賜しないし領主となる権利も与えないが、爵位持ち貴族と同等の身分格式を与えるのだ。
王は彼らに屋敷と俸給を与える。
さらに先々代王の時代から、将も俸給によって召し抱えるようにしてきた。
彼らにも形式だけの爵位が与えられることがある。
だが騎士であれば領主となれるのだから、形式上の爵位に見合う領地を切り取れば、領地持ち貴族となる道は開かれている。
こうした制度は次第に変化していくのだろう。
騎士でない伯爵は位階伯爵または位伯とも呼ばれる。
騎士貴族からは一段低くみられそうなものだが、どうもそうではないらしい。
騎士でもない文官が授爵されるには、相当の実力と実績がなければならない。
位階貴族は、いずれも彼らの専門分野においてはすさまじい知識と能力を持っているのである。
しかも、位階貴族の位階は一代限りであって、爵位を子どもに受け継がせることができない。
そのため、彼らは嫡子に徹底的な教育と訓練を行い、自分と同じ役職と位階を受けられるように鍛え上げる。
親の跡を継いだだけの騎士貴族では、とても位階貴族に太刀打ちできないのである。
マッシモサンボ位伯は典儀官である。
それも席次第二席の高官である。
典儀官は宮廷の儀式一切をつかさどる重要ポストである。
先祖代々ハソク家はこのポストを守ってきた。
なかでもマッシモサンボは、古今東西の礼法と祭儀に通じ諸国の歴史に通暁する博覧強記の文官であるという。
ジュールラントが王の子として王都に迎えられるやいなや、マッシモサンボが教育係の一人としてつけられた。
彼はジュールラントに、礼儀作法と国の制度および歴史を教え込んだ。
今回、ジュールラントが辺境競武会に先立ち、中原の諸国や国内有力都市をめぐるのに同行した。
必要に応じて知識を教授するとともに、今までの成果を確かめるためだ。
どうもジュールラントはこの人物を苦手としているようで、自分の作法が合格のレベルに達したことを認めさせ、いわば卒業したということにさせたらしい。
そして、パルザムの王都に入って王に面謁するバルドの面倒をみるよう頼んだのだ。
マッシモサンボ位伯と同行するようになってすぐに、バルドは、
ジュールランめ、押し付けおったな。
と気付いた。
悪い人間ではないのだが、謹厳すぎ容赦がなさすぎる。
マッシモサンボ位伯は、やる気まんまんでバルドを教育した。
食事の作法、歩き方、部屋の出入りなどから始まって、貴族同士のあいさつややり取りの作法などを教えた。
宮中の礼儀作法は場合と身分関係によりそれぞれちがい、実に複雑である。
また、バルドが大陸中央の生活習慣や文物について知識がないことを知るや、そちらも教えた。
さらに各国の歴史なども教えた。
バルドは閉口して、わしは王陛下にお会いするだけじゃから、そのとき必要な作法以外は教えていただかなくてよい、と言った。
するとマッシモサンボ位伯は、ジュールラントが立太子されるのはもう確定しており、王太子の傅であるバルドは伯爵以上に叙せられるのは確実であるから、王と太子の名誉のため、ぜひにもきちんと上級貴族の作法と知識を身につけていただく、と言った。
物言いは丁寧なのだが、有無をいわさぬ断固たる態度である。
あとになってバルドは、位伯の名が王宮で頑固者の代名詞となっていることを知った。
それだけではない。
位伯は司祭の職級持ちだった。
考えてみれば、宮中の儀式の中には、司祭以上の聖職者でなければ執行できないものもあるから、儀式を専門的に扱う役職には司祭位がないと都合が悪いのである。
バルドの守護神がパタラポザであると知ると、位伯は目を輝かせて、その教義を諄々と説きはじめた。
バルドはあわてた。
もともとこの暗黒神という不人気な神を選んだのは、その教義を説く聖職者がいないからなのだ。
バルドは神の教義を説く聖職者も、説かれる教義も、大嫌いだった。
神は理屈で知るものではなく、心に感じるものだと信じていたからである。
位伯は、時々にメルカノ神殿から派遣される神官から最新の教義を勉強しているという。
パタラポザについては今まで語る機会がなかったので、バルドは格好の餌食だったのである。
5
ゴリオラ皇国の皇女と騎士たちは、四月十日に出立した。
カーズはそれに同行した。
バルドが、自分の代わりにゴリオラ皇国を訪問しファファーレン侯爵家を訪問してくれと頼んだときには断ったのだが、気が変わったらしい。
ドリアテッサとゾラ・ベール子爵は大いに喜んでいた。
別れ際、バルドはカーズに、しっかりのう、と言った。
それはしっかりあいさつをしてこいという意味だったのだが、カーズは、
「うむ。
おくれは取らぬ」
と返事してきた。
その次の日、ジュールラントたちが出立した。
南西にくだり、パルザム王国東部北端の街タリオラードを目指すのだ。
さらにその次の日、バルドたちは出発した。
一行は、バルドのほかに騎士二人、位伯、従者六名、そしてジュルチャガの十一人である。
ジュルチャガは、再会したときの上等の衣装はすぐに着ないようになり、どこから手に入れてきたのか、いかにも平民の従者然とした服を着ていた。
あの服はどうしたと訊くと、売ったよー、という返事だった。
ゴリオラ皇国で準貴族とかいう身分を得たらしいのだが、なぜかバルドの従者として振る舞っている。
準貴族の身分は秘密にしておきたいようで、なぜそんなことをするのか不思議に思ったが、旅を始めてすぐに気が付いた。
もし準貴族だなどと知れたら、バルドと一緒に位伯の厳しい訓練を受けるはめになったろう。
まったく、危険を避ける能力の高い男である。
一行はまっすぐ西に向かった。
ガイネリア国の方向である。
初めそれを聞いたとき、バルドは難色を示した。
ガイネリアには、ジョグ・ウォードがいる。
バルドと闘って勝ち、バルドの息の根を止めることに執念を燃やす騎士だ。
なぜかガイネリアで将軍をしている。
大丈夫だと位伯は保証した。
パルザム王の賓客とその案内役を襲うようなことはしないというのである。
そんな常識の通用する相手ではないのだが、位伯は考えを変えようとはしない。
なるようになれと思い、西に向かった。
実は暴風将軍ジョグ・ウォードはずっと南東のほうを走り回っていた。
遭遇したのはジュールラントたちのほうだったのである。
なぜ位伯が遠回りのルートを選んだかといえば、できるだけ屋根のない場所で寝たくないから、に尽きる。
野営など品のある人間のすることではない、というのだ。
実際、どうしても野営せざるを得ない場合には、位伯は馬車の中で眠った。
一行は、ガイネリア、テューラ、セイオンの各国を回り、その地の騎士の屋敷に宿を借りながら旅を進めた。
どこの家でも宿を断られることはなかった。
パルザム王国典儀長輔マッシモサンボ・ハソク伯爵の名は、なかなかのものであるようだ。
これまで知らなかった料理の数々にバルドは胸を躍らせたのだが、位伯とともにする食事はじつに堅苦しく気疲れし、味を楽しむどころではなかった。
ジュルチャガは、うまく立ち回っている。
同行の従者たちは貴族家の使用人であり、上品で洗練された振る舞いをする。
その感覚や知識も身分の高い者の使用人にふさわしいものだ。
実際彼らは移動するのに馬車に乗る。
平民のしかも従者が貴族用の馬車に乗るなど、バルドにはちょっと考えられないことだが、彼らにとってはそれが当たり前なのだ。
要するにジュルチャガとはまったく違う者たちだ。
ところがジュルチャガは彼らとすぐに仲良くなり、いろいろ教えてもらっているようだ。
ちゃんとした従者であるかのように、バルドの世話を焼いている。
人目のあるところでは、言葉遣いも違う。
馬車に乗らず走って少しも疲れる様子をみせないジュルチャガに、同行の騎士たちは驚いた。
その騎士たちに、
「いざっていうときに戦場で走り回れないようでは、騎士の従者はつとまりません」
と言ったらしい。
騎士たちは非常に感心し、以来ジュルチャガに親しく声を掛けるようになった。
本当に、どこに行っても生きてゆける男である。
運動のせいか、ふっくらしていた顔はすぐに痩せた。
適度に汚れた風体となり、顔立ちも美しさを失った。
どこにでもいそうな平民そのものである。
木や葉の色に応じて肌の色を変えるトカゲがいるが、ジュルチャガが周囲に溶け込む力はそれに劣らない。
順調な旅だったのだが、モルドス山系の近くを通ったとき、大雨に降り込まれた。
樹木のない山肌を水が濁流となって流れていく。
とても通行できないので、セイオン国に引き返してシュルテンヤ家の門をたたいた。
シュルテンヤ家は田舎領主だが、広い屋敷を持っており、快く一行を迎えてくれた。
ちょうどエイナの民の旅団が、やはり雨で足止めをくらい、シュルテンヤ家に滞在していた。
シュルテンヤ家の当主は、バルドたちの無聊を慰めるため、エイナの民に芸をさせた。
その中に、燃えるような赤い髪をした美しい女がいた。
その扇情的で情熱的な踊りは、ひどくバルドの心を揺さぶった。
その女は何度もバルドと目を合わせた。
賓客に自分の芸と美しさをみせつけるのは当然といえば当然だ。
だが、当主に向ける目とも、位伯に向ける目とも違う、からみつくような視線を、女はバルドに向けた。
バルドは、心臓が少し速く打つのを感じた。
エイナの民に会ったこともあるし、その名の由来についてもおよそのことは知っていた。
しかし、位伯の知識は深く正しいもので、バルドはエイナの民について詳しく知ることができた。
5
むかし神々が二つの陣営に分かれて大戦争をした。
エイナ神は、どちらについてよいか分からなかったので、別の顔で両方の陣営に出入りし、仲間として振る舞った。
そのことは戦争が終わったのち神々の知るところとなり、エイナ神は憎まれて神々の国を追われた。
人間の世界にやってきたエイナ神は、人間たちに知恵を授け、敬われた。
エイナ神は神力は弱かったが知恵は豊かだったのだ。
だが他の神々も人間の世界に来て、人々に加護を与えるようになった。
他の神々はエイナ神を「裏切りの神」と呼んだ。
やがてエイナ神は人間たちからもうとんじられるようになった。
そんなエイナ神を慕い続ける人々がいた。
彼らはエイナの民と呼ばれる。
村や町を作らず、仲間たちと移動しながら暮らす放浪の民だ。
エイナの民は賤しき者と呼ばれる。
エイナ神を奉じる民だからそうみられたのか、そうみられたからエイナ神を信奉するようになったのか、今では分からない。
だが、時に人々はエイナの民を求める。
エイナの民は美しく、陽気で、さまざまな技芸に通じているからだ。
占い、歌、踊り、性技、皮なめしの技などはエイナの民の得意とするところだ。
またエイナの民の中には鳥や獣と心を通わせ、木々や大地の声を聞き取る者もあるという。
大きな祭りや祝いがあるとき、町はエイナの民に門を開く。
村々にとってエイナの民の訪れは、苦しき暮らしの中のわずかななぐさめとなる。
豊穣を祈る彼らのわざと、人々に娯楽をもたらす技芸は、常にどこかで必要とされている。
エイナの神は、裏切りの神、運命の神、放浪の神、両面の神、占いの神、手妻の神、交合の神、不実の神、盗みの神である。
半人半蛇のおぞましき亜人マヌーノの始祖たるネーレは、エイナの神が蛇と交わって産み落とした亜神といわれる。
ただしマヌーノたちの神話では、蛇神ネーレが人間の王ジャンと交わって生まれた子がエイナ神だということになっているという。
6
ふと気が付けば、ポド芋の二度ゆでがない。
一つを食べれば次の一つに手が伸びる。
次の一つを食べればさらに次の一つに手が伸びる。
まったく飽きのこない味なのである。
途中でやめることなどできない。
途中でとめることなどできない。
そしていつしか皿の上の芋を食べ尽くしてしまったのだ。
くそっ。
カムラーのやつめ。
バルドは手を湯で洗い、料理人頭にしてやられた悔しさをワインでまぎらした。
今や太陽神は対面の山の稜線に身を隠しつつある。
赤く染まった夕日の色が、乳練石の山肌をオレンジ色に染めていく。
すると、見よ。
不思議なことに、青かった湯水の色が、緑色にと変わってゆくではないか。
なんという景観の妙。
日の光の具合によって、山の色も水の色も、次第次第に変化してゆく。
おのれの体も夕日と水の色に染まるのを見ながら、バルドは感激にひたった。
さらに夕日は沈んでいく。
王都の家々に明かりがともる。
それは人の営みを示す光だ。
ぽつぽつと光の数は増えてゆき、やがて空の星より多くの光が地上にまたたいた。
そのそれぞれの光が、それぞれの人の人生を照らしている。
大自然の美しさに劣らない感動を、バルドはそこに見いだした。
「美しい光ですな。
こんなにも多くの明かりがともるようになったのは、そう昔のことではないのです。
今は貧しい平民でも、家に一つぐらいの明かりをともすことはできます。
寒い冬の日に、温かいスープの一つぐらいは作ることができます。
でもそれは、一つの国を滅ぼし、何もかもを奪い去ることによって得られた豊かさなのです」
そう、バリ・トード上級司祭が言った。
そしてある国の滅亡の物語を語り始めた。
4月7日「狼人王の国(前編)」に続く




